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36 エリカ4


    †エリカ†


 …………懐かしい日々を思い返し、エリカは建物の前で少しだけ立ち止まった。

 あれから一年が経った。


 エリカは失恋を経験し、引きこもりのオタクになった。

 メガネをかけ、ダボッとした作業服(スウェット)で、一日中実験室で過ごした。

 毎日、機械油と煤にまみれていた。

 確かに男たちが放っておかない美人にはなったが、虜にしたい人はもういない。

 研究だけが拠り所だった。


 そうしているうちに技術は一流と言える域に達していた。

 特に銃火器の製造はエリカが独自に切り開いた分野だ。


 セイジが消えて、攻撃衝動の向け先がなくなった。

 それを研究に向けたら、次々と物騒な呪具(スンパ)の仕組みを解明した。

 今ではソテイラに進言して、工場で弾薬の生産をさせている。

 銃火器こそが生きがいだ。


 ……集中しよう。

 意識を現実に戻す。

 敵地のど真ん中、不法侵入の最中だった。

 知行政の屋敷に入ったとなれば、ソテイラの奴隷でも死罪は免れないだろう。


 わざわざ危険を犯した理由は、やはりセイジにあった。

 なんとセイジとミキが町に帰ってきたのである。


 二人はズイレンを出て、別の町に住むと言っていた。

 以来、定期的に手紙が届きもしたが、ある時からぱったりと来なくなった。

 何かあったのかと思っていたが、外出していた他の奴隷が、二人をズイレンで見た、と言った。

 目撃情報は他にもあった。


 子連れだったとか、妊娠していたとか、剥げていたとか、髪を染めていたとか、実に様々だ。

 どれもこれも嘘くさく、二人がズイレンにいるのかどうかも判然としない。

 エリカは執拗に調べた。


 町の人間を使い、二人を徹底的に探させた。

 別に未練がどうという話ではない。

 当時のことは吹っ切れていたし、純粋に二人の顔が見たかったのだ。

 それにちゃんと幸せになれたかも気になる。


 確度の高い情報を突き詰めていくと、二人は知行政の屋敷にいることがわかった。

 なぜ単なる人間が知行政の屋敷にいるのか。

 これには諸説あるが、知行政が祭事に使うという説が有力だった。

 知行政は私生活で人間を使う。


 年に何度か、町から人間が徴収され、そして、帰ってこないという事件が発生する。

 知行政が精霊に贄を捧げているに違いないという噂だ。

 贄。

 つまり、殺されて祭壇に捧げられるのだ。


 事実なら二人は絶体絶命の状況にある。

 祭事と(まつりごと)の話だけに、さしもの呪具(スンパ)でも解決は不能だ。


 セイジは今頃、困り果てているだろう。

 ミキに励まされ、必死に涙をこらえているところかもしれない。

 そこへ颯爽とエリカ様が登場するわけだ。


 …………かっこよく登場したら二人は、どんな顔をするだろう。


 助ける前から顔のにやけが止まらない。

 知行政の屋敷はあまりに手薄で障害らしい障害はなかった。

 このまま行けば、二人と感動のご対面だ。


 本当に、楽しみで楽しみで仕方がない。


    †


 同刻。

 ローボー・シヌガーリンの屋敷では宴が開かれていた。

 帝都へ出ていた息子夫婦が孫を連れ帰り、長期の滞在予定となっていた。


 孫の愛らしさと言えば、古今東西、いかなる宝玉にも勝る。

 ローボーは孫を可愛がり、滞在中も手を替え品を換え孫を喜ばせようとした。


「じぃじ、この肉はうまいな!」


 その日は庭で焼き肉だった。

 幼い孫は串焼きの肉を一心不乱に頬張っている。

 あまりの愛らしさにローボーは鼻血が出そうになる。


「おぉ、よう食べるのぅ。さすがはワシの孫じゃ」

「もっと焼いていいか?」

