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41 エピローグ2


    †エリカ†


 天上人の疎開が始まった頃、ローボーの屋敷は張り詰めた空気に包まれていた。

 土地を奪われる痛みは人間だろうと天上人だろうと変わらない。

 合戦の結果だと言えど、反故にする者が現れてもおかしくなった。


 一人が立ち上がれば、あとに続く者も出るだろう……。

 そうなったときに、天上人を止められるだけの武力が、人間には備わっていない。

 あたかも存在するかのように見せかけ、恐怖で押し通すのがエリカの策だった。


 …………東西南北の門から天上人が続々と疎開していく。

 その様子を監視する密偵からは、逐一報告が上がってくる。

 誰かがやってくるたびに、反旗を翻す者あり、という報告ではないかと戦々恐々とした。


 それでも、表面上はそんな素振りは見せずに、エリカは実に堂々と振る舞っていた。

 自分が不安を顔に出せば、それは周囲の人間にも伝搬する。

 幼い頃の経験から、それを知っていたのだ。


 やがて半分の天上人が町を去ったという報告が入る……。

 それを聞いて、エリカはおもむろに席を立つ。


「どこへ行くんだ?」

「……主のところに決まっているでしょ?」

「エリカ、行っちゃうの!?」


 カルが泣きそうな顔でしがみついてくる。

 愛おしくなって頭を撫でる。

 もっと泣き顔を見ていたいが、今はそんな状況ではなかった。


「別れを言いに行くだけよ。それに、セイジとミキを助けてもらわなくちゃ」

「…………そっか、よかった。また、戻ってくるんだね?」

「当たり前よ、だって、カルがいるんだもの」


「……ふん、この一大事に主のところへ行くとは、やはり奴隷は奴隷か」


 里長が聞こえるような嫌味を吐いた。

 この爺……。

 頭が固くてまともな作戦も立てられなかったのは誰? 代わりに誰がここまで仕立ててあげたと思ってるの?

 言い返そうとしたところで、先にジンが口を開いた。


「里長。エリカに護衛をつけろ。セイジとミキも歩けないだろ。籠も用意してやれ」

「…………はっ。しかしながら、陛下、この者は元々、天上人の奴隷で、しかも、一度は陛下を囮にしたというではありませぬか? このような卑劣な人間を……、我らの陣営に置くこと自体、小生は反対でございますし、ましてこの窮地に置いて外に出るなどと、」


「ごちゃごちゃうるさいなぁ、やれって言ってるだろ!」

「は、ははぁ……! 行き過ぎたお言葉お許しください! ただちに手配いたします!」


 里長が慌ただしく部屋を出ていく。

 少しだけ腹の虫が収まった気がする。


「……なによ、それで気を利かせたつもり?」

「うるせぇ、さっさと行け」


 相変わらずこの男とは相性が悪い。

 が、今だけは感謝してやってもいいだろう。



 屋敷の前には籠に乗せられたセイジとミキが待機していた。

 護衛と思しき男もいる。

 正直、護衛なんかいらないのだけれど、……まぁ、せっかくだし守られておこうと思う。


 里長が気を使ったのか、ミキの介添人として女性もいた。

 小さい男だがこういう点は評価してやろう。



 ソテイラの屋敷は外からでもわかるほど慌ただしい空気が漂っていた。

 ……それもそうだ。

 屋敷には様々な研究成果がろくに整理されることもなく散らかっている。


 なぜだか知らないが、研究者は散らかす奴が多い。

 のめり込むほどに散らかすのだ。

 そして、整理をしない。


 こういうときに苦労するとわかっているはずなのに……。

 まぁ、屋敷を出ていくとは思っていなかったから、仕方ない面もあるだろう。


 中へ入ると、特に農学と医学の人たちが泣きながら片付けをしていた。

 実験設備も、そこらで手に入るわけではない。

 長年の努力によって培った土壌だとか、培養装置だとか、ここには努力の結晶があるのだ……。


 追い出してしまうのは忍びない気がする。

 ジンに頼んだら、人間奴隷だけを残せないだろうか……。

 などと、思いながら、ソテイラの私室を目指す。


「エリカか、急ではあるがこの屋敷を出ることとなった。出立の準備を始めよ」


 無断で屋敷の外に出たにも関わらず、ソテイラは顔色一つ変えずにエリカを迎えた。

 どんなことがあってもこの人は振る舞いを変えないのだろう……。

 今が平時なのではないか、という錯覚すら覚える。


「ソテイラ様、その件についてですが………、あたしは屋敷を出て、あの人間の元の残ろうかと考えております」

「……何故、そのように考えた? アレは茨の道であろう」

「覚悟はできております。……それでも、あたしはあの人間の王がどこへ向かうのかを見てみたいのです。あの人間は強くはありますが、恐ろしく危うい存在でもあります。陰から支える者がなければ、国も立ち行かぬでしょう」


