38 知行政2
†ローボー†
その頃、ローボーは孫と二人で腹ごなしの狩りに興じていた。
狩りは屋敷の裏手に柵で囲った競技場で行う。
競技場と言っても、森もあれば川もある広大な土地だ。
そこに獲物となる人間を放ち、弓矢で仕留めるという遊戯だ。
仕留めた人間を解体して焼き肉にすれば、美味しさも一入というわけだが、今回は人肉を食べたあとなので、遊びとしての狩猟が趣旨だ。
人間狩りの面白いところは獲物が知恵を持つ点だ。
動物とは違い、一度襲われただけで自身の立場を理解する。
そうした人間は知恵を絞って、自身の痕跡を消し、逃げようとする。
人間狩りに体力はいらない。
これは獲物との知恵比べなのだ。
「じぃじ、人間は隠れるのがうまいな! 全然見つからぬぞ!」
「そうじゃのぅ……、今回の人間は特別に頭がよさそうじゃったからのぅ。これはワシにも見つけるのは難しいかもしれんのぅ。じゃが、トドルならきっと見つけられるはずじゃぞ」
今回の人間狩りは、初手でいきなり人間が戦いを挑んでくるという珍妙な事態から始まった。
血の気のある人間たちだったが、数度、命を脅かしてやると簡単に逃げるだけの獲物となった。
たまにはこういう趣向も面白い。
さておき、狩りは思ったより長引いていた。
弓矢を放つたびに孫の取り巻きや世話がかかりが手を叩いて褒め称えるが、その声にも疲れが見えてきている。
今回、放った人間は五人。
捕まえた人間のうち若い男を選定した。
狩り応えを重視した結果だが、うち一人、異物が混じっていたらしい。
そいつはメガネを掛けた不思議な男だった。
他の人間にはない知性の気配を匂わせていた。
実際、その男だけが今も見つからずに逃げ続けている。
天上人の嗅覚すら欺く知恵者だ。
ローボーは、この手の難敵と遊ぶのが大好きだった。
思わず孫そっちのけで狩りに行こうかとすら思ってしまう。
だが、今は孫が優先。
自身の知恵を授け、人間の位置を割り出す喜びを教えてやろうとする。
そのかいもあって、順調に男を追い詰めていた。
男は今、草原のどこかにいる。
そう示唆してやると、孫は霊術で草を刈り始める。
幼いながらも扱いに長けている。
孫の霊術は大気の操作だ。
真空の刃が瞬く間に草原を丸裸にし、とうとう獲物の隠れ蓑を剥ぐことに成功する。
メガネの男は背を向けて走り出す。
実に間抜けでのろい足だ。
「じぃじ、いたぞ! あれだ!」
「よく見つけたのぅ。じゃが、狩りでは弓矢で仕留めるのが流儀じゃ。霊術を使ってはならんぞ」
「わかってる! 一発で当ててやるぞ!」
孫は勇んで弓を引き絞る。
…………横やりが入ったのはそのときだった。
「ろ、ローボー様……! お耳に入れたいことが……!」
空から降りてきたのは雉だった。
慌てようが尋常ではなく、優雅さに欠ける振る舞いだった。
「なんじゃ、そんなに慌てて。家族と過ごしておるのが見えんのか?」
「はっ、お休み中、申し訳ございません……! しかしながら、ローボー様のお屋敷から火の手が上がっているのを見かけて参上した次第ッ!」
「火の手……?」
言われて空を仰ぎ見る。
……確かに空に煙が上っていた。
あの方向は、人間牢があるばかりのはず……。
「しかも、その炎は、…………始皇帝マナロ様と同じく、青い炎でございました……!!」
「青い炎!? 真か!?」
「真にございます!! この目でしかと確認いたしました!」
「なんと、現れたのか、青い炎を継ぐ者が……。して、その者はどこに?」
「それが、まっすぐここへ向かっている様子でした」
「ここへ? 一体、どこのお方じゃ? 歓待の準備をせねばならんぞ」
「――――その必要はないかと」
「なぜじゃ!? 青い炎を受け継いだお方なのじゃぞ!?」
「なぜなら、――――」
雉の言葉はそこで途切れた。
視線がローボーの後ろを向いていた……。
ローボーの背後には孫がいるばかりだ。
