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18 看守2

 そうして時間が過ぎていく。



 朝。

 ジンはカルに聞いてみた。


「ここに来てどれくらいだっけ?」

「約二年と百四十日。次の秋で三年だね」

「そんなになるのか」


 脱出の準備で一年。

 ヒヌカがやってきて一年半。


 ここで暮らすのも当たり前に感じてきた。

 鍛えれば人間強くなるもので、今では穢魔に奇襲を受けても生き残れる。

 カルが修行と称して夜な夜な剣術を教えてくれた。

 鍛錬の日々だ。


 収容所の様子もすっかり変わった。

 二年前の小隊は面影もない。

 小隊長を含め、皆が死んでいた。

 あの小隊で生き残ったのは二人だけになる。


 物寂しいが泣くほどでもない。

 クムは言った。

 死に慣れろ、と。

 慣れたくないとあの頃は言ったが、嫌でも慣れる。


 多くの咎人が死んだ。

 見知った顔も、そうでない奴も。

 様々な理由で死ぬ。


 そして、死んだ数だけ新しい咎人がやって来た。

 その繰り返しに自分たちが入らなかったのは、強さの証だ。


 二年前なら運の問題だと言っただろう。

 今は違う。

 生き死にを決めるのは強さだ。


 そうは言っても、どうにもならない状況に陥らない運があるのではないか。

 違う。

 強い奴は、そもそも危機に直面しない。

 危険を察知し、回避する能力があるからだ。

 決して運の力ではない。


 それを理解できた。

 もちろん、強くなる道のりは平坦ではなかった。

 体にも傷が増えた。

 いくつかは消えない痕になった。


 それは弱さの証だ。

 弱いから怪我をするのだ。

 それが証拠にカルは未だに怪我を経験していない。

 いつか炎無しでカルに勝てるようになりたい。

 そんな目標もできた。


 他にも変わったことがあった。

 監視者が交代制になった点だ。


 人数も以前より増えていた。

 二人組だったのが、三人組になった。


 それが毎日、違う組み合わせで巡回する。

 監視者同士の馴れ合いを防ぐためだろう。


 また、夜勤という仕事もできた。

 監視者が増えたことで夜も見張りがついたのだ。

 女郎宿へ行く日はガチガチに固められる。

 隊列からは蟻一匹抜け出せない。


 そんな調子で二年も監視された。

 監視者からは、いつまでも死なないシブトイのがいる、と露骨に嫌味を言われた。

 四六時中、後をつけられるようになった。


 カルとすら中身のある会話はできない。

 想定通りと言えば、そうだ。

 長生きすれば、目をつけられる。


 わかっていたことだ。

 シグラスを見つける前だったら、なんとしてもヒヌカに会わなくては、と焦っただろう。

 だが、二輪を揃えてからは、落ち着いて行動できた。


 二輪の花をヒヌカが見たかは確認できない。

 見たと信じるしかない。

 そして、粛々と時を待つだけだ。

 そうして泰然と構えていると、自然と監視者の嫌味も気にならなくなった。


 監視が厳しくなったため、ジンはあの日以来、隠れ家に行っていない。

 代わりにカルが通っている。

 カルが本気を出すと、本当に真後ろに立たれても気づけない。

 それくらい完璧に気配を消せるのだ。


 日々、穢魔と戦っているジンが気づけないのだから、監視者の女に気づけるはずもない。

 隠れ家へ行くのは比較的、簡単らしかった。


 カル一人なら脱走可能。

 昔、そう言われたのを思い出す。

 あれは確かに事実だった。


 カルに給金を渡すと隠れ家の切り株に置いてくれる。

 貯金は一年前にやめていた。

 理由の一つは重さだ。


 銀粒も数が集まると重くなる。

 月に四粒だから、一年で約五十粒。

 それだけでも結構な重さだ。

 体感的には大したことないが、人を殴れば殺せる程度はある。


 もう一つの理由はヒヌカだ。

 ヒヌカが二年も勤めなければならないのは身請けに金がいるからだ。

 トイエの話では、二年分の給金で女郎一人という話だった。


 なら、自分たちの給料も渡せば早く身請けできるのでは、と考えた。

 以来、ジンは給金を切り株に置くようカルに頼んでいる。

 もしかすると大した額ではないのかもしれない。

 けれど、積もれば大きな額となるはずだ。


