26 隠里2
寝室には布団が敷いてあった。
家族全員が入れそうな大きさだった。
部屋の四隅では蝋燭が燃えている。
植物油を使っているのか臭いが少ない。
そこは里長の家の離れだ。
来るべき時のために手入れされてきた王の寝室だという。
ジンは畳の上に横になる。
布団などもう何年も使っていなかった。
畳の方がずっと落ち着く。
里長の話を振り返る。
王族とか、国とかそんな話だ。
王とは何か。
何をするのか。
国を再興すると里長は言っていた。
今までバサ皇国が~、と言う話は何度もしたが、実際のところジンは国が何かを知らない。
でかい村みたいなものだとは思う。
明日からどうするんだろうか。
わからない。
まぁいい。
面倒なことは明日考えよう。
そう思い目をつぶる。
襖が開いたのはそのときだった。
「…………起きてますか?」
カルの声だ。
「起きてるぞ」
起き上がるのも面倒なので横になったまま答える。
香り風呂に入ったのか、よい香りが鼻をくすぐる。
「布団で寝ないんですか……?」
「そっちこそ、急に変な言葉を使ってどうしたんだよ」
起き上がる。
…………しばし、無言になった。
カルは女物の着物を着ていた。
「……お前、何してんだ?」
「こ、これはその……、里長が…………」
「里長が?」
「その、……夜伽をしろって…………」
「夜伽ってなんだ?」
「え、え、え、えっと、それは、つまり、寝所で女が男の相手をすることで……」
「はぁ?」
意味がわからない。
「第一、カルは男だろ」
見た目は女みたいでかわいいが、男は男だ。
はっ……。かわいければ男でもいいのか……?
里長、お前……。
「…………え? 男ってどういうこと? ジン、この間、言ってたよね?」
「言ってた……? 俺が?」
「僕の正体を知っているって……」
「あぁ。カルは忍びだろ。体の捌き方が違うから」
「あ、うん、それはあってるんだけど……」
絶妙な間が開いた。
カルは恐る恐る探るように、言った。
「ジンはたぶん勘違いしてると思うから、ちゃんと言うね。…………僕、本当は女なんだ」
事態の収束には時間を要した。
カルが女だった。
こんなことがにあるのかと思った。
収容所では一緒に寝ていた。
冬などは引っ付いていた。
男同士ならいいよな、と考えていた。
それが女だったのだ。
女とあんなに引っ付いていたのだ。
なんかいい匂いがする奴だなくらいにしか思ってなかった。
あれは……。
あの匂いは……。
頭が混乱していた。
しばらく口もきけなかった。
「……黙ってて、ごめん」
カルは手をついて頭を下げた。
心底申し訳なさそうな顔だった。
「僕は男として育てられたんだ。外に出るには男ってことにした方が都合がよかったから」
カルの家は由緒ある忍びの一族だという。
忍びの主務は里の外での諜報活動だ。
カルの父は、これは男にしかできないと考えらしい。
なぜなら、人間社会の無秩序さは、女に厳しいからだ。
法もなければ裁きもない。
あるのは天上人の気まぐれだけ。
そんな状態だから、女子供を狙う輩はどの町にも跋扈しており、女というだけで無用な危険に身を晒すことになるのだ。
ましてカルのように見目麗しい女となれば、一層、衆目を集める。
これは忍びにとって都合が悪い。
だから、カルは男となった。
本人の意思とは関係なく。
「そんなことがあったのか……。なんで今になって女に戻ったんだ?」
「…………それは、……いろいろあって…………」
「いろいろ?」
「ほら、……夜伽には女が必要だから…………」
なんだそれは。
「僕は、ジンと一緒にいた時間も長いから、その、……見ず知らずの相手よりはいいだろうって……」
つまり、なんだ。
里長は手頃な女としてカルを寝室に送り込んだってわけか。
それまで男だったカルを。
