40 エピローグ1
知行政が討たれたという報は風のように領地の中を駆け巡った。
「た、大変だ、大変だ、大変だ――――――! ち、知行政様が討たれた!! 討ったのは人間だ!! 人間の王が知行政を破ったぞ――――!!」
いかにも軽薄な見てくれの男が道という道を走る。
焦っているように見えて、嫌に詳しい説明をする。
「そ、それはどういうことだ!? 天上人が殺されたのか!?」
「そうだ!! 人間が天上人に勝ったんだ!!」
「……そ、そんなことをして、罰があるんじゃ…………」
「それが、ねぇってことなんだ!! 知行政は人間とこの地を賭けて戦った!! 知行政が負けたんだから、この地はもう人間のものなんだ!! 天上人に支配されることもねぇんだよ!!
町を見れば、あちこちに似たような光景が広がる。
町中に潜んでいた密偵たちの暗躍だった。
事実が捻じ曲げられる前に、真相をばらまいていく。
その一報は町の天上人たちにももたらされた。
「ローボー様がお亡くなりになったとは真か!? 人間どもが良からぬ噂を話しておるぞ!」
「確認が取れませぬ! 天上街から火の手が上がっているのは見えるのですが……」
「なに、火の手が!?」
「大変だ、大変だ、大変だ――――! 知行政が人間に討たれたぞ――――!」
「えぇい、不愉快だ! 風雪を流布する人間どもを捕らえてまいれ! ローボー様が人間に討たれることなど万が一にもあり得ぬ!!」
町に混乱が広がる。
人間たちは降って湧いたような建国の話に呆然とし、下流の天上人たちが噂の出処を確かめようと躍起になっていた。
天上人の多くは、小さなほら話が変な形で伝わっただけだろうと考えていた。
人間が天上人に打ち勝つなどあり得ないことだからだ……。
ところが、夕方頃になっても、噂は消えず、むしろ勢いを増しているようだった……。
町の状況は天上街にも伝わっているはずだ。
根も葉もない噂なら知行政自らが姿を見せて、一括すれば済む話なのだ。
……なぜ、それがなされないのか。
町の天上人たちも異常を感じ始めた。
しかし、天上街は許可なき者の立ち入りを禁じる区画。
彼らには待つことしかできなかった。
間もなく日が暮れようという頃、天上街の門から続々と人間奴隷が追い出されてきた。
その光景を目撃した天上人たちは、いよいよ中で尋常ではない何かがあったのだと理解する。
人間奴隷は手足を縛られている。
…………人間とは言え、幼少の頃から育てられた生え抜きの奴隷だ。
それが縛られ、天上街を放逐される。
その意味を天上人たちは計りかねていた…………。
そして、夜も更けようという頃、ついに動きがあった。
長らく沈黙を保っていた天上街の者たちが、動いたのだ…………。
…………最初に姿を見せたのは、……知行政の右腕を務める鷹の天上人だった。
彼は羽をもぎ取られ、血にまみれた姿を衆目に晒した。
背後には縄を握る人間の姿があった。
不安は頂点に達する。
「な、何があったんですか!? 知行政様が人間に討たれたなどというのは、嘘にございましょう!?」
「おい、人間、その御方に一体何をした!? 殺してやる!!」
「……やめないか!!」
縛られている鷹の一括で、天上人たちは皆が静まる。
町中の天上人が集まってくる。
ぎゅうぎゅうに詰めかけ、鷹の言葉を待っていた…………。
これだけの天上人が詰めかけたにも関わらず、あたりには沈黙が漂っていた。
…………長い、長い間をおいて、鷹が宣言した。
それは、歴史にも残る、…………国を揺るがす言葉であった……。
「…………知行政ローボー様は、人間との合戦に破れ、討ち取られた。これよりズイレンは人間の支配下に落ちる…………。我らは人間に負けたのだ……」
「――――」
混沌と呼ぶに相応しい怒号が広がる。
天上人が……!!
人間に負けた……!!
あり得ない、あり得ない、あり得ない!!
人間とは神々が天上人のために作り出した奴隷だ!
奴隷が主人を屠るなど世の理に反する!!
それこそ、神々の意志への反逆だ!!
こんなことが許されてはならない!!
今こそ天上人の力を示すとき!!
