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25 隠里1

隠里はかくれざとと読みます。

 樹海プーノゥ。

 霊峰ラバナの麓に広がる広大な森。


 奇形の樹木ばかりが並び、見るからに禍々しい空気を持つ。

 森には洞穴が点在し、それらは穢魔の巣窟となっていた。


 危険が多く得るものはない。

 故に誰も近づかない。


 カルの故郷はそんな場所にあった。


 岩の端から見下ろせば、樹海がはるか眼下に見える。

 ある地点から地形が山がちになり、自分たちが直角に近い崖を登ってきたことがわかる。

 見たところ何の変哲もない岩場だが、岩の隙間を縫うように足場が作られていた。

 まるで天然の隠し通路だ。


「本当にこんなところにあるのか……?」

「もちろん、里はこの先だよ」

「そこで何をしてるんだ?」

「それを話すのは、到着してからかな」

「…………そういう話だったな」


 ジンは首飾りを握りしめる。

 母はなぜこれを自分に託したのか。

 血を残せと言ったのか。


 同じ首飾りを持ったカルが現れなければ、永遠に謎のままだっただろう。

 バランガが滅んで、もう三年になる。

 ようやく答えにたどり着いたのだ……。


「さぁ、ついたよ」


 通路の奥でカルが立ち止まる。

 岩で隠された場所に木戸が取り付けられていた。

 押し開けると、西日が差し込んでくる。

 ずっと暗がりを歩いていたせいで目がなれない。

 眩しさをこらえながら、進む。

 唐突に視界がひらけた。


「これは……」


 崖に囲まれた窪地だった。

 山をくり抜いたかのように山頂が綺麗にえぐれていた。

 その底にわらぶき屋根が並んでいる。

 下から見上げただけでは絶対にわからなかった。

 山頂に穴が空いているなど、誰が想像するものか。


「驚いた? ここが僕の生まれた里、零の隠里(ぜろのかくれざと)だよ」

「……あぁ。こんな場所に村があるなんて思わなかった」


 崖を削って棚状に作った水田、流れ落ちる滝、里中に張り巡らされた水路。

 田畑の作りはバランガよりしっかりしていた。


 山頂なのに水に困らないのは大きい。

 水源を目で追うと隣にある二回り高い山から湧き出しているようだった。

 治水がしっかりしていて、水車や風車もある。


 そんな風に景色に見とれていると、不意に人影が落ちてきた。


「到着したか」


 その人物はいきなりジンの隣に現れた。

 全く気配を感じなかった。

 気づいたら隣にいた。


「うわぁぁ!? 何だお前は!?」

「これは失礼。接近の知らせを受けていたので出迎えに」

「で、出迎え……?」


 男は黒い服に身を包んでいた。

 顔まで布で多い、肌色の部分は目の周りしかない。

 その姿は物語で読んだことがある。

 こいつは――――。


「に、忍者……、ほ、本物だ…………!!」

「いかにも。だが、零では“忍び”と呼ぶ。お間違えなきよう」

「…………し、忍び! か、カッコいい……!!」

「それで、里長はなんと?」


 カルが低い声を出す。

 振り返ると、地面に膝をついていた……。


「大事なければ、すぐに連れてくるようにとのこと」

「御意に」


 ふっ。

 現れたのと同じくらい唐突に忍びは消えた。

 ジンは慌てて前後左右を見渡す。

 しかし、忍びの姿はどこにもなかった。


 ……す、すげぇ。

 これが忍びか……。


「言い忘れてごめんね……。この里は元々、忍びが作った里なんだ」


 隠し通路然り、窪地に作られた里然り。

 この里は最初から隠れることを前提としている。


「…………それで、こんな場所にあるのか」

「行こうか。里長が呼んでるんだって」

「あ、あぁ……」


 カルが先導して、階段を降りていく。


 里は凹凸の多い土地だった。

 至るところに棚田と階段がある。

 地形に合わせ、立体的に建てられた家も多い。


 山頂にもかかわらず、建材は木。

 少し歩けば森があるためだろう。


 里長は一際大きく立派な屋敷にいた。

 崖に張り付くように建てられた屋敷だ。


 中の構造は複雑で、階段と渡り廊下がやたらとある。

 やがて大広間に通された。

