42 エピローグ3
帝都ルンソッド。
評定議会所にて、臨時評定会合が開かれていた。
評定組織は大目付、目付、財務大臣、霊公大臣、知行大臣、審理、そして、裁定事項の執行役としての評定所留役からなる。
留役は内容に応じて知行大臣の権限で決定されるが、今回、選定されたのは武官という物々しさだった。
証人席を見ても様相は同じだ。
ベルリカ領主、現十二天将、シヌガーリン家当主、そして、司教と並ぶ。
傍聴席にも高貴なる三つの家から派遣された家老、そして、宰相が腰掛ける。
評定所は仕切る側が最も身分が低い集団という、珍妙な空間となっていた。
「…………現状の対処を聞きましょうか。ローボー・シヌガーリンが破れたのち、領主は何を?」
知行大臣がベルリカ領主に問う。
「まずは箝口令を。ズイレンに居を構えていた者は、領都ガレンへ避難させておりますが、風説の流布はせぬよう言い聞かせております。今のところは波風が立つこともなく、平穏を保っております」
「奪還は考えぬというのか?」
「……恐れながら、本件、知行政の身分にありながら、勝手に領地を賭け事に使ったシヌガーリン家の過失にございます。ベルリカ領主としては、裁くことはあれど、自ら補填を考えることはありませぬ」
「領主、我が父が悪いと申すのか?」
シヌガーリン家当主が冷たい視線を投げる。
彼はローボー・シヌガーリンの息子に当たる。
父の死によって、期せずして当主の座についたのだった。
「人間が鏑矢を放ち、合戦を申し込んだ。これを受けずしては、天上人の名がすたる。父は天上人としての責務を全うして――――」
「そうして、人間に破れたと? それこそ天上人の恥ではないか」
「貴様……。それ以上、父を侮辱すれば、領主とて許さんぞ?」
「熱くなられるな」
知行大臣が口を挟む。
「ベルリカ領主の言ももっともだ。領地を賭けた戦は、領主に話を通すのが筋、勝手に賭けたと言われても文句は言えないでしょう」
「――――しかし、」
「そして、負けたのも事実です。これは大いなる恥。あまりにも罪深いと言えます」
財務大臣も追い打ちをかける。
当主は不満げに腕を組み、
「…………では、この私がズイレンを取り戻す。それで結構でしょう」
「シヌガーリン家は人間相手に仇討ちをなさるというのか!」
ベルリカ領主が叫んだ。
「仇討ちの意味を理解なさっているのか? 仇討ちとは、格下の者が格上を討ち果たすことを言う。あなたの父は人間に敗北したのですぞ? 仇討ちなど、それこそ恥の上塗りだ」
「では、どうしろと?」
「案があるならおっしゃってください、領主」
知行大臣の問にベルリカ領主は端的に答えた。
「シヌガーリン家は即刻取り潰しでしょう」
当主が息を呑む。
ベルリカ領主はかまわずに続けた。
「我らには人間を裁く法を持ちませぬ。確かに此度の件は人間に罪がありましょう。しかし、負けた方の罪が重すぎる。人間の対処より先のその罪を裁かねばなりませぬ」
「では、そのあとは? 人間に町を明け渡すのか?」
「無論、考えなければなりませぬ。一度、合戦を申し込まれた以上、こちらからも合戦を申し込むのが筋……。なれど、人間に合戦を申し込むなど前代未聞。領内にて重々に詮議した後に判断をしようかと」
「手ぬるい。人間をのさばらせておくなど、それこそ許されぬぞ」
黙していた十二天将が口を開いた。
犬氏族の長にして始皇帝マナロと共に戦った部族の末裔。
ローボーの甥にあたる。
「シヌガーリン家の過失だと申されるなら、その過失は犬氏族のうちで解決するのが道理だ。俺が出て、片付けてこよう」
「氏族の問題とするのは解釈が広すぎるのでありませんか?」
「広いものか。犬は家の繋がりが深いのだ。誰しもが家族と言っていい。家族の罪を家長が償うのは当然の責務だ」
「何も十二天将が直々に出ていくことはないでしょう。それこそ天上人の名誉に関わる問題かと……」
