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決戦5

2019/08/19

誤字修正



    †クネホ・パウマンヒン†


 クネホは岩陰に身を隠していた。


 狼煙が次々と上がり、霧が前線を覆った。

 異常なのは遠目にもわかった。

 すぐさまネリエに報告すべきだった。

 しかし、後方部隊はそれどころではなかった。


 突然、猿遊隊が襲いかかってきたのだ。

 突然の出来事に後方部隊は混乱した。

 多くがネリエのいる本陣を目指して逃げた。

 そして、途中で待ち伏せしていた味方(・・)の手にかかった。


 兵はまるで暴徒のようだった。

 個々人が好き勝手に暴れていた。


 もはや議論の余地はない。

 兵は正義の使徒(カタル・ンガン)の呪いを受けたのだ。


 事前に周知を受けてはいたが、本物を目の当たりにすると反応が遅れる。

 味方に襲われるとは、それくらい恐ろしいことなのだ。


 クネホ自身も虚を突かれた。

 かろうじて霊術を発動させ、致命傷を免れた。


 クネホの霊術は自らに降りかかるあらゆる現象を跳ね返すというものだ。

 範囲は自分ひとり限定で、非常に狭い。

 その分、万能に近い効果を持つ。


 実を言うと、クネホはこの霊術で老いも防いでいる。

 見た目がいつまでも十代なのはそのためだ。

 実年齢が見た目通りではないからこそ、クネホは冷静に立ち回っていた。

 味方からも姿を隠し、戦場を観察している。


 十二天将にしては消極的な立ち回りだ。

 無事な者だけで集まるべきだったのではないか。

 参謀役だったらそう言うかもしれない。

 それは現場を知らない奴の意見だ。


 正義の呪いは法則を持たない。

 個人の腹の底にある義憤を掘り起こすのだ。

 呪いを受けた者が起こす行動に一貫性はなく、本当に何をしでかすかわからない。

 いちいち見分けることなどできるはずもない。


 ――――とにかく、本体を探さないとね。


 呪いを解く方法は用意されている。

 ネリエの持つ盃に解呪の力があるからだ。

 しかし、感染源を絶たない限り、何度でも兵は呪いを受ける。


 重要なのは正義の使徒(カタル・ンガン)の居場所だ。

 感染経路を突き止めれば手がかりになると踏んだが、兵が動き回るため法則が見えない。

 一体、どこにいるというのか。


    †ネリエ†


「一体、どうなっているのですか!?」


 本陣もまた騒然としていた。

 兵が暴れ出した、という報告を最後に外からの連絡が途絶えた。

 時折、逃げてきた兵が、前線が壊滅しただの、敵に巨人が現れただの、不確かな情報を落としていく。

 かろうじて呪いが広まった事実は確認できたが、どの程度の規模で広まったのかなど、知りたい情報が入ってこない。


 こんな自体に備えて上空に待機させたパグ・ワ・サークも呼び寄せる方法がなければ、監視役として使えない。

 本陣は完全に孤立していた。

 情報がなく意思決定もできない。

 仮にできたとして、兵に伝える伝令がいない。


「仕方がありませんね。私が直接、戦況を確認してきます」

「なりませぬ……! 後方部隊に呪いが振りまかれたのですぞ! 開けた荒野に出るなど自殺も同然です!」


 外へ出ようとして参謀役に止められる。

 実際、彼らの意見が正しい。

 今も本陣の周辺には暴徒と化した兵が徘徊している。

 いかに呪いを解く手段を持つとはいえ、顔を出すのは危険すぎた。

 参謀役や数名の近衛兵と共に本陣に閉じこもるしかなかった。


「……こんなことになるなんて!」


 ネリエは地図を叩いた。

 正義の使徒(カタル・ンガン)には注意を払っていた。

 最も危険だと思っていた。

 にもかかわらず、裏をかかれた。


 ――――まさか使徒が本陣を狙ってくるなんて……!


