23 旅路1
翌朝は朝食を食べてすぐに出発した。
馬車は商隊を組んで移動する。
エリカの乗る馬車は五台からなる商隊の一部だ。
他の四台にも護衛と世話役がつく。
商隊の目的はガレンからズイレンに織物を運ぶこと。
五台のうち四台には織物が積まれていて、残り一台は織物商人が乗る。
商人は当然、天上人だ。
荷台には織物以外に食糧や香辛料も積んでいる。
天上人は目的が達成されれば文句は言わないので、奴隷たちは余った空間で人や物を運び、稼ぎを増やすそうだ。
もちろん、需要があれば人も運ぶ。
今回、エリカを運ぶのもそう言った事情らしかった。
「……けど、あのお嬢さんみたいな人は初めてだな」
馬の世話をする男が言った。
護衛は敵が現れるまでは基本的に暇だ。
ジンは馬の世話役と一緒に歩いて、世間話をしていた。
「やっぱり、あぁいうのは珍しいのか」
「そりゃ、あの年齢で一人旅ってのもそうだし、金払いも桁違いだ。かわいい子だけど、……かわいすぎる。普段ならあんまり関わりたくない相手だな」
「そんなもんか」
ジンは改めてエリカとカルの会話に耳を澄ませる。
「も、もうやめてよぉ……! そんな服、着たくないよぉ!」
「いいじゃない! 絶対似合うわよ! あたしは胸がキツくて着れないけどカルならぴったりだわ!」
「いや―――――!」
天幕の張られた荷台ではカルがエリカのおもちゃになっていた。
どうもエリカは大量の服を所有しているらしく、それをカルに着せて遊んでいるようだった。
「そういや、お前はガレンに来る前は何してたんだ?」
「収容所にいた。脱走してきたんだ」
言うと、世話役は口笛を吹いた。
「やるもんだなぁ、抜け出すなんて話聞いたことねぇよ。三年ぶりだと外も変わったろ?」
「その話、みんなしてるな。何かあったのか?」
「ここんとこおかしなことばっかなんだよ。イナゴが出たり、雨が降らなかったり……。ここの街道だって、昔は穢魔なんて出なかったんだ。最近だぜ、馬車が襲われるようになったのは。とにかく、変なんだよ」
何がとは言わず全体的にいろいろ変わった。
変わった結果、人間にとっても天上人にとっても、この土地は住みづらい場所になった。
そういうことらしい。
ガレンを出れば左右には田畑が広がる。
作付けがされていないのか、夏なのに稲穂が揺れていない。
道端には行き倒れた人間もちらほらいた。
「出稼ぎに出ようとして倒れたんだ。とんでもねぇ時代だよ。明日は我が身だ」
世話役は死体を片手で拝んだ。
ジンもそれにならって、祈りを捧げる。
†
夕方。
馬車は山道へと入った。
見通しが悪く、空気の淀んだ森が広がっていた。
注意しながら進むと、開けた場所に町があった。
「いつもここで一晩泊まるんだが、……ひでぇな」
世話役が顔をしかめる。
町には人の気配がなかった。
畑が掘り返されたり、雑草が放置されたり、荒れ放題だった。
宿場町らしいが、開いている宿は一つもない。
「宿も食事もない!? そんなことは聞いていないぞ!」
商人が怒鳴っていた。
天上人向けの食事がないなら、人間に提供されるはずもない。
この町には本当に何もないのだ。
「……どういうこと? 何があったの?」
エリカが顔を出す。
「宿が一つも空いてないんでさぁ。前の奴らが様子を見に行ってるんで、報告があったらお伝えしますよ」
「それじゃ遅いわ。自分で見に行く」
エリカが荷台から身を乗り出す。
「護衛」
「わかった。ついていけばいいんだろ」
「違うわ。そこにかがみなさい」
「かがむ? こうか?」
とりあえず、言われた通りにする。
「よいしょっと」
すると、エリカはジンの背中を踏み台にして、地面に降りた。
「何しやがる!?」
「台がないと降りられないんだから仕方ないじゃない」
「だからって人の背中を……!」
「何? 文句があるわけ? だったら首にするわよ?」
横暴だった。
だが、ぐっと我慢だ。
首になったら飯のない町で置き去りにされる。
「カルも一緒に行くわよ! 馴染みの宿を見てくるの!」
「……はい」
疲れた顔のカルが出てくる。
本当に荷台で何をしていたのか。
宿場町クグレンは、家屋が五十もない小さな町だった。
山間の狭い平地に密集して宿が並ぶ。
かつては栄えたのか石の像などもあった。
が、今は気味の悪い町でしかない。
腐った臭いが立ち込め、蝿がそこらじゅうを飛んでいる。
何かと思えば道端に遺体が何体も転がっていた……。
「……どうなってるのよ、ここは」
「何かに襲われたのかもしれねぇな……」
「それはないわ。襲われたのなら建物も壊れるはずよ。そんな様子はどこにもない」
確かに建物自体はどれもこれもしっかりしている。
