61 訓練
2019/08/19 誤字修正
†ジン†
帝都の東。
起伏に乏しい平野部には練兵場があった。
下草を抜いてならした土地がどこまでも広がり、時折、霊術の的になる盛土が見える。
練兵場には宿舎もあり、炊事場、風呂場、発令所、果ては将兵の娯楽施設まで、千人以上が泊りがけで訓練できる充実の環境だった。
しかし、こうした施設が使われたのは二百年前までで、今では大半が埃をかぶっている。
所有者はバサ皇国正規軍。
バサで唯一皇帝が所持する軍隊だ。
五百年前までは、皇国に併呑された小国の残党狩りやミンダナへの遠征など、それなりに仕事があった。
ところが、ショーグナが安定し、争いがなくなると、皇国軍の出番は減った。
今では式典で行進したり、曲の演奏をしたりが主な仕事だ。
兵には戦闘力より芸者としての能力が求められ、ここ二百年で質がガラリと変わったという。
それでも武人の誇りを捨てきれぬ将兵たちは、月に一度は泊まり込みの訓練を実施し、練兵場はそのときだけ盛況となる。
逆に言えば、それ以外では使われることがなかった。
エリカはそこに目をつけ、皇帝に直談判した。
そして、練兵場の使用許可を取り付けてきた。
演習初日。
練兵場には二千人規模の軍がそろった。
獅子の一族で構成されたベルリカ領主軍。
彼らはエリカに呼ばれ、討伐軍としてやって来た。
他にも猿、牛、羊などの氏族から兵が提供される予定だ。
こうして集まった軍は、共に訓練を積み、決戦に備えることになっている。
「普段通り、訓練を開始せよ」
領主の指示で軍が動く。
初めは準備運動も兼ねて、組み手から。
千人単位なので見た目も派手だ。
訓練には忍びも参加していた。
人数的には百人単位なので獅子に比べると見劣りする。
しかし、忍びは文句も言わずに、黙々と訓練を始めていた。
「さて、俺はどうしようかな……」
「人間王よ、久しぶりに手合わせを願おうか」
全体を見ていると、領主から申し出があった。
戦うのは直轄地以来だ。
「よし、やるか!」
領主と向き合い、素手で組み合う。
「また一段と腕を上げたな……! もはや勝てる気がせん」
息も絶え絶えの領主が地面の上に横になる。
苦戦することもなく領主に勝った。
「お前、前より弱くなってないか……?」
ジンは拳の感触を確かめる。
以前はもっと強かったと思う。
領主の武器は牙と爪。
あのときは、これらを駆使して、追い詰められた。
「逆だ……。人間王が強くなったのだ」
「……そうか?」
ここ二ヶ月は基礎訓練だけで、実戦はなしだ。
正直、強くなった実感はない。
「僕もジンは強くなっていると思うよ」
横で見ていたカルが言う。
「巫霊ノ舞の使い方もうまくなってるし。体術だけで天上人と渡り合える人間は少ないよ」
「本当か? じゃあ、今なら忍びになれるか?」
「うーん、忍びほどではないかな……?」
「……そうか」
領主に勝てても忍びには及ばない。
やはり別格らしい。
「でも、ジンには霊術があるから。天上人でも敵う人はいないんじゃないかな?」
「その意見には俺も同意だ。人間王はマナロ様に近づいている」
領主も肯く。
二方向から褒められて、むず痒くなる。
調子に乗りたい気分になるが、
「じゃあ、まだまだだな。そのうち越えるぞ」
「おぉ、超えると言い切るとは、頼もしい限りだ。……うちの連中の相手もしてやってくれ」
「そうだな。いろんな奴と手合わせしてみないしな」
「……あれ、誰か来たみたいだよ」
練兵場に別の一団が到着した。
領主軍と同規模の軍勢。
領主軍と異なるのは、着ている服がボロい点だ。
荒野を走り回ってきたかのような野性味溢れる集団だった。
先頭に立つ男がこちらに近づいてくる。
年齢は人間で言えば五十くらい。
隊長らしい険しい顔をしていた。
男はジンには目もくれず、領主の前に立った。
「皇室近衛隊武術指南役マティガス・キスト。我ら虎氏族は、ネリエ皇女の要請に応じ、武官千名を連れて馳せ参じた」
堅苦しい言い回しで宣言する。
マティガスが連れてきたのは虎の武官。
エリカの呼びかけに応じて集まった者たちだ。
悪しき精霊を倒すため力を合わせる仲間だ。
が。
「ふん、獅子しかおらぬ軍とはな。腰抜けばかりと戦うのは不服でならん」
マティガスはいきなり悪口を吐いた。
獅子は臭い。
群れてていて気持ち悪い。
たてがみが汚らしい。
次から次へと言いたい放題だった。
