22 城下町2
女の子はエリカと名乗った。
位の高い天上人の奴隷らしい。
ガレンには天上人の付き添いで来たそうだが、帰りは別々になったとのこと。
年齢は見た目通りの十五歳。
エリカは案の定、カルの年齢を間違えたが、カルの方が三つ上だ。
「エリカは十五歳なんだ……。それで、その大きさなんだ……」
カルはエリカの谷間を凝視する。
見過ぎだ。
服装が示す通りエリカは金持ちだ。
用途ごとの服を何着も持ち、私物も抱えきれないほどあるようだ。
奴隷とは思えない羽振りのよさに、こんな人間がいたのかと、ジンは感心する。
「だからね、あたしはあんたたちと身分が違うの。ちゃんとその辺りを理解して仕事をしてもらえるかしら」
「はぁ」
「あたしは特別な天上人に仕えた特別な奴隷。だから、こんなに美しいし、きれいな着物を着て、贅沢ができるのよ」
「ふぅん」
「あんた、もっと羨ましそうな顔をしなさいよ!」
「いでぇ!」
いきなり頭を叩かれた。
「お前が何を着て、何を食おうが俺には関係ないだろ!」
「へー、そういうこと言うわけ? 別にいいのよ、今からカルを臭い男たちの慰みものにしてあげてもいいんだから? あたしには、それができる。男が十人がかりで、カルは陵辱されるの! あんたは泣きながらそれを眺めるだけ! どう? そうなりたくないでしょ?」
今度はすごいことを言い始めた。
「お前、趣味悪いな?」
「ちょっと! 今のは不安そうな顔で謝るところでしょ!! そしたら、あたしが寛大な心で許すのに! 空気読みなさいよ!」
「お前、頭は大丈夫か?」
エリカは不思議な奴だった。
金持ちだからだろうか。
言動が不審だ。
人間は金を持つとこうなってしまうのか。
「僕のことで争うのはやめてよ! あと、エリカ、笑顔で怖いこと言うのはやめてね……?」
「やだ、カルったら本気にしてたの? カルを怖い目にあわせるわけないじゃない。カルはあたしのものなんだから、大事にするわよ」
「あれー、僕っていつの間に所有物になったんだろー」
エリカがカルを抱きしめる。
相当、気に入られたようだ。
そんなわけでエリカの馬車で厄介になることになった。
出発まで時間があるので、エリカと一緒に付近を歩いた。
三人は大門をくぐって町の外へ。
近くには大きな川があり、それに沿って南へ進む。
急峻な丘を登る。
登り切ると、そこは開けた場所になっていて、不思議な匂いの風が吹いていた。
眼前に先の見えない青が広がっていた。
「うわー! なにこれ、すごーい!」
「綺麗でしょ? これが海よ? 反対側が見えないくらい水があるんだから」
「水……、これ全部水なんだ……!」
ジンも言われて気づいた。
砂に打ち付けている様子を見ると、確かに水だ。
さきほどの大河も海へと流れ込んでいる。
川の水を全部飲み込んでも、揺るぎもしないほどの水がここにはあるのだ……。
「ねぇ、ジン! すごいね!」
「あぁ、これだけ水があったら田んぼがいくつできんだろうなぁ」
「一つもできないわよ。海の水は田畑には使えないから」
「汚い水なのか?」
「なめたらわかるわ」
エリカと一緒に浜へ降りた。
白い砂が延々と広がり、踏み入れると草履越しにも熱が伝わってくる。
打ち寄せる水が岩場に溜まっていた。
手にとって飲んでみると、
「しょっぱい!」
「でしょう? 海の水は塩が混じってるのよ」
「あはは、ホントだ、しょっぱい!」
「汚いからカルは舐めちゃダメよ!」
「おい、俺に舐めさせたのはなんだったんだ!?」
「エリカ、海の先には何があるの?」
「誰も知らないわ。天上人ですらね」
曰く、バサ皇国は海に囲まれているという。
海に比べれば、バサ皇国ほんの一部なのだ。
「じゃ、狭い国なのか?」
「狭くないわ。大きな国よ」
バサ皇国は二十一の領地と十の直轄地からなる。
ジンがいるのは領地の一つベルリカ領だ。
ベルリカは四つの地方からなる。
それぞれに大都市があり、ガレンは領都と呼ばれる中心都市だ。
馬車が向かう先のズイレンは、別の地方の都市で、十日の距離がある。
十日の移動で地方を一つまたぐ規模感だ。
地方はベルリカに四つ。
同じ規模の領地が別に三十ほどある。
「想像できないけど、でかいんだな」