 数十畳の広さがあり、入り口は襖、窓には障子が嵌められていた。

 壁には隅で描かれた文字やら絵が飾られ、壺だの刀だのも仰々しく鎮座している。


 高そうな家だな、とジンは思った。

 バランガでは村長の役宅ですら、ささくれだった板の間が普通だった。

 忍びは裕福なのかもしれない。


「長老たちが参られました」


 襖が開いて年配の男たちが入室する。

 先頭を歩くのは、髪の短い初老の男だ。

 ごま塩のような白髪頭で眉が太い。

 奥の一段高くなっている場所に腰を下ろしたので、おそらく里長だろう。


 里長の前には六人の老人とむくつけき男が二人座った。

 八人ともただならぬ気を放っている。

 正面に座るだけで圧を感じた。


 カルは正座で頭を下げていた。

 うつむいたまま報告をする。


「こちらがお連れしたジンという方にございます。遠方の地の収容所にて発見いたしました」

「カル、此度は長旅ご苦労であった。そして、ジン殿。小生は里長を務めますコアンという者。まずは遠いところを来てくださったこと、里を代表してお礼申し上げる」


 里長が軽く頭を下げる、


「いえいえ、こちらこそお招きいただきどうも」


 ジンも何となく頭を下げる。

 挨拶が済んだところで本題に入る。


「で、ここは一体何なんだ? 忍びの里がなんで俺を呼んだんだ?」

「それを語るには、あなたの出自を確認せねばなりませぬ。首飾りをお持ちですね?」

「あぁ」


 首飾りを外し、掲げてみせる。

 おぉ、という声が漏れる。

 老人の中には前のめりになる者もいた。


「…………ふむ、それはまさしく。……手にとってもよろしいですかな?」

「見るだけならな」


 首飾りを里長に渡す。

 里長は懐から取り出した別の首飾りと見比べた。

 両者は全く同じ色と形に見えた。


「何で同じのがもう一つあるんだ!?」

「わけをお話しましょう」


 里長は首飾りに秘められた物語を話してくれた。

 何でも、首飾りは彼らの先祖が持っていたものだという。

 一人前になった証として授けられるもので、陰証と呼ばれる。

 見ての通り当時は翡翠を使っていた。

 しかし、ある理由から翡翠をやめ、柘榴石で作るようになった。


「その話は聞いたぞ。翡翠の首飾りを持っている奴を探すためだって……」

「おっしゃる通り。翡翠を使った陰証(いんしょう)は、この里を作った初代の者しか持っておりません。現存するのは小生が管理する二十一個の首飾りだけです」


 里長は懐から別の首飾りを取り出した。

 じゃらじゃらと出てくる。

 そんなに持ってたのか、というくらいだ。


 並べられた陰証はどれも同じ形。

 見ただけでは区別もつかない。


「俺の母ちゃんはこの里の生まれだったのか?」

「違います。里を開いた陰の者は二十一人だったと記録に残っています。二十二人目は存在していません」


 だが、里長が並べた陰証は二十一個あった。

 ジンのを入れると二十二個だ。


「数が合わないだろ。俺の首飾りはなんなんだ?」

「二十二個目の陰証には逸話があります。はるか昔、人間国が滅ぼされた際、陰の者が王族にお渡ししたと伝えられています」

「人間の国? 王族?」


 いきなり何を言い出すのか。

 そんなの聞いたこともない。


「この大地にはかつて人間の国が存在していました」


 里長は語る。

 曰く、人間国は山中に作られた国だったという。

 奥深い山々に囲まれ、人間は木々と共に暮らしていた。

 小規模ながらも城を構え、市場を作り、活気ある国だった。

 その玉座にましますのが人間王。

 すべての人間の頂点に立つ者だった。


 人間国の起源は太古の時代にまで遡る。

 あまねく大地には人間が暮らし、国をなしていたという。

 書物が量産されるようになると、有様を歴史書に記し始めた。

 今となっては、そのほとんどが失われたが、一部は当時の暮らしぶりを示す資料として残っている。


 そんな国だったが、およそ五百年前に歴史に幕を下ろした。

 魔の一族による侵攻があったためだ。


「かの者たちは数日のうちに国の領地を焼き尽くし、王城を落としました。彼らは動物の力と人間の知能を併せ持ち、魔を操る能力すら手にしていました。人間では太刀打ちできなかったのです」


