66 作戦
†ジン†
エリカに呼び出され、ジンは皇城を訪ねた。
離宮に来るのは二度目だが、入るのは初めてだ。
外見の豪華さとは裏腹に、仲は質素だ。
通された茶室ではエリカが一人で待っていた。
「俺だけか?」
「そうよ」
他に誰も呼んでいない。
直接、話す必要があって、他人に知られたくないこと。
秘密の臭いがする。
「で、話ってのは?」
「作戦の説明よ」
作戦。
確か雪解けと共に決戦だったはずだ。
詳細はエリカが考案中だ。
煮詰まったのだろうか。
「あんたが肯けば、あたしはそれを皇帝に奏上する。そうなったら変更は利かない」
「? ……したらいいだろ?」
作戦はエリカが一人で決める。
今までずっとそうだった。
今回も決められた通りに動くつもりだ。
「それじゃ足りないの。あんた一人が戦って終わりじゃないんだから」
曰く、軍隊は全員が連携して動く必要がある。
高度な動きを求めてもいいが、難しすぎるとできない恐れがある。
今の軍でできる範囲でなければならないのだ。
そして、ジンは訓練の様子を常に見ている。
エリカの要求は、今の軍が考案中の作戦をこなせるか判断することだ。
「判断基準は自分ができるかじゃないからね? 軍としてできるかよ?」
そう前置きして、エリカは資料を広げた。
「まず、敵勢力の概況を。悪しき精霊は五日ほど前に復活が確認されたわ。けれど、予言によれば雪解けまでは動かないし、こちらも攻められない」
アンソグ・ディーヨス率いる鬼霊討伐軍は雪でやられた。
敵は赤い雪を攻撃に利用するためだ。
ソテイラが用意したと思しき機械兵はアンソグのお陰で数を減らした。
残存数は目算で五千ほどだ。
砲撃型と白兵戦型の二種類。
いずれも霊術で掃討可能だ。
しかし、攻撃力だけは高いため、劣勢時には驚異となる。
そして、使徒に関してエリカは過去の記述を見つけていた。
「……過去?」
「マナロ戦記よ。大霊殿の捜索で、その原典が見つかったの」
原典は宝物殿に奉納されていた。
封印霊術が施され、歴史上、一度も開かれたことがない。
霊公会にとっては秘跡中の秘跡だが、現状を招いた責任が霊導師にあることは否めず、封印解除が許された。
真紅ノ盃により鎖が解かれ、中身が改められる。
それはマナロが直筆で記した、戦記の一部始終だった。
「正直、絶望したくなるような内容が書かれていたんだけどね」
「そうなのか? マナロは勝ったんだろ?」
「勝ったわ。けれど、マナロ一人で勝ったわけじゃない」
「仲間がいたからか」
「ある意味ではね」
ある意味では。
含みを持たせる言い方だった。
協力者がいたのだろうか。
確かテダはマナロの味方をしたはずだ。
科学があったという話だろうか。
「精霊から加護を賜った者はマナロだけじゃなかった。当時、世界に五人いたのよ」
「はぁ?」
全然違った。
エリカは恐ろしいことを言った。
木、火、金、水、土。
各属性を司る精霊は五人の担い手を選んだ。
マナロはそのうちの一人だったというのだ。
「ちょ、ちょっと待て! なんだそりゃ……。話が違うだろ!」
「でも、事実なのよ」
「マナロ戦記は? あれはなんだったんだ?」
マナロの活躍が書かれていた。
一人で倒した風にも読めるが、五人では前提も変わる。
「厳密には同時期に五人が戦ったわけじゃないようだけどね」
当時、五人は別々に戦った。
記録によればマナロが最後。
彼の前に四人の担い手が挑み、破れていた。
五人が揃わなければ勝てないというわけではない。
しかし、マナロが戦う前に四人が敵戦力をかなり削っていたはずだ。
最強の霊術が一つと五つは全然違う。
「他の四人を探した方がいいんじゃないのか?」
「それも考えたわ」
考えただけなのか。
「探したけど見つからなかった、と言うべきね」
「探し方が悪いんじゃないのか?」
「いえ、痕跡は見つけたわ。たぶん、いたのよ。この大地のどこかに」
「いた?」
まるで今はいないかのような言い方だ。
「一つ例を挙げるわ。手記によれば、木の精霊は同族の風の精霊を使役できたとされるの。心当たりがあるでしょう?」
「……ある」
「木の精霊に愛されたのは、スグリよ」
スグリは霊術が使えた。