 カルも給金を全額をヒヌカに託してくれた。

 自身は関係ないにも関わらずだ。


「仲間が困ってたら助けてあげる。ジンに習ったことだよ?」


 聞くと、そう言って、笑ってくれた。

 本当に頭が上がらない。


 そして、ある日を境にヒヌカが収容所に姿を見せなくなった。

 時を同じくして、女郎宿(ターロー)からリマが消えたことも話題になった。


 咎人は監視者が減ったことには気づかないが、女郎の噂には敏感だった。

 あちこちで騒ぎになっている。


 ヒヌカだけ消えていたら、何かあったかと心配しただろう。

 しかし、女郎と合わせて消えたなら肯ける。

 ヒヌカが助けようとしていた姉というのは、リマだったのだ。



 その夜、ジンはカルと祝賀会をした。

 と言っても、真夏に焚き火をするだけだ。

 火に当たって汗を流しながら会話をする。


 監視者もこのクソ暑いのに火の近くに寄りたくない。

 滝の音も相まって、秘密の話をするには都合がよかった。


「助けられたってことなんだよね?」

「たぶんな。けど、まさか、あいつが姉だったとはな……」

「ジンはわからなかったの?」

「見たことあるような気はした」


 ヒヌカの家は兄弟姉妹が多い。

 ジンが物心ついた頃には嫁入りした姉もいた。

 会えばわかりそうなものだが、名前も違うし、化粧もしてるし気づけなかったのだろう。


「どっちにしろ、ヒヌカはやり遂げたんだ。カルの協力がなかったらできなかった。ありがとう」

「いいよ、お礼なんて……。僕もヒヌカさんを見捨てて逃げるのは気分が悪かったし」


「そんな理由で一年半もこんなところにいてくれたんだ。本当に助かる……」

「ジンにとっていい修行になったし、いいんじゃない?」


 あくまでカルは前向きだった。

 困ったら微笑む癖も変わらない。


 二年でジンは背が伸びたが、カルは昔のままだ。

 むしろ、愛らしさに磨きがかかっていた。

 不思議な奴だ。


「さて。……俺たちもここに用事がなくなったな」

「うん」


 あとはさっさとここを抜け出すだけだ。

 ヒヌカの仕事を邪魔しなくて済むのだから、気兼ねすることは何もない。


 ジンは脱出に向けての準備を進めていく。

 密かに穢魔の肉を干して保存食を作り、竹を加工して水筒にした。

 少しでも金を作れるよう穢魔の毛皮を剥いだり、爪を集めたりした。


    †ヒヌカ†


 ヒヌカにとって、一年半はあっという間だった。

 シグラスが二輪揃った。

 その事実がヒヌカを支えた。

 迷いも消えた。

 日々を前向きに過ごせた。


 仕事にも今まで以上に力を入れた。

 脱走計画を暴くこと。

 それがヒヌカの役割だ。

 だが、看守に報告するところかどうかは監視者の裁量だった。


 看守に告げれば殺されるような案件でも、ヒヌカは暴いた時点で本人に忠告していた。

 一人でも死ぬ者が減るように。

 監視者は咎人の敵だ。

 でも、無謀な脱走をやめさせることで助けになればと思った。


 そうして時間が過ぎ、貯金も順調に増えていった。

 姉を身請けする金額ははるか遠くだが、着実に進んでいた。


 他方で、ジンは模範的な咎人となっていた。

 日々を粛々と過ごし、揉め事も起こさない。

 脱走を試みたあの日以来、女郎宿(ターロー)にも行っていない。


 通っていない男はほとんどいない。

 操を立てるためだったら嬉しい。


 相変わらず会話の機会はないが、目が合う回数が増えた。

 微笑み合うこともできない。

 目が合って、それだけだ。

 でも、通じ合えていると思えた。



 あの日以来、ヒヌカは定期的に川原に通っていた。

 組となった監視者には嫌がられるが、休憩の必要性を説いた。


 川原に座り、思い出に浸る。

 それだけがヒヌカの拠り所だ。


 月に一度は切り株に乗った袋を受け取る。

 中身は銀粒だ。

 誰が乗せているかは調べずともわかった。


 他の監視者に気づかれないように、と一度に置かれる銀は十粒だけ。

 ジンにはできない気遣いだ。

 隣りにいた少年の配慮だろう。


 最初に見たときは思わず泣いた。

 咎人にとって銀は命の対価だ。

 それくらい過酷な環境を生き抜いてもらえる銀を、ジンはヒヌカのために託してくれる。

 感謝してもしきれなかった。