「つまり、貴様は人間国の建国に助力するつもりだと申しているのか? 天上人の奴隷の身分でありながら?」

「…………はい、その通りです」


 ここでソテイラが武器を手にとるような存在なら、そのときはそのときだ。

 精一杯、抗って、なんとか要求を押し通すしかない……。


 ……しかし、ソテイラはそういう種類の天上人ではなかった。


「………………、人間が国を興し、それに与するか……。あぁ、私にはそれへの興味を抑え込む術を持たない。私の深淵に潜む何かが囁いているようだ。私もその先を知りたいと――――」

「で、では、……お認めいただけますか?」

「おいそれと認めるわけにもいかんが、……いいだろう。だが、規則は規則。以降、我の庇護は受けられぬものと思え」

「もちろんです……。あたしは屋敷を出ていきます。その代わり、一つお願いがあるのですが……」


 そこからエリカは本題を切り出した。

 ソテイラは絶対によい顔はしないだろう……。

 ……けれど、どんな規則よりも好奇心を優先せずにはいられない天上人だ。

 だから、絶対にエリカの話に乗ってくるはずだった。

 さぁ、正念場だ……。


 エリカは見事な笑顔を作って、こう言った。


「外を見てきた人間がどのように考えを変えたかをじっくり観察したくありませんか?」



「…………本当になんて言ったらいいか、わからないよ。エリカさんは命の恩人だ。……ありがとう」


 ソテイラは見事エリカの思惑に乗り、セイジとミキを引き取ると決めた。

 加えて、元々の希望であった疫病の薬も与えられ、二人のいた町へ届けられるという。

 二人はズイレンではない別の場所で生きていく。

 しかし、ミキの体のことを思えば、それは楽なことではないだろう……。


 今、ミキは熱を出して、意識を失っていた。

 足と腕を切られても生きていたのは天上人が霊術で治療を施したからだろう。

 食材の鮮度を維持するためにそうしたのだろうが、それがなければミキはとっくに死んでいた。

 普通なら命があるだけでも不思議な状態なのだ……。

 新しい町で失った腕と足と目と乳房を取り戻すための研究が始まるのだろう。


「セイジは優秀だから、きっとすぐにミキを治す方法を見つけるでしょうね」

「……どうだろうね。今まで火薬一筋だったから、医学を極められるかどうかは正直不安だよ。でも、やらなきゃいけないことだからね、頑張ってみるよ」

「うん、セイジならできると思うわ」


 …………短い返事を残して、会話が途切れる。

 何を言うべきなのか、よくわからなかった。


 今まで、あなたのことがずっと好きでした?

 ……そんなこと、今言って何になる。

 あたしのことを忘れないで?

 未練を残すような女だと思われたくない。


 …………別れたくないという気持ちばかりが募る。

 何か、気の利いたことを言わなければと思うのに、そんな前向きな気持ちが黒い何かで上塗りされていく。


「……僕は、エリカさんを尊敬してた。ずっとずっと前からね」

「尊敬……?」

「うん、……だって、花火を作るために、すっごい勉強して、……普通の人が五年かかるような勉強をたった三年で終わらせちゃったから。好きな分野への情熱は僕も見習わなきゃいけないなって」


 …………こいつは。

 この期に及んで、まだ気づいていないのか……!


 あたしが、どんな気持ちであんたのことを助け出したと――――。


 ……まぁ、いいや。

 なんだか、逆にスッキリした。


「あんたはいつまで経ってもどうしようもないクズね」

「あいたっ……! どうして叩くの……?」

「あんたが、すっとぼけたこと言ってるからでしょ? 他人のことを褒める暇があるなら、自分の腕を磨きなさい。あんたがやらなきゃいけないことって、それでしょ?」

「――――あはは、そうかもしれないね」


 先頭を歩く奴隷がエリカを振り返る。

 時間だ。

 もう出発しなければ、列に置いていかれる。


「行かなくちゃいけないみたいだ……。じゃあね、エリカさん。……今までありがとう」

「こっちこそ。あんたには世話になったわ。遠くへ行っても元気で」


 別れは、本当にあっさりとしていた。

 ……手を振って、セイジを見送る。


 結局、最後まで”さん”をつけて呼ばれていた……。

 ま、わかってたけどね……。


 姿が見えなくなったので、エリカは振り回していた手を止めて、…………ゆっくりと下ろす。


 目を閉じれば、セイジとの思い出が胸を満たす。

 初めて会ったときのこと、教科書を作ってくれたときのこと、そして、花火を見せてくれたときのこと。


 あたしはあんたのおかげで生きてみようって思えるようになった。

 生きる意味なんてないと思うのをやめられた。

 ……あんたがくれたものは、ずっとずっと、あたしの中に残り続ける。


 振り向いて欲しいなんて気持ちはもうなかった。

 セイジはそういう存在じゃない。

 希望をくれた人。

 幸せになってほしい人。


 ただ、それだけ。


「ありがとっ―――――――――――――――――――!!」


 叫んだら、遠くから返事があったような気がした。

 奇しくもあの日と同じ、夏の終わりの、蜻蛉が飛ぶ季節のことだ。


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