31 ズイレン3
まだ日も昇らぬ頃、ジンは霊殿にやって来た。
霊殿は石造りの巨大な建物だ。
両開きの扉があり、その上には始皇帝の紋章が刻まれる。
外観としては綺麗な蔵。
だが、中には礼拝堂があり、荘厳な空気が漂うという。
霊殿は精霊へ祈りを捧げる場だ。
人間が入ることは許されず、天上人だけが使う。
天上街と中央街の中間に建てられたのもそのためだ。
外壁に割り込むように建てられたため、霊殿の部分にだけ外壁がない。
そこが協力者と落ち合う地点だった。
婆の話によれば、協力者は一人。
その者も知行政の屋敷に用事があるという。
素性は知れないが天上街の奴隷だそうだ。
故に内情に精通している。
その代わりジンやカルのような戦う力がない。
今回の作戦は双方が足りない部分を補う形だ。
「……どんな人なんだろうね、協力者は」
「さぁな。ただ、天上街の奴隷なんだから、嫌な奴だろ」
以前にあった三人組を思い出す。
天上街の奴隷は皆、あんな感じに違いない。
「奴隷がみんな嫌な人とは限らないんじゃないかな」
「いや、絶対、悪い奴だ。まともな奴が天上人の奴隷になるわけがねぇ。エリカを思い出してみろ。あぁいう奴ばっかりなんだ」
「悪かったわね、まともな人間じゃなくて」
声がした。
若い女の声だった。
……聞き覚えのあるような気がする。
振り返ると、そこにはエリカがいた。
「お前、なんでここに!?」
「それはあたしの台詞なんだけど? 忍び込みたい連中がいるって聞いたから来ただけよ」
「ん? 待てよ。ってことは、協力者ってのは……」
「あたしだけど?」
本気かよ。
こいつが協力者……。
「で? 誰が絶対、悪い奴なのかしら? 言ってご覧なさい」
エリカは嫌らしく笑った。
やっぱりそうだ。
天上街の奴隷にろくな奴はいない。
「あたしたちは同じ目的を持つ仲間。互いを信じられないなら、作戦は失敗する。そうでしょ?」
「そうだと思いまス」
「仲間に大切なのは何?」
「信頼でス」
「その通りよ。ジンもわかってきたじゃない」
結局、ジンは三十回も謝罪をさせられた。
それから、ネチネチと説教された。
仲間とは何か。信頼とは何か。
散々、復唱させられ、頭がおかしくなってきた。
「でも、協力者がエリカでよかったな。動きやすいもん」
「カルだけよ~、そう言ってくれるのは~」
「でも、お着替えはしないからね!」
カルとエリカがイチャイチャする。
それは、さておき。
「どうやって忍び込むんだ?」
「仲間に大切なのは?」
「信頼でス」
「そうよ。まず、あんたたちの目的を聞かせなさい。でないと信頼できないわ」
「目的は知行政を倒すことでス」
ジンはこれまでの話をした。
途中でカルが補足を入れてくれる。
エリカは真剣な顔で聞いていたが、途中から難しい顔になった。
「悪いことは言わないからやめておきなさい」
「何でだよ?」
「知行政は強すぎるからよ」
エリカ曰く、天上人の強さは血統で決まるという。
始皇帝マナロは精霊より血を賜った。
その血筋を頂点として、次にマナロから直接血を分けられた臣下、その次に臣下から血を分けられた臣下と、血の高貴さは階層をなす。
精霊の血は世代ごとに受け継がれ、両親の血によって濃さが決まる。
そして、濃ければ濃いほどに強力な霊術を身につけるのだ。
当然、天上人の階位も血統で決まる。
十位、九位、八位、七位、六位、従五位、正五位、従四位、正四位、従三位、正三位、伯位、公位、将位、皇位と、階位は十五段階にも細分化される。
簡単のために、十位から六位を下流、従五位から正三位を中流、それ以上を上流とする大雑把な区分も存在する。
「ここで問題になってくるのは、あんたの倒した看守がどの階位にいたかってこと」
