71 出発2
2019/08/19
誤字修正
†ジン†
その頃、ジンは正門からほど離れた野営地にいた。
民が集まる正門前と違い、こちらは閑散としていた。
むしろ野次馬として出ていった分、普段より人が少ない。
エリカは顔が売れているため、民に手を振ったり、声援に答えたりと忙しいようだった。
一方、ジンは人間なので見送りはない。
むしろなくてよかったと思う。
その時間でヒヌカに会えるからだ。
「ジン、必ず帰ってきてね」
「あぁ、できるだけ頑張る」
ヒヌカとは訓練の合間に会う程度だった。
帝都に来てから、なんだかんだで話せる時間は少なかった。
なぜ時間を作らなかったのか。
少しだけ後悔した。
「……そこは、必ず帰る、って言って欲しかったかな」
ヒヌカは苦笑する。
……とは言え、必ず帰れるかは怪しいしな、と思う。
嘘をついた方がよかったのだろうか。
「ジン」
「ん?」
「……抱きついてもいい?」
肯く。
ヒヌカはゆっくりと距離を詰めてきて、……胸に頬を当ててきた。
背中に手を回される。
いい香りがした。
「こんな風にジンにくっつくのって、いつ以来かな……」
「さ、さぁな?」
「……どうしたの? あ、もしかして恥ずかしい?」
「べ、別に? 恥ずかしくないぞ?」
「あはは、恥ずかしいんだ」
笑われてしまった。
実際、かなり恥ずかしい。
逃げようにも背中に手を回されているので逃げられない。
押し付けられた胸が異様に柔らかくて、恐ろしくなる。
なにより、自分の両手は一体どこに持っていけばいいのかがわからない。
――――こんなときくらいしっかりしてやりたいのに。
何をどうすれば、ヒヌカを安心させてやれるのか。
考えを巡らせても何一つ思いつかない。
戦う以外に能がない。
嫌というほど思い知らされた。
「……わたし、待ってるからね」
ヒヌカの声が湿っぽくなる。
まずい。
何か元気づける言葉を。
励ませる言葉を。
何かないのか。
考える。
考えて、ようやく一つの答えにいたる。
「ヒヌカ、この戦が終わったら結婚しよう」
「…………」
自然と口をついた。
言いたいことは何か。
そう考えたら、それが出てきた。
「結婚式、挙げてないし、正式に結婚できてたわけじゃないし……。スグリとかバランガの皆にも報告したいから」
「…………」
間。
恐ろしいことにヒヌカは真顔だ。
「だ、ダメか……?」
「ううん」
ヒヌカは慌てたように首を振って、
「ダメじゃない。すごく嬉しいよ。でも、まさか今、言われるとは思わなくて……」
「今だとまずいのか……?」
「どうかな。ジンらしいと言えば、らしいなぁって、思った」
「や、やっぱりもうちょっとちゃんとしたところでやり直しを……」
「しなくていい。今がよかった。わたし、嬉しいよ」
ヒヌカが顔を上げる。
つま先立ちになって、体重を預けてくる。
唇が、そっと触れた。
「愛してる」
頭が真っ白になった。
ヒヌカの顔が眩しくて、見ていられなくなる。
そう思うのに、目が離せない。
ずっと抱きしめていたくなる。
「必ず帰ってきてね?」
「――――あぁ。約束する」
「うんっ」
やっと笑ってくれた。
目には涙が浮かんでいるが、それでも心からの笑顔だった。
「総大将。間もなく出立の時間です」
本隊から伝令がやって来る。
ジンは短く返事をすると、すぐに戻る旨を告げた。
ヒヌカが名残惜しむように手を離した。
「いってらっしゃい。祈ってるよ、ずっと」
「あぁ。行ってくる」
それ以上、言葉はいらなかった。
何を語ってもいつまで語っても、時間は足りなかったと思うから。
ヒヌカに背を向けて、隊へ戻る。
――――なんとしても勝とう。
――――ここで戦いを終わらせよう。
昨晩の熱が再び腹の底に宿る。
人知を超えた災厄との戦争であろうと、わずかほどの恐れもなかった。
ヒヌカが祈ってくれているから。
それだけで自分は無敵だ。
絶対に負けない。