汚れているものも多いが、営業できないほどではない。
慎重を期して歩を進める。
やがてエリカはとある宿の前で足を止めた。
「ここよ」
木造の小さな二階建てで、これと言った特徴はない。
暖簾は出ておらず、中を覗いても灯りがなかった。
「誰かいるの!?」
入り口から声をかける。
すると、中から騒々しい音が聞こえた。
何かがいる……。
にもかかわらず、エリカは躊躇なく奥へ進んだ。
追いかけると、エリカは厨房にいた。
足元には痩せこけた男が。
「こいつが泥棒よ。弱らせておいたから捕まえなさい」
見ると、男の顔には殴られた痕があった。
偉い奴のくせに手が早い。
よく見ると厨房が散らかっていた。
泥棒がいたのは間違いなさそうだった。
「お前が泥棒なのか?」
「…………ふん、だったらなんだってんだよ。この町に泥棒以外はいねぇよ」
男は吐き捨てるように言った。
泥棒だけの町。
それでものがぐるぐる回るのか。
食べたらなくなるものはどこから湧いてくるのか。
聞くと、男はぽつぽつと話した。
数年前から食料が値上がりしたこと。
飢える者が出てきたこと。
……そして、致命傷となったのが夏祭りだったこと。
「芋投げ祭だ。あれで俺たちの食い物が全部天上人に奪われた。芋が最後の望みだったんだ……! けど、奴らはそれを投げて遊んで……、俺たちは地面に落ちた芋を拾って食べて……! …………体力のない奴から死んでいった。獣も駆りつくし、何もなくなった……。そうしたら、天上人だけさっさと逃げちまいやがった! 残った俺たちはどう生きればいい? 奪われる側はいつまで経っても奪われるだけだ! だったら、こっちだって騙すなりなんなりで生き延びるしかねぇだろ!? 違うのかよ!?」
男の叫びは町の総意に違いなかった。
ガレンは豊かな町だった。
人間たちにも活気があった。
だが、少し離れた田舎は違う。
滅ぶほどに食べ物がない。
「…………俺にだって養わないといけない家族がいる。もう何日も食べてないんだ。何か、……何でもいいから食わせねぇと…………。この宿の女将とだって、知り合いなんだ……。いい人だったんだ……、だけど、だけどよ……」
「お前が正しい」
ジンは言った。
「え?」
「お前は頑張っただけだ。悪いのは奪っていった奴だ。そんなのは当たり前だ」
「うぅうう、俺だって……、わかってんだ。自分が悪人だって……。おめぇだけだよ、俺のことをそんなふうに言ってくれるのは……、うぅ……」
男は声を上げて泣いた。
助けてやれたらいい、と心から思う。
……だが、力がない。方法もない。
何をすれば男が救われるのかがわからない。
「あら、仲良くなったの? 貧乏人同士は通じ合うものがあるのね。あたしは臭くてダメね。不潔で不潔で」
エリカが不意に戻ってきた。
ジンに場を任せると、姿を消していたのだ。
なぜか両手を背中に隠している。
「……お前、何か持ってるのか?」
「た、たいしたものじゃないわよ。さっさとその男をここから出しなさい。世話になった宿だもの。たとえ、誰もいなくたって泥棒は中においておきたくないの」
「…………」
何を持っているのか聞きたい。
が。
「早くしなさい。命令よ」
「…………わかった」
ジンは男の手を取り、宿の外へ連れて行った。
男自身も長らく食べていないのか、足取りがふらついていた。
「お前、家はどこだ? そこまで送ってくぞ」
「ちょっと、雇い主に断りもないわけ?」
「人を助けんのに一々断りがいるのかよ。お前、小さいぞ」
「なっ……、なによそれ、ムカつく!!」
エリカは道端の石を蹴飛ばす。
壁を蹴ったり、悪態をついたり。
それでも、ジンのあとををついてくる。
カルが必死になだめている。
「ここだ」
男の家は存外に近かった。
宿から見えるくらいの距離にある。
軒先の様子から見るに食べ物を売る見せだったのだろう。
暖簾も片付けられ、今となっては何の店かもわからない。
「お父さん、ご飯は……」
奥から子供が出てくる。
随分と痩せていた。
「ごめんな、何もないんだ」
男が言うと、子供は声を上げて泣いた。
後味が悪いも、できることはない。
別れを告げて、その場を去る。
かなりの距離が離れた頃、最後に一度だけ振り返った。
「……?」
男と息子が手を振っていた。
両手に野菜だの干し肉を抱えていた。
食糧があるなら、泥棒するはずがない。
今さっきまでは、絶対になかった。
もう一度、前を見る。
いつの間にかエリカが手ぶらだった。
「……お前、なんか持ってたのはどこやった?」
「護衛にいちいち教える道理はないわ」
エリカは早口にそう言った。
あたりが暗くて、顔色までは見えない。
ジンもそれ以上は聞かなかった。