「もちろんじゃぞ。ほれほれ、お前さんのために肉はたんと用意してあるんじゃ」


 給仕が追加の肉を持ってくる。

 孫はバラ肉を一生懸命串に刺し、七輪の上に置く。

 そして、まだかまだか、とよだれを垂らしながらひっくり返したり、横から見たりする。

 かわいい。あまりにもかわいい。


 焼き肉会を開いてよかった。

 ローボーは心の底から思った。


 味噌は肉を串に刺し、自身で焼くことだ。

 自らの労力を割くことで給仕に焼かせるより数段味が上がる。

 ローボーはそう信じていた。


 実際、孫はとても喜んでくれた。

 数刻にも及ぶ昼食だったが、飽きることなく最後まで楽しんでいた。


 こうして焼き肉会は無事に終わった。

 片付けを給仕に任せ、ローボーは孫を散歩にさそった。


「行ってもいいけど、その前にやることがあるぞ」


 孫は木べらを持ち出して花壇へ走った。

 ヘラを使って穴を掘るつもりらしい。


「穴なぞ掘って何をするんじゃ?」

「人間の目を埋めているのだ! そうしたら、いっぱい人間が生えてきて、いっぱい食べられるのだ!」


 孫の手には人間の眼球が握られていた。

 先ほど焼き肉にした人間の一部だ。


 人間は本来、労働力である。

 しかし、一部の天上人は珍味として人間を食す。

 穢を口にするなど……、と嫌う者もいるが、極少数いるのは事実だ。

 ローボーも大の人間好きとして、知られていた。


「ほっほっほっ、トドルはそんなに人間が気に入ったか。明日も人間の焼き肉にしようかのぅ」

「するっ! もっといっぱい食べるのだ! じぃじ、大好きなのだっ!」


 孫が満面の笑みで飛びついてくる。

 着物が泥で汚れるも、好意の代償と思えば安いものだった。


「じぃじ、今日の夕餉は何なのだ!?」

「おぉおぉ、もう夕餉のことか。トドルは食いしん坊じゃのぅ、ほっほっほっ。けれど、このあとは腹ごなしの狩りじゃぞ?」

「狩り? じぃじがいつも言ってる奴か? 楽しみなのだ!」

「楽しいぞぅ。じぃじが教えてやるからの」


 ローボーは孫を抱きかかえ、屋敷に戻る。

 道中は笑いと幸福に満ちていた。


 ころり、と放り出された目玉が庭を転がる。

 その目はどこを見るでもなく、ただ虚空に向けられていた。


    †エリカ†


 天窓から牢に侵入した。

 屋内は薄暗く見張りもいなかった。


 牢には三本の廊下があった。

 それぞれの両側に監房が並び、人間が詰め込まれていた。

 排泄が管理されているのか糞尿の臭いはない。

 祭事に使うためとあってか町の人間屋に比べて境遇はかなり上だ。


 代わりに血臭がすごい。

 廊下に血の染みが点々とすることもあった。

 幽閉が目的なら、こうはならないはずだった。

 なにか凄惨な行為が、この空間で行われているのだろうか……。


 不意に背筋が寒くなる。

 ごそごそとうごめく物音が急に耳障りになる。

 発生源は人間に決まっているのに、なぜか違うナニカがいるのではないか、という気分になる。


 息を殺して、奥へ進む。

 監房を一つ一つ覗いていく。

 暗がりに人間と思しき影がちらほら見えるが、どれもエリカの方へ近づいては来なかった。


「ミキ、いる?」


 小声で呼びかける。

 すると、近くの房から返事があった。


「エリカ……?」


 かすれているが、確かにミキの声だった。


「そうよ、あたし、エリカ……! ミキなの、そこにいるの?」


 駆け寄って鉄扉に顔を押し付ける。

 人影は房の奥でうずくまっていて、顔を見せてくれない。


「あんたたちが捕まって聞いたから、助けに来たの。セイジもここにいるの?」

「…………ここにはいないよ。男は隣の建物に閉じ込められるみたいだから……。それにさっき男を連れ出す音が聞こえたわ。セイジも今頃は……、天上人のところじゃないかな」

