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4 始まりの村バランガ4


 月が山に隠れる頃。

 村の北側で火の手が上がった。

 猛る炎は瑞々しい木々をいともたやすく焼いていく。

 晴れ続きとは言え、冬でもない季節に山火事が起こるなど、バランガでは初めてのことだった……。


 そして、不思議なことに炎は村を覆うように円弧を描いていた……。

 まるで意志を持ったかのように村人の逃げ道を塞ぐ。


「もう煙が家にまで来てるぞ……! 逃げたほうがいいんじゃないか!?」

「……で、でもよ、勝手に逃げていいのか!? 地主様か村長の指示を待たないと……!」

「さっきからずっと探してるけど、見つかんないだろうが! 待ってられるかよ!」


 非常時は地主や村長が村人を誘導する取り決めとなっていた。

 しかし、地主の家に行っても、主人の姿が見えない……。

 こうなると、ただの百姓にはなすすべがなかった。

 指示がないために好き勝手な方向に逃げ始める……。

 それが結果的に、どの方向へ逃げればいいのかを一層不明瞭にしていた……。

 ただ、多くは火事であるなら、水のある場所へ行けばいいと考えていた。

 必然的に村の中央を流れる川沿いに集まった。


「北側の山はもうダメだ……! 橋を渡れ! 南に行くしかない……!」

「馬鹿言うな……! 南の山を見ろ……! あっちも燃えてるだろうが!」

「なんだと……!?」


 橋まで降りてきた村人たちは、そこでようやく南の空が明るいことに気づく……。

 今まで燃えている北の山ばかりを見ていたので、目が光に慣れていたのだ。

 ……しかし、闇を見つめて、それから南を向けばはっきりと見える。

 南の山にも赤く燃える炎があった……。


 ……村はマガスパ川を挟んで南北に広がる。

 両側を塞がれてしまうと、もはや逃げる場所がなかった。


「…………両側から火の手が上がるなんて……。ど、どうする……?」

「いくらなんでも川のところまでは火は来ないんじゃないか? ここにいれば……」

「馬鹿ッ! 火は来なくても煙は低いところへ流れるんだぞ!? 北の山の煙がどっちへ流れてるか見ただろうが……!」

「そうか……、じっとしてたらここまで煙が……!」

「川の上流へ行こう……! そっちに行くしかない!」

「女子供を先に逃がすんだ! 急げ!」


 そうして、川沿いに集まった村人たちは上流を目指す。

 もし彼らが海を見たことがあったのなら、気づけたかもしれない。

 これが追い込み漁にとてもよく似ているということに……。



 村の南側に目を向けてみる。

 村の北側が混沌の渦に飲まれている頃、南側はまだ静まり返っていた。

 南側の火事は北側よりも進行が遅く、気づいた者が少ないためだった。


 非常事態を知らせる半鐘も鳴っていない。

 半鐘は村の中央にあり、村長か地主の判断で鳴らされる。

 ……彼らがいない今、誰も鳴らすことができないのだった。

 結果として、南側の村人は知らぬ間に煙に取り囲まれることとなる……。


 そして、ジンの家も村の南側に位置していた。

 静まり返った夜の中、ジンとスグリだけが起きていた。

 人足に食事を運び終え、次の出番を待っていたからだ。

 最初に異常に気づいたのはジンだった。


「外が明るくないか?」

「ふぁあああぁあ、そうですの……? ……あら、言われてみればそうですわね。まだ夜のはずなのに……」


 ジンは草履をつっかけ家を出る。

 北の山を見上げ、そして、言葉をなくした。

 山が夕焼けに呑まれていた。

 夜を忘れるほどの輝きが立ち昇る黒煙を照らしていた。


 火事。

 その単語が出てくるまでに時間がかかった。


「おい、起きろ! 火事だッ!」

「ふぁあああぁあ、火事ですの……、火事ですのッ!?」

「あぁ、北の山が燃えてる! ほとんど一面の火の海だ!」

「そんな! 火事だったら半鐘がなるはずですわ!」

「鳴らなかったんだから仕方ないだろ!」