階位とは血統の順位。
つまりは強さの順位だ。
一つ違えば決して覆らない力の差が生まれる。
看守の階位がわかれば、それが実績の尺度になる。
「そんなのどうやって調べるんだ?」
「簡単よ。人間と直接、接点を持つ天上人は全員が下流なんだから」
あんなに強かったのに、一番下だったのか……。
「だって、中流以上の天上人は基本的に人間と関わらないもの」
故に看守が六位より上であることはない。
候補は十位から六位だが、下流でも八位より上は商人や職人になる。
ズイレンで言えば、中央街に住む連中だ。
人間の世話や監視は天上人にとっては汚れ仕事。
ほぼ間違いなく九位か十位だという。
つまり、最弱だ。
あんなに強かった看守が最弱。
山中を人間の五倍の速さで動き回り、穢魔すら倒す力を持っていた。
硝子を操る霊術を持ち、全く人間を寄せ付けなかった。
……そこまでできる天上人が、この国では最弱。
「だったら、ここに来るまで一緒だった天上人はどうなの? 商人だから位は高いんでしょ? でも、全然強くなかった。エリカの話だと商人の方が強いはずなのに」
「あたしがしているのはあくまで霊術の素養の話。何事も訓練しなければ強くならないわ。十位だって看守なんだもの、穢魔を御せる程度には訓練したんでしょう? 仮にあの商人が八位だったとしても何の鍛錬もなかったら、奇襲に対応できない。そうでしょう?」
「なら、僕たちにも勝機はあるよね!? 知行政みたいな偉い階位はだらけてるはずだもん!」
「それはないわ」
エリカは即答した。
「中流以上は格が違うのよ。自分の体を水に変えるだとか、死者を使役するだとか、この世の理を越えてくる。隙をついたからどうこうできる相手じゃない。イサン地方の知行政は中でも特別。情報は集めてないの?」
集めるも何も集められない。
結界があって忍び込めないからだ。
「なら教えてあげる。知行政ローボー・シヌガーリンは十二人しか許されない将位の血筋を持つ高貴な家柄よ。彼の甥が、犬の血族の頂点として帝都に君臨しているわ。故に知行政の階位は伯位。本来なら領主になってもおかしくない階位にもかかわらず、ベルリカ領主の不興を買ったがために、一地方の知行政に収まっているだけ。伯位ってどれくらいかわかる? 上から四番目。上流よ。ここまで精霊の血が濃いと、存在自体が精霊に近くなる。星々の軌道を操ったり、空間を切り取ったり、時間を遡らせたり――――。彼らの霊術は世界そのものに干渉する」
「そんなの、めちゃくちゃじゃないか……!」
「だから、勝てないって言ってるのよ。どう? それでも行く気?」
エリカは勝ち誇ったように胸を張る。
これから一緒に行く予定のはずなのに、なぜか心を折りに来ている。
さすが悪い奴だ。
「どうもこうもあるか。行くに決まってるだろ」
「あんたは人の話を聞けないの?」
「聞いてるよ。けど、天上人なら誰でもいいわけじゃない。知行政を倒したいんだ」
でなければ、イサン地方の人間が解放されない。
誰でもいいから倒せばいいわけではない。
「…………あ、そ。勝手にすれば? あたしはどうなっても知らないから」
「ありがとうな、注意してくれて」
「べ、別にあんたたちのために言ったわけじゃないから! 勘違いしないでよ!?」
エリカは自動小銃を抜いた。
それは怖いから本当にやめて欲しい。
その後、細かい打ち合わせをして、侵入の手順を確認した。
いよいよ天上街へ乗り込むときが来た。
†
作戦開始は夜明けと同時だ。
やることは単純。
エリカが結界の切れ目を知っているので、そこから入る。
入ったら、知行政の屋敷を目指す。
屋敷についたら別行動。