狩りに夢中だったから、今頃は獲物を仕留めた頃だろう。
「なぜなら、そいつが人間だからだ」
聞いたことのない声がした。
ローボーはゆっくりと振り返る。
……そこには、人間が三人立っていた。
一人は見た目からして粗野な男。
二人目は男の格好をした愛らしい女。
右手には孫に与えた弓が握られている。
最後の一人は天上街の奴隷で、獲物の人間を介抱していた。
そして、肝心の孫は弓を奪われ、べそをかいていた。
「人間、これは一体どういうつもりかの?」
ローボーは実に落ち着き払った声で聞いた。
決して声は荒らげない。
……氷のように冷えた声音こそが相手を脅す最良の手段と知っているからだ。
「お主ら、ワシの孫を泣かせよったか。いかなる理由があろうとも許されぬことじゃ。どのような罰がくだされようとも文句は言えぬぞ」
「お前の罰なんか俺は受けねぇ。お前の決まりに俺は従わねぇ」
「…………」
理解には少しだけ時間が必要だった。
ローボーは天上人に歯向かう人間を知らない。
食べ物は主に逆らわないからだ。
仮にあったとしても、それは反逆とは呼ばない。
何かの間違いで発生した不幸な事故だ。
手代の屋敷にも人間奴隷は存在する。
どれもこれもよく働く従順な下僕と聞く。
……なら、今、眼前にいるコレは何なのか。
孫の取り巻きや世話係は青い顔で人間を見つめている。
ローボーの世話係も同じだ。
眼前に存在してる生き物が理解できず、困惑している。
「突然変異かのぅ……。最近は天気もおかしく、穢魔も発生すると聞くが、ついには人間にも異常種が生まれるに至ったとは、いよいよ深刻になってきたのぅ」
「人を化物みたいに言いやがって……。俺はお前に挑みに来たんだ!」
「…………挑む?」
「俺は人間国の王としてここに来た。お前を倒して、この土地を奪う」
もはや誰一人として理解した者はいない。
しばらくして取り巻きの一部が笑い出した。
「はーっはっはっはっ……! 人間が天上人に挑むなど! 何をバカげたことを言っているのか! 身の程を知れ、愚か者め!」
「土地を奪うなどと、どこで知恵をつけたか知らぬが、自分の国まで作ってきたのだから、賢い人間ではないか! くくくく、あははっははは、笑いが止まらぬ……!」
ローボーも釣られて笑ってみる。
確かに芸としては一級と言ってよかった。
命を懸けた渾身の芸だ。
「笑うなッ! 俺は本気だッ!」
「こ、これ以上、笑わせるな人間……! 貴様など何人いようとも天上人には敵わぬわ!」
「ひぃひぃひぃ、……これはとんだ獲物が紛れていたものですな!」
取り巻きたちは苦しそうに腹を抱える。
その笑い声が、次の瞬間に凍りつくことを、まだ誰も予期していない…………。
「カル、鏑矢を放て」
「了解」
男が弓を差し出すと、女は自身の首飾りを矢に巻き付け、弓につがえた。
そして、天に向けて引き絞り…………、矢を放った。
天を切り裂くような笛の音が鳴り響く。
付き人たちが蒼白になった。
もはや誰も笑わない。
いや、笑える状況にない。
人間が鏑矢を放った。
名前を聞くのも久方ぶりだ、とローボーは思う。
その音色は古来より合戦の開始を知らせる音だ。
近年では意味を転じて、宣戦布告の合図とも取られる。
が、それも何百年も前の話だ。
今では死語となって久しい。
「ほっほっほっ……、面白いことをするな、人間? 意味を知って放ったか?」
「当たり前だ」
「なるほど、それならば仕方ない。相手をせねばなるまいが……」
ローボーは思案する。
バサ皇国がこの地に誕生して幾百年。
人間が天上人に合戦を申し込んだという事例は聞かない。
天上人は字に書いて如く、天の上にまします種族だ。
地を這う人間とは根本的な造りが違う。
断じて同じ土俵に立つものではない。
その人間から合戦の申込みがあったということは――――、知行政ローボー・シヌガーリンは、挑んでよい相手と思われた。
