決戦7
†アンソグ・ディーヨス†
「皆の者、支度はできたか」
「はっ」
二十名の剣士は襷を外し、自身の目にまきつけた。
あえて視界を塞ぐのは、呪いを防ぐためだ。
状況把握は音と臭いだけで行う。
犬氏族は元々、そうした方面に優れていた。
ネリエにもそう吹聴した。
しかし、これらは森林や荒野でこそ有効な手立てだ。
敵と味方が入り乱れて戦う戦場では、音と臭いは複雑に混じり合う。
戦っている様子こそわかるが、自身に降りかかる脅威に気づけるのは直前だ。
故にアンソグは常に一人だけ目隠しを外すことによって問題を解決した。
「兵ども退けッ! アンソグ様がお通りになるぞッ!」
目の見える兵が先払いとなって一団の先を行く。
「右より十五名の集団が接近! 敵意ありッ……!」
「うむ……!」
どかなかった者、襲いかかってくる者はすべて呪いを受けたとみなした。
アンソグが死なない程度に霊術で吹き飛ばす。
道を作り、進む。
しかし、この策にも一つ欠点があった。
「…………も、申し訳ございませぬ……。呪いを受けたようです……」
目隠しを外した者が呪いを受けるのだ。
完全に呪いを受ければ、嘘の報告をするかもしれない。
故に少しでも異変を感じた先導役は、
「ご武運をお祈り申し上げますッ! 必ずや氏族の仇を……!!」
速やかに自らの腹を斬った。
それを合図に次の者が目隠しを外し、先導役を交代するのだった。
先導役は死を約束された役割だ。
だが、犬氏族はひるまない。
前を走る者が積極的に先導を買って出る。
氏族の仇を討つ。
全員がその一点だけを考えていた。
誰に語られる必要もない。
褒美もいらない。
ただ、勝利だけを願う。
氏族への挟持。
天上人が天上人であるための意地が彼らを駆り立てていた。
こうした流れを繰り返し、一団は混迷を極めた戦地を脱する。
残り人数は十一名。
半数近くにまで減っていた。
「……見えました。あとはお任せいたします……」
「先導、ご苦労だった」
アンソグは初めて目隠しを外した。
そこは砂と岩ばかりの荒地だ。
戦場の音は遠く、遠い世界の出来事のようだった。
距離にして約数百トルメ。
そこに異形がたたずんでいた。
二つの顔と四本の腕。
胸には瞳の文様。
周囲を取り巻く銀色の球体。
独特の腐臭を放ち、時折、何事かをつぶやいていた。
あれが正義の心を操る者。
正義の使徒。
「でかいな。聞いた話では天上人と同程度だったはず」
距離はあるが近くにある岩と比べると大きさが際立つ。
少なく見積もってアンソグの二倍、下手をすれば三倍の身長があった。
「どうでもよいでしょう。倒すことに変わりはありませぬ」
「いかにも。征くぞ者ども。ここが最後の戦場だ!」
異形を脳裏に焼き付け、再び目隠しをする。
アンソグは初手から切り札を使った。
元より正面から立ち合うつもりはない。
遠方より最大の攻撃をぶつけ、一撃で倒す腹だ。
思い描くのは石臼。
正義の使徒を中心とした半径数十トルメに存在するあらゆる物体を轢き潰す。
そのつもりで力を使った。
…………ところが、依然として腐臭は存在感を放ったままだった。
効いていない。
そんなことがあるのか、と思った。
今までこの霊術で倒せなかった者はない。
別の使徒にも効果があった。
効かぬ理由はなにか。
考える時間はなかった。
「アンソグ様、反撃が来ますッ!」
言われ、咄嗟に地面を盛り上げた。
大雑把に作ったのは縦横奥行き二十トルメの立方体だ。
その岩に次々と何かがぶち当たる。
「ぐぁああ!」
隠れきれなかった数名が血しぶきを上げて倒れた。
音と手応えからして、重量のある何かだ。
岩石かそれに近い形状だろう。
恐ろしいのは投げつけられた何かが無臭であることだ。
臭いではわからない。
風音も着弾してから聞こえた。
