表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/199

31 ズイレン3


 まだ日も昇らぬ頃、ジンは霊殿にやって来た。

 霊殿は石造りの巨大な建物だ。

 両開きの扉があり、その上には始皇帝の紋章が刻まれる。

 外観としては綺麗な蔵。


 だが、中には礼拝堂があり、荘厳な空気が漂うという。

 霊殿は精霊へ祈りを捧げる場だ。

 人間が入ることは許されず、天上人だけが使う。


 天上街と中央街の中間に建てられたのもそのためだ。

 外壁に割り込むように建てられたため、霊殿の部分にだけ外壁がない。

 そこが協力者と落ち合う地点だった。


 婆の話によれば、協力者は一人。

 その者も知行政の屋敷に用事があるという。

 素性は知れないが天上街の奴隷だそうだ。


 故に内情に精通している。

 その代わりジンやカルのような戦う力がない。

 今回の作戦は双方が足りない部分を補う形だ。


「……どんな人なんだろうね、協力者は」

「さぁな。ただ、天上街の奴隷なんだから、嫌な奴だろ」


 以前にあった三人組を思い出す。

 天上街の奴隷は皆、あんな感じに違いない。


「奴隷がみんな嫌な人とは限らないんじゃないかな」

「いや、絶対、悪い奴だ。まともな奴が天上人の奴隷になるわけがねぇ。エリカを思い出してみろ。あぁいう奴ばっかりなんだ」

「悪かったわね、まともな人間じゃなくて」


 声がした。

 若い女の声だった。

 ……聞き覚えのあるような気がする。

 振り返ると、そこにはエリカがいた。


「お前、なんでここに!?」

「それはあたしの台詞なんだけど? 忍び込みたい連中がいるって聞いたから来ただけよ」


「ん? 待てよ。ってことは、協力者ってのは……」

「あたしだけど?」


 本気かよ。

 こいつが協力者……。


「で? 誰が絶対、悪い奴なのかしら? 言ってご覧なさい」


 エリカは嫌らしく笑った。

 やっぱりそうだ。

 天上街の奴隷にろくな奴はいない。



「あたしたちは同じ目的を持つ仲間。互いを信じられないなら、作戦は失敗する。そうでしょ?」

「そうだと思いまス」

「仲間に大切なのは何?」

「信頼でス」

「その通りよ。ジンもわかってきたじゃない」


 結局、ジンは三十回も謝罪をさせられた。

 それから、ネチネチと説教された。


 仲間とは何か。信頼とは何か。

 散々、復唱させられ、頭がおかしくなってきた。


「でも、協力者がエリカでよかったな。動きやすいもん」

「カルだけよ~、そう言ってくれるのは~」

「でも、お着替えはしないからね!」


 カルとエリカがイチャイチャする。

 それは、さておき。


「どうやって忍び込むんだ?」

「仲間に大切なのは?」

「信頼でス」

「そうよ。まず、あんたたちの目的を聞かせなさい。でないと信頼できないわ」

「目的は知行政を倒すことでス」


 ジンはこれまでの話をした。

 途中でカルが補足を入れてくれる。

 エリカは真剣な顔で聞いていたが、途中から難しい顔になった。


「悪いことは言わないからやめておきなさい」

「何でだよ?」

「知行政は強すぎるからよ」


 エリカ曰く、天上人の強さは血統で決まるという。