人間に勝てる相手と侮られている。
「楽に死ねると思うなよ、人間ども」
刀を抜いて合戦に応じる意志を示す。
天高く突き上げた刀は天上界にまします神への宣誓。
幾百年ぶりかにバサ皇国で戦が起こる。
領土を賭けた国取りの戦だ。
無論、一騎討ちとなれば、正当な立会人を必要とする。
雉をソテイラの屋敷に行かせ、取り巻きに下がらせる。
そして、ローボーは自身は椅子にゆるりと腰掛けた。
「絶対に覆らぬ道理と言うものを見せてやろう。どこからでもかかってくるとよい」
受けた屈辱は死では償いきれない。
この地に住まう人間をすべて根絶やしとしてやろう。
その上で新たな人間を入植させ、教育をやり直そう。
……あぁ、なんと人間とは救いがたいのか。
ただ愚かなだけであれば、まだ使い道があるものを……。
たった一人の愚物のせいで、皆殺しに、されてしまうのだから……。
†ジン†
ここまでは思惑通りに進んでいた。
うまく行き過ぎたくらいだった。
合戦を受けてくれるかどうか。
一番不安な点が解消された。
だから、本当は喜ぶべきなのだろう。
…………だが、ジンは合戦が成立したことをほんの少しだけ後悔していた。
それは無意識の話だ。
無意識がローボーを恐怖していた。
精霊に与えられた力は、別種の力に対する感度を上げた。
ローボーから滲み出る威圧感は半端ではなかった。
下手をすると恐怖しそうになる。
故にジンは初手から常識を外す。
これもまた無意識から来る判断だった。
「…………何のつもりだ、人間」
ローボーが椅子に座ったのを見て、ジンもまた地面に腰を下ろした。
地面に腰をつければ素早い動きはもちろん、回避行動は絶対にできない。
「お前が先に座ったんだろうが。俺も座らないと不公平だ」
「……人間、見くびるのは、強者にのみ許された特権じゃぞ? 身の程を教えてやらんと、それもわからんか?」
ローボーはぴくりとも動かなかった。
しかし、次の瞬間、何か強大な力がジンを持ち上げ、はるか上空へと投げ飛ばした……。
「――――はぁぁあぁぁぁぁ!?」
気づいたら視界いっぱいに空が広がっていた。
そして、重力に引かれた体が恐ろしいほどの勢いで加速していく。
訳のわからない速度で地面が迫ってくる。
激突。
肩の骨に外れそうな痛みが走る……。
…………何が起こったのか、全くわからなかった。
いきなり吹き飛ばされて、気づいたら空にいた…………。
「ほっほっほっ、そちらも芸を披露せんとつまらんぞ」
「この野郎……!」
左手を掲げ、細く鋭く炎を打ち出す。
梟を一撃で倒した蒼炎の槍――――。
避けられるはずのない必殺の一撃のはずだった。
が、なぜか途中で軌道が曲がる……。
ローボーの背後にある小屋が木っ端微塵に爆散する。
「ほほぅ、見事な一撃じゃの。人間、それをどこで手に入れた? それは始皇帝マナロの炎に限りなく近い炎ぞ。人間風情が持ってよいものではない」
わずかな焦りすら見せず、ローボーは悠然と構えていた……。
……何かをしたようには見えない。
そうだというのに、炎は曲げられてしまった。
「お前、今、何をした!?」
「質問に質問で返すな、人間。ワシが先に聞いたのじゃぞ?」
今度はローボーの方へ引っ張られた。
体に何かがついているわけでもない。
自由は利く。
ただ、圧倒的な力がかけられ、逆らうことができない……。
「…………いででででで」
なんとか体を起こす……。
…………そのとき、自分に大きな影が落ちているのを見つける……。
「もう一度、聞くぞ?」
声が真上からした。
「その炎はどこで手にした?」
「いだだだだだだだ……!? うぉあえああぁ……!」
腹の内側で何かが暴れる……。
まるで体の中に手を突っ込まれたかのようだった。
……臓腑が拗じられ、叩かれ、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられる…………!