 正義の使徒(カタル・ンガン)に知能はない。

 過去の情報からネリエはそう判断していた。

 戦闘経験のあるジンと領主も同じ意見だった。

 現れるとすれば最前線。

 正面から向かってくるはずだったのだ。

 背後から本陣を狙うなど思いもしなかった。


「落ち着いてくだされ。仮定の話などしても意味がありませぬ」

「わかっています……」


 もしもの話をしても意味はない。

 この状況をどう切り抜けるかを考えなくては。

 頭を切り替え、わずかな情報から活路を見出そうとする。


 そのとき、陣幕をかき分け、兵が飛び込んできた。


「大変ですッ! 後方支援部隊が奇襲されましたッ!」


 今更だった。

 本陣周辺に暴徒が展開し、半刻以上が経っている。

 今になって驚くようなことではない。

 それとも何か新しい事実が見つかったのだろうか。


「何かわかったことでも?」

「はい! 恐ろしい事実が判明いたしました……! 図面を使ってお教えします!」


 兵は興奮しているのか、平伏も忘れていた。

 地面に膝をつくこともなくネリエに近づいてくる。

 ネリエ自身、特に不審に思わなかった。

 非常時だし、やむを得ないと考えていた。

 兵は机上に広がった地図を見ながら、腰に手を伸ばす。

 ごく自然な動作で刀を抜いた。

 反応する暇などまるでなかった。


「人間に魂を売った売女め!! 貴様は皇国の恥だ!」


 兵は叫ぶと同時に机に上った。

 振り上げた刀がネリエを襲う。

 蝋燭を反射した刃が眩しい。


「危ないッ!!」


 近くにいた近衛兵が刀で応戦した。

 太刀筋はかろうじてネリエの首をそれ、着物の袖を切った。

 ネリエは後ずさりをして、座り込む。


 ……何が起こったかは理解していた。

 襲ってきた兵の顔を見ればわかる。

 心を怒りで満たしたような憤怒の形相。

 呪いを受けた者だった。

 呪いの現れ方は個人によって異なる。

 この兵は演技をする程度には自制心が残っていた。

 それだけの話だ。


 わかっている。

 すべては呪いのせいだ。

 それでも体がついてこない。


「皇女様……、お逃げください……」


 応戦していた近衛兵が苦しげに呻く。

 睨まれた兵もまた呪いに侵されつつあった。

 呪いが陣幕の内側に広まれば、守護軍は終わりだ。

 立ち上がらなくては……。


「参謀……!! 桶をこちらへ!」

「は、はいっ」


 ネリエは腰を抜かしたまま指示を飛ばす。

 参謀に桶を持ってこさせた。

 中身は帝都大霊殿の湧き水だ。

 懐から取り出した盃で水を汲むと、兵に振りかけた。

 効果はてきめんだった。


 彼らは刀を取り落とすと両手で頭を押さえた。

 しばらくは痛みに耐えていたが、やがてはっとしたように顔を上げた。

 何が起こったのかわからないといった顔つきだ。

 おそらくは記憶もないのだろう。


「ふぅ……」


 深く息を吐く。

 机に手をついて呼吸を整える。


 心臓の音がうるさい。

 想像もしていない攻撃に足が震えていた。


 兵の置かれた状況が身にしみてわかった。

 今のような要領で兵が襲われているのだ。

 戦場に信頼できる存在がない。

 これは非常にまずい事態だ。


 早急に手を打たねば全滅もあり得る。

 本陣を守る近衛兵にすら呪いが伝染しているし、守るにも限度がある。

 打って出るべきだ。


 呪いを解いて回ると同時に感染源である使徒を倒す。

 それ以外に道はない。

 しかし、そのための手勢がいない。

 本陣にいる数名では、あまりに貧弱だ。


 加えて、本陣には解呪のために聖水がある。

 守るための人員は最低限配置したい。

 やはり近衛兵以外に動ける遊軍が必要だった。

 地図を睨んでも答えは出ない。


「ネリエ皇女に話がある」


 ふと陣幕が持ち上げられた。

 また来訪者だ。

 近衛兵が警戒しながら、近づいていく。


「何者か!」


 誰何の声に対し、陣幕の隙間から顔を見せたのは、犬の十二天将アンソグ・ディーヨスだった。


「何をしに来た!? 本陣に出入りする許可は与えておらぬぞ!」


 まず参謀役が吠えた。

 敵意を隠さずアンソグを睨む。

 ……目を合わせても参謀役の様子が変わることはない。

 アンソグ自身は呪いを受けていないようだ。


「ネリエ皇女に頼みがあってきた」

「頼みだと!? 貴様、混乱に乗じて皇女様の首を取る気ではないだろうな!?」

「……少し落ち着いてください」


 ネリエは参謀役をなだめる。


「ここは戦場です。敵対派閥の者であっても、仲間ですよ」

「信を置けぬ者を味方とは呼びませぬ! 呪いを受けているかも知れぬというのに!」

「決定は私が行います。口を慎んでください」


 叩きつけるように言う。


「……後悔しても知りませぬぞ」


 参謀役は不満げにそっぽを向いた。

 よほどアンソグに信用がおけないのだろう。


 けれど、懸念としては的外れだ。

 この局面でアンソグが望むものは一つ。

 彼は出立前に語っていた。

 氏族の仇を討ちたいのだ、と。


「あなたの望む状況になったようですね、アンソグ様」


 要望を先読みして言うと、アンソグは肯いた。


「心を見透かされてましたようですな……。いかにも、私の願いとは正義の使徒(カタル・ンガン)討伐にございます。必ずや犬氏族の力で討ち取ってご覧にいれましょう。どうか出陣の許可を」