なぜなら精霊に選ばれたから。
むしろそう考えるのが自然だ。
人間は霊術を使えない。
使えるようになったからには、何かしらの理由があるはずなのだ。
ジンが炎の精霊に選ばれたように。
「スグリがそうだったってことは、五人のうち一人は……、戦う前に死んだんだな」
残りは三人しかいない。
そいつらはどこにいるのか。
「これはあたしの推測なんだけどね」
エリカは気まずそうに言う。
「今回、精霊は人間を担い手に選んだと思うの。だって天上人はすでに霊術を持ってるでしょ? これは炎の精霊の加護。他の精霊が重ねて加護を授けるとは考えにくい」
「それで……?」
「授けられた人間がどこへ行ったか? これが問題よね。おそらくだけど、三人はジンやスグリのように霊術に目覚めたはず。……ただ、あんたたちほど運がよくなかった」
「…………運がよくないと、どうなるんだ?」
答えは見えていた。
見えていて、それでも、見たくなくて、ジンは聞いた。
「バサで人間がどう扱われているかはジンの知る通りよ。たぶん、残りの三人も死んでいるわ」
「…………」
思わず無言になってしまった。
笑えない。
全く笑えない冗談だ。
しかし、冗談ではないらしく、エリカは真顔だ。
「天上人が、……殺したのか?」
「……」
「戦いに必要な奴なのに?」
「……」
「どうかしてるんじゃないのか!?」
五人いなければ勝てない。
だから、精霊は五人を選んだのだ。
なのに、それを、……殺すとは……!
どうせ天上人のことだ。
何も考えずに暴力を振るったのだろう。
人間が霊術を持つなど生意気だとか。
そんな理由で殺したに違いないのだ。
「……どうかしてるのはわかってる。あんたが怒るのも無理はない」
気づけばエリカに手を握られていた。
エリカはジンの手を祈るように自分の額に押し付けていた。
押し付けたまま、言葉を紡ぐ。
「ここは愚かな天上人の国。それをあたしが認めていい。…………だとしても、守って欲しい」
守れ。
このクソ野郎たちを。
……言葉にすると、恐ろしい提案に思える。
なぜ守らねばならないのか。
愚かな天上人たちを。
いなければいい奴らを助ける必要がどこにあるのか。
ないに決まっていた。
どうせ天上人など――――。
エリカの手に力がこもり、ジンは我に返った。
……深呼吸をしよう。
ここで怒っても何にもならない。
息を吸って、吐いた。
エリカの角が手に当たって、ちょっと痛い。
「……悪い。意味もなく怒った」
「怒る権利はある。でも、今は待ってほしいの。いずれ、責任の取り方を考えるから」
「その話は前も聞いた。けど、悪いのはエリカじゃないだろ」
エリカは天上人だが人間の味方だ。
責任を取るべきは違う誰かだ。
そして、区別するのは自分の仕事ではない。
敵を倒すこと。
それだけを考えればいい。
もう一度、深呼吸をして、ジンは資料に目を落とした。
「作戦は決まってるのか?」
「えぇ」
話を戻す。
エリカは地図を取り出して説明した。
「部隊を二つに分けるわ」
片方が使徒攻略に専念し、もう片方が悪しき精霊の本体を叩く。
手記によれば、敵を全滅させる必要はなく、悪しき精霊を青い炎で弱らせることができれば、使徒も倒れるらしい。
これには大きく三つの困難がある。
一つは使徒の精神攻撃。
四本の腕と二つの顔を持つ異形。
名は正義の使徒。
それに睨まれたものは心を義憤で満たされ、正義を履行しようとする。
「マナロ戦記では、初代人間王テダが引き連れていたアンドロイド兵で攻略したとされるわ。アンドロイドには心がないから。……けれど、今回はアンドロイドが敵に回っている。対抗する手段はあたしたちになく、視界を塞ぎながら戦うしかない」
視界がなくとも一部の天上人は臭いや振動を頼りに周囲を”見る”ことができる。
種族の利を活かし、対策可能な部隊を編成するそうだ。
もう一つは、アンソグが見たという巨大な二枚貝。
名を拒絶の使徒と言う。
推定五十トルメの幅を持ち、地上百から二百トルメの高さに浮遊する。
能力は、ありとあらゆる霊的な力の拒絶。
青い炎や禁呪であっても例外ではなく、悪しき精霊に対する一切の攻撃を無力化する。
だったら、回り込めばよいのではないか?
