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決戦10


    †ネリエ†


「うあぁああぁああ! 行くぞぉおお!」


 絶望が満ちていた。

 誰も動かなかった。


 ジンだけが前を向いていた。

 雄叫びを上げ、前を目指そうとしていた。


 ボロ布のような容貌だった。

 真っ直ぐ歩けてもいなかった。

 それでも、足は止めなかった。


「総大将が出るぞぉおぉお!」「ついに本番だぁ!」「ちくしょう、行くところまで行くぞ!」


 他の兵も引きずられるように立ち上がる。

 軍は消えた。

 しかし、意志は残っていた。

 最後の一人になっても諦めぬという意志が。


「エリカ、あいつの力はなんだ? どう倒す?」


 いつの間にかジンが隣にいた。

 ネリエはその体に肩を貸し、マナロの記した内容をそらんじた。


「世界に嘆きを与えること。それが嘆きの精霊(ル・メント)の力よ」


 地上界では生物非生物を問わず、どのようなものにも感情という要素がある。

 それを嘆きに固定することが、あの精霊の本質だ。

 世界は永劫終わらぬ悲しみに覆われる。


「俺はどうすればいい?」

「……あんたは休めばいいわ」


 ネリエはジンの背中に手を回した。


「冗談言うな……! 休んでたら……、負けるだろうが……!!」

「でもね、相手は精霊なの。倒す方法はないわ」


 回避するしかないと日誌にも書かれていた。

 陽動部隊が嘆きの精霊(ル・メント)を誘い出し、その隙に別部隊がラバナ山を目指す。

 それが最善の策だ。

 問題は、……できるかどうかだ。


 総大将は歩くのもやっとなくらいに疲弊し、主力級は大なり小なり負傷している。

 無事な者など一人としていないのだ。

 できるならジンの思いに応えたい。

 でも、実行可能な作戦など一つとしてない。


「奇跡が起きない限り、勝ち目はないわ」


 それがネリエの導いた結論だ。

 だから、ジンはこう言った。


「しゃあねぇなぁ、俺が見せてやるよ」


 ジンはネリエに預けていた体重を回収する。

 ふらつきながらも嘆きの精霊(ル・メント)を睨む。

 そして、左手に炎を生み出そうとする。


 そうだ。

 抗する手段は一つ。

 青い炎で貫くことだ。

 炎の精霊(イグルクス)が下賜した炎だけが、精霊に効果を持つ。


 ネリエもわかっていた。

 わかっていて言わなかった。


 これ以上、ジンを疲弊させるわけにはいかないから。

 今のジンに炎を使うのは無理だ。

 客観的に見てそうだった。


 けれど、他にどうしようもなかった。

 ジンならば奇跡を起こせる。

 信じるしかなかった。


「――――そうね、あんたなら奇跡を起こせるかもしれない」


 ジンの背中をそっと押す。

 両手を合わせ、目を閉じる。


 ネリエは祈った。


 戦いを見守っているであろう精霊に。

 死んでいった仲間たちに。

 脈々と受け継がれてきた精霊の血(カルルワ・デューゴ)に。

 青い炎に。


 祈ることしかできなかった。


「――――来たか」


 唐突にジンが言った。

 来たとは何が。


 ラバナ山を見やる。

 嘆きの精霊(ル・メント)の位置は変わっていない。

 戦場に変化はなかった。


 兵たちの様子がおかしかった。

 呆然とした顔でネリエの背後を見つめていた。


「……あぁ、そんな馬鹿な」

「どうしてあなたがここに……」


 そんな声が漏れ聞こえる。

 中にはすすり泣く者もいた。

 背後に何かがいる。

 そう思ったそのとき、誰かに肩を叩かれた。


 奇跡が起きた。


「そいつは敵の総大将に取っておきなよ。ここはあたしらに任せてさ」

「――――」


 背後には女がいた。

 娼婦のようにむき出しの肩。

 胸には十字の入れ墨。

 着物の裾から長い尻尾が伸びている。


 見紛うはずもない。

 蛇の十二天将ヘンプ・ウルポーだった。


「どうしてここに……」


 彼女は派閥が違う。

 何よりネリエを嫌っていた。

 助けに来る理由などカケラほどもないはずだった。


「なに、ちょっとばかりに人間に貸しがあってね、返しに来ただけさ」

「人間に貸し、ですか……?」


 言われた意味がわからなかった。

 あれほど人間を嫌っていた彼女が人間相手に貸しを作る。

 ましてや返そうとするなど、一体、何があったというのか。


「あんたには関係のない話さ」


 ヘンプ・ウルポーは涼し気に言う。

 彼女の心中はわからない。

 わからないが、彼女は本気だ。


 ここは半端な覚悟で来るような場所ではない。

 皇国の趨勢を決する場なのだ。


