決戦9
2019/08/19
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†ネリエ†
ネリエは本陣を捨てる決意をした。
立て直した後方部隊の損耗率は約七割。
残っている人員では本陣を維持することも不可能だった。
本陣と前線をわけたことで敵の策に嵌ったという経緯もある。
ならばと思い、前線と合流することにした。
正義の使徒はアンソグ・ディーヨスら犬氏族の手によって倒された。
呪いの元凶が絶たれたため、ネリエは短期的な目標を解呪に定めた。
盃で汲んだ聖水を近衛兵に持たせ、すべての兵にかけさせた。
呪いを受けた者もそうでない者も。
片っ端から聖水をかけた。
用意した樽が空になるまで続け、ようやく呪いは沈静化した。
聖水を使い切ったため、本陣に拘る理由も消えた。
……そうして、前線に出てきたが、そこもまた地獄のような有様だった。
並べられた負傷兵は後方部隊の比ではない。
千人近くが戦場のそこかしこに倒れている。
すでに軍として統率も取れておらず、……多くが地面に座りうなだれていた。
「……何してんだこんなところで?」
そのうち一人が口をきいた。
よく見れば、ジンだった。
「あんたこそ、……こんな後ろでどうしたのよ?」
総大将の役割は最前線で味方を鼓舞することだ。
それが本陣の近くにまで下がって倒れている。
外傷こそないが、消耗しているようだった。
「いろいろあってな……」
「何があったか教えてくれる?」
「それなら忍びに聞いてくれ」
ジンが言うと、どこからともなく忍将が現れる。
彼らは今も戦場を走り回り、情報を集め続けているらしい。
戦況の変化から損耗率に至るまで。
細やかな報告がなされた。
中には信じがたい内容も含まれていた。
霧による撹乱やイゾルバ・コロナ・ダルの出現。
何もかもが想定外だった。
すべて敵を計り違えた自分の責任だ。
精霊を知性のない存在だと考えていた。
正面から打って出るだろうと勝手に信じていた。
その結果がこれだ。
とんでもない数の犠牲者が出た。
「後悔するには早すぎましょう。まずは目前の勝利を掴まねば」
忍将に励まされる。
「……えぇ、その通りね」
殺意の使徒に続き正義の使徒を倒した。
更には敵の切り札と思しきイゾルバ・コロナ・ダルも落とした。
残る障害は拒絶の使徒のみだ。
霊術の効かない使徒ではあるが、こちらにも切り札がある。
イゾルバ・コロナ・ダルと同時代に作られたミンダナのロボット――――。
ようやく気づく。
カルがいない。
姿を探すも見当たらない。
「そう言えば、パグ・ワ・サークは……?」
「イゾルバ・コロナ・ダルを倒すと同時に落ちたと聞き及んでいます」
報告を聞いて、血の気が引いた。
「カルは!? カルは無事なの!?」
言われて忍将はハッとした顔つきになった。
戦況が混迷を極めたため、彼らも気が回らなかったようだ。
「……確認したという報告は受けておりませぬ」
「じゃあ、まさか……、誰も助けに行ってないってこと……?」
「その可能性もあります」
「場所はどこ?」
忍びに先導させ、ネリエは走った。
道中には治療を待つ負傷兵が倒れていた。
本来、治療は後方部隊の役目だが、後方が壊滅したため支援に手が回っていない。
怪我人の集約もできていなかった。
カルを救助する余裕がある者は一人としてなかった。
そのことがますます嫌な予感を募らせる。
墜落現場にたどり着く。
パグ・ワ・サークはピクリとも動かなかった。
倒れ方が歪だ。
まるで操縦中に意識が飛んだかのような……。
お世辞にも着陸したとは言えない落ち方だ。
「誰かパグ・ワ・サークの操縦手を助けた者は!?」
周囲に呼びかけるが反応はない。
突如として現れた皇女に皆、恐縮し、頭を垂れるのみだ……。
疑問が確信に変わる。
――――カルはまだこの中にいる。
赤い機体によじ登る。
背中の扉を拳で叩いた。
「カルッ! 大丈夫!? ここ開けられる!?」
返事がない。
冷たい汗が止まらない。
……落ち着け。
冷静にならないでどうする……。
「あたしよ! エリカよ! お願い返事して!」
何度も叩く。
すがるように叩き続ける。
間もなくハッチが開いた。
血の臭いが吹き出してきた。
カルはぐったりしたまま動かなかった。
「ぁ、…………」
一瞬だけ、息を呑み、
「近衛兵ッ! 急いでッ!」
兵を呼んで引っ張り出させる。
着物は元の色がわからないほどに変色していた。
どこから血が吹き出ているのかもわからない。