 語るのも馬鹿らしい戦力差だったという。

 民も土地も瞬く間に蹂躙され、ついに魔の手は王都にも伸びた。

 臣下は王に脱出を勧めたが、王は籠城抗戦の道を選んだ。


 勝つために戦ったのではなかった。

 落城までの時間を稼ぎ、民を逃がすために戦ったのだ。

 それが王の最後の誇りだ。


 故に王は言った。


 たとえ肉体が滅びても魂は不滅。

 最後まで勇敢に戦ったという事実が未来を作るのだ。

 次代の人間に必要なのは指導者ではない。

 いかなる時でも人間であることを忘れない誇りこそが重要なのだ、と。


「王は国と命運を共にするおつもりだったのです。しかし、我らの先祖は王家の血を途絶えさせてはならないと考えました」


 王家の血こそが国の礎。

 王族なくして国の再建はあり得ない。

 陰の者たちはそう考えた。

 しかし、王は最後まで影武者を拒み、自ら指揮を執ることにこだわった。


 そこで焦点が当たったのが王子だ。

 王と女王は城に残らねばならない。

 だが、まだ幼い王子であれば……。


 説得の末に王も王子の脱出を許した。

 陰の者は燃え盛る城から命を賭して王子を逃した。

 そして、無事に山の離宮までたどり着き、…………そこで歴史を変える契が交わされたのだ。


「王子は我ら陰の者に、お褒めの言葉を賜ったのです……。陰の者は決して日の当たらぬ場所で動くもの。成果は出せども、称賛はされぬもの。国のためにと思う気持ちが支えだったのです。そんな我らにも王子は優しく接してくださった……。それこそが、零の隠里が生まれる唯一にして無二の理由であり、我らが生きる意味なのです」


 陰の者は自らの陰証を王子に託した。

 そして、仲間を集め、里を作った。

 いつか王家が復興する際に備えるために……。

 この里は王家の子孫を探し出し、守るために存在する。


 だが、そのためには時間が経っても王家の血脈を判別する方法が必要だ。


 陰の者は知恵を絞り、王子に託された陰証を目印とすることに決めた。

 以来、陰証に翡翠を使うことをやめ柘榴石で代用するようになった。

 時を経ても、色でわかるよう工夫を凝らしたのだ。


「おい、てことは、なんだ。その首飾りは……」

「えぇ、二十二番目の翡翠の陰証は、王族の証でもあるのです」


 そんな馬鹿な。

 ……母が王族の子孫?

 ということは、母の子供である自分も……?


「信じられぬ気持ちはわかります。しかし、陰証を見れば、真実は明らかとなります。陰証には番号が振られているのです。元々は自身が歴史上、何番目の影の者かわかるようにするためでした。記録によれば、王子殿下を救った者の数字は二百五十一。…………そして、あなたが受け継いできたというこの陰証に刻まれた番号は――――」


 里長はジンの首飾りを明かりに掲げた。

 …………息が詰まるような重い空気が訪れる。

 誰もが里長の言葉を待っていた。


 長い長い沈黙のあと、里長は数字を告げた…………。


「ここに刻まれた数字は――――、二百五十一」


 里長は首飾りを畳に戻し、……深々と頭を下げた…………。

 ……周りの人間が次々と続く。

 誰もが額を畳にこすりつけ、ジンに畏敬の念を示していた……。


「…………やっと、……やっと、お会いすることが叶いました…………。人間の王よ……」


 時間が止まった。

 冗談ではなくそう思った。

 ……頭がまるで働かない。

 目の前の光景が信じられない。


 カルですら頭を下げていた。

 陽気で、いつも笑顔で、可愛らしい奴だった。

 相棒のように思っていた。

 が、今はつむじしか見ることができない。


 やっとのことで言う。


「……俺には何の話か、全然わからねぇぞ」

「無理もありますまい。あなた様は母君から何も受け継がれていないと、カルより報告を受けております」

「……なんでそれを?」

「あなた様が領都ガレンに到着した頃より、カルと密偵が何度かやり取りをしておりました。正確な情報が早く必要だったのです。何卒、ご容赦を」


 いつの間に……。

 ……だが、心当たりはある。

 カルが時折、いなくなったり、見知らぬ人と話していたり。

 そんな場面を幾度か見たことがあった。


「母君は何もおっしゃっていませんでしたか? 首飾りを託す際に簡単にでも、お話はされていないと?」

「……いや、話はした」


 あのとき、母は言った。


『……ヒヌカを連れて逃げなさい。そして、子をなし次代へ血をつなげることだけを考えなさい。あなたたちの血は希望の光。決して絶やしてはなりません』


 思い出した……。

 そして、やっとわかった。

 謎めいた言葉だったが、今なら理解できる。


 王。王族。人間の国。

 馴染みのない言葉が脳裏で踊る。

 母は王家の子孫だった……。

 言葉にすればそれだけのことなのに、感覚が追いつかない。


「…………混乱されるのは無理もないでしょう。今日のところはお休みくだされ。このようにみすぼらしい里ではございます故、大したもてなしもできませんが、誠心誠意、尽くすよう、」

