2 始まりの村バランガ2
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ある日、家を上げての一大行事が行われた。
姉の結婚式だ。
ジンは五人家族で、姉は二つ年上だった。
外見も性格もおっとりしていて、優しい子だと村でも評判だ。
自慢の姉でもあり、悪友からはよく羨ましがられたが、この度、無事嫁入りが決まったのだ。
結婚式当日。
妹は朝から興奮していた。
「いよいよですわね! んふー!」
妹の名はスグリ。
今年で十歳になる。
黒髪のおかっぱ頭で、人形のような外見だ。
黙っていればかわいいが、口やかましい奴だった。
「お化粧をした姉さまはきっと綺麗なんですのよ! はわー!」
「……少しは落ち着けよ」
「これが落ち着けるものですか!」
社の前に両家が並んで座っていた。
親族まであわせると十数人の団体となる。
日が落ちきり、本格的な夜が降りてくる。
広場は篝火で囲まれていた。
炎を提供したのはジンで、広場を淡い青に染めていた。
「これより新郎新婦が入場いたす。両家、波紋なき水面のような心でこれを迎えられたし」
仲人を務める村長の宣言で広場に静寂が降りる。
やがて広場の外から新郎と新婦がそれぞれ、両親に連れられてやってくる。
姉は母譲りの白無垢を身に着けていた。
同時に切り株が運ばれてくる。
枯れた御神木から切り出したものだ。
バランガでは契約を交わす際に切り株を使う。
両者が自分の意志を花で示すのだ。
たとえば、結婚ならシグラスの花を使う。
シグラスを切り株に乗せれば、愛を誓ったことになる。
切り株で交わされた契約は絶対遵守。
不履行があれば、最悪、村を追放となる。
切り株の誓いと呼ばれ、それは重い意味を持つのだ。
姉が震える手で花を持ち、切り株に添える。
「――――これにて両家の結婚は成った」
村長が低い声で告げる。
式自体はこれで終わりだ。
「よーし、終わった! おーい、もう入ってきていいぞー! 酒だ、酒だー!」
どこかのおっさんが雰囲気をぶち壊す。
どやどやと村人が集まり、広場のあちこちに筵が敷かれる。
酒と食い物が運ばれてくる。
女たちはむっとするが、男どもはどいつもこいつも浪漫より酒だ。
結婚式はあっという間に宴会場となるのだった。
†
「あー、酔っ払った……。お酒を飲むとこんな風になるんだな」
「…………初めてなのにたくさん飲むからだよ」
宴は夜遅くまで続いた。
ジンは生まれて初めての酒だった。
酒は慶事でしか振る舞われない。
皆がここぞとばかりに呑みまくるので、ジンも釣られて呑んでみた。
村での酒はもっぱら米を紅麹で醸した紅酒だ。
味がどうこう以前に喉がひりひりした。
たくさん飲めば味がわかるとおっさんに言われ、次々に呑まされた。
そして、気づけば酔いつぶれていた。
広場には同じような大人が死体のように転がっている。
それにしても、さっきから頭の下が柔らかい。
心なしかいい匂いもする。
寝返りをうって頬をうずめる。
すると、後頭部を叩かれた。
「も、もぅ……、酔っ払ってるからって、変なことしたらダメだよ……」
正面にヒヌカの顔があった。
ヒヌカの顔が頭上にある。
つまり、頭の下にあるのはヒヌカの……。
「わはは、膝枕だ」
「……恥ずかしいからじっとしてて」
ヒヌカが顔を赤らめる。
すると、不思議なことにジンまで恥ずかしい気持ちになった。
「……」
「……」
しばし無言の時が流れ、雰囲気がよくなってきた頃、酒に酔ったスグリが乱入してきた。
スグリは子供のくせに瓶を抱えて飲んでいた。
とんでもない酒乱だ。
「ヒヌカさん! こんなどうしようもない兄ではございますが、嫁になってくださいまし!」
そして、スグリは土下座をした。
と思ったら、そのままの姿勢で寝始めた。
すやすやという寝息が聞こえてくる。