 地主も村長も来客中で手があかない。

 ひょっとしたら情報が伝わっていないのかもしれない。

 しかし、客が来ていたとしても、火事を放っておくなどあり得るだろうか。

 よほどのことがあったのか。

 あるいは、半鐘を鳴らせない状態に陥ったのか……。


「に、兄さま……、南の山を見てくださいまし」


 そのとき、スグリが南の山を指さした。

 そこにも燃え盛る炎があった。

 火事は両側の山で起こっていた……。


「冗談じゃねぇぞ……。北と南で同時に火事だと!?」


 ……そうしたら逃げ道がない。

 川へ降りれば煙に撒かれる。

 登ることもできない。

 スグリが不安げな顔をする。

 そのときだった。


「ジン、スグリ……! よかった、無事だったのですね!」

「お、お袋!?」


 役宅にいるはずの母が戻ってきた。

 一目見て異常とわかる格好をしていた。

 着物はたっぷりと血を吸っており、頬にまで血しぶきが飛んでいた。


「…………ど、どうしたんだよ、それ!? 何があったんだ!? 親父はどうした!?」


 母に詰め寄り、ジンは肩を揺さぶる。

 回答は端的だった。


「父は死にました。……同席していたノイももう助からないでしょう…………」

「………………な、なんでッ!? なんでいきなり死ぬんだよ!?」

「村へ来たあの者たちが敵だったのです。山へ火を放ったのも彼らです。人間のように振る舞いますが、人間ではありません。やってきたのは三人。二人が山へ火を放ち、一人が逃げる人間を殺して回っています」

「はぁ!? なんだよ、それ!?」


 敵がやってきて、山に火を放ち、逃げる村人を殺す?

 さっぱり意味がわからない……!


 だが、母はジンの混乱など気にもとめず、家から金目のものと上着を持ち出す。

 手早くまとめてスグリに持たせ、


「敵は自身を天上人と名乗る化物だということ、そして、人間を殺すこと。それだけを頭に入れておきなさい」


 母は首飾りを外し、ジンの首にかけた。

 母が大切にしていた翡翠の首飾りだ。

 スグリがねだっても決して触らせなかった正真正銘の家宝。


 それを今、息子にたくした。

 笑えない。少しも笑えない。


「ジンはヒヌカを連れて逃げなさい。私はスグリと逃げます。運がよければ互いに生きて会いましょう」

「…………に、逃げるって、なんでだよ!? 相手は三人なんだろ!? だったら、戦えば、」

「地主が全員で戦って、たった一人に殺されました。百人集めようと、あれには決して勝てません」

「嘘だろ……」


「今の私たちにできる精一杯が逃げることなのです。……ヒヌカを連れて逃げなさい。そして、子をなし次代へ血をつなげることだけを考えなさい。あなたたちの血は希望の光。決して絶やしてはなりません」

「…………なんだよそれ。……何言ってるか全然わからねぇよ!」


 血とは何か。残すとは何か。敵とは、首飾りとは、家とは。

 今、目の前にいる母は本物の母なのか。

 何か別の化物なのではないか。

 頭が痛い。

 もう何もわからない。


 だが、それでも…………。


「……信じろってんなら、…………俺はお袋を信じる」

「ありがとう……。あなたが真っ直ぐな人間に育ってくれてよかった。それだけが母の誇りです」


 母がスグリの手を引いた。

 スグリはその場に踏みとどまって、


「…………嘘なんですのよね……? ねぇ、母さま、お別れなんて嘘でございましょう!? こんなお別れなんて、わたくし、わたくし……」


 泣き出すスグリを母が抱きしめる。

 母はジンを見上げ、


「機会があればいずれ」


 ジンは返事ができなかった。

 気の利いたことを言えればよかった。

 けれど、頭はまだ現実を認めていなかった。

 なぜ別れなければならないのか。

 逃げなければならないのか。

 その一方で、これが正真正銘の別れだとも理解していた。


 …………おそらく、もう家族とは会えない。


 少し前まで宴が開かれてた。

 姉の結婚を祝っていた。


 ……なのになぜ、こんな目に?

