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65 避難民2

長くなりました


    †ヒヌカ†


 昼頃に不思議なことがあった。


 資材の整理をしていたらいきなり肩を掴まれた。

 振り向いたら怖い顔の天上人がいた。

 彼らは紋章を見ると、平謝りを始めた。


 最近、似たようなことが増えていた。

 どうもお守りには、効果があるらしかった。


 ヒヌカは銅板をつまむ。

 野営地に支援が足りないからなんとかしたい。

 そんな相談をドラコーンにしたのが五日前。

 一笑に付されると思ったが、ドラコーンは物資を手配してくれた。


 お陰で食い詰めた天上人や庇護を受けられない人間にも食事が行き渡るようになった。


 ――――外はならず者が多いと聞く。これを持っていろ。

 ――――なんですか、それ。

 ――――お守りだと思え。


 作業の際にはお守りを付けること。

 それがドラコーンとの約束だった。

 役に立つのか不明だったが、効果を目の当たりにするとテキメンだとわかった。


 今までもお守りの効果らしき出来事はあった。

 最初、野営地には人間をいじめる天上人がいた。

 ヒヌカが見回りを始めると、そうした天上人はすぐに大人しくなった。

 時にはヒヌカを見た瞬間に天上人が平伏する場面もあった。

 そのときは後ろに誰かいるのかと思った。

 しかし、今日の出来事も踏まえるとお守りのお陰のようだった。


 刻まれるのは龍の紋章。

 天上人からすると、重要な意味を持つようだった。


 舞踊、作法、詩歌。

 上流天上人と話すため、ヒヌカはかなり勉強してきた。

 一方、市井の常識はまだまだ疎い。

 教えてくれる知り合いがいればいいのにと思う。


「頼まれていた布だ。置いておくぞ」


 そのとき、通用門から新しい箱が届けられた。

 お礼を言って蓋を開ける。

 中身は紺青の布。

 死者の顔にかけるものだ。


 野営地から歩いて半刻のところには墓地があった。

 昨日から大量の遺体が運び込まれ、放ったらかしになっている。


 半分は野営地での生活に耐えられなかった者たち。

 もう半分はラバナ山の戦で亡くなった者たちだ。


 人間と天上人を合わせると、千や二千ではきかない数だ。

 どちらが多いかは不明だが、死者は等しく敬われなければならない。

 そのためにヒヌカはドラコーンに青い布を頼んでいた。

 青は神聖なる炎の色。

 魂に加護があるようにという願いが込められている。


 早速、布を運ぼうとしたそのとき、背後から声をかけられた。


「人間、天上人の野営地はここかい?」


 振り返ると、美人が立っていた。

 冬なのに着物を着崩し、肩をむき出しにしていた。

 心臓の位置に入れ墨がある。

 妙な色気のある人で、女のヒヌカでもドキドキした。


 種族は、たぶん、蛇。

 着物から長い尻尾が伸びているからだ。


「ここは人間も天上人もいますよ。天上人の野営地は正門近くです」


 そう答えると、蛇女は意外そうな顔をして、


「……人間も天上人も?」

「はい。ここでは相手を区別せずに食事を配っています」


 天上人にも種類がいる。

 昼頃にやって来た三人がそうだ。

 何らかの事情で天上人だけの野営地に入れない人たち。

 ここにはそうした訳ありの天上人も住んでいた。


 最初、天上人と人間は互いに距離を置いていた。

 ヒヌカが間に入ると、普通に話せる相手だと互いにわかってくれた。

 今では人間同士の喧嘩に天上人が仲裁に入ることもある。


「なんだいそりゃあ……。あんた、一体、何を、」