「………………、え、エリカ」
「そうよ、わかる!? 待ってなさい……!! 今、血を止めるから!」
まともな衛生兵など残っていない。
霊術無しで治療するしか術はなかった。
自身の着物を破いて止血を試みる。
「ねぇ、エリカ……」
カルが手を握ってくる。
あまりに切実な表情にネリエは身構えてしまう。
「な、なに……?」
「ジンは無事?」
カルはそう言った。
自分が死ぬかもしれないというのに。
こんなになるまで戦っていたというのに。
それなのに、主の命を優先するのか。
「無事よ……! あいつは生きてる! だから、カルも生きて……!」
カルの手を握る。
握ったまま額に押し当てる。
カルは力なく笑った。
「……よかった。でも、……この戦いでは無理かな……」
「カル!? …………ちょっと、カル!?」
目をつぶったままカルは返事をしない。
最悪の予感が脳裏をよぎる。
そのとき、肩に手を置かれた。
「ご安心めされよ。忍びはこの程度で死なぬ」
忍びが集結していた。
自前で持ってきた薬箱から包帯やら薬やらを取り出す。
薄緑の特製薬をカルに飲ませ、傷の手当を始めた。
「……あ、ありがと」
「それはこちらの台詞。我らが仲間のために流された涙。重く受け止めよう」
忍びは淡々と応急処置を進める。
「我らもここで命運を共にしよう」
「…………心強いお言葉です……。その申し出に感謝します」
ネリエは皇女として返答した。
カルの処置を忍びに任せ、参謀役のところへ戻った。
自分にはまだやらねばならないことがある。
「皇女よ、どこへ行かれていたのですか? 各隊から報告が届いておりますぞ」
参謀から報告を聞いた。
内容は惨憺たるものだった。
獅子連隊の四割が戦死。
残りも怪我人が多く介抱役をつけると戦える者は数百名。
孤虎連隊は六割が戦死。残りに怪我人はなし。
牛兎支援隊、八割が戦死。残りは全員軽傷。
猿遊隊。六割が戦死。軽傷二割。重傷一割。
そして、主力級。
十二天将ウィーテ、パガワーンが戦死。
マティガスは重傷、領主は軽傷、トゥービは行方不明。
無事なのはクネホとラジンのみだ。
猿と牛の十二天将。
主力となる二人が欠け、負傷者を置き去りにしても残存兵は八百名。
当初の三千五百に比べると、随分と減った。
どう振り分ければ悪しき精霊に迫れるか。
敵戦力は復活した殺意の使徒が二体。
加えて拒絶の使徒。
十二天将のうち防御役に適しているのはクネホと領主だ。
二人が殺意の使徒を引き付ける――――。
そして、残りの全員で機械兵をどかし、パグ・ワ・サークを誰かが操縦して拒絶の使徒に突っ込ませる……。
言葉にすれば簡単だ。
しかし、全員が疲弊しきっている。
ジンなどは未だに寝そべったまま起き上がらない。
……あれは、長くは保たない。
決戦前に戦わせ過ぎたのだ。
自分の采配が不出来だったせいだ。
もっと温存させられれば……。
いや、後悔に意味はない。
重要なのはジンがあと何回炎を生み出せるか。
炎がなければ前線を上げる意味もない。
長めの休息を取るべきだろうか。
残された時間はどの程度なのか。
ネリエは懐から時計を取り出す。
「…………嘘、でしょ?」
一体、いつの間にこんな時間が経っていたのか。
最後に時計を見たのはいつだったか。
思い出せない。
戦況が厳しすぎて、時間の確認を怠っていた。
時計は告げる。
戦闘開始から、十刻が経過していると。
ラバナ山から号哭が聞こえる。
悪しき精霊が泣いていた。
嫌な予感がした。
絶対に当たる予感だった。
赤黒い雲から薄紫の靄が滑り落ちる。
地に落ちたそれは人の形となり産声をあげた。
憎しみとも怒りとも違う感情が生み落とされた。
体長は目算三百トルメ。
人の形をした黒と紫を混ぜた霧状のナニカ。
マナロが残した資料にも記載があった。
あれは嘆きの化身。
名は嘆きの精霊。
「……あれは、なんだ?」
「ま、まさか…………、また増援か……?」
「ここまで来たってのに……!」
兵に絶望が染み渡る。
諦める者がいた。
慟哭する者もいた。
立ち上がる者はなかった。
誰もが嘆きに包まれていた。
「――――」
嘆きの精霊が泣いた。
超常の力が解放され、世界が改変を受ける。
雨が降り、大地は割れ、太陽は地上を照らすことを止めた。
それは霊術という次元にすらない。
精霊とは存在そのものが理なのだ。
ここから先は戦にもならない。
人の身では抗えない超常現象を前に、翻弄されるばかりだ。
ネリエは膝をつく。
立ち上がる気力もなかった。
間に合わなかった。
それがすべてだ。