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33 エリカ1

今日は、話の都合上、2つ投稿します


    †エリカ†


 むくり。

 不自然にはえた茂みが起き上がる。

 目が出てきて、左右を見渡す。


 ……大丈夫だ。誰もいない。


 エリカは塀越しに聞こえる怒鳴り声をうずくまってやり過ごした。

 知行政の屋敷も静かなままで、侵入者に気づいた気配はない。

 ひとまず潜入は成功だった。


「ありがと、あんたたちの犠牲は忘れないわ」


 ジンとカルに形ばかりの祈りを捧げる。

 仲間にしたのは、最初から囮にするためだった。

 彼らの目的など端から頭にはない。


 茂みを抜けて、現在位置を確認する。

 目的の場所は予め目星をつけてあった。

 塀沿いの見つかりにくい経路で進んだ。


 ――――あたしが来たらどんな顔をするかしら。


 エリカは内心でほくそ笑む。

 これより目指す場所は知行政の屋敷において、唯一人間がいる場所だった。

 そこにはエリカの知人が幽閉されているのだった…………。


 会うのは一年ぶりだが、エリカが知人を忘れた日はなかった。

 あっちもそうであると嬉しいが、それは高望みなので、期待はしない。

 顔と名前を覚えているなら及第点だ。


 そして、その朧な記憶が今日の出来事で永遠になってくれれば言うことはない。

 目を閉じれば、今でもまぶたの裏に浮かぶ。

 あの日、夜空に咲いた大輪の花が…………。



 時を遡ること三年前。

 エリカは運命の人に出会った。


 当時のエリカは帝都に住んでおり、瀟洒な生活を送っていた。

 ところが、とある事情で家族と離れ離れになり、ソテイラの奴隷にされてしまった。


 十二歳のエリカは生まれて初めて親元を離れた。

 帝都を出るのも初めてだし、見知らぬ人間に囲まれるのも初めてだった。

 新しい主にエリカという名前をつけられ、エリカはその瞬間からエリカになった。

 最初は全く馴染めなかった。


 ソテイラの奴隷は誰も彼もが賢く、エリカなど箸にも棒にもかからなかったためだ。

 どれくらい差があったか説明するために、まず、ソテイラの話をしよう。


 ソテイラ・シャム・ヒンディ・ヒンディ・アーズィ。

 序列第三位の公位を持ち、霊公会(イグナシア)司教(ダダ・カタロナン)を務める天上人だ。

 霊公会(イグナシア)はバサ皇国の信仰の中枢を担う組織であり、影響力は政治の中枢にまで及んでいる。

 時には皇位の者が霊公会(イグナシア)にお墨付きを求めることもあるほどだ。

 霊公会(イグナシア)の認可は精霊の承認に等しく、法度に箔がつくためだ。


 霊公会(イグナシア)の施設は霊殿と呼ばれ、各都市に点在する。

 霊殿には管理者たる司祭(カタロナン)がおり、町政や知行政と同程度の権限を持つ。

 全国にある霊殿は数千とも数万とも言われ、司祭(カタロナン)の数も同数以上いる。

 司教(ダダ・カタロナン)司祭(カタロナン)を統率する立場だ。


 皇国の各地に散っており、四人しかいない。

 司教(ダダ・カタロナン)の上には霊導師アン・グムガ・ナムムノがいるばかりなので、実質、霊公会(イグナシア)で二番手の権力者だ。


 つまり、ソテイラの地位はとてつもなく高い。

 通常、その地位の天上人は人間と生活圏を共にしない。

 付き人も世話役もすべて天上人だ。

 ところが、ソテイラは付き人を使わず、屋敷に人間を住まわせていた。


 そして、特殊な労役を課していた。

 呪具(スンパ)の制作だ。

 呪具(スンパ)はソテイラが霊術で召喚するものだ。

 蝋燭を使わず辺りを明るくしたり、人間の移動を感知したり、空中に絵を投影したりと多くの種類があった。

 どれも便利であるため重宝されるが、使い方や作り方はソテイラにもわからない。

 調べるのは人間の仕事だ。


 故にソテイラの人間奴隷は、他とは根本から異なる。

 呪具(スンパ)の機能を理解し、再現する頭脳。

 精密な手作業を続けられる集中力。

 天上人でも受けられないような高度教育を施され、呪具(スンパ)の研究に邁進する。

 それが人間奴隷に与えられた使命だった。


 こうして実用化された製品には、エリカの身に付ける自動小銃や炸薬弾射出器、手投げ弾といった兵器類から超高収量の米、蛍光灯など多岐にわたる。

 一部は皇家や将に献上され、ソテイラの地位を確固たるものとするのに役立っている。


 そんなわけでソテイラの屋敷では、エリカの常識が通用しない。

 そこは隔離された研究施設であり、教育機関であり、工房であった。

 飛び交う単語は専門的なものばかりで、最初は会話の理解すらままならなかった。


呪具(スンパ)は工学、農学、医学、薬学の四分野に大別されるんだ。十六歳まで全体の基礎を学んだら、専門分野を決めて独自の研究をすることになっている。君はどの分野に興味がある? ちなみに僕は機械が好きで、制御系の専門なんだ」