 言いかけて蛇女が固まる。

 視線がヒヌカの胸元に向いていた。


「これですか? お守りだと言ってもらったんです」

「……誰からだい?」

「ドラコーン様です」



 説明にはかなりの時間を要した。

 ドラコーンと仲良くなるまでの過程。

 困っている人を助けたいと思った理由。

 いろいろなことを話した。


 話しながら、ヒヌカは仕事を続けた。

 木箱を開け、縛られた布を取り出そうとする。

 思ったより結び目が固くでほどけない。


 蛇女は最後まで黙って聞いていた。

 時折、相槌を打ちはするが、意見は言わなかった。

 大まかな流れを話し終えると、蛇女は言った。


「人間が皇帝とお友達とはね。ふざけた話だ」

「気に入りませんか?」

「当たり前だろうよ。人間と天上人が仲良くしてどうする? 吐き気がする」


 蛇女は言って、木箱から降りた。

 そして、荷車を指さした。


「あれ。あんたに任せるから」

「なんですか、あれ」


「中身は食い物だ。適当に配りな」

「いいんですか……?」

「そのために持ってきたんだ。言っとくけど、人間に食わせるつもりは微塵もないよ。天上人だけに配りな」

「……それはできません。ここでは平等に配っていますから。――――っ」


 突然、呼吸ができなくなった。

 何が起こったのかわからなかった。

 しばらくして蛇女に喉を掴まれていたことに気づく。


「あのさ、誰に意見してんだ? 皇帝の所有物だかなんだか知らないが、人間は人間だ。天上人に意見を言うなんざ、あんたの仕事じゃないんだよ」

「……う、あ。ゲホッ、ゴホッ」


 力が緩む。

 ヒヌカは地面に膝をついて咳き込んだ。


「これが天上人の力だよ。人間じゃ敵わないのさ。意見を言える立場にあんたはないんだよ」

「……じゃあ、どうしてあなたは、食料を持ってきたんですか?」

「あぁ?」

「その食料は誰かを助けるために持ってきたんじゃないんですか?」


 おそらくは貧しい天上人のために。

 蛇女がなんのためにそうするかはわからない。


「貧しい者を救いたいと言う者が人間にだけ貧しさを押し付けるのはなぜですか?」

「説教を始めるとは驚いた。まだ自分の立場がわかってないようだね」


 蛇女はヒヌカの腕を掴んで立ち上がらせる。

 半ば宙吊りの格好でヒヌカは続けた。


「……わたしは、ここに来て多くの天上人を見ました。貧しい人たちに共通するのは、身分の低さです。身分が低いという理由だけで食事がないんです。あなたも、それを知っているはずです」


 なぜ蛇女が知っていると思ったのか。

 根拠はなかった。

 ただ、蛇女にはドラコーンのような生まれつき高貴な者が持つ匂いがなかった。

 今でこそ高価な着物を着ているが、ひょっとしたら昔は貧しさを知るような生活をしていたのではないか。

 そう思った。


「……だったらどうなんだい?」

「身分なんてない方がいい。その方が平等です。あなたもそう思ってる。なのに、どうして人間にだけ身分を押し付けるんですか?」

「勝手に人の考えを語るんじゃあないよ。いつあたしがそう言った?」

「でも、思ってるんですよね?」

「あんた、他人を怒らせる天才だね? 人間相手にこんなに腹が立ったのは初めてだよ」


 蛇女の手が頬を撫でた。

 爪を立てられると、刺すような痛みが走った。


「もうすぐ悪しき精霊(サイタン・マサマ)が蘇ります。人間と天上人が協力できなければバサ皇国は滅びます。なのに、どうして仲良くできないんですか? わたしにはわかりません。あなたたちがどうして人間を嫌うのか。国がなくなってでも人間を奴隷にしたいんですか?」


