68 前夜
†ジン†
混成軍の訓練は熾烈を極めた。
実践を想定した模擬戦では霊術を使った。
殺すつもりで霊術を使い、命懸けで応戦した。
救護班が常駐していても、命を落とす者が続出した。
当初の甘えた空気は微塵もなく、皆が命を懸ける覚悟を持っていた。
氏族間の結束も深まり、行動に統率感が出てきた。
獅子、虎、牛、兎、猿、人間。
そして、切り札であるパグ・ワ・サーク。
以上、総勢約三千五百が皇国最後の軍だ。
名を皇国守護軍とつけられた。
アンソグが集めた軍勢には数の面で大きく劣る。
しかし、戦力的には遥かに上だとジンは自負する。
――――こいつらとなら負けない。
決戦を控え、軍の士気は更に高まっていた。
†
あっという間に日が過ぎた。
暖かな日差しが降り注ぐ日が増えてきた。
報告によれば、ラバナ山の雪も溶け始めたらしい。
いよいよだ。
誰しもがそう思っていた。
皆、一層集中するようになった。
そして、とうとう出立の日付が決まった。
出立前夜、エリカは私財をなげうち、宴を開いた。
練兵場に運び込まれた大量の酒を前にして、兵は歓喜の声を上げた。
「どうしたぁ! それしか飲めねぇのかぁ!?」
「か、勘弁してくれ! もう無理だ!」
牛の天上人は盃を持ったまま倒れた。
宴と言えば飲み比べだ。
胃が四つあると聞いてどんなものかと思ったが、あっさり勝った。
物足りないので、自分用の酒瓶を手に取った。
「おいおいおい、人間王、まだ飲むのか!?」
領主が呆れたように言う。
言いつつ領主の前にも殻になった樽が置いてあった。
……こいつ、これを空にしたのか。
「領主!」
「はい!」
「お前はたくさん飲んだな! 偉い!」
「ありがとうございました!」
領主はお辞儀をする勢いで盃に顔を突っ込んだ。
意味不明だが誰も指摘しない。
お辞儀しながら飲むとは酒飲みの鑑だと褒め称える。
完全に場が出来上がっていた。
遠くを見れば、忍びが虎に絡まれている。
忍びは普段酒を飲まない。
彼らは欲につながるものを一切断っているのだ。
王が参加するから仕方なく居合わせているだけだが、他の連中はそんな事情を知らない。
「その服、格好いいよなぁ! 忍び装束って言うのか?」
「えぇ、まぁ……」
「なんで顔を半分隠してるんだ?」
「……それはそういうものなので」
会話も一応成り立っている。
ここがすごいところだ。
この軍では人間と天上人に区別がない。
最初こそ衝突があった。
ジンが総大将を務めることに異論が噴出。
方々の腕っぷし自慢が人間などに任せられるかと文句を言い、挑んできた。
そして、全員が返り討ちにされた。
軍隊における基準は強さだけだ。
だからこそ、人間と天上人が別け隔てなく一つの指標で評価された。
カルを含む忍びは純然たる体術で天上人を上回り、彼らを震撼させた。
もちろん、ジンの炎もだ。
霊術ありの模擬戦では、ジンが入った方が必ず勝った。
原典にして最強の霊術である青い炎は森羅万象を焼き尽くす。
霊術を、大気を、時間を。
訓練と共に扱える技の種類も増え、もはやジン一人で軍勢を相手にできるほどだった。
この戦は個の力が趨勢を決する。
その意味で十二天将の存在は大きい。
「十二天将だと誰が一番強いんだろうなぁ」
耳を澄ますと、誰かが十二天将のことを話していた。
今現在、皇国守護軍には五人の十二天将がいる。
獅子、虎、牛、兎、猿だ。
「霊術にも有利不利があるからな。それに戦闘向きじゃないのもあるだろ?」
「確かになぁ。トゥービ・タンゴールはそうだよな」
彼の霊術は瞬間移動だ。
自分や他人を瞬間的に移動させることができる。
範囲は彼が認識できる空間ならどこでもよい。
「戦闘向きと言ったら虎か?」
「ラジン・クムハか」
彼は名簿には名を連ねるも、一度も訓練に来ていない。
酒、女、金にしか興味がないため、と虎を代表してマティガスが謝罪していた。
彼の能力は奇しくも領主と同じ召喚能力だ。
何でも斬れる刀を呼び出す。
現存する霊術では最も青い炎に近く、対象が概念であれ物体であれ、切断可能という代物だ。