「待ってくれ」


 里長の言葉を遮る。

 ……じっくり考え、ジンは言葉を紡いだ。


「お前たちの話はわかった…………。確かにいきなりで驚いている。けど、俺が一番驚いているのは、……俺が王族だったってところじゃねぇ。……お前の話、全部が変だ」

「…………変、と申しますと?」

「お前たちの言っている魔の一族ってのは、天上人のことじゃないのか?」


 動物の力と人間の知能を併せ持ち、魔を行使する存在。

 そんなものは天上人以外にあり得ない。


「……えぇ、嘆かわしいことに外の人間はアレをそのように呼んでいるようです」

「だったら、やっぱりおかしいだろうが」


 天上人が人間の国を滅ぼした。

 つまり、人間の国が存在していたことになる。


 だが、天上人の歴史に人間の国は登場しない。

 マナロ戦記において、人間の記述は一箇所のみ。

 神々はよく働く奴隷を与えた、という部分だけだ。


 人間は悪しき精霊(サイタン・マサマ)を追い払ったマナロへ与えられた褒美。

 奴隷として生み出された生命のはずだ……。


 マナロ戦記は同時にバサ皇国の建国史でもある。

 つまり、天上人の国がどのように生まれたかを綴った書物なのだ。


 今までの話は、人間のあり方からして矛盾している。


「どっちが正しいんだ? お前たちは人間の国が本当にあったと思ってるのか?」

「どちらが虚偽かと申せば、当然、魔の一族の記述です。…………歴史というものは、強者によっていくらでも書き換えられてしまうのですから……」

「……天上人が嘘をついてるってのか?」

「無論です。元よりこの大地はすべてが人間の国だったとすら言われています。魔の一族がやってきて、人間から土地を奪っていったのです。もし目に見える証拠が欲しいと言うのなら、いくらでもお見せしましょう。我ら陰の者は、都を離れる前に王室が所有していた歴史書を持ち出していたのです」


 里長が目で合図をする。

 末席に座っていた者が中座し、古びた紙束を持ってきた。


「…………これは、」

「おそらく読むことはかなわないでしょう。それらは人間国に存在していた文字で記された書物です。この文字を読み解けるものは里にも存在しておりません」


 書物は墨で書かれていた。

 見たこともない文字だ。

 バランガで使われていた文字とも違う。


 書物を眺める。

 文字以外にも人々の様子を描いた絵が混じっていた。


 座敷を描いた絵だった。

 誰もが色鮮やかな着物を着ており、建物の様相も違っていた。

 奥には高床に寝転がる娘も描かれている。


 人間がこんな贅沢な屋敷に住まうなんて……。

 ……絵の中の人間の着物は天上人の着物ともまた違っていた。

 なんというか文化が違う。

 こんなものを想像で描くなど、到底無理だ。

 それは、確かに人間だけの国があった証と言えた……。


 人間の国はあったのだ。

 この大地に、この世界に。

 だが、それは天上人の手によって滅ぼされた。

 あまつさえ歴史さえ捻じ曲げられたのだ……。


 …………だが、青い炎は?

 マナロ戦記が完全に嘘だったなら、青い炎はなんだったんだ?

 左手には紋章が、炎がある。

 マナロの炎とは別のものなのか……?


「…………お前たちは俺を探してどうするつもりだ? 探して何をしたい?」

「当然、国の再興です。その時が来るまで、王家の血が続くよう、お守りすることが陰の者の役割にございます。……どうぞ我らの悲願をご理解ください」


 里長は再度、頭を下げる。

 ジンが黙っていると、里長は顔を上げ、


「しかし、今はお疲れのご様子。……とにかく、休みなされ。お気持ちの整理は明日からでも遅くはありませぬ。ささ、この場はお開きといたしましょう」


 里長が集まった面々を追い散らす。

 聞きたいことは山ほどあった。

 だが、ありがたい申し出でもあった。

 王族の末裔だとか血脈だとか陰の者だとか。

 難しい話が多すぎて頭が痛い。


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