領主はそれらを黙って聞いていた。
やがて眉にでかいシワを刻みながら一言、
「獅子氏族としても貧乏人どもの力を借りるのは本意ではない。ネリエ様の願いでなければ、捨て置くところだ」
「誰が誰を捨て置くって? 面白い冗談だな」
氏族長級のやり取りに触発され、集まった兵もにらみ合いになった。
互いの陣営から罵声を投げつけ合う。
「……いや、すごいな」
部外者はついていけない。
こいつらはなぜこんなに仲が悪いのか。
「実は獅子と虎は太古の昔より不仲なのです」
いつの間にかハービーが隣にいた。
歴史的経緯で対立構造があるという。
その発端はマナロ戦記が書かれる以前に遡り、今でも死ぬほど仲が悪い。
だからこうなのか。
納得した。
いや、そうではない。
本当の問題は……。
「……エリカの奴、なんで同じ軍に集めたんだ? 別にした方がよくないか?」
「純粋に手勢が足りないからでしょう。虎氏族はネリエ皇女に借りがあると聞いています。頼みやすかったのでしょうね」
「だからって、これじゃあな……」
手を取り合う意志が感じられない。
どうやって一つの軍としてまとめるのか。
……頭を捻っていると、そこに新たな一団が害のない獣に乗ってやって来た。
彼らは全身を鎧に包んでいた。
磨き抜かれた青の鎧。
小手や帷子には金の文様。
刀や槍も武器というより芸術品のような精巧さだ。
明らかに金のかかり方が違う。
先頭の男が害のない獣を降り、領主に近づいてくる。
どでかい角が生えた兜を被り、誰よりも肩幅の広い甲冑を着ていた。
背中には巨大な尾が伸びており、額には本人の角があった。
龍の一族だった。
「皇国正規軍将軍カラ・ハタンだ。皇帝陛下の命により、我らは此度の皇国守護作戦に参画することとなった。だが、貴様たち雑兵と正規軍が行動を共にすることはない。我らは討伐軍には編入せず、正規軍として作戦行動に当たる」
皇族が将軍を務めるだけあり、正規軍には迫力があった。
人数も獅子と虎を合わせたより多い。
仲間となったら心強いだろう。
仲間ならだが。
「練兵場の使用は、皇帝陛下の御慈悲により、一時的にだが貴様らのような雑兵にも許可されている。だが、あくまで正規軍の訓練を優先し、雑兵は邪魔にならぬよう端を使うように。以上だ」
カラ・ハタンは一方的に主張を並べた。
あまりに上からの発言に、領主とマティガスが反論した。
「我らは共に戦うようネリエ皇女に命じられている同士です」
「正規軍だの志願兵だのに拘るときではないのでは?」
これをカラ・ハタンは鼻で笑った。
「……ふっ。何を言うかと思えば。我は価値ある者にしか与せぬ。
よいか雑兵ども。正規軍が作戦に参画するからといって、自分たちを守ってもらおうなどと思うな。
我らは価値なき者を守らぬ。
よって、貴様らが戦場でいかに無様な姿を晒そうと、我らの行動に支障をきたさない限り捨て置くものと知れ」
更に上からの発言を落とし、カラ・ハタンは二人に背を向けた。
そして、正規軍を練兵場の反対側に移動させ、訓練を始める。
「なんだあれは」
「守ってもらうなどこちらから願い下げだ」
悪口の矛先が正規軍に向けられる。
共通の敵が現れて仲直りかと思うも、
「正規軍が崩れた際には、獅子が救ってやらねばならんだろうな」
「ふん、獅子などおらずとも虎で十分。端っこで寝ていろ」
「犬に負けて財産を獲られたのはどの氏族だったか」
「おい、虎を馬鹿にしてるのか?」
「そうだと言ったらどうする?」
再度、領主とマティガスの距離が縮まる。
手のひらも挟めないくらい顔が近い。
そして、再度獅子と虎の言い争いが始まる。
ジンは軍隊を知らないが、ここまでまとまらない奴らは珍しいと思う。
今後は、ここに牛、猿、兎の一族が加わるというし、先が不安になる。
「いっそ、バラバラで行動させてはどうですか?」
ハービーがそんな提案をする。
喧嘩するくらいなら別の方がよい。
確かにそうだ。
「だけど、それじゃ弱いんだろ?」
「それはもちろん。数は力ですからね。しかし、現状を見るに現実的だと思います」
「……国が滅びるかどうかってときに、そんなことしてられるか?」
そうだ。
放っておけば国が滅ぶのだ。
なのに、こいつらときたら――――。
段々、腹が立ってきた。
こいつらは何のために集まったのか。
エリカに国を守れと言われたのではないか。
なぜ喧嘩をしているのか。
「お前たち、今がどんな状況かわかってんのか?」