 ヒヌカは布に包まれた銀をそっと懐にしまう。

 シグラスの花を乗せる。

 次の月に行くと、シグラスが二輪になっている。


 ヒヌカは銀を取り、古いシグラスを川に流し、新たに一輪だけ乗せる……。

 その繰り返しだ。

 シグラスが咲いている間は、ずっと続けてきた。


 そして、収容所に来て一年半後の夏。

 ヒヌカは最後の銀を受け取った。


 その銀でちょうど身請けに必要な額が溜まったのだ。

 これで姉を身請けできる。


 そのあとはジンと少年に恩返しをしよう。

 何がよいかわからないけれど、とにかくお礼をしたい。


    †


 その夜。

 ヒヌカは看守を訪ねた。


 看守の家は監視者の住居と近い。

 用事があるときは呼べと言われるが、実際に訪ねたのは初めてだった。


「……このような夜更けに何用だ?」


 寝間着の看守が現れた。

 不機嫌な顔をしていて、腹の底が冷えた。

 何度、会っても天上人の威容には慣れない。


「あ、あの……、以前、金があれば、女郎の身請けができるとおっしゃっていましたよね?」

「そうだが、…………それがどうした?」

「金ができたので、今から身請けをさせてもらえないかと思いまして」


 看守は眉をひそめた。


「金はどうした? まだ貯まるはずがない」

「工面してあります。とある筋から、協力を得られたので」

「協力……? 見せろ」


 ヒヌカが袋を差し出すと、看守はそれを引ったくり、中身を調べた。

 銀粒ばかりの細かい金が出てきて、胡散臭い顔をされる。

 だが、金は金。すべて本物だ。

 額もそろっている。


「……これで姉を身請けできるんですよね?」

「………………あぁ、そうだ。金さえ払えば女郎は買い取れる。こんな短期間で貯めるとは想像もしなかったが……」


 看守は思ったよりあっさりと認めた。

 反故にされないか不安だったので、ヒヌカは胸を撫で下ろす。


「今日なら都合がよい。引き取らせてやろう」


 看守に連れられ、女郎宿(ターロー)へ向かった。

 看守が中へ入り、ヒヌカは入り口で待機する。

 かなりの時間を待たされた。


 ……不安が鎌首をもたげてくる。

 やはり約束は守られないのではないか?

 たとえば、姉を連れさらわれたことにして、身請けを断る、とか。


「連れてきたぞ」


 体感で六刻(約三時間)も待った頃、看守が姉を連れてきた。

 姉の顔は真っ青だった。

 天上人に連れ出されたため、死刑か何かと思っているに違いない。

 しかし、入り口にヒヌカが立っているのを見て、…………顔がみるみる驚きに染まっていく……。


 ヒヌカも同じだ。

 姉が目の前にいる。

 ……もうずっと会えないと思っていた姉が。


「お姉ちゃん……」

「ヒヌカ、これは一体……、どういうことだい? 何でヒヌカがここに……。あんた、まさか、自分を…………」


「ううん、違うよ。……私がお金を貯めて、お姉ちゃんを身請けしたの」

「身請けって、そんな金どこから…………」

「働いて稼いだの……。それから、ジンが助けてくれて……。だから、もう女郎なんかやらなくてもいいんだよ……。お姉ちゃん……、今までごめんね……」


 ヒヌカは姉の胸に飛び込む。

 姉の背に手を回す。

 ……力いっぱい抱きしめる。


 母の薬代を工面するために姉は自分を売った。

 そして、二年もの間、ここに閉じ込められていたのだ。

 見ず知らずの男の相手をして。


 自分もいっそ身売りをしようと何度も思った。

 けれど、恐ろしさのあまりに躊躇してきた。

 姉にどれほどの苦労をかけたことか……。

 けれど、それも今日で終わりだ。


 ――――やっと助けられた。


 この日をずっと夢見てきた……。

 家族が一緒に過ごせる日々が戻ってくる。

 近頃は体調を崩しがちの父も、姉の姿を見れば、元気になってくれるに違いない。


 ヒヌカは姉の肩に顔を埋め、いつまでも泣いていた。

 懐かしい姉の匂いが、気持ちを前向きにしてくれる。

 明日から、どんな風に生活が変わるだろう……。

 未来のことで頭がいっぱいだった。


 ……だから、気づかない。

 その後ろに見知らぬ天上人が立っていることに……。



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