それだけの速度で打ち出されているのだ。
「……こちらの動きが捕捉されました。向かってきます」
奇襲は失敗に終わった。
最大の好機を逃したばかりか、一方的に戦力を削られた。
「目隠しを外せ。手を抜いて勝てる相手ではない」
あえて呪いを受ける危険を背負う。
そうでなければ、この先の攻撃を避けられない。
呪いがなくとも必殺の攻撃を持つ。
やはり使徒は別次元の存在だ。
先の戦を生き残った犬氏族は、それをよく理解している。
無傷で勝とうと思う者は一人としていない。
故に少しも奢ることなく、分析を始めた。
「次が来ますッ!」
距離二百トルメから正義の使徒は仕掛けてきた。
周囲に浮かぶ球体を飛ばしてくる。
話では刃のように薄く伸ばすとのことだったが、この個体は球体のまま投げつけてくる。
予備動作はない。
いきなり音を超える速度で射出される。
気づいたら直径一トルメほどの球体が地面にめり込んでいる。
射出から着弾まで呼吸一つ分の時間もない。
避けるのは困難を極めた。
生存が許されているのは正義の使徒の狙いが荒いためだ。
距離があるからだろう。
水平方向へ移動する限り、容易には当たらない。
だが、距離を詰められれば、その限りでもない。
ここでアンソグは一計を案じる。
自身と正義の使徒の間に岩壁を作った。
一つではない。
一辺二十トルメの直方体を等間隔に幾つも並べた。
視界を塞ぐと同時に球体を妨ぐ策だ。
守りとしては優秀だが、こちらも攻撃はできない。
この時間で次の手を考える。
そのつもりだった。
何かが砕かれる音がしてアンソグは咄嗟に伏せた。
直後、頭上を風切り音が駆け抜けた。
眼前の壁が斜めに斬られ、上半分がずり落ちる。
刃による攻撃……!
闇雲に放ってはいるが数が多い。
避けきれなかった者が腕や腹を斬られて倒れていく。
しかも、刃は往路のみならず復路でも牙をむく。
前後から挟むように飛来する刃をその場でかわし切ることは不可能だった。
「……ここは危険です!! 退避してください!!」
部下の進言で壁を放棄する。
再度、使徒の前に姿を晒すこととなる。
距離約百トルメにまで縮まっていた。
……呪いを受ける可能性のある距離だ。
猶予はない。
再度、霊術で攻撃を仕掛ける。
正義の使徒を轢き潰そうと試みる。
しかし、周囲の空気がかき回されるだけに終わる。
やはり霊術が効かない。
「アンソグ様、お下がりください!」
部下に突き飛ばされる。
アンソグの立っていた場所を刃が通過した。
かばってくれた部下が真っ二つにされる。
血しぶきが散った。
次々と部下を死なせる自分に苛立ちを覚える。
回収された刃は正義の使徒の周囲で回転を始める。
あれが攻撃の予備動作なのだろう。
十分な回転速度に達したら次の攻撃が来る。
……その間に有効打を考えなければ。
「我らが隙を作ります……。その間にアンソグ様の一撃で敵を屠ってください」
「馬鹿を言うな。我が霊術は効いておらぬのだ」
「しかし、時間がありません」
部下は自らの牙を腕に突き立てていた。
まるで苦しみに耐えるかのように。
見れば、他の者もそうだった。
「……お前たち」
「申し訳ございませぬ……。我らの心が弱いために、呪いに負けました……」
「しかし、呪いに屈する前に見事最後の使命を果たしてみせましょう……!」
「……お願いいたします。どうか我ら氏族の仇を……!」
止める間もなかった。
残った六人の部下は刀を抜き、一斉に正義の使徒へ向かっていった。
その心は正義の呪いに蝕まれつつある。
だが、使命だけは忘れなかった。
正義の使徒が刃を射出する。
迎撃のために打ち出したせいか、先程に比べて随分と遅かった。
兵たちはそれを刀で受け、突撃していく。
受けきれなかった者から一人、二人と倒れていく。