 殺される覚悟で反論した。

 ジンがいつも言っているからだ。


 ――――たとえ、死んでも人間の誇りを捨ててはいけない。


 王が怯めば、天上人は人間を馬鹿にする。

 やはり奴隷だったと笑うから。

 だから、笑われないように最後まで意見を言い続ける。


「……はぁ、付き合う気が失せた。どうでもいいや」


 蛇女は唐突にヒヌカを離した。

 そして、興味を失ったとばかりにどこかへ消えた。

 助かった。

 まずそう思った。


 それから、説得できなかったことを悔しく思った。

 あんな人が皇国にはたくさんいる。

 きっとジンの周りにもいるだろう。

 でも、ネリエは言っていたのだ。

 手を取り合わなければ勝てない、と。

 どうしたらわかってくれるのだろう。


 もやもやを抱えながら仕事に戻る。

 諦めていた結び目に再挑戦する。

 一体誰が結んだのか、結び目はびくともしなかった。


「貸しな」


 後ろから手が伸びてきた。

 蛇女だった。


「この結び方は解くのにコツがあるんだ」


 彼女はいとも容易く結び目を解いてみせた。

 見事な手際だった。

 生まれつき高貴だったら、こうはならない。

 やはり平民の出身なのだろう。


 いや、それよりも、なぜ戻ってきたのか。

 しかも、手伝ってくれるのか。

 まるで読めない。


「あ、ありがとうございました……」


 とりあえず、お礼だけ言うと、


「これ、どうするんだい?」

「…………えっと、共同墓地へ運んで、亡くなった方にかけます」

「そこでも天上人と人間は平等なわけだ」

「……はい」

「ふぅん」


 蛇女は置き去りにしていた荷台から食料をおろし、空いた場所に布を乗せた。

 そして、絶対に力仕事向きではない着物のくせに、自ら荷台を引き始めた。


「場所は?」

「あ、あっちです……」


 ヒヌカは蛇女を先導する。

 どうしてこうなったのか、まるでわからない。

 怒ったり、殺そうとしたり、手伝ったり。

 同じ人物ではないとすら思える。


「協力しなけりゃ国が滅ぶ。そりゃすごい脅しだよ。けど、滅ぶってことがどうしても理解できない奴ってのは必ずいる」


 蛇女は言う。

 ヒヌカは黙って聞いていた。


「損得を捨てきれない奴もいる。そういう奴らは兵を出さない。なるべく、いつも通りにするんだ。一番得するのは、力を使わなかった奴だからね。その方が賢いだろう? 人生を賭けた大博打。国が滅ばなければ大勝利。分の悪い賭けじゃないし、やろうとする奴はいくらでもいる。汚い奴は絶対にいるし、いなくなることはない。同じだよ。人間が奴隷でないと都合が悪い連中が必ずいる。そいつらにとって、マナロ戦記の正しさなんてどうでもいいのさ。ただ損と得があるだけ。だから、いなくならない」


 言葉をゆっくりと噛み砕く。

 蛇女は大切なことを語っていた。

 人間を奴隷だと主張する動機。


 絶対的にそうだと教育されたから。

 マナロ戦記を正しいと思っているから。

 当たり前のことになっているから。

 だから、人間は奴隷。

 天上人は主人。


 そういう構図があるのだと、ヒヌカは思っていた。

 実際、見える範囲にいる人間や天上人の多くがそうだった。


 しかし、蛇女は言うのだ。

 身分差や奴隷は誰かの都合でも生まれる、と。

 そこに損得があるから、なくそうとしない奴がいるのだ、と。


「……どうしたらそういう人たちを説得できるんですか?」

「できやしないよ。天上人が人間を奴隷にするのは、それが当たり前だという価値観があるから。それだけなら、時間をかけて正せばいい。強い力があれば、どうとでもなる。けれど、損得で考える連中は、絶対に考えを改めない。そして、重要なのは損得で考える連中ってのは、大抵、強い力を持っている張本人なのさ」


「ネリエ皇女がなんとかしてくれると信じています」

「小娘じゃ無理だね。絶望的に人気がない。今の皇帝でも同じさ。どいつもこいつも建前では従うフリをする。けど、実際は軽んじられている」

「……誰ならできるんですか?」

「そんな奴はいない」


 蛇女は即答した。


「始皇帝ですら、民を御することはできなかった。どれほどの恐怖を与えても、損得で動く奴らは湧いてくる。感覚がぶっ壊れてるんだよ。なにせ、国が滅ぶかどうかも博打感覚だからね」