「まずいわね……。連れて行かれたってことは、セイジが危ないかも」


 けれど、眼前のミキをおいていくこともできない。

 素早く思考を巡らせ、エリカは決断する。


「まず、あんたを逃がすわ。それから、あたしはセイジを探しに行く。大体の場所はわからないの?」

「…………無理だよ」

「何が無理なのよ? あたしはね、この一年で強力な兵器をいくつも製作したんだから。天上人くらいなら、」

「だから、無理なの。…………私は、ここから逃げられない」

「なんでよ?」


 暗がりの中でミキは言う。

 座り込んだまま一向に動く気配がなかった。

 なんだこいつは、とエリカは思う。

 いつからミキはこんなに卑屈になったのか。


「あんたね、折角、助けに来てあげてるんだから、顔くらい見せたら? 奥で座り込んで、引きこもりのつもり?」


 発破をかけるつもりでエリカは言った。

 ミキは一時的に落ち込んでいるだけだ。

 元気づければ、きっと以前のミキに戻るはず。


 ……エリカは信じていた。

 この瞬間までは……。


 …………本当に、儚く、意味のない願いだった。


「そうだね、……顔くらいは見せないとね……」


 ずる……、ずる……、と音がする。

 最初は何の音かわからなかった…………。

 ……たとえるなら布を地面にこすりつけるような感じ。


 歩けばいいのに、どうしてそんな音がするのだろう……。

 エリカはわからないまま、ミキが現れるのを待っていた。

 ……だから、床を這う音だと気づくのは、ミキの姿を見てからだった。


「…………あ、え……、ミキ……?」


 座り込んだまま……、と思っていた。

 しかし、その体は…………。


 天窓から差し込む光がミキを照らした。

 ミキの両足は太ももから下がなくなっていた。

 左手もない。右の乳房もない。


 そして、あんなに美しかった顔には(むご)たらしい刀傷があり、両の目が切り刻まれていた。


「…………ひどいでしょ? これが今の私。どうやっても逃げられないの……」


 ミキが自虐的な笑みを浮かべる。

 その笑いがあまりにも軽すぎて、エリカは言葉を返せなかった。

 ……足は? 腕は? 胸は?

 …………何があったら、……なくなってしまうの?


「私の足ね、食べられたの…………」

「…………た、食べられた?」

「そう、焼き肉にするんだって……」


 ヤキニク……?

 …………ヤキニクってなんだ?

 肉を焼いて、……食べる、あれ?


「この牢にはね、たくさんの人がいたの」


 ミキが言うには、牢にいるのは、さらわれてきた人間だという。

 町を歩いていたら天上人が現れ、付いてくるように言った。

 逆らえるわけもなくミキとセイジは従った。

 そして、男女別に牢に入れられていた。

 何のために連れてこられたかは明かされなかった。


 知ったのは、つい先程だという。

 一人ずつ女が捌かれたのだ。


「今日のお昼ご飯で、みんな足とか腕とかを斬られちゃったの……。中にはね、全身を持ってかれちゃった子もいるの、……何も残らなかったんだよ……」


 ミキが牢の隙間から手を伸ばしてくる。

 ……エリカは、その片方だけの手を、……しっかりと握った。

 そうすることしかできなかった。


 空洞になったミキの両目がエリカに向けられる…………。


「お願い、エリカ……。私を殺して……。食べられるくらいなら……、ここで命を終わらせたいの……」


 ミキは笑いながら泣いていた。

 刻まれた両目から血の混じった涙を流していた。

 その凄惨な光景を目の前にして、エリカは言葉を失う。

 声をかけるべきだ。

 他人事のように思うが、適切な言葉がわからない。


 諦めるな?

 足も目もないのに?

 もう元の生活には戻れないのに?


「…………お願い、私を自由にして」


 不意にミキの手が伸びてきた。

 腰に吊り下げていた拳銃に触れ、引き抜こうとする。

 エリカはそれをじっと見ていた。

 自殺はよくない。

 口で言うのは容易いが、止めてよい理由が見つからない。


 なぜだか涙が溢れてきた。

 鼻水が止まらない。

 嗚咽が漏れる。


「…………ありがとう、エリカ。さようなら」


 ミキは拳銃を自身の胸に当て、そして――――。

 エリカはとっさに手を払った。

 拳銃が床を滑る。


 ミキの表情が初めて歪む。

 絶望に塗りつぶされた顔で、ミキは叫ぶ。


「どうして……、どうして死なせてくれないの……!?」


 エリカは這いずるように拳銃に近づき、それを握りしめる。

 怒鳴り返した。


「あんたにはセイジがいるでしょ!? セイジならきっとなんとかしてくれる! そうでしょ!?」


 ミキの手を握る。

 手の甲を額に押し付けて、何度も言う。


「セイジを連れてくるわ! そうしたらセイジと一緒に逃げましょう? セイジだったら、なんとかできるから!」

「できないよッ! セイジは火薬の専門家なんだからッ! そんなのは私の方が知ってるッ!」

「セイジは何でもできるもん……! あいつは賢いんだから! ミキのこともなんとかするに決まってるッ!」


 そうだ…………!