そして、銘々が用事を済ませたら別個に脱出という流れだ。
エリカの示す経路は霊殿。
霊殿は天上街からはみ出すように建てられている。
そこには結界が張られていないのだという。
「そうなの? 僕には結界が貼られてるように見えるけど」
「見えるだけよ。そうしないと入ってきちゃうでしょ?」
「それもそうだけど……」
首を傾げながらカルも続く。
霊殿を出れば、そこはもう天上街だった。
街という名がつくのかも怪しい景色が広がる。
なだらかな丘のてっぺんまで塀が続いていた。
道幅は二十トルメはあるが、人一人歩いていない。
道なのはわかるが、振り返ると霊殿の壁がある。
つまり、壮大な行き止まりの道だった。
「……なんだこの道、誰が使うんだ?」
「ここは道じゃないわ。屋敷と屋敷の間にできた隙間よ。別に誰かが通るわけじゃない」
「す、隙間……。これが……」
よく見れば下草が刈られていない。
人が通った形跡もない。
偶然、作られてしまった隙間なら、確かに誰も通らない。
カルが一周するのに四刻(約一時間)かかっただけはある。
「屋敷は小さい町が入るくらいよ。庭には森もあれば、川もある。建物だっていくつもあるんだから」
「偉い奴はそんな場所に住んでるのか」
「偉いと言っても十一ある屋敷のうち九つは下流よ。本来は下流が持っていい規模の屋敷じゃないんだけど、知行政の差配で許されてると聞いてるわ」
「……知行政の屋敷はどれだ?」
「この奥、丘の頂上にある一番大きな屋敷。周りに身を隠す場所がないから、人が出てくる前に近づきたいの」
エリカの先導で隙間を抜ける。
抜けるまでにかなりの時間を走った。
……隙間を抜けると、視界が開けた。
屋敷の塀が左右に広がる。
頂上を囲むように円形に構えている。
肝心の頂上はまだ先だ。
屋敷の塀は見えるが、たどり着くまでに草原があり、川があり、竹林があった。
しかし、開放感のある庭だからか、隠れられる場所は少ない。
山の端に太陽がかかり、辺りは急速に明るさを増している。
どうしたって周囲の屋敷から姿を見られるだろう。
「……なんか騒がしくないか?」
左右の屋敷からそれぞれ人間の声が聞こえる。
慌てふためくような声だ。
時折、怒りに満ちた声も混じる。
「そう? 気のせいじゃないかしら?」
「いや、絶対に聞こえる」
「だとしても、構っている暇はないわ。日が昇り切る前に到着しないといけないんだから」
「お、おい、待てよ……!」
エリカは一人で草原に飛び出していく。
仕方なくジンもあとに続く。
見つかれば作戦は台無しだ。
エリカを信じるしかない。
……が。
「エリカ、後ろから誰かが来てるよ……!」
川を渡ったところでカルが叫んだ。
振り返ると、十人ばかりの人間が手に武器を持ち、追いかけてきていた。
「おい、やっぱりバレてるじゃねぇか!」
「行くしかないわ! 追手は人間でしょう、ならなんとかなる」
「けど、そのうち天上人が出てくるかも……! ジン、一旦、隠れよう! ここで戦っても何にもならない!」
カルが立ち止まる……。
他方のエリカは全く止まる素振りを見せない。
こうなるとできることは限られてくる。
カルと二人で逃げたらエリカが一人だ。
「何してんのよ! 早くしなさい!」
考える時間もなかった。
ジンはエリカを追った。
屋敷の塀にたどり着く。
「ほら、台になりなさいよ! 上れないんだから!」
追いついたそばから文句が飛ぶ。
エリカは塀に上ろうと、飛び跳ねていた。
「……うわ、エリカ、胸が揺れてる」
カルがどうでもいいことを指摘する。
「どこ見てんのよ、変態!?」
そして、ジンが蹴られた。
理不尽だった。
文句の一つも言いたくなるが、追手が迫っていた。