 教育係の年長者はそんなことを言った。

 新入りを優しく歓待したつもりだったのだろう。

 少なくとも機械はないな、とエリカは思った。


 …………かと言って、他の分野なら大丈夫というわけでもなかった。


 手先の器用さがなければ工学はダメ。

 超精密な薬品調合ができないと薬学はダメ。

 記憶力が常人の十倍はないと医学はダメ。

 天性のセンスが無ければ農学はダメ。


 集められた子供たちは、全員がそのどれかを持っていた。

 どいつもこいつも天才だった。

 というか、天才が集められたのが、この場所だった。


 エリカも勉強には自信があった。

 帝都でもそれなりの暮らしをしていて、頭が良いと褒められて、それでここに送り込まれたフシもある。

 算術もできれば、読み書きもできる。

 詩も読めるし、舞踊もこなした。


 だが、そんなものは鼻紙ほどの役にも立たない。

 算術などは乳飲み子のすることであり、十二歳ならば火薬調合と溶接くらいできないとダメだと言われた。


 屋敷での生活は、朝から晩まで呪具(スンパ)と一緒だ。

 十七歳以上の年長者が研究の合間を縫って講義を受け持ち、十六歳以下はひたすらに学ぶ。

 過去に仕組みを解明した呪具(スンパ)を解体し、組み立て、理論を身につける。

 それだけが仕事だった。


 起床、朝食、勉強、運動、昼食、勉強、運動、勉強、夕食、家事、就寝。

 人間の健康を管理し、高効率で学ばせる環境が用意された。

 ソテイラは徹底していた。

 異常とすら言えた。


 人間を厚遇する天上人など国中を探しても、ここにしかいない。

 そんな楽しい仕事なら下流の天上人を雇えばいい。

 なぜ人間の待遇をよくしてまでやらせるのか。

 ソテイラが理解できない。


 つまるところ、ソテイラの屋敷はそんな場所だった。

 常人であるエリカには、あまりにも生きづらい。


 三日ほどは他の子供たちと呪具(スンパ)の組み立てに取り組んだ。

 四日目でついていくことを諦めた。

 簡単だと言われた作業もエリカにはできなかった。

 芥子の実から万能薬(テアリカ)を抽出するらしいが、道具も方法も全く頭に入らない。

 ビーカーで、バーナーが、沸点が云々。


 …………もうどうでもいいかな。


 授業が終わると、エリカは部屋の隅で外を眺める。

 エリカはどちらかと言えば、勉強より運動の方が好きだった。

 その時間だけが、せめてもの慰みだが、この屋敷では運動能力は評価されない。


 勉学で成果を出さなければ放逐される。

 それでもいいかとすら思っていた。

 ……来たくて来たわけではないのだから。


 エリカが親元を離れたのは、あくまで周囲の都合だった。

 エリカはされるがままに連れて来られただけ。

 生きることにも執着はなかった。


 野垂れ死ぬくらいなら楽に死にたい。

 そんなことばかりを考えて過ごした。

 彼に声をかけられたのは、五日目のことだった。


「夕食が終わったら時間あるかな? 見てもらいたいものがあるんだけど」


 年長組の男が声をかけてきた。

 いかにも内気です、と言わんばかりに色白で、体が細くて、メガネで、運動が苦手で、声は少し高かった。

 あやすような声音で話す奴で、名前はセイジ。

 確かエリカより五つ上の十七歳のはずだ。


 エリカが浮いていると聞いたのだろう。

 朝からずっとエリカを気にかけるような素振りを見せていた。

 だが、気にかけられても、呪具(スンパ)が作れるようになるわけではない。

 鬱陶しいことこの上なかった。


「見てもらいたいものって何よ」

「……えっと、それは秘密なんだけど。あの、歳上の人には敬語を使わないといけないって決まりが」

「はぁ? 誰に敬語を使おうとあたしの勝手でしょ?」

「…………う、そ、そうだね、うん」


 少し凄むとセイジはすぐに引っ込む。

 何でこんな奴が自分より格上なのか……。

 殴り合ったら絶対に勝てる自信があるのに。


「とにかく、屋敷の裏手で待ってるから。そっちは行ったことないでしょ?」


 屋敷は年少者と年長者で過ごす区画が異なる。

 専門分野を決めた年長者は、それぞれの領域別に専用の区画で研究をする。

 そちらは十六歳以上しか入れず、見たことがなかった。

 ……だからといって、気になるわけでもないが。


「じゃ、待ってるからね!」

「え、ちょっと、」


 無言を肯定と取ったのか、セイジは早々に去った。

 一瞬のことで、呼び止めることもできなかった。


「……なんなのよ、あいつは」


 夕食後は一人になるのが日課だ。

 大抵、庭で武術の型稽古をする。

 自習室に行けば息苦しくて死ぬし、ぼーっとしていれば劣等感で死ぬ。

 死を先延ばしにするのが日課なのだ。


 ……ふん、行ってやるものか。


 教科書を開き、意味のわからない文字と形ばかりの格闘をしてみる。




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