 セイジさえいればなんとかなるのだ……!


 セイジは勉強ができる。

 医学を勉強しても一番になるに違いない。

 一番ならミキのことだってなんとか……、そう、なんとかしてくれるに違いないのだ……!!!


 セイジだ……、セイジを呼んでこなくちゃ……!!


「待ってて、ミキ! セイジを探してくるから! そしたら、二人一緒に逃してあげるから……!」

「逃がすならセイジだけで逃して……! 私のことは見捨てて、お願い!」

「セイジならなんとかしてくれるんだからッ!!」


 もうそれ以外に何も話せなかった。

 セイジが、セイジが。

 同じことを何度も何度も口にする。


 ……まるで自分自身を言い聞かせるかのように。


 エリカは拳銃を腰に戻すと、転げるように走り、天窓から垂らしていた縄を上って、牢屋を脱出した。


 そして、ミキが言っていた隣の建物の正面扉を開け放つ。

 このときすでに潜入という単語は頭から抜け落ちていた……。


 鍵がかかっておらず、また、天上人もいなかったのは、本当に運がよかった。

 男用の牢屋には、五人の若者がいた。

 不思議なことに両手を縄で縛られているだけで、柱にくくりつけるといった厳しい拘束がなかった。

 鍵もかかっていないし、すぐにでも逃げ出せる状態だった……。


「エリカさん……?」


 若者の一人はセイジだった。

 ……大分、老けて見えるが、丸メガネと色白なところは相変わらずだ。

 セイジが無事だったことで、胸の底にあった焦燥感が嘘のように溶けていった。


 ――――よかった、セイジだ。これでミキも助かる。


 根拠のない自信が頭の天辺からつま先までに行き渡り、エリカはうっかり笑顔を浮かべて、


「よかった、無事だったのね……! あたし、あんたとミキを助けに来たの!」

「…………僕らを助けに? どうやってここまで?」

「もちろん、忍び込んだに決まってるわ。見つかる前に逃げなきゃいけないの。でも、その前にミキを連れ出さないといけなくて、あんたの助けが必要なの。わかったら来て!」


 まくしたてるように説明して、エリカはセイジの手を握った。

 当然ついてきてくれるものと思っていたが、…………あろうことか、セイジはその手を振り払った。


「エリカさん、僕は行けない」

「ど、どうしてよ!? 逃げないと大変な目に遭うのよ!?」

「わかってる……! けど、僕らは逃げられないんだ……! 逃げたら隣にいる女たちに申し訳が立たない……!」

「…………隣りにいる女たちって、だってすでに、」


 言いかけて、やめた。

 …………ひょっとしたら、セイジは隣の建物で何があったのかを知らないのかもしれない……。

 だから、申し訳が立たないと言っているのだ……。


「セイジ、落ち着いて聞いて。ミキは、大変な目に遭ってるの…………、その、両足と右腕を斬られてるわ……」

「知っているよ」

「…………え?」


「僕たちだって、薄々気づいてるよ……。隣の建物で何があって、女たちがどうなったかもね」

「…………だったら、なおさら、逃げないと……」

「逃げないよ。僕らはこのあと天上人に外へ連れ出されることになっている。従わなければ、女を殺すと言われた。でも、助けられないことも知っている。助けるために行くんじゃない。……僕らは復讐のために行くんだ」

「復讐のため…………」


 それはエリカが予想したどんな答えとも違っていた…………。


 今のセイジはかつて見たどのセイジの顔とも重ならない……。

 怒りに塗りつぶされた男の顔だ。


「僕はこの牢屋でミキの声を聞いたよ……。すぐ隣の建物だからこそ、声は全部聞こえるんだ。――――私の足を返してって、ずっとミキは叫んでた……!! その声ももう聞こえない。……もう、大人しくしているのはうんざりだ……!! …………どうせ死ぬのだとしても、このまま黙って死ぬことだけはしたくない!」

