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35 エリカ3


    †エリカ†


 更に二年が過ぎた。

 エリカは年少組ながらも難しいとされていた銃火器の複製に成功した。

 それらの成果をもって、エリカはソテイラに交渉を持ちかけた。

 人間が天上人に交渉すると言い出せば、普通は無視される。


 だが、ソテイラは異色の天上人だ。

 奴隷に研究をさせながらも、その内容にはほとんど口出しをしない。

 屋敷を留守にすることの方が多いくらいだ。


 勝算はあると踏んでいた。

 ソテイラはエリカの成し遂げた功績を吟味し、ついに結論を出した。


「お前の熱意は実に興味深い。年長組へ転籍としてやろう」


 やった……! やった、やった、やった――――!!

 思わず、その場で飛び上がりそうになる。

 だが、天上人の前でそこまでしたら、罰則ものだ。


 喜びをぐっとこらえ、ソテイラの部屋を出る。

 全速力で廊下を走り、自習室を探し、教室を探し、食堂を探した。

 いない。

 セイジはいつもこうだ。

 肝心なときに限って見つからない。


 外履きを履いて、年長組の区画に向かった。

 年少組の立ち入りは禁止だが、明日からここで暮らすのだ。

 ちょっとくらい問題はないだろう。

 そう思い、工学専攻の建物を目指した。


 工学科は三階建ての真四角な建物だった。

 玄関の戸が自動で開く。

 それくらいではもう驚かない。


 内観は全体的に金属質で外側からは想像もできない様相だ。

 変な管がそこかしこを走り、嗅いだことのない薬品の臭いがした。

 先進的だが散らかった廊下を抜けて、戸を開ける。

 あとで聞いた話だが、そこは工学専攻の年長組の控室だった。


 工学専攻は全部で四人。

 全員男と聞いていた。

 今、控室には二人の人間がいた。

 セイジと女だ。

 二人はお茶を飲んで談笑していた。


「セイジは本当に火薬が好きなんだね。いつも熱心に研究しててさ」

「火薬は面白いから。配合次第でいろいろな結果になるんだ。表情が違うっていうのかな」

「あはは、表情と来たか。でも、この間の花火も素敵だったよ。みんな喜んでた。また、やろ?」

「うん」

「……二人きりのときでもいいけど?」

「ミキがそうしたいんなら、いいよ。…………あ、あれ? 戸が開いてる」


 エリカに気づいたセイジが顔を向ける。

 その表情が、今まで自分を見ていたものと全く違っていて、エリカは戸惑いを隠せなかった。

 おどおどしていて情けないセイジの姿はない。

 落ち着いた大人の顔だった。


 視線は自然とセイジと一緒にいた女に向く。

 とんでもない美人がいた。


 髪は明るい栗色で瞳も同じ色。

 確か農学専攻のミキだ。


 講師の中でも面倒見がよくて、年少組の間でも人気者だ。

 特に男連中はミキに熱を上げていて、本気で恋をしている奴もいた。

 お前なんか相手にされないのに馬鹿な男子、と思っていた。

 そのことを、なぜか今になって思い出す。


「エリカさん、どうしたの?」


 目を丸くしたセイジが言う。


「えっと、その……」

「勉強の質問なんじゃない? セイジは面倒見がいいからさ」

「そうなの? でも、ここは年少組は入っちゃいけなくて」

「そんな固いこと言っているのセイジだけだよ! 別に誰が入ったっていいじゃない? ここはみんなの場所だよ、ね、そう思わない?」


 ミキが笑顔を向けてくる。

 混ざり気のない笑みだった。

 セイジはその後ろで「ミキはいい加減すぎるんだよ」とぼやいている。


 ミキ。

 セイジはそう口にしていた。

 彼は誰を呼ぶにも“さん”をつける人なのだと思っていた。

 別け隔てなく丁寧な人だと勘違いしていた。


「……あんたにも呼び捨てにするような人がいたのね」

「へ?」


