37 知行政1
「カル、予定を変えるぞ」
「わかってる、すでに忍びに召集をかけてるよ」
エリカを助けるのは当初の予定になかった。
だが、カルは文句一つ言わなかった。
そればかりか、忍びを屋敷に呼び寄せ、脱出の助けまでしてくれた。
いい仲間を持ったと思う。
カルは収容所を脱出するときから、ずっと一緒に戦ってきた。
助け合って、いろいろな話をしてきた。
だから、仲間だ。
エリカもそうだ。
短い時間だったけれど、城下町からズイレンまで一緒に旅をしてきた。
それに、エリカは人間を差別しない。
話に聞いたエリカは、屋敷から持ち出した食べ物をせっせと貧民に分け与え、時には子供と遊ぶ面倒見のよい娘とのこと。
宿場町でもエリカは施しを与えようとしていた。
今日だって、誰かを助けるために必死だった。
そういう奴は見捨てない。
絶対に助けてやりたい。
「……この先、あの建物に女が閉じ込められてる。男はその裏手の建物に閉じ込められていたんだけど、……たぶん、もういないわ。どこかに連れて行かれるって話してたから……」
エリカの先導で牢屋へ向かった。
外見は巨大な土蔵。
入り口には閂のかけられた巨大な扉があった。
エリカの話では閉まってるはずだが、……今は、それが、開いていた。
半開きになった扉の奥に、昼なのに見通せない暗がりが口を開けている。
「まずいわ、中に天上人がいる…………!」
エリカがジンを引っ張って茂みに逃げ込もうとする。
…………しかし、ジンはその手を振り払った。
「何してんのよ!? 見つかったら殺されるのよッ!?」
「天上人が中に入ったんなら、捕まってる奴が一番危ないだろうが!」
「それは、そうだけど……!」
「だったら俺は行く! 中にいる天上人は俺が連れ出すから、お前は中にいる奴を助けろ」
「ちょ、そんな無茶言って…………、待ちなさいって……!」
エリカをカルに任せて、ジンは土蔵に近づいていた。
気配を隠す方法を知らないので、正面から乗り込む。
天窓から差し込む明かりを頼りに、血なまぐさい牢をうろつくと、
「…………何だ貴様は?」
牢の前にいる天上人を見つけた。
そいつは牢から女を引っ張り出そうとしているところだった。
女は両足がなく、左腕もなかった。
おまけに両目が切り刻まれていた。
「……お前がそれをやったのか」
ジンは詰め寄るように聞いた。
「誰が質問を許すと言った? 大体、なぜ地に平伏しない? 立つことを許した覚えも、見ることを許した覚えもないというのに……」
「いいから答えろ!! それはお前がやったのか!?」
ジンが怒鳴りつけると、天上人は息を呑んだ。
人間に反抗されたことがないのだろう。
やがて低い声で言った。
「…………口の利き方をわきまえろ。天上人と人間の差を今一度、わからせねばなるまいか?」
天上人が振り返る。
梟の天上人だった。
腰に刺した刀も、肩までしかない着物も、全部に見覚えがあった。
「お前は、…………見たことのある顔だ」
「馬鹿を申すな。誰が人間風情などと面識があるものか」
「いいや。お前はバランガを焼いた天上人だ」
「…………バランガ? ……あぁ、山中の村か。まだ生き残りがいたとは驚いたな……」
忘れるわけがない……。
父親と姉を殺され、母親と妹と生き別れになって、……ヒヌカとも離れ離れになった。
帰るべき村もなく、ジンはどこまで行っても一人だ。
…………すべてが天上人のせいだった。
「あのときの俺はお前に勝てなかった。力がなくて逃げることしかできなかった……」
だから、この日をずっと待っていた。
バランガが消えたときから、自分はこの瞬間のために生きていた。
あのときの自分に力があったなら、逃げることもなかった。
ヒヌカを置き去りにすることも、家族と別れることも、村を焼かれることもなかった。
何もかも自分の弱さが原因だった。
今は違う。
左手の紋章は疼かない。
逃げろとも言わない。
――――ヤキハラエ。
ただ、一言、ジンにそう命じてくる。
左手の包帯を解く。
紋章を掲げる。
「…………やっと借りを返せる時が来た」
そのとき、梟は慢心していた。
天上人として実に正しい態度だった。
人間は動きの鈍い虫と同じだ。
虫を潰すのに準備はいらない。
無造作に手を振るだけでいい。
ずっとそう思っていた。
だが、その瞬間、梟の常識が破壊された。
人間が左手を掲げる。
たったそれだけの動作で、人間の気配が変わった…………。
ゾッとするほどの寒気が背筋を走る……。
……五感では捉えきれないナニカが梟を威圧していた。
恐怖。
梟は自身が人間に恐怖していることを発見する。
馬鹿げているにもほどがあった。
天上人が人間を恐れるなど……。
そんなことが、…………あっていいはずがない…………!