知行大臣が恐る恐る言った。
「人間を殺すだけなら他にもいくらでも手の打ちようがあります。今日は留役として武官も参集しております故……」
「軍は陛下の直轄だ。武官を差し向けるなど、人間を脅威とみなせ、と陛下に進言する気か?」
「それは…………」
知行大臣が言葉に詰まる。
「司教様はどのようにお考えですか? 現地に居合わせておいでとうかがっていますが……」
財務大臣がソテイラに話を振った。
ソテイラはこれまでの話を身じろぎ一つせずに聞いていた。
聞かれてからも、返答に時間をかけた。
「合戦の立会人としてもローボー様よりご指名をいただいておりました。この目で戦いの一部始終は見ておりましたが、実に壮観な戦いでありました。あの戦いについて、私個人の立場からしても大変興味深く、また、霊公会の立場からも申し上げなければならないことがございます。――――すなわち、人間が始皇帝マナロの炎を受け継いでいた点にございます」
「……馬鹿な。蒼炎が人間の手に渡ったと言うのか……?」
「然り。私の目には、あれは紛れもなくマナロの炎と映りました」
「貴様の目が節穴だっただけではないのか?」
十二天将が野次を飛ばす。
ソテイラは落ち着き払った声で、
「司教の言葉を信じられぬというのなら、それも結構。以降、犬氏族の方々に、霊公会の託宣は必要ないようですね」
「だ、誰もそんなことは言っていない……!」
十二天将は慌てて付け加える。
以下に将位と言えど、霊公会の支援が受けられなくなれば、簡単に影響力を失う。
精霊にまつわる一切を取り仕切る霊公会は、実際の階位には現れぬ権限を持っているのだ。
その二番手である司教が、あれはマナロの炎だったと証言している。
宰相まで臨席するこの場においても、一人として反論できる者はなかった。
「霊公会としては、マナロの炎が現れた以上、本件の対処に関する一切の権限は私ども霊公会に帰すると考えております」
「貴様、横取りする気か!?」
「犬氏族のお家問題に関しては、この際、些事でしょう。前皇帝陛下が亡くなられた今、蒼炎を取り戻すことは、いかなる問題にも優先される事項と考えますが……」
「司教様のおっしゃることが事実なら、それは、確かに、国にまつわる大事にございますな……。一つ、霊公会にお任せするのも……」
知行大臣がまとめようとすると、ベルリカ領主が遮った。
「では、我が領地が不本意に失われたことについて、補償はないと?」
「……その点は犬氏族の瑕疵であるため、氏族とお話いただければ」
「瑕疵だというのなら、俺たちに報復の権限が与えられるべきだ! 代価だけ払えというのか!?」
「しかし、領主の許可なく、合戦を受け、あまつさえ負けたのは事実であって……」
「犬氏族を侮辱するのか!?」
「代価、報復。…………残念なことに皆様は事の本質を正しく理解しておられないようですね」
紛糾した議論をソテイラが遮る。
「なぜローボー様が破れたのか、お考えになられましたか? 人間の方が強かったから破れたのですよ?」
人間の方が強かったから――――。
それは、確かに、その場にいた者にはない視点だった。
証人席から傍聴席に至るまで、誰もが人間をどう倒すかなど考えてもいない。
倒そうと思えば、いつでも倒せるからだ。
全員がそういう前提で話していた。
「始皇帝マナロが精霊より賜った蒼炎は“森羅万象を焼く”力を持つのです。ローボー様が破れたのも、霊術によって産み出した力の理を焼かれたからに他なりません。蒼炎は術者の認識できるものは、それが何であれ区別せずに焼き払うのです。信ずれば、水も、岩も、金属も、大気も、星も、果ては力や時間といった理にすら火をかけることができる……。防ぐすべのない究極の炎……、それこそが始皇帝の炎。喧伝しておいでの皆様が、今更それを忘れたわけではありますまい? 今はそれが人間の手にある……。なぜ勝てると思っているのですか?」