 始皇帝マナロは精霊より血を賜った。

 その血筋を頂点として、次にマナロから直接血を分けられた臣下、その次に臣下から血を分けられた臣下と、血の高貴さは階層をなす。

 精霊の血(カルルワ・デューゴ)は世代ごとに受け継がれ、両親の血によって濃さが決まる。

 そして、濃ければ濃いほどに強力な霊術を身につけるのだ。


 当然、天上人の階位も血統で決まる。

 十位、九位、八位、七位、六位、従五位、正五位、従四位、正四位、従三位、正三位、伯位、公位、将位、皇位と、階位は十五段階にも細分化される。

 簡単のために、十位から六位を下流、従五位から正三位を中流、それ以上を上流とする大雑把な区分も存在する。


「ここで問題になってくるのは、あんたの倒した看守がどの階位にいたかってこと」


 階位とは血統の順位。

 つまりは強さの順位だ。

 一つ違えば決して覆らない力の差が生まれる。

 看守の階位がわかれば、それが実績の尺度になる。


「そんなのどうやって調べるんだ?」

「簡単よ。人間と直接、接点を持つ天上人は全員が下流なんだから」


 あんなに強かったのに、一番下だったのか……。


「だって、中流以上の天上人は基本的に人間と関わらないもの」


 故に看守が六位より上であることはない。

 候補は十位から六位だが、下流でも八位より上は商人や職人になる。

 ズイレンで言えば、中央街に住む連中だ。

 人間の世話や監視は天上人にとっては汚れ仕事。

 ほぼ間違いなく九位か十位だという。

 つまり、最弱だ。


 あんなに強かった看守が最弱。

 山中を人間の五倍の速さで動き回り、穢魔すら倒す力を持っていた。

 硝子を操る霊術を持ち、全く人間を寄せ付けなかった。

 ……そこまでできる天上人が、この国では最弱。


「だったら、ここに来るまで一緒だった天上人はどうなの? 商人だから位は高いんでしょ? でも、全然強くなかった。エリカの話だと商人の方が強いはずなのに」

「あたしがしているのはあくまで霊術の素養の話。何事も訓練しなければ強くならないわ。十位だって看守なんだもの、穢魔を御せる程度には訓練したんでしょう? 仮にあの商人が八位だったとしても何の鍛錬もなかったら、奇襲に対応できない。そうでしょう?」


「なら、僕たちにも勝機はあるよね!? 知行政みたいな偉い階位はだらけてるはずだもん!」

「それはないわ」


 エリカは即答した。


「中流以上は格が違うのよ。自分の体を水に変えるだとか、死者を使役するだとか、この世の理を越えてくる。隙をついたからどうこうできる相手じゃない。イサン地方の知行政は中でも特別。情報は集めてないの?」


 集めるも何も集められない。

 結界があって忍び込めないからだ。


「なら教えてあげる。知行政ローボー・シヌガーリンは十二人しか許されない将位の血筋を持つ高貴な家柄よ。彼の甥が、犬の血族の頂点として帝都に君臨しているわ。故に知行政の階位は伯位。本来なら領主になってもおかしくない階位にもかかわらず、ベルリカ領主の不興を買ったがために、一地方の知行政に収まっているだけ。伯位ってどれくらいかわかる? 上から四番目。上流よ。ここまで精霊の血が濃いと、存在自体が精霊に近くなる。星々の軌道を操ったり、空間を切り取ったり、時間を遡らせたり――――。彼らの霊術は世界そのものに干渉する」