精一杯の否定をしようとする。
なのに体が言うことを聞かない。
…………それが致命的な隙となった。
梟の動きがほんの一瞬だけ止まる。
ジンはその瞬間を見逃さなかった。
「思い知れッ!! これが俺の力だッ!!」
炎を解放する。
細く、小さく、鋭く…………、面ではなく点の炎を生み出す。
炎は青い槍となって、梟の胸を貫く。
壁を貫き、その背後の樹木を貫き、屋敷の塀をも貫く。
そして、軌跡という軌跡に灼熱の炎を落としていく。
瞬く間に土蔵が燃え上がる。
刀を振り下ろす間も与えなかった。
「…………馬鹿な、こんなことが……」
刀が落ちる。
梟が仰向けに倒れる。
牢の中から悲鳴が上がる。
騒ぎを聞きつけた天上人が次々と殺到するだろう。
……その前に自分はここを離れなければならない。
†エリカ†
ジンは天上人のいる牢へ単身で突っ込んでいった。
エリカがどうすべきか迷っていると、牢屋が燃え始めた。
次の瞬間、ジンが牢を飛び出し、屋敷の方へ走っていった。
去り際にジンはエリカのいる茂みに手を振った。
…………入れ、という合図だ。
ジンは自ら目立つ場所に移動して、囮を買って出ている。
「中にいる奴は倒しといた! 大丈夫だ!」
「た、倒した!? 天上人を!?」
「僕が確認してくる。エリカは合図したらついてきて」
混乱するエリカを置いて、カルが牢へ向かった。
音を置き去りにするような速さで牢の壁に取り付き、中へ滑り込んでいく。
しばらくすると、天窓から顔を出し、手を振ってくる。
エリカは呆然と見守るしかない……。
……こいつらは本当になんなんだ!?
ジンは青い炎を。
カルは人間離れした身体能力を。
この二人はただの人間ではない。
最初は天上人を倒すなんて戯言だと思っていた。
けれど、この二人なら夢ではないと思えてしまう。
行こう。
ジンを囮をするのは今日で二度目だ。
一度目は自分が騙したとき、二度目は今。
どうせ感謝したって感謝してもしきれない。
だったら、絶対に成功させなくちゃいけない。
「…………エリカ?」
「待たせたわね、助っ人を呼んでたら遅くなったわ」
再度、牢に戻るとミキは通路でうずくまっていた。
ジンが派手に燃やしたおかげで、火の手は屋根にまで回っている。
天上人が来るのも時間の問題だった。
エリカは手早くミキの応急処置を始める。
「……何で戻ってきたの?」
「あんたを助けるために決まってるでしょ。あんたを助けて、セイジも助けて、逃げるのよ、ここから」
「…………できるわけないって、言ってるのに」
「できるわ」
驚くほど強い声が出た。
自分でもびっくりした。
さっきまでダメだと思っていたのが嘘のようだ。
今はなぜか前向きになれる。
根拠のない自信に満ちている。
「あんたたちは逃げられる。あたしが保証したっていい」
「…………逃げたって、意味なんかないよ。私はこんな体だから」
「あんたね、自分がなんて言って外に出たのか、もう忘れたわけ!? 外の世界に出て、技術で人を幸せにするんでしょ!? 自分の体くらい、自分で作ってみせなさいよ! 作れないなら、あたしが研究して作ってやるわよ! それなら文句もないでしょう!?」
思わず怒鳴った
言い過ぎたかと思っていると、ミキは笑みを浮かべた。
「エリカに怒られちゃった。ありがと、元気出た」
ミキに応急処置を施す。
外に運ぼうとしたところで黒装束の男が現れた。
カルの手配した忍びだ。
彼にミキを託す。
「…………エリカ、この人、誰?」
「仲間よ。その人があんたをここから連れ出す。あたしはセイジを探す」
「………………セイジはもう、無理よ……。これ以上エリカを危険な目に遭わせたくない」
「今、あたしがここにいるのは、屋敷の天上人を全部ひきつけてくれてる仲間がいるから。そいつの努力を無駄にしたくないの」
「全部ひきつけてくれている仲間……? そんなことしたら――――」
「死ぬかもしれない。だから、あたしもあんたとセイジを逃したら、応援に行く」
「そしたら、エリカまで死んじゃう………!」
「そうかもしれない。でも、死ぬときは一緒じゃないといけない。――――だって、仲間だって言ってくれたんだもの」
「…………エリカ」
「行ってちょうだい。万が一にもミキが死んだら、あんたたちのことも許さないから」
「御意に。ミキ殿は我らがお守りする」
忍びは一度だけうなずき、来たときと同じように音もなく消えた。
これでエリカの仕事は半分が終わった。
……ミキは助かった、あとはセイジを探さないといけない。
復讐のために自ら出向くと言っていた。
あのときのセイジは命を懸ける覚悟を持っていた……。
しかし、もう命を捨てる理由はないのだ。
早くセイジを見つけなくちゃ…………。
エリカは燃え盛る牢を脱出し、騒ぎの大きい方へと足を向ける。