「……ひどい人たちですね」

「そうさ。だから、あたしもそっち側になろうと思ったのさ」


 なろうと思った。

 言葉には切実な響きがあった。

 なりきれなかったという意味を含むのではないか。

 だから、最下層の天上人に施しをしようと思ったのだろうか。


「ここで大丈夫です」


 共同墓地に到着する。

 身元不明の遺体がずらりと並んでいた。

 冬だから臭いはない。

 しかし、どうしても拭えない死の香りが充満していた。


「あぁ、こいつらも来てたのか」


 蛇女は無縁墓地の一角で足を止めた。

 そこには見るからに貧しい天上人が並んでいた。


「……お知り合いですか?」

「出身が同じだけさ。ミグルの貧民街では、貧民に入れ墨をする。胸にあるだろう」


 遺体の胸を見る。

 十字の入れ墨が残されていた。

 それは蛇女の胸にあるものと同じだ。

 さっき配給所に来た天上人にもあった。


「どういう意味なんですか?」

「さぁね。もう忘れちまったよ」


 蛇女はつまらなそうに言う。

 しかし、貧民にだけ入れ墨を彫るのだから、よい意味ではないだろうと思う。

 たとえば、皇帝の紋章を持っていたヒヌカに天上人が手を出さなかったように、十字の入れ墨を持つ者には、何らかの処遇が課された、とか。

 差別の対象だったのかもしれない。


 だとしたら、蛇女はその階級から這い上がったことになる。

 上等な着物を着られるくらいに。


 なのに、どうして入れ墨を隠さないのか。

 貧民だった証をなぜ表に出すのか。

 これは想像でしかないが、たぶん、貧民を守るためだろう。


 ――――あの偉い人と同じ入れ墨を持っている。


 そういう話が広まれば、入れ墨の悪口を言う者は減るはずだ。

 そんな狙いがあるのではないか。


「やっぱり、いい人なんですね」

「誰が」

「あなたが。多くの天上人があなたみたいだったらいいと思います」


 素直な気持ちを伝えてみると、蛇女は苦り切った顔になった。


「……所詮、人間だね。頭がどうかしてるとしか思えない発言だ」


 それきり、無言になった。

 二人で青い布を遺体にかけていく。

 布の数も遺体の数も千以上。


 布を使い切る頃には、すっかり日が傾いていた。

 荷車を引いて野営地へ戻る。

 あちこちで焚き火が始まっていた。


 夜の配給準備をしなければならない。

 運ばれていた木箱の周囲には、昼に見た三人組の姿があった。

 彼らはヒヌカを見ると、慌てた様子で平伏していた。


「……そう言えば、あの人たちにも入れ墨がありました。同じ街の生まれなんですね」

「なんだ、知り合いなのかい?」

「今日の昼にちょっとだけ」


 事の顛末を話す。

 蛇女は黙って聞いていたが、唐突に、


「今日は帰る。食事と布は貸しにしておく」

「……貸し、ですか?」

「あんたはミグルの者に施しをした。遺体の弔いもした。これはあたしにとっては借りだ」

「難しく考えなくてもよいですよ?」

「キッチリさせたい性分でね。借りは返す主義なのさ」


 蛇女は肩をすくめる。

 そして、名を明かした。


「あたしはヘンプ・ウルポー。あんたは?」

「ヒヌカです。またいらしてくださいね、ウルポーさん」


 笑顔で送り出す。

 ヘンプ・ウルポーは気まずそうに顔をそらした。

 結局、仲良くなれたのかはわからない。


 言葉は汚いけれど、いい人だとは思う。

 あんな人が増えてくれればいいのに。



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