「遅くなってしまい、申し訳ない」


 ヘンプ・ウルポーの後ろからトゥービ・タンゴールが現れた。

 彼は行方不明扱いだった。

 死んだと目されていたか、どうやら生きていたようだ。

 今まで何をしていたのか。


 答えは見えていた。

 ここで起こっていることがすべてだ。


「――――あなたが連れてきてくれたのですね」


 彼の能力は瞬間移動だ。

 行方不明になっていた間、彼は帝都まで戻っていたのだ。

 援軍を呼び寄せるために。


「無言で離れたことは謝罪しよう。だが、時間がなかったのだ」

「……あの状況では仕方ありません。よくぞ戻ってきてくださいました」


 手を握り感謝を伝える。

 こんなことしかできない自分が歯がゆい。


「おやおや、獅子の手なんか握って……。あとで洗わないとダメっすよ」


 軽い調子で話しかけてくる奴がいた。

 耳に馴染みのあるその口調は……、


「ティグレ……!? あなたどうして!?」


 いつの間にかティグレがいた。

 見慣れた着物を着崩し、なぜか肩に剥き身の刀を担いでいる。

 執事の趣とはかなり異なるやさぐれた風貌だ。


「そりゃあ、主の危機に駆けつけるのが執事の務めっすから」


 冗談めかしてティグレは言う。

 もちろん、冗談で戦場にくる奴などいない。

 兵士じゃないから、と彼は出兵を拒んだ。

 そのときは薄情者と罵ったが……。


 ティグレには意図があったのだ。

 ずっとネリエのことを考えていてくれたのだ。

 今、この光景を見れば、そうだとわかる。


 ティグレの後ろには、見るからにガラの悪い連中が控えていた。

 冬なのに上裸で、生傷だらけで、種族もバラバラ。


 ティグレがついてこなかったのは、彼らを集めるためだ。

 そいつらは、その昔、北の海で名を馳せた伝説の一味。

 始皇帝マナロですら目をつけた武の者たち。

 ティグレ海賊団だ。


「今日は丘だが、やることは同じ! 暴れるっすよ!」

「「「「オォオオォオ……!!!」」」」


 本物の悪が雄叫びを上げる。

 獣と聞き間違うほどの迫力は、良家出身者の多い兵士とは比べ物にならない。

 圧倒的な声量のおかげか、兵たちも状況の変化に気づき始めた。


「……援軍」

「援軍なのか……?」


 兵たちの目に気力が宿る。

 戦力の大半は失われ、敵ばかりに増援があり、ついにはこの世のものならざる精霊まで顕現した。

 そこに希望が戻ってきた。


 勝機があるのならば、死地でもいい。

 勝つと信じられるのなら兵は何度でも命を懸ける。


「おい、総指揮官が黙ってちゃ始まらないぞ」


 ジンに背中を叩かれ、ネリエは我に返った。

 そうだ、折角、流れが来たというのに自分が黙っているわけにはいかない。

 民が諦めぬというのなら、どこまでも付き合うのが皇族の務め。

 行こう。

 これが最後の戦いだ。


「わかってる。終わらせるわよ、この戦」


 ネリエは援軍に背を向け、その場所を目指した。


「皇女、どこへ……?」


 ついてきた参謀に聞かれる。

 端的に答えた。


「私がパグ・ワ・サークに乗ります」

「――――へ?」

「正規の操縦手が意識不明の重体です。しかし、パグ・ワ・サークがなければ拒絶の使徒(パグタンギー)を倒すことができません。カルの他に操縦法を熟知しているのは、私だけです。故に私が乗ります」


 一息にまくし立てると、参謀は理解ができなかったのか、目を白黒させる。

 それから、しばらくの間をおいて、


「無茶です! 危険すぎます!!」

「危険は承知の上です。構いません」

「で、ですが……! 皇女が最前線で戦うなど、前例が……!」

「前例? それならばあるでしょう。千年前、お父様(マナロ)は最前線で戦っていましたよ」


 実の父がやったというのに、自分がやらないわけにはいかない。

 まだ何か言いたげな参謀を無視して、ネリエはパグ・ワ・サークによじ登る。

 人間用に作られた操縦席は狭く、逆にネリエにはちょうどよかった。


 使い方はわかっている。

 そもそも解析してカルに教えたのも自分だ。

 重力を軽減して上空へ。

 動作に支障はない。


 ……これならば戦える。

 拡声器を起動し、ありったけの声を出す。


『全軍に告げる! 我ら皇国守護軍が引くことはない! 進む意志のある者は私に続け!』


「…………うわ!? なんだ!?」「この声、…………まさか、皇女様か!?」「馬鹿な!?」「皇女様が自ら……!!」「嘘だろ!?」「だったら、俺たちは更に前に出るべきだろう!」「そうだ!」「俺たちは最後まで戦います!」「進めという命令以外は聞こえません!」「行きましょう! 皇国のために!」