「――――これを見ろ!!」
天上人たちが蜂起を決意したそのとき、門の上に二人の人間が立った。
一人は生首を……、もう一人は幼い犬の天上人を抱えていた……。
「ろ、ローボー様ァ…………」
「あぁぁ……、何というお姿に…………」
「お孫様ではありませんか!! なんとひどいことを……」
「控えろ、町人共!!」
女の声が朗々と響く。
「我らが王は知行政ローボーを討ち取った!! これよりここは人間のための国となる!! 貴様ら魔の一族の場所はない!! 即刻、ここを立ち去れ!!」
「何を言っておる人間が!! 貴様らは奴隷の本分も忘れたというのか!?」
「ならば、見よ! これが王に授けられた力!!」
女が手を広げると、隣りにいた男が左手を掲げた。
…………その手のひらに青い炎が灯る。
天を貫くほどの炎が周囲を昼のように染め上げた……。
……それは、始皇帝マナロが精霊から授かったという、蒼炎…………。
誰一人として見紛える者はなかった……。
「これは精霊の意志!! 精霊は我らが王を選ばれた!! 今すぐに町を捨てよ! 従えば命だけは見逃そう!! 従わなければ――――、命はないものと思え!!」
女が知行政の孫に刃物を当てる……。
「た、助けてくれろ~~~~~。じぃじも、付き人も……、みんな人間に殺された! うぅうぅうう……!」
天上人たちは、初めて人間という存在に戦いた……。
かつて恐怖とは、娯楽のために存在する感情ですらあった。
恐怖を喚起する芝居を眺め、天上人たちは愉悦に浸っていたのだ。
だが、今このとき、恐怖とは何のためにあったのかを思い出す……。
あぁ、体が逃げろと言っている……。
……逃げなければ殺されると。
「…………皆の者、……我らは破れたのだ。従ってくれ……」
縛られた鷹が絞り出すように言い、…………イサン地方最大の都市、ズイレンはついに陥落したのだった……。
†
天上人の疎開は一日で完了した。
天上街にて発見した名簿と実際の人数を突き合わせ、九四三人の天上人の脱出を確認した。
武人階級は一人もおらず、全員が市民だったのが幸いした。
集団になれば熱くもなるが個々人がバラバラに行動すれば、実におとなしいものだった。
知行政への忠誠心も薄く、疎開に混乱はなかった。
天上街の奴隷を彼らの世話役につけたのも大きい。
人数は到底足りないが、細々とした問題を勝手に解決してくれた。
「町から全天上人の追い出しが完了っと……」
仮の拠点となった知行政の屋敷で、エリカはわら半紙に丸を描く。
紙にはやらねばならない項目が箇条書きにされ、総量は数枚に及んでいた。
今は一枚目の半分を過ぎたところだ。
「ふー、先は長いわね……。けど、最大難関は突破ってところかしら」
「俺はもうダメだ……。寝るぞ……」
「一刻(三十分)したら起こすわよ。時間がないんだから!」
「……無茶苦茶言うんじゃねぇ! 俺はもう二日も寝てないんだぞ!?」
「あたしだって同じよ! だけど、あんたたちがあまりにだらしないから、こうして手伝って上げてるんじゃない!」
「頼んでねぇ! 親分と一緒に出ていけばよかったんだろ!」
「……誰のために残ってやってると思ってんのよ」
「いででででで……!」
ソテイラは奴隷と共に町を出ていた。
なのに、エリカはなぜか残っていた。
お前のためだと恩着せがましく言うが、ジンはエリカが頭を下げている様子を目撃していた。
「二人を連れて行ってください。その代わり、あたしが外に出ますから」
エリカは二人を助けるために町に残った。
身代わりになったわけだ。
それがエリカの選択だから、口を挟むことではない。
…………が、采配を振るっているのは、ちょっと解せない。
「大体、あんたたちの計画は杜撰すぎなのよ! 知行政を倒したら天上人が勝手に出ていってくれるとでも思ったわけ!? 頭に花でも生えてんじゃないの!?」
……それを言われると、言い返せない。
里長たちが考案してきた計画は、すでにエリカの手によって引き裂かれていた。
そもそも倒すことに注力した計画だ。
その後のことは、ほぼ白紙。
ズイレンにいる種類の人間すら考慮していない。
「あんたたちが作ったのは、子供の落書きなの! 具体性もなければ、現実性もない! 第一、天上人の反応に対する想定が甘すぎ! あの場にあたしがいなかったら、あんたたち今頃、死んでたのよ!?」
「…………そうだね、エリカの言う通りだね」
カルの演説も鷹の天上人を使った見世物も、すべてエリカが練ったものだった。