「なんだったんだ、こいつは……」
「……くすくす、スグリちゃんは相変わらず元気で賑やか。ジンの家は大変だね」
「じゃあ、違う家の嫁に行くのか?」
そんな言葉が自然に出た。
やはり酔っていたのだと思う。
「……ううん、行かないよ」
ヒヌカがはにかみながら答える。
そのときの顔は、たぶん、一生忘れない。
……その直後、胃袋で酒が暴れなければ最高の夜だったと思う。
† † †
ベルリカ東端イサン地方の商業都市ズイレンには、知行政の屋敷があった。
知行政とは地方を治める役職を指す。
ベルリカ領は中央の直轄地を含め四つの地方にわかれていた。
イサン地方は霊峰ラバナを擁するも、山に囲まれた貧しい土地だった。
今、知行政の屋敷には十人の手代が集まっていた。
知行政ローボー・シヌガーリンが口を開く。
「つい先日、皇帝陛下の即位式に参列してきた。まだお若いが立派な方じゃ。本来、おめでたい即位式の場ではあったが、石高についても言及があった。ここ二年ほど凶作が続いておろう。各地で蓄えが減りつつある。陛下は即位早々、ワシらに頭を下げられた。苦しいだろうが頑張って欲しいと……。お主ら、このことをどう思う?」
「陛下の温かいお心遣いに感じ入るばかりにございます!」
手代の一人が答える。
すると、次々に手代が似たような言葉を発する。
「ここまで温情をかけていただくなど恐れ多いことです!」
「お心を痛めさせてしまったことを恥じ入るばかりです!」
「まことその通り! 陛下はただワシらに米を納めよとおっしゃればよいだけのお立場! それをわざわざ頭をお下げになられたのじゃ! ワシらがすべきは何か!?」
「この厳しい時期を一丸となって乗り切ること! それのみにございます!」
「いかにも! ここでワシらが努力をすれば、ベルリカという領地の評判も上がる! さすれば陛下への心象も良くなろう! 国の長がお困りなのだ。お助けできずに何が臣下か! 皆でこの危機を乗り切ろうではないか!」
「「「おぉお!」」」
知行政の言葉に手代が応じる。
広間が熱意と使命感に満たされる。
しばらくあって、手代の一人が手を挙げた。
「…………しかし、現時点で蔵米も供出させている有様です。どこより米を捻出いたしましょうか?」
しんと場が静まった。
現実問題、もはや米を取り立てる術がないのだった。
「……苦労を強いていることはわかっているぞ。しかし、今が踏ん張りどころなのじゃ。苦しいじゃろうが、頑張って欲しい」
「そうではござりませぬ。食わせるものがないのでございます」
「なに、食べるものがない!? お主らはそこまで根を詰めているのか!?」
「いえいえ、自分たちにはござりませぬ。百姓に食料が行き渡らないのでございます」
「なんじゃ。それなら、老いた者を減らし、新たに生まれる子も間引けばよいじゃろう」
「…………ところが、そうもいかず。これ以上、減らせばそもそも米を作る人間がいなくなりまする。奴らもまた芋なり葉なりを与えねば死にますのでな」
「うーむ……」
知行政はあごひげを撫でながら思案にふける。
何も思いつかなかったのか、
「何かよい考えがある者はないか」
大雑把な問いを投げる。
すると、別の手代が手を挙げ、
「既存の村から絞れない以上、新たな村を開拓するしかないかと……。奥深き山が連なる場所にございます。手付かずの村、あるいは忘れられた村があるやもしれませぬ」
「そうじゃな。それを探すのが先決じゃの。よし、手分けして村を探すのじゃ」
「それには過去の地図などを参照するのはいかがでしょう? 古い文献を漁れば、あるいは何か手がかりがあるかと」
「方法は任せる。お主らの手腕に期待しておるぞ」
「「「ははっ」」」
手代たちは頭を下げて広間を後にする。
知行政は仕事をした気分になって、満足げに肯くのだった。