 兵は拳を掲げる。

 残っていないはずの力を振り絞る。

 数百の負傷兵も横たわったまま声を出す。


 終わったはずの皇国守護軍が蘇る。

 ジンを先頭にラバナ山へ進軍する。


「行くぞ、お前ら! 敵はもう目の前だ!」


    †ジン†


 手足の感覚はとっくになかった。

 朦朧とする意識を根性だけでつなぎ止めていた。


 体中の傷から血が流れ、手足に力が入らなかった。

 理由は、たぶん、炎の使いすぎだ。


 今日まで炎を酷使したことはない。

 戦いのほとんどが決闘で、何度も範囲攻撃を使う必要がなかったためだ。

 その結果がこれだ。

 使い過ぎれば疲労する。

 そんな当たり前のことが頭から抜け落ちていた。


『見てられないわ……。乗って』


 エリカの勧めで、ジンはパグ・ワ・サークの手に乗った。

 空を飛び、大回りでラバナ山を目指す。

 地上では嘆きの精霊(ル・メント)と守護軍が戦っていた。


 千を越える人数で霊術を使う。

 さすがの嘆きの精霊(ル・メント)も攻撃されると煩わしいのか、ヘンプ・ウルポー率いる守護軍に意識が向いていた。


 じわりじわりと嘆きの精霊(ル・メント)がラバナ山の北側に移動していく。

 その間隙をついて、パグ・ワ・サークはラバナ山の裾野に入った。


 エリカの策は単純だった。

 ほぼ全員で嘆きの精霊(ル・メント)を引き付け、その間にパグ・ワ・サークでラバナ山を目指す。

 高速移動について来れるのはごく一部の天上人だけだ。

 故に少数精鋭による電撃戦。

 これが作戦の肝だった。


 赤黒い雲がみるみる大きくなっていく。

 道中、待ち構えていたかのように機械兵が飛び出してくる。

 一体、どれだけの戦力を有していたのか。


 数え切れぬほどの機械兵に兵は果敢に向かっていく。


「ここは我々が! ご武運を!」


 近衛を全員置き去りにして、エリカは先を目指した。

 山の麓まで来たところで、殺意の使徒(ナ・ラユーニン)が現れる。


 赤い雪が降り始め、パグ・ワ・サークに襲いかかる。

 そのとき、山の一部が盛り上がり、殺意の使徒(ナ・ラユーニン)を押し潰した。


 地面を操る霊術。

 使い手は将軍カラ・ハタンだ。

 彼の後ろには正規軍も揃っていた。


 なぜ彼らがここにいるのか。

 エリカが問うと、カラ・ハタンは振り向かずに答えた。


「パグ・ワ・サークが飛ぶのを見て、作戦の要旨を理解した。故にここで待機していた」


 ……たったそれだけで、理解するとは。

 伊達に将軍を名乗っていない。

 戦場をよく見ていた。


『慧眼、おみそれしました』

「世辞などいらぬ。ここは我らがが半刻止める。行け」


 思いもよらぬ申し出だった。


「…………お前、俺たちに協力しないんじゃなかったのか?」


 以前にそう告げられた。

 事実、今日も共闘する機会はなかった。


「我は価値ある者にしか手を貸さぬ、と言ったまで。それ以上でも以下でもない」


 迂遠な言い回しだった。

 しかし、秘められた意図は伝わった。

 だから、ジンも多くは語らない。


「助かる」

「人間に礼を言われる筋合いはない」


 カラ・ハタンは最後までジンを見なかった。

 ただ、殺意の使徒(ナ・ラユーニン)の残骸を見上げ、復活の時を待っていた。

 彼らが殺意の使徒(ナ・ラユーニン)と戦うのは二度目だ。

 一度目は手も足も出ずに敗北した。


 二度目であっても必勝とはいかないだろう。

 だが、彼らは退かない。

 それが彼らにとっての価値だから。



 背後で爆音が轟く。

 出し惜しみのない霊術が次々と使徒に撃ち込まれる。

 言葉にされなくてもわかる。

 彼らはこの場で出し切るつもりだ。


 だからこそ、急がねばならない。

 パグ・ワ・サークはラバナ山の中腹まで一息に登った。

 そして、ついにそいつと対峙した。


『こいつがそうなのね……』


 拒絶の使徒(パグタンギー)は巨大だった。

 高さも幅も百トルメを越えていた。

 固く閉じられた貝殻は拒絶の意志そのもの。

 いかなる霊術をも無効化する殻だ。


 先へ進むには、これを倒さねばならない。


 千年前は人間王の血族がイゾルバ・コロナ・ダルによって排除した。

 そして、マナロが悪しき精霊(サイタン・マサマ)と対峙した。


 今は全くの逆だ。

 マナロの血族がパグ・ワ・サークを操り、人間王の末裔が炎を持つ。

 構図の逆転に運命のようなものを感じる。


『ここからは自分で歩いて。あとは任せるから』


 エリカはジンを地面に降ろした。

 それから、パグ・ワ・サークは拒絶の使徒(パグタンギー)めがけて飛んだ。

 重力操作を全開にし、最初から最高速度を出す。

 まるで容赦のない体当たりを食らわせる。


 何百倍にも膨れ上がった質量がぶち当たる。

 拒絶の使徒(パグタンギー)の貝殻が、割れた。

 ただの一撃で使徒の一角を粉砕してみせた。

 超重量殲滅兵装の名は本物だ。


『行って!! そんでもって、終わらせてきなさい!!』


 ジンは右手を振り上げてそれに答える。


「――――あぁ、あとは任せとけ!!」


 鉛のような足を引きずり、山頂を目指す。

 赤黒い雲まで距離は幾ばくもなかった。


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