「獅子と虎は身体能力が高いからな、十二天将でも上位に食い込むだろう」
「あとの三人はどうだろうな?」
兎の十二天将クネホ・パウマンヒンは、見るからにか弱い。
エリカと同い年くらいの女の子だ。
それでも戦場に出てくるのはエリカに借りがあるかららしい。
霊術は、自身に降り掛かった事象を他者に跳ね返す能力だ。
防御特化型で、本人だけは無敵という使い所の難しい技だ。
牛の十二天将ガタス・パガワーンは体を百倍の大きさにする能力。
猿の十二天将カメイ・ウィーテは知っているものを何でも工作できる能力。
「牛はともかく猿の方は完全に後方支援向きだなぁ」
「ま、結局、使いどころが難しい霊術ばっかりなんだよな。単純な炎が一番だろ」
「それだな。アレは反則だからな」
ジンが聞いているのを知らないのか、十二天将談義は青い炎が最強という結論で終わった。
大変気分がよい。
気分がよいので、話している奴らに酒を呑ませてやることにした。
「おい、お前ら、俺が強いって言ったか?」
「うわ、大将!? い、言いましたけど……」
「よし、褒美に酒をやろう!」
「い、いや、自分たちはもう限界なんで……」
「俺の酒が呑めねぇのか!?」
相手は自分より二倍くらい体がでかいが、怯みもしない。
力づくで相手に盃を持たせ、酒を注ぐ。
「せーので一気飲みだからな!」
「…………はい」
なぜか場の雰囲気がお通夜のようになる。
そのとき、マティガスがやって来て、
「総大将殿ッ――――!! 宴と言えば舞でありますぞ! 何をこんなところで湿気た酒を飲んでいるのでありますか! 楽師と女を呼びました故、踊りましょうぞ!」
「あぁ? うわ、なにをする」
虎に四方を囲まれる。
担ぎ上げられ、あっという間に違う場所に連れて行かれる。
「お、降ろせ! お前たち、こんな時だけ連帯感を出すな!」
放り出されたのは皇族が使う物見台の前だ。
見上げれば、確かに楽師と思しき影があり、近くには踊り子も待機していた。
周りを見れば、音楽に合わせ、兵が女たちと踊っていた。
眺めるだけの者も入れば、混ざって踊る者もいる。
「このマティガス、全財産をはたいてご用意いたしました! お楽しみください!」
「お前、そんなだからカミさんに怒られるんだろうが!」
「私の用意した女では不服と申されますか!」
「そうじゃねぇ!」
そもそも踊りは得意じゃないし、やり方がわからないのだ。
しかも、女と踊る。
「間違えると嫌な顔をされる奴だろ。そんなの絶対やらないからな」
「総大将殿が踊るぞ――――! 者共場所を開けろ――――!」
「おいおいおい!?」
暴走したマティガスが兵を突き飛ばし、場所を作る。
さぁどうぞ! とばかりに兵も自らどいていく。
誰が総大将と踊るのかで、踊り子たちがそわそわし始める。
万事休すと思われたそのとき、
「じゃあ、僕と踊ろ?」
後ろから声をかけられた。
カルだった。
「……お前、踊れるのか?」
「さぁ? やったことないからね」
その割には強引だった。
手を握られ、広場の中央へ連れて行かれた。
おぉ、と歓声が上がる。
注目が集まる。
――――こうなったらヤケクソだ。
音楽に合わせ、カルと踊った。
カルは小さくて柔らかかった。
楽しそうに笑っていた。
酒を呑んでいるせいか、いつもよりカルが眩しく見えた。
どうしてこうなったんだったか。
途中からよくわからなくなった。
「いいぞ! お似合いの夫婦だ!」
「夫婦の舞だ! こいつはぁ、演技がいいな!」
あちこちから冷やかしの声が飛ぶ。
夫婦じゃないぞ! そう言い返そうと顔だけで振り返るが、……その顔にカルが手を添えた。
両手で包み込むように、ゆっくりと顔の向きを変えられる。
カルはいたずらっ子のように笑っていた。
「こういうのもたまにはいいんじゃない?」
「……仕方ねぇな」
曲調が変わる。
打楽器を中心とした音楽が、弦楽に主役を渡す。
滑らかな旋律が場を満たした。
それから、ジンはほんの少しだけカルと踊った。
間もなくエリカが練兵場に到着し、宴は終焉を迎えた。