「そうよ。驚いたでしょう!」
エリカがふんぞり返る。
お前のじゃないだろ、とジンは思う。
それが起こったのは、そのときだった。
「おい、いきなり暗くなったぞ?」
「じ、ジン、あれ見て……、空が……!」
夜でもないの空が暗くなった。
そして、揺らめく布のような光が降りてきた。
光は空の全体を覆うほどの大きさがある……。
赤とも緑とも青ともつかぬ、不思議な輝きを放っていた……。
「どうなってんだ!? 町だといきなり夜になるのか!?」
「そんなわけないでしょ。耳を澄ませてみなさい」
言われて耳に意識を向ける。
何かが聞こえた。
何人も同時に話しているような、囁きだ。
言葉の意味はわからない。
光の強さに合わせて、声も大きくなったり小さくなったりを繰り返す。
「あんたたち、空の囁きは初めてなのね?」
「空の囁き……?」
「この現象の名前よ。誰が言い出したかはわからないけど、みんなそう呼んでる。空が囁いているみたいだからって」
「…………空が囁く。誰がやってるんだ?」
「さぁ、それは誰も知らないわ。三年ぐらい前だったかしら……、そのときに始まったのよ。急に現れて、何かを語る。精霊なのは間違いないけれど、何のためにあぁしてるかは全くの不明」
布状の光は現れたときと同じくらい唐突に消えた。
周囲の奴らを見ても、驚くのはジンとカルだけだった。
三年の間に外の世界も随分と変化したらしい……。
夜は馬車の近くで野営をした。
他の護衛や世話役も馬車のそばで焚き火をしている。
夕飯は市場で買った食材を焼いて食べる予定だ。
食材を焼くには何が必要か?
火だ。
「本当に使えない護衛ね。天上人を相手にしていたら、あんた、今頃、首が飛んでるわよ」
「うるせぇ! 頑張ってるところなんだから、待てよ! んぎぎぎぎ……」
ジンは火起こしを任せられた。
火は木の棒と板をこすりつけて起こす。
村では火打ち石が当たり前だったので、やり方がわからない。
左手の炎を……、と思うが、騒ぎになるので使えない。
「絶望的ね。やっぱり拾ってきた棒じゃ無理ね。専用のものを使わないと」
「お前、そんなのでやらせてたのか!」
棒を投げ捨てる。
エリカは無視して谷間から何かを取り出した。
カチッと小さな音がして、…………火がついた。
「え、え、え? エリカ、今何したの? すごいね、それ」
「でしょ? これは火起こし器っていうの、便利でしょ?」
「うん、すごい!」
「やだ、もうカルったらかわいいんだから! ぎゅー!」
「そんなのがあるなら最初から使えよ! 俺の努力はなんだったんだよ……!」
夕食は焼いた肉と野菜だった。
食材は全部エリカの金で調達してきた。
エリカ曰く、簡単で粗野な食事らしい。
が、ジンにとっては人生で食べたどの食事よりも豪華だった。
毎日、こんなもの食ってるのか、と思う。
服も綺麗だし、羽振りもいい。
苦労している様子がないのは、エリカのきれいな手足を見ればわかる。
こいつは一体、どこで何をしているのか。
「言ったでしょ? あたしは特別な奴隷なの」
「偉い天上人に仕えてるんだよね?」
「えぇ、その天上人は人間に特別な仕事をさせる代わりに、他のどの天上人よりも人間を厚遇するの。なぜかわかる?」
「さぁ?」
「人間を集めるためよ。たくさん集まった人間の中から、特別に優秀な者だけを選び出して奴隷にするの。うまいやり方でしょ?」
「かもしれないけど、……天上人らしくないね?」
「あんたたちが見てきた天上人なんて、下流も下流のしょうもない連中だからよ。上には上がいるわけ」
「しょ、しょうもないって……、相手は天上人だよ!? そんなこと言ったら……!」
「この場所なら平気よ。人間しかいないもの」
エリカは大胆にも天上人の悪口を言う。
聞かれたら、一発で捕まるだろう。
その危険を冒す度胸もすごいが、カルに対する執着ぶりもすごい。
エリカは食事をカルに食べさせていた。
エリカが口を開けると、カルが食べ物を入れる仕組みだ。
本当に好きなんだな、と思う。
その夜、エリカは宿へ戻り、ジンとカルは世話役と共に馬車で寝た。
屋外だったが町だけあって穢魔も獣も寄ってこなかった。
久しぶりにぐっすり眠れる夜だった。