それも無意味だ。
拒絶の使徒は次元を歪曲する。
いかなる方向から攻め入っても、悪しき精霊の前に必ず立ちはだかる。
倒さない限り、悪しき精霊には近づけない。
最重要攻略対象だ。
「弱点はあるのか?」
「一応。前回は初代人間王が持ち込んだロボットで倒したそうだから。つまり、霊的な力は拒絶しても、物理的な攻撃は通るのよ」
ただし、二枚貝の外見が示すように、物理的な攻撃に対しても相応の耐久性がある。
バサ皇国にあるような武器では歯が立たないだろう。
エリカが作った兵器でも同じだ。
唯一、対抗可能なのは、最盛期にあった人間国ミンダナが作り出した三体のロボットくらいとのこと。
「で、幸いなことに三人の王子が乗っていたロボットのうち、一体がここにある」
「……俺が乗ってきた奴か?」
エリカは肯く。
第一王子専用機体、超重量殲滅兵装。
あれが本作戦の切り札となる。
最後に正義の使徒と同等以上に厄介な敵、殺意の使徒。
実体を持たぬ影のような存在で、赤い雪を媒介に”死”を振りまく。
これに関しては避ける以外に対策はない。
また、殺意の使徒は破壊不能だ。
攻撃を加えると一時的に霧散するが、時間と共に復活すると報告にある。
まとめると第一分隊が、殺意の使徒を引き付けつつ正義の使徒を撃破。
その隙に第二分隊が拒絶の使徒を破壊し、悪しき精霊への道を開く。
最後にジンが悪しき精霊にとどめを刺す。
以上が作戦の流れだ。
「悪しき精霊の能力が不明なことも踏まえると、不確定要素は多いけれど、本番はこれを十刻(約五時間)以内にやってもらうことになるわ」
「……なんで時間が決まってるんだ?」
「悪しき精霊が下位精霊を召喚するからよ」
悪しき精霊は自らの領域に敵が一定時間留まると、新たな戦力を呼ぶという。
呼び出されるのは、怒りと憎しみの精霊の下位精霊。
過去の戦闘では、金と水の担い手が下位精霊に殺された。
双方とも召喚までの時間は一定だったという。
言い換えると、木と土の使い手は十刻を耐えられなかったということだ。
「作戦は以上。大人数でも動きやすいよう単純にしたけど、どうかしら? やりきれる自信はある?」
「……自信か」
聞かれても困る。
勝てると思って戦ったことは一度もないのだ。
でも、エリカの立てた策だ。
エリカがこれ以上はないと言っている。
だったら、それが最善に決まっていた。
「よくわからんけど、それが一番ならそれで行こう」
「なにそれ」
エリカは回答が気に入らなかったらしく、
「自分の命がかかってるのよ。資料くらい見たら?」
「いい。お前の策に懸けた」
細かい話はいらない。
誰ならば命を預けられるか。
その方が大切だ。
「……そう言われると、軍師として嬉しいものがあるわね」
エリカは顔がニヤけるのをこらえながら、資料をジンに押し付けてくる。
「領主を含む隊長格にだけ説明しておいて」
「わかった」
「これから、あたしは皇帝に奏上しに行く。形だけだから承認は確実と思う。そうしたら、あとはあんたの戦場」
「うん」
「だけど、あんたに責任を負わせるつもりもない。あんたが死んだら、あたしも死ぬわ」
「それは、」
ダメだ、と言いかけて指先で口を塞がれた。
エリカは本気の顔をしていた。
わずかほどの冗談も混じっていなかった。
「言ったでしょ。身も心も捧げるって。一つくらい約束は守らせて」
言うと同時にエリカは資料を持って離宮をあとにする。
戦うのは自分だけだと思っていた。
全然違った。
エリカもまた自身の戦場で戦っているのだ。
――――頑張れよ。
聞こえはしないだろうが、後ろ姿にそうささやきかけた。