27 隠里3
翌朝。
カルが里を案内してくれた。
窪地をうろつく。
改めて見ると水車が多い。
高低差を活かすためだろう。
逆に家畜の姿はなかった。
狭いし階段が多いためだ。
窪地を抜けると隣の山へ。
里のある山よりも幾分高いその山は穢魔も上ってこない。
ほどなく大きな建物が見えてきた。
「ここは子供たちが修行する場なんだ」
里では子供を労働力として使わない。
文字の読み書き、密偵としての基礎を教えるためだ。
学び舎では数十人の子供が剣術を習っていた。
小さな子では五歳くらいか。
あんな歳から修行すれば強くもなるだろう。
挨拶をすると、全員が素振りを止めて平伏した。
「「「「王よ、おはようございます!!」」」」
突然だったので驚いた。
石像みたいになってしまう。
「ジンが何か言わないとみんな動けないよ?」
「そ、そうか」
カルに言われて、やぁ、とか、おぅ、みたいな返事をする。
動いていい、と言うと全員が訓練に戻った。
彼らが特別というわけではない。
里の人間の態度は大体、こんな感じだ。
王という呼び方も、特別扱いもやめて欲しい。
「「「「王に安寧の日々がありますように!」」」」
去り際には、また土下座をされた。
全く慣れない。
朝食を済ませると、里長に呼び出された。
大広間に向かう。
そこには年寄りが集まっていた。
里長と五人の長老、そして、三人の将だ。
この九人を零の集いと呼び、里の重大事項を決める権限を持つ。
長老は似たり寄ったりだが、三人の将は雰囲気が違った。
零は密偵、戦軍、忍びに大別される。
将はそれぞれの頂点に立つ存在だ。
密将は穏やかで話しやすそうな老人。
戦将は不敵な感じの大男。
忍将は寡黙で顔を隠した男。
方向性は違うが、三人共に圧を放っている。
「以上が里を治める者たちでございます。本日からはジン様の臣下となる者たちです。どうぞお見知りおきを」
自己紹介が終わると、里長がそうまとめた。
「臣下になる……。そんなの初めて聞いたぞ」
「この里は王族のために存在していたのです。里の者が皆、臣下となるのは当然のことでしょう」
当然なのか。
しかし、いきなりそんなことを言われても困る。
大体、臣下とは何か。
子分のかっこいい感じのものか。
それだと、面倒を見なければならない。
へりくだられたり、敬われたり。
敬語で話しかけられもする。
面倒で、窮屈だ。
第一、こいつらは大切なことを忘れている。
「俺は王をやるなんて言ってないぞ」
「「「「「え!?」」」」」
「何をおっしゃられるのですか!? 殿下は王族なのですよ!?」
「だけど、国はもうないだろうが」
「これから甦らせるのですよ! 時間はかかるでしょうが、必ず国を復興させます! それが王家に仕える我らの使命なのですから!」
「そりゃお前にとってはそうだろうけど……」
「何かご不満でも?」
「面倒くさい」
「「「「「え!?」」」」」
残念ながら、国には興味がない。
変な役目をやらされるくらいなら逃げ出したい。
「わかりました! では、こうしましょう! 我らはなんとしてでも恩返しをさせていただきたい。何かご命令をいただければ、必ずや果たしましょう。それでしたら、いかがですか?」
暑苦しいが、顔は泣きそうだった。
突き放すのもかわいそうになってくる。
「…………うーん、……恩返しだってんなら、まぁいいか」
「では、何なりとご用命を!」
「母ちゃんと妹を探すのを手伝って欲しい。それでどうだ?」
「い、妹君がいらっしゃるのですか……!?」
「あぁ、村を焼かれたときに生き別れた。今、どこにいるのかはわからない。だから、探したいんだ」
軽い気持ちで頼んだ。
しかし、九人の男たちは極めて真面目な顔で、膝をついた。
「――――御意に。我ら零、必ずや母君と妹君を探し出してみせましょう」
一糸乱れぬ動きに圧倒される。
頼んだことを少しだけ後悔した。
†
しばらく王について講釈を受け、やっと解放された。
疲れた。
難しい話がだったからではない。
気を遣わねばならない空気が苦しかった。
里長の話しぶりだと、どうも王は偉いらしい。
玉座に座って、命令をする。
夜は子供を作る。
そういうものだという。
それだけなら別になりたくない。
なる必要もない。
「面倒くさいなぁ」
ぼやくとカルが苦笑する。
「ちょっと王について勉強してみようか?」
「もう勉強はヤダ」
「里長のとは違うよ。昔の王子を見に行くんだ」
連れてこられたのは里の中央。
何の変哲もない通路に巨大な像が立っていた。
高さは大人の三倍ほどで、帯剣した男が腕を組んで仁王立ち。