 胸の奥にあった熱がくすぶり始める。

 言葉での説明なんて必要なかった。


 ――――できてる奴らは態度でわかる。


 距離と呼吸と視線の行き先と。

 乙女の勘というは真実を丸裸にする。


 ……なんでだろ。ずっとずっと勉強しかしてこなかったのに。

 こんなところは勘が働く。

 天性の才能なんだとしたら、実に皮肉な才能だった。


「あ、そうだ。エリカさんは、ミキとあまり話したことないんだよね? ミキは僕と同じ町で生まれて、幼馴染だったんだ。それでね、十歳の頃に一緒にここに来て……」

「そーなの、セイジを追いかけるの、本当に大変だったんだから。一人でどこへでも行っちゃうんだから。追いかける方の身にもなってよ」

「え、えー……。ごめん」


 奪い取ってやろうか。

 ミキは超がつく美人だが、気持ちだったら、自分だって、


「ね、エリカちゃんは、何か用事があったんじゃないの?」


 ミキが顔を覗き込んでくる。

 邪気のない笑みが魔を焦がす。

 一発で毒気を抜かれた。

 エリカは渾身の笑みを浮かべ、


「いいんです、大した用事じゃないですから。邪魔してすいません」


 優雅にお辞儀をして、談話室をあとにする。

 戸を閉める。

 廊下を早足で歩く。

 自動開きの戸をくぐる。

 ほとんど駆け足になっていた。

 右手の甲で頬を拭い、左の拳で壁を叩く。


「…………恋人がいるんなら、……最初から言いなさいよ、バカ…………!! バカ、バカ、バカ、……バーカ!!」


 戦うという選択肢もあったかもしれない。

 少なくとも逃げ出すよりは可能性があっただろう。

 でも、勝てないと思ってしまった。


 なにより、勝っても幸せにならないと思った。


 セイジとミキは、幼馴染で、小さい頃からずっと一緒で、互いのことは何でも知っていて、将来は何となく結婚すると思っている。

 それが二人にとって完成された未来なのだ。

 奇跡のような二人だった。


 人間など生まれたそばから洗脳教育に回されて、言葉も話せない頃からこき使われて、それなりの年齢になったら、適当な奴隷とひっつけて子供を産ませて。

 増え過ぎたら間引いて殺して、男と女を取っ替え引っ替えで近親相姦にならないよう管理して。


 病気になったり、怪我をしたり、言うことを聞かなかったりしたら捨てられて。

 飼い主の気分が悪くても殴られて、殺されて、おもちゃにされて。

 人間がこの世界に生きる意味なんて、大抵の天上人に取ってはそうなのだ。

 人間とはそうでなくてはならないのだ。


 そんな時代だ。

 悲劇は誰彼かまわず等しく人間を襲う。

 だからこそ、あんなにも幸せそうな二人は、存在自体が奇跡だった。


 人間のくせに。

 奴隷でしかないくせに。

 でも、人間は天上人と同じく生きていて、幸せになってもよい存在だった。


 愛という単語は知っていた。

 でも、見たことはなかった。


 愛はあんなにもきれいだった。

 触れることすら恐ろしかった。


 幸せを願わずにはいられない。

 悔しくて、いっそ殴ってやろうかとも思うのに、……あれはダメだ、壊しちゃダメだ、守らなきゃ、という想いの方がはるかに強い。


 ……切り替えなきゃ。


 自分が間に入る余地はない。

 それはわかった。

 未練も捨てよう。

 それは邪魔な感情だ。


 自分にできることは、あの二人を見守ることだけ……。

 ……何のためにそんなことをするのかはわからないけど。

 でも、たぶん、セイジに幸せになってほしかった。



 踏ん切りをつけるのには、実際、もうしばらく時間がかかった。

 たっぷり三ヶ月は尾を引いた。

 エリカの傷心を知った他の年長組が言い寄ってきたが、全部断った。

 そんな気分になるわけないだろバーカ、と思った。


 慰めてくれたのは、意外にもミキだった。

 ミキは恋敵である以前に、歳の近い女の子だ。