 悪夢を見ている気分になる。

 今にも目が覚めて、スグリが寝ぼけた自分を叱るのではないかとすら思う。


 どれもこれも虚構だ。

 現実とは眼前に迫る炎であり、煤煙であり、そして、村のどこかで殺人を繰り返す化物だった。


 甲高い鳥の声が聞こえる。

 獲物を追い立てる鷹のような声だった。


    †


「…………ジ、ジン、待って! まだ家に家族が残ってるんだよ! 引っ張らないで……!」


 ヒヌカは自宅からほど離れた草むらにいた。

 散歩の途中で寝入っていたようだ。

 事情の説明もそこそこに半ばさらうように連れ出した。

 目指すは村の東、霧ノ湖だ。

 火で囲まれた今、退路は水のある場所以外にない。


「やめてッ……! どうして!? どうしてこんなことするの!? 火事なのはわかったよ! 逃げないといけないのもわかる! だけど、私は家族を見殺しにしたくない! お願いだから家に戻らせて!」

「できないって言ってるだろッ! もう時間がないんだ!」


 ヒヌカを見つけるまでにジンはいくつもの死体を見た。

 煙で死んだ人間ではなかった。

 人間は煙で腕が切れたり、胴体と首が別れたりしない。

 悪意を持って殺された死体ばかりだった。


「この辺りはまだ煙も来てないんだよ!? まだ間に合う!!」

「煙が来てないから逃げるんだッ! 敵に見つかる!!」


 煙を吸い込めば人間は簡単に死ぬ。

 しかし、煙はこちらの姿を隠しもする……。

 炎に囲まれた村は夜とは思えないほどに明るい。


 何もない田畑を歩けば、どこからでもその姿が見えてしまう。

 敵はそういう者から狩っている。

 さっきから村のあちこちで悲鳴が聞こえている。

 そのすべてが火の手のない場所からだった。

 つまり、敵は火を起こして逃げ場所を奪い、その上で、一人ずつ村人を殺して回っているのだ……。


「敵って何!? わからない……、ジンの言ってることがわからないよ! お願い、……いつものジンに戻ってよ……」


 ヒヌカはついに泣き始める。

 手を振り払って足を止める。

 めそめそと泣くヒヌカの声を聞きながら、ジンはゆっくりと振り返る。


 ……怒り。

 そう、怒りがあった。

 ただ、それは言うことを聞かないヒヌカに対する怒りではなかった。


 自分自身の弱さ。

 それに対する怒りだった。


 もし敵を倒せるほどの力があれば。

 もしヒヌカの家族を守れるほどの力があれば。


 母の指示はああならなかった。

 母はジンでは勝てないと踏んだから、逃げろと言ったのだ。


 すべての起因は自分の弱さ。

 ヒヌカは、ただ、それを責めているに過ぎない。


 そうだとも……。

 それ以外に何も悪いことなどない。


 自分には炎があった。

 授けられたことに意味があるはずだと言ったのは誰か?

 自分だ!

 なのに、今日まで何の訓練も積んでこなかった……!


 なぜもっと考えなかったのか!

 なんのために自分が炎を手にしたのか!

 ……こうなる運命だったからじゃないのか!