正義の使徒は手元に残した刃を次々と使う。
やがて自身を守るための刃すら使い切った。
それは致命的な隙だった。
知らず、体が動いた。
挽回の策があるでもない。
だが、今、動かなければ部下の死が無駄となる。
その思いが体を動かした。
アンソグの心中にあるのは怒りと後悔だ。
しかし、鉄の意志で冷静さを保ち、思考を続けた。
そうして、一つの真理にたどり着く。
なぜアンソグの霊術に効果がないのか。
気づいてみれば、簡単な理由だった。
アンソグの霊術は”物”を操る能力だ。
物を生み出し、破壊し、移動させることができる。
生物、非生物を問わず、何にでも効果があり、万能だと信じていた。
そこに間違いがあった。
相手は精霊界より召喚された精霊の使徒なのだ。
精霊が生命ではないのと同様に、使徒も体を構成する要素が”物”であるとは限らない。
事実、正義の使徒は”物”ではないのだ。
だから、”物”を操る霊術が通用しない。
殺意の使徒にも本当は効いていなかったのだ。
だが、霧状の使徒であるため周囲の空気を動かし圧をかければ霧散させることができた。
両者の違いは強度の差だ。
正義の使徒は空気を圧縮した程度では傷つけられない。
……ならば、別のものならば効果があるはずだった。
正義の使徒の周囲の地面を盛り上げる。
二枚の壁を用意し、正義の使徒を潰そうとする。
これに対し正義の使徒は四本の腕で壁を受けた。
「ふむ、これならば効果があるわけか……!」
距離五十トルメ。
仲間たちの屍を飛び越え、アンソグは正義の使徒に肉薄する。
その間にも壁にかけた霊術は緩めない。
全力で押しつぶそうとしても互角だ。
動きを封じる以上のことができない。
そのとき、正義の使徒が初めてアンソグを見た。
目を見つめられた瞬間、胸のうちに抑えがたい感情が沸き起こった。
なぜ自分が負けなければならないのか。
ネリエがすべての手柄を持っていくのか。
耐え難い怒りだった。
わずかに足がもつれる。
それも致命的な隙だった。
戻ってきた刃に腹を、腕を、足を斬られた。
恐ろしい量の血が吹き出す。
体中から命がこぼれ落ちるのを感じる。
しかし、倒れない。
アンソグは踏みとどまった。
植え付けられた怒りを使命にて塗り潰す。
体を無理にでも動かす。
「ウガァァアァッ!」
刀を抜いた。
距離はすでに十トルメを切っていた。
正義の使徒は戻した刃で盾を作ろうとする。
その進路を新たに作り出した壁で妨害した。
両者の間に遮るものはない。
正義の使徒の視線が熱かった。
心が焼き切れそうなほどの呪いを受ける。
怒りだけが体を満たし、他の一切を考えられなくなる。
もはや自身の名前も忘れてしまった。
思考する機能が解体されていく。
それでも本能に刻まれた使命は生きていた。
敵を倒せ、と誰かが言うのだ。
刀を正義の使徒の胸に突き立てる。
――――キィイイィイイ!
正義の使徒が鋭い声で泣く。
刃が次々とアンソグの背中に突き立てられる。
それでもアンソグは手を緩めなかった。
「これが最後だ……!!」
全身全霊の霊術でもって刀を爆発させた。
正義の使徒が”物”でないのなら、”物”を突き立ててやればいい。
そして、内側から爆発させてやればいい……!
爆発の勢いでアンソグは弾き飛ばされた。
耐える力は残っておらず倒れるに任せ、アンソグは地に伏した。
立ち上がることはできなかった。
心は呪いに蝕まれ、体は無数の切り傷に覆われていた。
急速に体温が下がり、意識を保つこともできなくなる。
胸のうちは義憤と達成感で満たされていた。
――――我が一族に栄光あれ。
やがてアンソグは目を閉じ、眠りについた。
その手は最後まで刀の柄を握っていた。
隣には上半身が砕け散った正義の使徒の遺骸が残されていた。