「勝算はあるのですか?」

「我らは鼻がききます。ここまで呪いを受けずに済んだのも目をつぶったまま移動していたからです」

「目をつぶったままで……」


 事実なら驚嘆すべきことだ。

 いかに天上人が動物の力を持とうとも、視覚に頼る部分は依然として大きい。

 本当に目をつぶって移動できるのなら、確かに視線によって呪いを振りまく相手には相性がいい。


正義の使徒(カタル・ンガン)の現在位置は特定できているのですか? 闇雲に戦場を走り回るような真似は許可できません」

「それは……」


 アンソグが言葉に詰まる。

 場所まではわかっていないのだろう。

 目をつぶっていたのだから、ある意味当然だ。


 今から探す、という提案は受けられない。

 捜索には視覚が必要だからだ。

 目をつぶっていなければ、彼らも呪いの餌食となる。


「話は聞かせてもらったわ」


 沈黙を破ったのは若い女だった。

 陣幕を持ち上げ、堂々と入ってくる。


「何奴!?」


 近衛兵が刀を抜くも、すぐに降ろした。

 姿を見せたのはクネホだった。

 一人だ。

 どう見ても子供にしか見えない彼女が一人で陣幕にやって来たことが意外だったのだろう。

 参謀役は桶の水をぶっかけようとした。

 そして、霊術で弾き返されていた。


「この美しい顔に水をかけるなんてどういうつもりよぉおぉぉぉ!!」

「……し、しかし! このようなか弱い者が一人で混乱した戦地を抜けてくるなど怪しすぎるでしょう!!」

「クネホ様は問題ありません。この状況で最も信用できる方です」


 守護軍で唯一、呪いを弾き返せる存在だ。

 呪いにかからないからこそ、彼女は戦場を自由に移動できる。

 これは大きな利だ。


「……」


 ふと気づく。

 呪いにかからない。

 だから、戦場を自由に動ける。

 使徒を探すのに、彼女以上に適した者はいないのではないか?


「その顔、ようやく気づいたって感じね?」

「まさかクネホ様はすでに……?」

「もちろんよ!! お化粧直しを済ませておいたのよ! 今、最も美しいのは、このクネホ様ってことね!」


「何を言っているのだ、小娘が。今は俺がネリエ様と話しているのだ。割り込むな」


 アンソグが不快感をあらわにする。

 しかし、クネホはなおも小馬鹿にするように笑い、


「あら、そんなこと言っていいのかしら? いいこと、教えてあげないけど?」

「いいことだと……?」

「そうよ。例えば、正義の使徒(カタル・ンガン)が、ここから北東千トルメの位置にいた、とかね?」

「……な、なんだと!?」


 アンソグが驚愕に目を見開く。

 やはりクネホは自身の活かし方を心得ていた。

 普段から奇抜な言動の多い人物だが、時折、鋭さを見せることがあった。

 ここぞという時に絶対に外さない人なのだ。


「……情報と戦力。必要なものがそろったようですね」


 ネリエは静かに告げる。

 偶然の重なりによって好機が生まれた。

 これを逃すつもりはなかった。


「クネホ様、アンソグ様。お二人に正義の使徒(カタル・ンガン)の討伐を命じます。あなた方の活躍に守護軍の命運がかかっています。頼めますか?」

「もちろんでございます! 喜んで拝命いたします!」

「ま、犬っころに手を貸してあげてもいいわよ」


 アンソグは膝をついて応じる。

 その目には薄っすらと涙が浮かんでいた。

 氏族の仇を討つ機会。

 願っていたものが転がり込んできたのだ。


 彼にとっては僥倖だろうが、守護軍が瀬戸際に立たされている事実は変わらない。

 アンソグが正義の使徒(カタル・ンガン)を排除できなければ、この戦は終わってしまう。

 ネリエは二人の十二天将にすべてを託して、送り出す。

 あとは吉報を待つばかりだった。



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