「なら、なおのこと早期に倒さねばなるまいて。知恵をつければつけるほど、焼けるものが増えるというのなら――――、今すぐにでも討伐を」
「叶うのなればそれも手でしょう。なれど、あれは覇の道を進む者です」
「覇の道ですと……!?」
「えぇ、託宣はそのように告げております」
霊公会では呪術によって、精霊から託宣を賜る任も担う。
覇道を征く者は、人を占った際に現れる相であり、王の資質の一つと考えられていた。
王の資質はいくつか種類がある。
覇道は特に武の色が強い英雄に授けられるとされていた……。
その相が人間に現れたとなれば…………。
いよいよ認識を改めなければならない。
ソテイラを除く、全員が苦り切った顔をしていた。
…………人間が力を手にしたら。
その力で天上人に歯向かってきたのなら…………。
バサ皇国の歴史上、一度たりとも起こり得なかった事態に、誰一人答えは出せなかった。
結局、評定会合は結論を出せずに終わった。
三々五々に散る面々は腹の中で全く違うことを考えている。
…………人間風情が。
シヌガーリン家当主は迎えの馬車に乗り込むと同時に、怒りを顕にした。
名門シヌガーリンを軽んじる領主に犬氏族の誇りを些事と断じた司教。
いずれも度し難い存在だった。
しかし、身分で及ばぬ両者に歯向かったところで益はない。
何より今の当主を最も苛立たせるのは、父を討った人間だった。
……人間とは地に這う奴隷。
天上人に尽くし、命を燃やす存在。
牙を剥くなど前例すらない。
その最初の例がなぜ父でなければならなかったのか……。
「……お館様…………、あぁッ……!」
膝の上の公妾がうめいた。
どうやら無意識のうちに髪を掴んでいたらしかった。
当主は移動中にも公妾を侍らせることにしている。
公妾はいずれも名家の子女だ。
政略結婚にでも使われそうな女たちだが、シヌガーリンは、それを公妾とできるだけの力を持っていた。
十二天将の一角アンソグ・ディーヨスの血族にして、犬氏族の長たる血筋。
それだけの家格なのだ。
故に泥を塗られたことが許せない。
必ずや父の仇は…………。
……いいや、違う。
これは仇討ちではない。
罪深い奴隷への罰なのだ。
父を殺した奴隷には死罰を与えよう。
連座の範囲も、父の治めた地方でよい。
一人として生きる価値はない。
――――皆殺しだ。
その頃、ベルリカ領主は迎えに来た側近の馬車に乗るところだった。
「領主様、話し合いの方はどのように?」
「主導権は霊公会に握られた。司教様が直々に本件を任せろとおっしゃっておられる」
「なんと。領内でありながら、そのようなことを?」
「無論、させぬ。ベルリカの治世は領主の務めだ。町を丸ごと霊公会に明け渡すことなどできるものか」
「では、相応の駆け引きが必要ですね」
「いかにも。……あの町は、ぜひこの手で決着をつけたい」
帰りの馬車でベルリカ領主は策を弄する。
ソテイラは霊公会の総本山へと出向いていた。
霊導師へ目通りを願い、此度の件を報告するためだった。
豪奢な調度類の並ぶ執務室で、霊導師は言った。
「此度の件、霊公会の管轄とすべきと評定会合で発言したそうじゃな?」
「いかにも、人間が持つとは言え、蒼炎は蒼炎。見逃すわけには参りますまい」
「……にわかには信じられぬが、お主が言うことであるのなら、間違いはないのであろう。……ワシからも霊公会の管轄とするよう進言しておこう」
「ありがとうございます」
ソテイラの脳裏には粗野な青年の顔が浮かぶ。
左手に紋章を持った世界で初めての人間だ。
…………あぁ、興味深い、興味深い。
今一度、会う機会があれば、じっくりと観察をしてみたい。
本件を霊公会の預かりとした理由もまさにそれだった。
ソテイラは知的好奇心に嘘をつかない。
いついかなるときも自身の思うままに動くのだ……。
食事でもという霊導師の誘いを断り、ソテイラは総本山をあとにする。