口から血と胃液が漏れ出てくる……。
……意識が少しだけ遠くなる。
「……これは精霊にもらったんだ。お前には関係ねぇ……」
「嘘はよさんか。精霊様は人間に加護を与えぬ」
「本当だ! 証拠もある!」
左手の紋章を見せると、ローボーの顔が醜く歪んだ。
「紋章まで模倣するとは…………。戯れがすぎるぞ、人間?」
「…………うぉああぁ!」
急に押しつぶされそうになる……。
何も乗っていないのに、体が地面にめり込むほどの圧を受ける……。
「お前さんは、どうしてやろうかの? 焼き肉にするのもよいかの? けど、男はまずいからのぅ……。食べるなら、あっちの女がよさそうじゃの」
「………………誰が、」
「立ち上がるか? その状態で?」
「させるかよッ!!」
ありったけの力を解放した。
方向も定まらぬ炎が流れ出し、周囲一体のすべてを焼き払う。
その瞬間、体にかかっていた力が消える。
痛む肺を酷使して呼吸を整えるが、痛みは引かない。
立ち上がることはおろか、しゃべることもままならなかった。
「ほっほっほっ、自分自身を焼くとは、面白い奴じゃの? どうやって力を消した?」
「……力を消した?」
何のことかわからない。
今のは他にすることもなくて自分を燃やしただけだ。
「まぁ、よい。勝てぬことは理解できたじゃろうしな」
ローボーが右手を掲げると、池にあった水が球体になって浮かび上がる……。
左手で宙を撫でれば、埋まっていた庭石が爆散する……。
眼前にあってはならない光景が展開された。
「さっきから何でもありじゃねぇかよ……」
「いかにもその通り。なぜなら、ワシの霊術は“力”を操るからじゃ。ありとあらゆる物に対して“力”を与え、また、奪うこともできる。力とは物と相対する万物の理。この世界はすべて力と物で説明できる。ワシはその片方を統べる」
――――世界の片方を統べる。
なんて無茶苦茶な――――。
「…………さぁ、どう戦うかのぅ、人間よ?」
池の水が巨大な塊となって空から落ちてくる。
装飾用に置かれていた岩石が地面をえぐりながら迫ってくる。
四方を岩に上空を水に塞がれた。
どちらも炎では焼けない。
本当にあっけなく逃げ道がなくなった。
ここまでデカい差があるとは思わなかった…………。
岩が、水が、迫ってくる。
…………避ける方法が思いつかない。
ダメだ、殺され、
「一旦、退くわよ!! カル、そいつを連れてって!」
ローボーの立っていた場所がいきなり爆発した。
顔を上げれば、エリカが手を振り回しているところだった。
いつか見たナントカという武器を腰だめに構えている。
「ジン、ここはエリカに任せよう!」
カルが岩をくぐり抜けてやってきて、体格差を物ともせずに、ジンを担ぎ上げる。
森の方へと退却する。
ほとんど同時にエリカが引き金を引いた。
「…………あたしのとどっちが強いか比べっこしましょうよ!!」
滝でも流れたのかというほどの轟音が響いた。
もはや目で追うこともできない量の金属塊が打ち出され、ローボーに襲いかかる……。
後で知った話だが、それは毎秒七百発を誇る機関銃という名の兵器であり、どんな建物も盾も、仮にそれが分厚い金属の板であっても立ちどころに穴だらけにしてしまう恐ろしいものだったのだ……!
それでも、ローボーは何かをするでもなく悠然と構えている…………。
すべての弾はローボーを避けるように背後へと受け流されている。
「これも効かないわけ……!?」
「威力は申し分ないが、残念なことに“力”を使った武器ではのぅ……。“力”を使う限り、ワシには触れることもできんぞ?」
「力を使わない兵器なんてあるわけないでしょ!? 生物兵器!? それとも、毒でも持ち出せっての!?」
「まぁ、生き物も毒も近づかせなければ、どうということはないからのぅ。ほれ、もっと考えんかい」
「ちっ……」
殿を務めたエリカも後退を余儀なくされる……。
……恐ろしいのは、ローボーから一度も攻撃を受けていない点だ。
何もされていないのに絶対に勝てないことを理解させられた……!
しかも、相手はおおよそ考えられる中でも最大級の油断をしている。
ローボーは手近にあった弓を拾い上げる。
「さぁ、人間よ、いそいそと逃げんるんじゃ。半刻したらワシも追いかけるぞ。こんなに楽しい人間狩りはいつ以来じゃのう?」
そして、歯をむき出しにして笑う。
そこには、穏やかな空気に包まれた好々爺の姿は微塵もない。
本能をむき出しにした狼がいるばかりだ……。