「そんなの、めちゃくちゃじゃないか……!」

「だから、勝てないって言ってるのよ。どう? それでも行く気?」


 エリカは勝ち誇ったように胸を張る。

 これから一緒に行く予定のはずなのに、なぜか心を折りに来ている。

 さすが悪い奴だ。


「どうもこうもあるか。行くに決まってるだろ」

「あんたは人の話を聞けないの?」

「聞いてるよ。けど、天上人なら誰でもいいわけじゃない。知行政を倒したいんだ」


 でなければ、イサン地方の人間が解放されない。

 誰でもいいから倒せばいいわけではない。


「…………あ、そ。勝手にすれば? あたしはどうなっても知らないから」

「ありがとうな、注意してくれて」

「べ、別にあんたたちのために言ったわけじゃないから! 勘違いしないでよ!?」


 エリカは自動小銃を抜いた。

 それは怖いから本当にやめて欲しい。



 その後、細かい打ち合わせをして、侵入の手順を確認した。

 いよいよ天上街へ乗り込むときが来た。


    †


 作戦開始は夜明けと同時だ。

 やることは単純。

 エリカが結界の切れ目を知っているので、そこから入る。

 入ったら、知行政の屋敷を目指す。

 屋敷についたら別行動。

 そして、銘々が用事を済ませたら別個に脱出という流れだ。


 エリカの示す経路は霊殿。

 霊殿は天上街からはみ出すように建てられている。

 そこには結界が張られていないのだという。


「そうなの? 僕には結界が貼られてるように見えるけど」

「見えるだけよ。そうしないと入ってきちゃうでしょ?」

「それもそうだけど……」


 首を傾げながらカルも続く。

 霊殿を出れば、そこはもう天上街だった。

 街という名がつくのかも怪しい景色が広がる。


 なだらかな丘のてっぺんまで塀が続いていた。

 道幅は二十トルメはあるが、人一人歩いていない。

 道なのはわかるが、振り返ると霊殿の壁がある。

 つまり、壮大な行き止まりの道だった。


「……なんだこの道、誰が使うんだ?」

「ここは道じゃないわ。屋敷と屋敷の間にできた隙間よ。別に誰かが通るわけじゃない」

「す、隙間……。これが……」


 よく見れば下草が刈られていない。

 人が通った形跡もない。

 偶然、作られてしまった隙間なら、確かに誰も通らない。

 カルが一周するのに四刻(約一時間)かかっただけはある。


「屋敷は小さい町が入るくらいよ。庭には森もあれば、川もある。建物だっていくつもあるんだから」

「偉い奴はそんな場所に住んでるのか」

「偉いと言っても十一ある屋敷のうち九つは下流よ。本来は下流が持っていい規模の屋敷じゃないんだけど、知行政の差配で許されてると聞いてるわ」


「……知行政の屋敷はどれだ?」

「この奥、丘の頂上にある一番大きな屋敷。周りに身を隠す場所がないから、人が出てくる前に近づきたいの」


 エリカの先導で隙間を抜ける。

 抜けるまでにかなりの時間を走った。

 ……隙間を抜けると、視界が開けた。


 屋敷の塀が左右に広がる。

 頂上を囲むように円形に構えている。

 肝心の頂上はまだ先だ。

 屋敷の塀は見えるが、たどり着くまでに草原があり、川があり、竹林があった。

 しかし、開放感のある庭だからか、隠れられる場所は少ない。

 山の端に太陽がかかり、辺りは急速に明るさを増している。

 どうしたって周囲の屋敷から姿を見られるだろう。


「……なんか騒がしくないか?」


 左右の屋敷からそれぞれ人間の声が聞こえる。

 慌てふためくような声だ。

 時折、怒りに満ちた声も混じる。


「そう? 気のせいじゃないかしら?」

「いや、絶対に聞こえる」

「だとしても、構っている暇はないわ。日が昇り切る前に到着しないといけないんだから」

「お、おい、待てよ……!」


 エリカは一人で草原に飛び出していく。

 仕方なくジンもあとに続く。

 見つかれば作戦は台無しだ。

 エリカを信じるしかない。


 ……が。


「エリカ、後ろから誰かが来てるよ……!」


 川を渡ったところでカルが叫んだ。

 振り返ると、十人ばかりの人間が手に武器を持ち、追いかけてきていた。


「おい、やっぱりバレてるじゃねぇか!」

「行くしかないわ! 追手は人間でしょう、ならなんとかなる」

「けど、そのうち天上人が出てくるかも……! ジン、一旦、隠れよう! ここで戦っても何にもならない!」


 カルが立ち止まる……。

 他方のエリカは全く止まる素振りを見せない。

 こうなるとできることは限られてくる。

 カルと二人で逃げたらエリカが一人だ。


「何してんのよ! 早くしなさい!」