あんなことやこんなことをしろと命令して。
「気にいらねぇな」
勝手に女をあてがわれるのも。
カルをそういうふうに使うのも。
……そして、自分がその思惑に乗るだろうと思われていることも。
「ジンは僕が男の方がいい……?」
黙っていたのを不服と勘違いしたのか、カルが上目遣いで聞いてくる。
ジンはその頭に手を置いて、
「カルはカルだ。俺はカルがどっちでもいい。カルの好きなようにすればいい」
カルは目を丸くして、ぽかんとしていた。
それから、くすぐったそうに笑った。
「……ありがと、ジンらしいや」
しばらく他愛のない話をした。
カルの家のこと。里のこと。修行のこと。
カルの強さの秘訣を知った気がする。
あとで里を案内してもらう約束もした。
「さてと、そろそろ寝るか」
夜も更けてさすがに眠くなった。
布団の上に寝転がる。
「……僕は、どうしたらいいかな? 今夜はここしか寝るところがないんだけど」
「この布団はでかいから反対側を使っていいぞ。俺がこっちの端で、カルがあっち」
「うん、そうする」
カルが離れたところで横になる。
夜伽の話はあえて口にしなかった。
シグラスの花で誓ったからだ。
ヒヌカとは、もう会えないかもしれないけれど……。
とにかく、絶対の誓いなのだ。
†カル†
零の隠里は陰の者が作った里だった。
零は忍びの一族。
王家のために汚れ仕事をこなす立ち者たちだ。
王が崩御すると、忍びの技術も一部は不要となった。
彼らは忍びの技術に手を加え、三種の型として編纂した。
一つ、密偵。
里を出て町で暮らす者たち。
町に溶け込み様々な情報を集めるのが任務だ。
二つ、戦軍。
隠里の周囲は穢魔の巣食う樹海だ。
里を守るために戦いに特化した部隊が作られた。
三つ、忍び。
零本来のあり方を色濃く受け継ぐ者たち。
天上人の屋敷に忍び込み、より深い情報を盗み出すことを任とする。
里の者は必ずどれかの型を学ぶ。
中でも忍びは高い能力を求められた。
忍びになれるのは、厳しい試験をくぐり抜けた者だけだ。
カルもその一人だ。
忍びを目指したのは両親の影響が大きい。
両親は共に名のある忍びだった。
伝説的な実績を多く持ち、他の忍びからの信頼も厚い。
父は忍びの長を務める忍将の候補とも言われていた。
しかし、子宝には恵まれず、カルを養子として育てていた。
カルは母がズイレンで拾ってきた捨て子だ。
実の子供ではなかったが、両親はカルを大切に育ててくれた。
ところが、ある日、任務中の事故で母が命を落とした。
天上人に見つかったためだった。
遺された父も両腕を失っていた。
父は狂ったように泣いた。
悲しみを乗り越えられなかったためか、父は別人のようになってしまった。
その日から、カルに厳しい鍛錬を課した。
父は己の夢をカルへ託したのだ。
男であることを強要されたのもこの頃だった。
女であることは忍びにとって瑕疵となる。
それが父の持論だ。
あるいは母の死に起因するのかもしれない。
だが、父は理由を話さなかった。
カルは父の期待に答えるべく、努力を重ねた。
男に混じって訓練をこなし、男よりも優秀な成績を収めた。
やがて逸材と呼ばれるほどになった。
人間には不可能とされていた幻の技も身につけた。
そして、十四歳で試練を通過し、忍びの地位を得た。
ここ数十年、その年齢で忍びとなったのは男を含めても、カルが初めてだった。
誇らしく思った。
父に喜んでもらえると思った。
だが、父は実績を残して初めて一人前だと言った。
カルは十五歳という若さで旅に出た。
目的は各地を巡り、王族の子孫を探すこと。
町を転々とするため、常に生活は苦しく、時として死に至ることもある。
特に天上人の住む地域は危険が伴った。
カルも一度の失敗で天上人に捕らわれた。