「その通りだ……! 俺たちの手で、せめて一人は殺してやるんだ!!」

「…………俺たちの家族を殺した奴らに……、同じ痛みを味わわせなきゃ気がすまねぇ!!」


 同意の声が上がる。

 五人の男は、涙を流しながら、声を限りに怒号を上げる……。


 エリカにはセイジが見てきた世界が想像できない。

 どうしたらあの優しかったセイジがこうなってしまうのか。

 でも、どんな理由があっても天上人に逆らってはいけない。

 人間では勝てないのだから。


「…………あんたが行っちゃったら、ミキはどうなるの……? ミキが待ってるのよ!?」

「ミキは助けを望んでいない。僕にはわかる。ミキが望むのは、復讐だ」

「どうしてそんなことがわかるのよ!? 行ったら、死んじゃうのよ!?」

「死ぬかどうかなんて問題じゃないんだ! もう気持ちは固まっている。…………僕らは、天上人に反旗を翻す最初の人間だ……!」


 セイジは残る四人に目配せをする。

 四人は頼もしく肯いた。

 彼らは誰からともなく縛られた手を重ね合わせ、号令をかける。


「絶対に奴らを道連れにするぞッ!!」

「「「「おおッ!!」」」」


 止めないといけないのに、どう止めたらいいのかがわからない。

 五人の男たちは勇ましい足取りで牢屋を出ていく。

 向かう先は、この屋敷のどこかにある狩猟場だろう……。


 獲物が自ら狩場に出ていくなんて、これ以上、馬鹿らしい話もない。

 ……なのに、男たちは誰もが勇敢な顔つきで、誇らしさすら滲ませているのだった…………。


 待って……、待ってよ…………!

 …………セイジがいればミキはなんとかなるはずなんだから!


 セイジが、セイジがいれば……!

 あ、あれ……?

 どうしてセイジを連れていけば、なんとかなるんだっけ……?

 あれ、あれ…………?

 わからない、わからない……。


 いいや、なんとかなるんだ……! そうに違いないんだ! セイジを信じられないのか!? 信じるんだ!


「――――お願い待ってッ!!」


 しばらく追いかけて、肩に手を置いて、その手を振り払われて――――。


「君と話すことは何もないよ」


 そこですべての力を失った。

 全身から力が抜けて、地面にへたり込む。


 ただ、遠ざかっていくセイジの背中を見送ることしかできない……。

 訳がわからなくて、エリカは呆然とした。


 町を歩いていたらさらわれた。

 男女別の牢屋に入れられた。


 女は食肉にされ、男は狩猟遊びに使われる。

 その中にセイジとミキが含まれていた。

 運が悪かった。


 意味がわからない。

 全然わからない。


 二人には幸せになって欲しかった。


 ――――あたしは、ずっとそれを願っていた。


 二人で一緒にいて、子供を生んで、育てていって……。

 どうしてその程度の幸せが許されないのか!

 なんで、この世界は…………、いいや、天上人はそこまでする!?


「どうしてッ、どうしてッ、どうしてッ…………!!」


 ミキをあんなにして、セイジまで殺そうとして…………!

 ……そこには小さな幸せがあるはずだったのに!

 ただ食って遊ぶためだけに台無しにする権利が誰にあるのか……!


 あるのだ。

 天上人には。

 奴らは人間より強いから。

 強いから何をしても許されるのだ。


 セイジは命を懸けて、道連れにすると意気込んでいた。

 けれど、一方的な嬲り殺しにあうだろう!


 人間が決意した程度では天上人には敵わない!

 獣が龍に勝てないように、人間は天上人に及ばないのだ……!


 だからこそ、自分という存在が憎いッ!!

 セイジを止められなかった自分が!

 知行政に意見もできない自分が!

 この世界が、セイジとミキから何もかもを奪ったあのクソ狼が……!!


「うぁぁぁあぁああぁああぁああ……!!」


 何もできない自分を呪って、泣いた。

 ……力さえあれば、誰にも負けない力さえあれば…………!!

 自分はきっと二人を助けられたのに!!


 帝都にいた頃だったら、もうちょっと力があった……!

 あの頃の自分だったら……!