 考える時間もなかった。

 ジンはエリカを追った。

 屋敷の塀にたどり着く。


「ほら、台になりなさいよ! 上れないんだから!」


 追いついたそばから文句が飛ぶ。

 エリカは塀に上ろうと、飛び跳ねていた。


「……うわ、エリカ、胸が揺れてる」


 カルがどうでもいいことを指摘する。


「どこ見てんのよ、変態!?」


 そして、ジンが蹴られた。

 理不尽だった。

 文句の一つも言いたくなるが、追手が迫っていた。

 カルを肩車して、その上にエリカが乗る。


「も、もう少し……! もっと高く!」

「無茶言うな! これが限界だ!」

「…………ん、ん、ん~、……と、届いた……!」


 エリカが塀によじ登る。

 両足にかかっていた重さが消える。


「よし、次はカルだ! エリカ、引っ張り上げろ!」


 追手の人間は武器を持っていた。

 ……カルなら簡単に倒せるだろうが、ジンは無傷で切り抜けられるか怪しい。

 炎は調節が難しく、人間相手には使えないのだ。


「おい、エリカ、まだか!?」


 塀の上のエリカを見上げる。

 …………エリカは屋敷の中に入ろうとしているところだった。


「あたしは先に行くから、あんたたちは自力でなんとかしなさい」

「はぁ!? お前、何言ってんだ!?」

「ここまでご苦労さま。本当に便利な仲間だったわ、ありがとね」


 そう言って、エリカは本当にいなくなってしまった。

 あとにはジンとカルが取り残される。


「な、なに~~~~~~~~~~!?」

「え、え、えぇ!? 僕ら裏切られた!?」

「ちくしょう……、あの野郎、何が便利な仲間だ……!」


 途中から様子がおかしいと思っていた。

 何が何でも先に進もうというあの姿勢。

 あいつは最初からこっちを囮にするつもりだったのだ……!


 霊殿から入れば検知されないってのも嘘だろう。

 結界に引っかかったのなら天上人も侵入に気づいている。

 追手の人間は第一波に過ぎず、敗れればすぐに次の追手が、最終的には天上人が現れる……。


 想定される最悪は天上人に先手を取られることだ……。

 合戦の申し入れをする前に戦えば、単なる喧嘩で命を張ることになる。


 隠れた方がいい気もしてくる。

 だが、屋敷に入ったエリカは……?

 一人で本陣の乗り込んで無事なのだろうか……。


 余計なことを考えた。

 それは最悪の隙だった。


「ジン……!!」


 肩車したカルが身を捩る。

 風を切る音がいくつも聞こえた。


 …………視界の隅に弓を構えた人間が見えた。

 三人もいた。

 放たれた矢は最低でも三本。

 ジンのところには一本も飛んできていなかった。

 ――――つまり、


 首筋に生暖かい液体が滴ってくる。

 かぎなれた鉄の臭いが鼻をくすぐる。


「カル…………? おい、カル!?」


 力の抜けたカルが肩の上から崩れ落ちる。

 地面に激突しそうになるのをかろうじて支える。

 二本の矢がカルの体に突き立っていた。


 カルが一人だったら。

 カルならば相手が十人いようが、矢を使おうが問題はなかった。

 自分がいたから……。

 だから、カルは肩車をした状態で、かばおうとして――――。


「――――クソッ!!」


 悔しがる暇もない。

 奴隷たちは次の矢を構えている。


「おやおや、誰かと思えばいつぞやの愚民か」


 そのうち一人には見覚えがあった。

 爺さんをいじめていた奴だ。

 嫌らしく笑いながら距離を詰めてくる。


 炎を人間に使うつもりはなかった。

 けれど、あいつなら火傷させてもいいと思えた。

 ジンは覚悟を決めて左手を振るう。

 青い炎が周囲の草木を焼き払う。


「うぉおぉおおぉおお……! なんだこれは!?」

「炎だ! あいつが炎を使ったんだ!」

「熱い、熱い! 助けてくれ!」


 カルを背負って、追手に背を向ける。

 どこを目指すでもなく壁沿いに走った。


「……僕は構わないで」

「置いていけるか、バカ!」


 奴隷の気配が背後に迫る。

 そのたびに炎を使って目くらましをする。

 だが、土地勘のない場所ではいつまでも逃げ続けることはできない。


 いつの間にか取り囲まれ、ジンも脇腹に矢を受ける。

 血が流れる。

 体に力が入らなくなる。


 逃げないと。

 そればかりが頭に浮かぶ。

 走って。

 逃げ。

 カルを。

 助け。


 …………やがて視界が暗くなる。

 もう何も感じられない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