不思議なのは像が薄い緑色で透明であることだった。
「なんだこれ、どうなってるんだ……?」
像に触れると、手がすり抜けた……。
よく見れば台座が光っている。
その光が像の正体なのだろうか。
「これは王子様の像だよ。零の隠里を作った人が作ったって言われている。どうやって作ったかは記録に残ってないんだけどね」
とても綺麗な像なので、残念だ。
光を空気に映すとでも言えばいいのか。
仕組みがさっぱりわからない。
「里ではこれを守り神として崇めているんだ。もう何百年も見守ってくれてる」
「神? 人間なのに?」
「この里ではね、人間だって動物だって、なんだって神様になるんだよ」
カルは人間国のことを話してくれた。
その国では神を崇めていたという。
神はすべてのものに宿るとされた。
木にも水にも果ては人間が作った物にすら。
これらの神に敬意を払う、さもなくば祟りがある、というのが人間国の考え方だ。
バランガとは根底から違う。
里には精霊という考えがないのだ。
「普通の人はマナロ戦記の影響を受けてるからね」
「精霊って、そういうことだったのか……」
ジンの村は、最初から孤立してたわけではない。
天上人から逃げた者が作った村だ。
逃げる前は天上人と接していたから、考えも影響されるのだろう。
「そゆこと。でね、この里は全く逆なんだ」
里では天上人の思想を禁止している。
マナロ戦記や精霊信仰。
話しても罪だし、信じても罪。
破ったら問答無用で打首だという。
「物騒だな……! なんでそんなことするんだよ?」
「天上人に負けないため、かな」
天上人は人間を倒して、国を奪った。
信じるものまで奪われたら、人間はおしまいだ。
だから、人間の国にあったものだけは守ろうとしたらしい。
気持ちはわかる。
けれど、カルにこう言われるのは謎だった。
「炎は里の人に見せちゃダメだよ?」
曰く、カルは炎を報告していない。
言ったら大変なことになるかららしい。
何を信じるかは人の勝手だ。
だが、あるものをないと言うのはおかしい。
炎はあるし、天上人はいる。
そして、たぶん、精霊だって実在する。
しかし、カルは言うのだ。
里の長老は、信じていない、と。
天上人など認めない。
精霊など存在しない。
マナロ戦記はすべてが嘘だ、と。
「里長が天上人のことなんて言ってたか覚えてるでしょ?」
「魔の一族だっけか?」
「そう、あれは人間を滅ぼした魔の一族。霊術は魔術。そう考えるのが里の決まりなんだ」
「名前なんか何でも同じだと思うけどなー」
「里長たちはそう思ってないんだよ。とにかく、ジンも合わせてよ」
「やだよ、面倒くさい」
カルは顔に手を当てて、大きなため息をついた。
「王にはならないって言うし、歴史は面倒くさいって言うし……。ジンはどうしたら満足なの?」
「面倒くさくないのがいい」
「だったら、ジンのなりたい王を考えなよ。王は人間で一番偉い人、その力を使えばいろんなことができるんだ。何のためになら王になっていいと思える? ジンのなりたい王はどんなのか考えようよ。……あと、なりたくないなー、ってのは思ってもね、僕の立場上ね、あんまりそういうことは言わないでもらえると助かるんだけどなー、なんて」
断ったらカルが困るらしかった。
それもそれで変な話だ。
どうなってんだ、この里は。
政治か。政治という奴か。
バランガでも父がよく、これは政治的判断なのだ、と言っていた。
あぁいう奴か……。
それはさておき。
「……俺がどうしたいかってのは、考えたことないな……」
「でしょ? 何でもいいんだよ。…………なんならさ、……僕と一緒に里で幸せに暮らしてみる……?」
カルが顔を覗き込んでくる。
はにかんだ笑顔が愛らしい。
いや、でも、それ、ダメ、絶対いけない奴だ。
どんな王だったらやってみたいか。
とにかくすごい力があったとして、何に使うか。
そういう見方は確かにしてこなかった。
少しくらいは考えてやるかと、そのときは思った。
†
その日から、ジンは部屋にこもるようになった。
王とは何か。
どんな王だったらなりたいか。
カルの言葉がずっと頭に残っていた。
何かやらなくてはいけないことがあるはず……。
そんな気がした。
柄にもなく歴史の勉強も始めた。
王が何をして、どう暮らしてきたか。
きらびやかな話が続き、豪華絢爛な王都の様子が語られる。
どうでもいいな。
すぐにそう思った。
王は偉く、力を持つ存在だ。
だが、その仕事は大半が政治だ。
驚くほど興味が湧かない。
頼まれても嫌だと思う。
ワガママを言ってもいいらしい。
願えば臣下が何でも叶えてくれる。
その方向なら何があるか?