 ……だが、今のエリカは火薬に詳しいただの人間に過ぎない…………。

 できることは何一つとして残されていない。


「――――お前、こんなところで何してんだ?」


 そのとき、肩に手を置かれた。

 ……まさかと思ったし、自分の耳が信じられなかった。

 けれど、今更、そいつの声を聞き間違えることはなかった……。


 エリカはゆっくりと、ゆっくりと振り返る…………。


 そこには、……見殺しにしたはずのジンが立っていた…………。


「あ、あんた、……どうして……?」

「いや、なんか助けられて、生きてた。……お前、泣いてるのか?」


 指摘されてエリカは手を振り払った。


「う、うるさいっ! あたしの勝手でしょッ……!?」


 しかし、ジンはもう一度、手をエリカの肩に置いた。


「困ってんなら言えよ」

「……え?」

「なんか困ってんだろ?」


「だったとして、なんであんたなんかに言わないといけないのよ!?」

「お前が言ってたんだろ、俺たちは仲間だって」

「――――」


 確かに、言った。

 でも、それは都合のよい言葉でしかなくて……。

 利用してやろうという下心だった。

 特に深い意味はない。


 ……まさか本気にしていた?

 数日しか一緒にいなかったのに?


 あり得ない。

 たかが数日。

 人間はそんな時間では他人を信用することなどできない。


「あのね、仲間なんて嘘に決まってるでしょ?」

「そうなのか?」

「そうなのよ! あたしはね、最初からあんたを囮にするつもりだったの! 騙してやったの! まだ気づいてないんだとしたら、本当におめでたい頭なのね!」


「でも、仲間なんだろ?」


 ジンは真顔で言った。

 冗談の素振りはなかった。

 ――――どうして、そんな。


「どうして、そんな風に言い切れるのよ!? あたしは、右往左往するあんたたちを観察して、笑ってただけ! 利用したの!? わからないの!?」

「わからねぇ……! お前が仲間だって言ったんだ!」


「まだ言うの!? あたしはあんたに嘘をついたのよ! あたしはあんたを見殺しにして、危険な目に遭わせたの……!! なのに、どうして。……どうして、あたしなんかに構うのよ!? あたしは仲間でも何でもないのに!」


「俺の仲間をお前が決めるな。誰が仲間かは俺が決める」

「……!」

「お前は俺の仲間だ」


 ジンはきっぱりと言った。

 その頼もしさに涙が出た。


 我慢などできなかった。

 恥も外聞もクソもなかった。

 言葉は自然と漏れ出した。


「……本当に、仲間なの?」

「あぁ、そうだ」

「じゃ、じゃあ……、助けてって言ったら、助けてくれるの……?」


 苦しくて声も出ない。

 もう顔を上げることもできない。

 それでも、諦められなかった。

 二人の幸せと未来を。

 それしか残っていなかった。

 それだけが望みだった。


 脳裏に夏の夜が浮かぶ。

 セイジが初めて声をかけてきくれたときのこと、

 初めて花火を見せてくれたときのこと、

 エリカのために教科書を作ってくれたときのこと、


 楽しい思い出ばかりが溢れてくる。

 人生の先には光だけが満ちていて、何一つ不安なんかなかったあの頃のことが。

 今となっては遠い過去の出来事になってしまって、何一つ元には戻らないあの頃のこと。


 長い間が空いた。

 ジンは無言のまま空を見ている。

 やがて、エリカを立ち上がらせて、こう言った。


「任せろ、俺が助けてやる」


 もう何も残っていないと思っていた。

 本当に、何もかもが空っぽだった。

 けれど、たった一つの口約束が、あんな何でもない冗談が、…………最後の希望をつないでくれた。


 ジンは天上人を倒し(・・・・・・)に来た人間だ。

 この世界で唯一、天上人を倒しうるエリカの仲間(・・)だ。

 これが運命でなかったら何だというのか。

 どんなに細くて険しい道なのだとしても、絶たれてしまったわけではない。

 未来は、まだ、決まっていない。


「…………あ、ありがどぅ」


 涙を拭って、エリカはジンのあとを追いかける。

 ジンはカルを連れて颯爽と歩いていく。

 …………その背中は出会った頃の数倍は大きく、頼もしく見えた。

 何かの覚悟を決めた威厳すら漂っている。

 そんな風に思えるのだった……。


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