†
ズイレンを中心とした一帯についに人間国の成立が宣言された。
喜びに湧く人間たちも多い中、課題は依然として山積みだった。
奴隷として調教された人間は著しく自主性に欠き、国民の大半が無気力な烏合の衆となっていた。
命じれば生産するが、購買行動がないため貨幣経済が成り立たない。
いくら金を与えても、自分の判断で使うことできないのだ。
そして、買えば済むものを買わずに耐えるため、病気や飢えが未だになくならない。
こうした状況への対処は教育あるのみだが、一朝一夕に成るものではない。
長期的な教育計画が必要だった。
他方で、外政への対処も即断を迫られている。
人間国の最大の強みは、多くの忍びを有する点だ。
忍びはローボーが討ち取られた日のうちに城下町ガレンへ潜入しており、情報収集に当たっていた。
目下、警戒すべきはベルリカ領主と言われていたが、思った以上に多くの者がズイレンを気にかけていることがわかった。
帝都ルンソッドでも話題に上るとなれば、相当な大事だ。
諜報の範囲を広げなければ、とても情報を追いきれない。
しかし、それをやってのけるのが数百年の歴史を持つ零でもあった。
「――――なるほどね、そういう状況なわけか」
そして、忍びが命がけで手に入れた情報は、王も里長も素通しして、すべてがエリカの下へ届けられる。
情報をエリカに流し込むと作戦として出力される。
天上人の常識を知り、帝都や城下町への訪問経験もあり、教養にも溢れる。
これ以上の適任は存在し得ないし、運よく味方になってくれたことは、国にとって幸運だった。
「次の計画ができたわ」
「…………できたのか、次は俺はいつ眠ればいいんだ?」
「あんたは、あたしより寝てるでしょうが! 贅沢言ってんじゃないわよ!」
「いでっ! お前、王を蹴ったらいけないんだぞ!」
「だったら、キリキリ働きなさいよ! あんたが使えないせいであたしが苦労してるんでしょうが!」
旧天上街、人間王執務室。
王がモリモリと国策をひねり出すことになっている部屋では、下々の民が見れば、卒倒するであろう光景が繰り広げられていた……。
その部屋の明かりが消えることはなく、連日連夜、怒鳴り声が耐えない。
里長などは、これが女子の嬌声などであったなら、さぞかし健全な王となられたものを……、と嘆いている。
が、その他の臣下は、女と寝食を共にしておいて、お手つきにもならぬとは、素晴らしい意志の強さだと褒め称えている。
実態はお手つきもクソもない激務だった。
ある程度、仕事が複雑さを増していくと、一介の忍びに過ぎないカルは口出しができなくなった。
今では、元来の陰の者を指す、近衛長に収まっている。
どこにでもいて、どこにも見えない存在だ。
「カルー、お腹が空いたんだけどー」
「はいはい、…………どうぞー」
天井裏からカルが出てきて食事の乗ったお盆を持ち出してくる。
実態はと言えば、侍女にも等しい働きだった。
エリカはと言えば、内外から死ぬほど評判が悪い。
王を独り占めして后の地位を確立する気だ、とか、後宮を作らせない気だ、とか。
様々な憶測が飛ぶ。
良くも悪くも国らしさがでてきたところだ。
「で、エリカの計画ってどんなの?」
「聞きたい? どうしよっかなー、カルがチュッチュさせてくれるなら教えてあげてもいいけど?」
「それに人類の命運がかかってるって、僕の責任すごいね?」
「いいから言えよ! 俺は眠い!」
「わかったわよ! 冗談なんだから本気にしないでよ!」
エリカは怒鳴りながらわら半紙を広げる。
とても遠大で見たこともないくらい文字が書き込まれた紙だった。
このすべてが、「やらなければならない項目」なのだろうか……。
「じゃあ、新しい作戦を発表するわよ」
エリカは次のわら半紙を広げ、喜々として計画を語り始める。
それは、文字通り人間の未来を決める壮大な計画だった…………。