一番最初に思いつくのは母とスグリを探しに行くことだ。
各地に散った密偵の報告によれば、すでにバランガは新しい村として再建されたという。
つまり、元々の村人は一人もいない。
逃げ延びていればどこかで生きているかもしれない。
探し出して、会いに行きたかった。
が、これも違う。
王にならずとも、自分でやればいいだけだ。
……王ってのは何をすればいいんだろうか。
考えても何も浮かばない。
だったら、やはりならなくていいのだろうか……。
十日くらい考えて答えは出なかった。
気晴らしに里を歩く。
王、やっぱり断ろうかな、と思う。
ふらふらと歩くと、老婆に出会った。
中央広場で王子の像を眺めていた。
「これはこれは。殿下におかれましてはご機嫌うるわしゅう」
「あぁ、うん」
これも王をやめたい理由だ。
いちいち、そんなふうにされると気が滅入る。
「悪いけど、俺、王は止めようと思う」
「それはまたなぜ?」
里長なら絶叫するところだが、老婆は驚かなかった。
静かに理由を問うてくる。
ジンは調べたことを老婆に話した。
王がいかにつまらない仕事かを。
「殿下は王を勘違いしておりますの」
「勘違い?」
「王のあり方を決められる者は、王しかおりませぬ」
よくわからない。
首を傾げると、老婆は昔の話をしてくれた。
それは、ジンの知る王とは違う王の話だ。
かつての人間国は大きく栄えた国だという。
何人もの王子がいて、いくつもの派閥があった。
国が一つとは言え勢力は一つではない。
当時の王は兵を率いて他の勢力と戦ったという。
「戦うだけの王もいたのか?」
「その王が、自身はこうであれ、と定めたからです」
王は自分のあり方を自分で決める。
臣下はただ、それに従えばいい。
暴君と呼ばれる王がいた。
戦いに明け暮れ、何人もの臣下を殺した。
それでも、多くの者が王を崇拝し、国を巨大にしていった。
要は何でもいいのだ。
王は望みを口にする。
共感する者は臣下となり、そうでない者は離れていく。
「いろいろあるんだな」
「そうなのですよ。王とは、突き詰めれば、畑の水やり当番と一緒です」
老婆はすごいことを言い出した。
けれど、今まで散々説明を聞いてわからなかったものが、わかった気がする。
水やり当番。
役割を持った人間。
それが一番しっくりきた。
「どうですかな? 王になる気が湧きましたかな?」
「……いや、そんなには」
「なんと! では、どうしたら王がやりたいと思うのです?」
結局、行き着くのはその質問だ。
どうしたら王がやりたいか。
わかっていたら苦労はしない。
「老い先短い婆としては、殿下には是非とも王になってもらいたいのです」
「うーん、そう言われてもな……」
「いえ、むしろなってもらえないのであれば、悲しさのあまり死んでしまうかもしれませぬ……」
そう言って、老婆は突然泣き始めた。
「泣くなよ……」
「王族の血を継ぐ者が王を継がぬと言っているのですぞ? これが泣かずにいられますか……」
「わかった、わかった。王、やればいいんだろ? やるよ」
泣かれたら仕方がない。
面倒くさいけど、水やり当番みたいなものだし、何をするか自分で決められるなら、まぁいいか、とジンは思った。
何も考えてなかったと言ってもいい。
「おや、やっていただけますか?」
老婆は泣き止んで、笑った。
「欲を言うなら、立派で豊かな国を作って欲しいですね。人間が楽しく暮らせるような」
「……おい、さっきまで泣いてたのはどうした?」
「何かあったかのう? 歳を取ると、忘れっぽくていかんのう」
今度は物忘れのフリだ。
なんて婆だ。
とは言え、約束させられてしまった。
王になって何をするか。
ますます考えないといけなくなった。