収容所に送られたときは、ここまでかと思ったが、そこで奇跡が起こった。
収容所に王族の子孫がやって来たのだ。
まさに運命の出会いだった。
カルはジンが死なないよう細心の注意を払った。
当然、ジンにも男として接した。
ジンにだけは女だと明かしてもよかったと思うが、なぜだか当時はしなかった。
男として生きてきたし、収容所でも男として振る舞っていた節もある。
けれど、本当の理由はあとになってわかった。
自信がなかったのだ。
エリカに出会って、自分のみすぼらしさを知った。
エリカは美しかった。
女の魅力に溢れていた。
どれもこれも自分には全く無いものだった。
……旅が終わったら女に戻ってもいい。
そんな風にも考えていたが、エリカを見たら、そうも思えなくなった。
カルは今年で十八になる。
世では女盛りの年齢で、結婚だとか何だとかをしている歳だ。
なのに、自分と来たら未だに十代の前半と間違われる。
自分は一生このままではないのか。
小さな体で終わるのではないか。
諦めの気持ちがあった。
自分はどうすべきかわからぬまま、旅は終わった。
父には報告をして、褒めの言葉をもらった。
男でいる意味もなくなった。
だが、女に戻る積極的な意義も見いだせなかった。
どちらでもない自分がいた。
…………里長にジンの子を成せと言われたのはそんなときだった。
自分を女として見ていた人がまだ存在した。
少しだけほっとした。
ただ、里長の見方はカルの考える女とは少し違う。
里長は子供を生む機能が欲しいだけだ。
極端な話、子供ができるならカルが女でなくてもよかったかもしれない。
とは言え、命令は絶対だった。
カルは女に戻った。
そして、ジンの前に姿を見せた。
…………ジンは驚いていた。
女だと思ってもみなかった、と言った。
正直、傷ついた。
そんなに気づけないものなの? と思った。
でも、相手はジンだ。
何が起こっても不思議ではない。
そう自分に言い聞かせた。
「ジンは僕が男の方がいい……?」
…………ヤケクソだったのだろう。
気づいたらそう尋ねていた。
男がいい。
ジンがそう答えたら――――。
それは最悪の世界だった。
そうなったら、自分は子供を生む機能以外何もなくなってしまう。
……でも、ジンは想像と違うことを言ってくれた。
カルはカルだ。
言葉には力があった。
男だとか女だとかで悩んでいた自分が馬鹿らしくなった。
どっちでもいいのだ。
好きなときに好きな方を選べばいいのだ。
仕事のときは男。
けれど、それ以外は女。
使い分けてもいい。
どうして今まで考えなかったのか。
自分の視野の広さが不思議だった。
目の前が明るくなった。
…………本当に、ジンにはどれだけ感謝しても仕切れない。
深夜。
ジンはぐっすりと眠っていた。
結局、夜伽は断られた。
理由は単純。
ヒヌカがいるからだ。
ジンは…………、そう、ジンは、どこまでもいい人だ。
ヒヌカさんがいるのに、奪えるはずもないよね……。
カルは布団の端っこで眠ろうとした。
できなかった。
目が冴えて、月明かりの中で起き上がる。
ごく自然にそうしようと思った。
カルは布団を降りて、畳の上でひざまずく。
「まだ、きちんとした挨拶ができてなかったよね……」
深呼吸。
心の中から浮ついた気持ちを追い出し、
「――――我らが王よ。これより、僕はあなたの矛となり、また、盾となることを誓います。この誓いはこれより永遠。永劫、破られることはありません。今ここに、僕は忠誠を誓います」
自分なりのケジメのつもりだった。
今日より自分はジンの臣下だ。
気持ちを入れ替え、誠心誠意、尽くそうと思う。
カルはしばらく頭を下げていた。
だが、ジンは目を覚ます気配もない。
気持ち良さげな寝息が聞こえる。
月のきれいな夜だった。