 明るくて、人当たりがよくて、可愛くて、話が面白い。


 ……はー、勝てない、勝てない。


 完璧な女ってのは案外、身近にいるもんだ。

 自分は自分に自信がある方だと思ってたけど、……さすがに天下無敵の美少女とは思えない。

 ミキはかわいい。

 体の線も細い。

 特に首とか肩とかがすごい。

 女でも守ってあげたくなる。


 でも、性格は勝ち気で明るくて、誰も見捨てないし、誰も嫌わない。

 何より、いつどんなときでも笑顔を絶やさない。

 笑顔は人間に授けられた最強の道具だと思う。


 天上人には表情を替えられない種族もいるけど、人間は誰しもが表情が豊かだ。

 そして、笑顔は周りを明るくする。

 ミキはそんな能力を持っていた。


 本当、セイジにはもったいないくらいだ。



 最後の一年は穏やかに過ぎていった。

 セイジとミキは共に二十歳になった。

 二十歳になった年の終わりに奴隷は工場か研究所へ転籍になる。

 聞けば、最寄りは霊峰ラバナの工場らしい。

 転籍者の一番多い受け入れ先もこの工場で、セイジとミキはきっとここに行くのだろうな、と思っていた。


 ところが、セイジから聞かされた言葉は凄まじく意外なものだった。


「…………外に行く?」

「うん、僕は外の世界に出て、技術で人を幸せにしたいんだ」


 いつものセイジとは全然違う、目を輝かせる男がいた。

 唐突の変化に戸惑いを隠せない。

 セイジは火薬オタクだ。

 火薬をいじる環境があれば、どこでもいいんでしょと思っていた。


 違ったらしい。

 セイジはいつの間にか一端の男になっていた。

 夢を持ち、能力を持ち、実現したいという意志を持っていた。

 周りのみんなが驚いていた。

 驚く人々にはエリカが含まれていて、ミキは訳知り顔で肯く側だ。


 もちろん、外の世界にはミキも行く。

 当たり前って顔をしている。

 今更だけど、ちょっとだけ羨ましい。


「そのような意志を持つようなことがあるとは、興味深い……」


 二人が外へ出るに当たって、一つ問題があった。

 ソテイラの説得だ。

 人間を丹精込めて育て上げたのは、この先、工場で働かせるためなのだ。

 いきなり外へ行きたいなどと言えば、どう考えても怒るはずだし、殺されても文句は言えない。

 が、ソテイラはやはり普通ではなかった。


「反駁に対して罰を与えぬわけにはいかぬも道理。しかしながら、外を変えたいと言い出した人間がどのように振る舞うか、それへの興味を封じる術を私は持たない。よかろう、外を変えるという意志がどのようなものか見せてもらおう」

「い、いいんですか!?」

「その代わり、私との縁を切らざるを得なくなる。それが最低限のけじめでもあり、私から送ることのできる最後の手向けだ。独力で生きる覚悟を持てるだろうか?」

「ありますっ! お願いします!」


 セイジとミキが頭を下げ、ソテイラはそれを受け入れた。

 たった二人だけで生きていく決意。

 培った技術で世界を良くしたいという展望。


 大きな話だ。

 なんだか何もかも負けた気分だ。


 年長組には飛び級で入れた。

 けれど、結局、置いていかれた。

 最後まで追いつけなかった。



 こうしてエリカは二人の門出を見送った。

 生まれて初めて好きになった人は、他の女と一緒に外の世界へ出ていった。


「じゃあね、エリカさん。今まで、いろいろありがとう」

「……あんたこそ。ミキを泣かせるようなこと、するんじゃないわよ」

「うん、頑張るよ。元気で」

「…………」


 別れは淡白に。

 涙は見せない。


 ……十分に距離が離れてから、


「バーカ!! あんたがいなくなってせいせいしたわよ! バーカ、バーカ!!」


 ありったけの声で叫んだ。

 それがセイジを見た最後だった。





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