カルを肩車して、その上にエリカが乗る。
「も、もう少し……! もっと高く!」
「無茶言うな! これが限界だ!」
「…………ん、ん、ん~、……と、届いた……!」
エリカが塀によじ登る。
両足にかかっていた重さが消える。
「よし、次はカルだ! エリカ、引っ張り上げろ!」
追手の人間は武器を持っていた。
……カルなら簡単に倒せるだろうが、ジンは無傷で切り抜けられるか怪しい。
炎は調節が難しく、人間相手には使えないのだ。
「おい、エリカ、まだか!?」
塀の上のエリカを見上げる。
…………エリカは屋敷の中に入ろうとしているところだった。
「あたしは先に行くから、あんたたちは自力でなんとかしなさい」
「はぁ!? お前、何言ってんだ!?」
「ここまでご苦労さま。本当に便利な仲間だったわ、ありがとね」
そう言って、エリカは本当にいなくなってしまった。
あとにはジンとカルが取り残される。
「な、なに~~~~~~~~~~!?」
「え、え、えぇ!? 僕ら裏切られた!?」
「ちくしょう……、あの野郎、何が便利な仲間だ……!」
途中から様子がおかしいと思っていた。
何が何でも先に進もうというあの姿勢。
あいつは最初からこっちを囮にするつもりだったのだ……!
霊殿から入れば検知されないってのも嘘だろう。
結界に引っかかったのなら天上人も侵入に気づいている。
追手の人間は第一波に過ぎず、敗れればすぐに次の追手が、最終的には天上人が現れる……。
想定される最悪は天上人に先手を取られることだ……。
合戦の申し入れをする前に戦えば、単なる喧嘩で命を張ることになる。
隠れた方がいい気もしてくる。
だが、屋敷に入ったエリカは……?
一人で本陣の乗り込んで無事なのだろうか……。
余計なことを考えた。
それは最悪の隙だった。
「ジン……!!」
肩車したカルが身を捩る。
風を切る音がいくつも聞こえた。
…………視界の隅に弓を構えた人間が見えた。
三人もいた。
放たれた矢は最低でも三本。
ジンのところには一本も飛んできていなかった。
――――つまり、
首筋に生暖かい液体が滴ってくる。
かぎなれた鉄の臭いが鼻をくすぐる。
「カル…………? おい、カル!?」
力の抜けたカルが肩の上から崩れ落ちる。
地面に激突しそうになるのをかろうじて支える。
二本の矢がカルの体に突き立っていた。
カルが一人だったら。
カルならば相手が十人いようが、矢を使おうが問題はなかった。
自分がいたから……。
だから、カルは肩車をした状態で、かばおうとして――――。
「――――クソッ!!」
悔しがる暇もない。
奴隷たちは次の矢を構えている。
「おやおや、誰かと思えばいつぞやの愚民か」
そのうち一人には見覚えがあった。
爺さんをいじめていた奴だ。
嫌らしく笑いながら距離を詰めてくる。
炎を人間に使うつもりはなかった。
けれど、あいつなら火傷させてもいいと思えた。
ジンは覚悟を決めて左手を振るう。
青い炎が周囲の草木を焼き払う。
「うぉおぉおおぉおお……! なんだこれは!?」
「炎だ! あいつが炎を使ったんだ!」
「熱い、熱い! 助けてくれ!」
カルを背負って、追手に背を向ける。
どこを目指すでもなく壁沿いに走った。
「……僕は構わないで」
「置いていけるか、バカ!」
奴隷の気配が背後に迫る。
そのたびに炎を使って目くらましをする。
だが、土地勘のない場所ではいつまでも逃げ続けることはできない。
いつの間にか取り囲まれ、ジンも脇腹に矢を受ける。
血が流れる。
体に力が入らなくなる。
逃げないと。
そればかりが頭に浮かぶ。
走って。
逃げ。
カルを。
助け。
…………やがて視界が暗くなる。
もう何も感じられない。