 いつの間にか手のひらが血に濡れていた。

 力を込めすぎて爪が食い込んでいた。

 噛み締めた唇からも血が滴る……。


「ジン……」


 ヒヌカが手を握ってくる。


「ごめんね……。早く逃げるのは敵に見つかるかも知れないからなんだよね。ジンはちゃんと説明してくれたよ。……私がわがままを言っただけ、ごめんね」


 ヒヌカの言葉が胸に刺さる。

 ジンは歯を食いしばって言った。


「次は…………、次はぜっだい全員だずげるがらッ……!  やぐぞくするがらッ!!」

「……うん、ありがとう」


 ヒヌカの手を握り、ジンは走った。

 目指すは山と山の間だった。

 村の周囲はいくつもの山に囲まれる。

 故に火事が起こったとしても、一様に森が燃えるわけではない。

 谷間や小川、洞窟などは延焼しない。


 敵はこうした細かい地形を知らない。

 逆に川は村人でも最初に逃げ込む場所だ。

 ……間違いなく待たれている。


 裏をかき、ジンは谷間から湖への脱出を図ったのだった……。


 だが、母は一つだけ伝えそこねていた。


 ――――敵は空を飛べる。


    †


 村の上空、百トルメの場所を梟の天上人が飛んでいた。

 天上人は人間以上の知性と自身に近しい動物の力を併せ持つ。

 つまり、彼は夜目が利く。

 空から獲物を探し、狙うのが梟のあり方だった。


 彼の目は連れ立って逃げる若い男女を捉えた。

 他の人間とは異なり川へ行かない。

 山間に入るようだった。


「…………抜け道があるわけか。なるほど、すゝめの通り。人間は追い詰められると悪知恵を働かせるのだな」


 未開拓人間村開拓ノすゝめは蔵から発掘された古い書物だ。

 天上人の支配から逃れた人間をいかに取り込むか。

 その手法が事細かに記されていた。

 虫が食っていて怪しくはあったが、書かれた内容はいずれも的確だった。


 惜しむらくは、村を焼かねばならぬことだ。

 これが平地の村だったら監視役の一人も置いただろう。

 だが、山中奥深くの山は年貢の取り立ても手間であるし、何より移住されれば探し直しだ。


 残念ではあるが、人間の蓄えていた米は相当量だ。

 生き残った者に運ばせれば、知行政様もお喜びになるだろう。


 そう思いつつ、梟の天上人は急降下を始める。

 梟は音もなく飛ぶ鳥だ。

 その狩猟は誰にも気づかれない。


    †


 岩の切り立った場所を抜け、山中の川に抜けた。

 この川はマガスパ川へ流れる支流だ。

 下れば川に上れば湖に出る。

 冬は底が見える程度の小川だが、今は水が多く草木を呑み込む深さだ。

 ……落ちて助かったという話は聞かない。


 目指すは湖だ。

 ヒヌカの手を引いて歩く。


「――――ッ!?」


 唐突に左手の甲が痛んだ。

 頭の奥に龍の姿が浮かぶ。

 避けろと言われた気がした。


 ほとんど直感的に身を捩じらせる。

 ヒヌカを抱きかかえ、地面に転がる。

 その直後、空から何かが落ちてきた。


「ほぅ。気づかれるはずがないと思っていたが……」


 それは人間ではなかった。

 梟の顔をした化物だった。

 母から聞いていたのに頭が混乱する。


 ……なんだ、こいつは。

 なんなんだこいつは……!!


「ただ、少しばかり運がなかった。諦めよ」


 さっきからずっと痛みが続いている。

 頭の中で誰かの声がする。


 ――――今のお前には無理だ。

 逃げなければならない――――。


 うるせぇ……。

 ……逃げてたまるか。

 今だけは逃げたらダメなんだ……!


 腕の中にはヒヌカがいる。

 すがるような目でジンを見ている。

 ヒヌカは、…………ヒヌカだけは……!


 立ち上がろうとしたその刹那、化物が凄まじい踏み込みで距離を詰めた。

 一瞬の出来事だった。


 全体重を後ろに逃した。

 頭上を刀のきらめきが通過する。

 転げるように避けるが、それまでだった。

 ニノ太刀をかわす術はない。


 ……そのとき、どん、と胸に衝撃が走った。

 体が宙に投げ出される。

 ヒヌカが両手を伸ばしたまま、じっと自分を見ていた……。

 その顔には微笑みがたたえられている……。


「――――お願い、生きて」

「ヒヌカ……!!」


 草木に掴まろうとするが体重を支えられるほどの草がない。

 幾ばくかの浮遊感。

 そして、背中から川に落ちた。


 またたく間に体が押し流される。

 水中で回転し、もはやどちらが川岸なのかもわからない。


 …………ヒヌカ、……ヒヌカ!

 絶対に守ると約束したのにッ!


 圧倒的な量の水がヒヌカを遠ざけていく……。

 クソッ、クソッ、クソッ……!!


「ヒヌカ――――!!」


 名前を呼んでも、返事はない。

 声だけが虚しく木霊する。



 秋の夜は更けていく。

 月はすでに山の裏側へ隠れており、ウラップ山脈を静かな闇が包んでいた……。


 ただ一箇所、バランガがあった場所だけが煌々と赤く輝いている。

 ……その炎は数日をかけてバランガを焼き、…………あとには無数の遺骸と焼け落ちた家並みだけが残るのだった……。


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