ジンもカルも言われた通りに動いただけ。
というより、ローボーを倒した後のあらゆる行動をエリカに指示されていた。
「里長たちが二十日かけた策なのに、あの場の一瞬でそれ以上のことを考えられるなんてエリカはすごいよ。エリカがいなかったら、暴動が起こってたかも……。ありがとう」
「……やだ、それって、お礼に僕のこと食べていいよってこと?」
「いや、ぜんぜん違うよ? 何でそういう勘違いになるの?」
「なんだ、つまらない。……とにかく、まだまだ先は長いんだから! しっかり働きなさいよ!」
エリカはメガネをかけてわら半紙に向き合う。
服装も今は赤と灰色のダボッとした服に着換えていた。
きらびやかで露出の大きな服は屋敷においてきたらしく、だいぶ、庶民に近くなった。
「…………具体的に僕らは何をすればいいの?」
「大きく二つ、国の政治の種類を言ってご覧なさい」
「えーっと……、わかりません」
「内政と外政よ。あんたたちはどっちも疎かにしてる。まず、内政があんたたちの仕事。人間が天上人の支配下から外れるなんて、誰も経験したことのない事態なのよ。必ず混乱が起こるわ。それを取り締まって、治安を保つこと。そして、誰が偉いのかをわからせること。……そうしないと、国は内側から滅びるわ。そのために王には、走り回ってもらう」
「うえぇぇ…………、寝てないのに、走るのか……」
「あと七日は眠れないから、せいぜい覚悟しておきなさい。ズイレンの町は周辺の農村まで含めれば数万。食糧の自給もしないといけない。さっさとあんたたちの里の長を呼びなさい。話が進まないわ」
「でも、里を離れるわけには――――」
「すべてはもう動き始めてるの。里なんか捨てなさい。どうしたって戻れないんだから」
「…………わかった。……呼ぶよ。エリカが真剣に考えて言ったんなら、僕はそれを信じる」
「やっぱりカルはあたしに食べられたくて、そんなことを言ってるのね」
「ねぇ、どうしてそうなるの? 偉い人の奴隷って、いつもそんなこと考えてるの?」
「冗談よ。あたしは、ただ、助けられた恩を返してるだけ。元々、天上人の奴隷なのよ? そうでなかったら、誰があんたたちの味方なんかするのよ」
「そういうことにしといてあげるね。それで、外政の方は何をすればいいの?」
「天上人はこの一件を重く捉えるわ。あんたたちが思っている以上にね。だから、必ずこの町を奪い返しに来るわ。そうなる前に先手を打って、何らかの策を取らないといけない」
「何らかの策って……?」
「それを今から考えるの。あんたたちがサボったままここまで来ちゃった分を、エリカ様がなんとか埋め合わせてあげようってわけ。おわかり?」
「「おわかりしました…………」」
二人で正座した。
当分、エリカには逆らえそうにない。
それからしばらくして、里の先遣隊が到着した。
密将と戦将を筆頭にして、数十人の集団だった。
さすがに里長や長老たちが里を出る判断はできなかったらしい。
到着は様子を見て後日になるそうだ。
「報告は聞き及んでおりますぞ、若君。最も苦しい仕事をよくぞ成し遂げてくださいました。これより先、内政に関しては私と戦将にお任せくだされ。人間相手であれば、遅れを取ることはありますまい。立派な町に作り直して見せましょう」
「(…………ご苦労。俺も力を尽くすが、お前たちも頑張ってくれ)」
「…………ご苦労。俺も力を尽くすが、お前たちも頑張ってくれ」
ジンは労いの言葉をかける。
無論、隣に座るエリカの指示だ。
ちなみに反対側にはカルが座っており、同じように指示を出してくる。
「はっ、王様は抜け目がねぇな。早速、美人を二人も侍らせるとは、それでこそ男だ!」
戦将が野卑な笑みを浮かべる。
元々、気性の荒い男らしく里長にも反抗すると聞いていた。
しかし、実際、話してみると、結構、素直な奴だった。
「俺はあんたを男だと認めてる。力こそが男だ。あんたは強い。俺は一生、あんたについてくぜ。ケツの穴だってくれてやる覚悟だ」
「いや、それはいらねぇな」
「カーッ! そら、そんだけ美女を抱えてたらそうだわな!」
「戦将殿…………、さすがに無礼がすぎるぞ。立場の差を弁えられよ」
密将がたしなめ、戦将は仕方なしというふうに黙り込む。
なんにせよ、内政の目処は立ってきた。
零の民は鍛えたられた一族だ。
彼らがいれば、ちゃんとした国になるだろう。
とにかく、先は長い。
…………戦いは始まったばかりなのだ。