「「……!」」
低い声が出た。
領主とマティガスがにらみ合いを止め、ジンを見た。
二人がわずかに距離を取る。
「喧嘩しに来たわけじゃないだろ。真面目にやれよ」
「……貴様、人間が天上人に指図する気か!?」
マティガスの怒りがジンに向いた。
首長級の異常を察したのか、虎の氏族が静かになる。
合わせて獅子氏族も黙り、ジンを見た。
誰もが今気づいたとばかりに驚いていた。
なぜここに人間がいるのか、と。
軍の訓練に不要ではないか、と。
人間は汚い。
人間は弱い。
だから、軍にふさわしくない。
せいぜいが地雷避けの斥候か囮がせいぜいだ、と。
故に視界に入っても無視した奴らが大半だった。
だから、喧嘩などするのだ。
誰が偉いのかをわかっていないから。
自分たちを叱りつける奴がいないと思っているから。
「人間が文句言ったら悪いのかよ?」
「……笑わせるな人間が! そうに決まっているだろう! おい獅子! 貴様は何も言わんのか!? 人間が吠えているぞ!」
「俺は何も言わん。……此度の討伐軍の将は人間王が相応しいと思っている」
「なッ!?」
マティガスは今度こそ絶句した。
獅子が人間を認める。
……それは彼にとって、想定し得なかったことのようだ。
「天上人が人間の下につくなど、……気でも触れたか!?」
「そう思うんなら、俺を倒してからもう一度言え」
領主の代わりにジンが答えた。
マティガスの顔が赤くなっていく。
人間に挑発された経験がないのだろう。
遠巻きにしていた猿が興味深げに覗いてくる。
賭けをしようと言い出す奴もいた。
そいつらにもわかるよう、もう一度告げた。
「俺はここにいる全員に言ったぞ! 俺に勝てる奴が一人でもいるなら、かかってこい!」
度重なる挑発に周囲の意識が一つになる。
――――人間風情にでかい口を叩かせてなるものか。
そんな声が聞こえる。
先ほどとは違う方向で空気が温まってきた頃、領主が言った。
「俺は降りる。すでに人間王に負けたのでな」
「……んなぁ!?」
マティガスが驚きのあまり声を出す。
罵倒する余裕もないらしく、呆然と領主を見ていた。
領主がジンの隣で膝をつく。
その光景を見て、いよいよざわめきが大きくなる。
「最初の相手は誰だ? お前か?」
マティガスを指名する。
このときすでにマティガスは空気に呑まれていた。
こんな奴は相手にもならない。
だが、一人ひとりぶん殴らないと理解しないのだから仕方がない。
決闘が始まる。
呼吸三つ分も保たずに、マティガスは意識を失い、草むらに倒れた。
虎氏族に動揺が広がる。
ジンは周囲を見回し、言った。
「さぁ、次は誰だ?」
†
翌日、練兵場にエリカがやって来た。
「あんたも随分と無茶をしたみたいね」
「仕方ないだろ。言うこと聞かないんだから」
結局、昨日は大半の天上人を叩きのめした。
練兵場には治癒の霊術を持つ者もいたので、手加減はなし。
途中からは凄惨な光景を前に尻込みする者も現れ、挑戦者はいなくなった。
「どうだった、天上人は?」
「正直、弱い」
霊術と体力。
基礎的な戦闘力は申し分ない。
しかし、実践の経験が足りてなかった。
駆け引きがわかっていないので、揺さぶられるとすぐに崩れる。
今のままなら忍びの方が強い。
それくらい力を活かせてなかった。
「……まさかそこまで平和ボケしてたとはね。鍛え直せそう?」
「戦将は無理すればなんとかなるって」
「この際、無理でも構わないわ。地獄を見せてやってちょうだい」
エリカの言う通り、天上人には地獄が必要だった。
戦では心の持ち方が大切になる。
戦将などは、五十名弱でハービー率いる近衛軍に引き分けたこともある。
電磁砲の配備もあったが、趨勢を決したのは、やはり気の持ち方だ。
気合いが実力差を覆したのだ。
「で、お前、今日は何しに来たんだ?」
エリカはナントカという重要な役職についていた。
討伐軍の結成もエリカだし、資金集めもエリカだ。
決して暇なわけがなく、練兵場を見学する時間はないはずだった。
「忍びを貸してもらいに来たの」
「何かあるのか?」
「第二次調査団の派遣が決まってね。中心になるのは、今回もカナン様の私兵だから、人間も混ぜられると思う。戦場の下見ができるのは大きいでしょ?」
「それはそうだな」
忍びは本番でも斥候や見張りを担当する。
現地を知ってもらうのは有意義だ。
「じゃ、カルに言って適当に人を選んでもらうわ」
「そうしてくれ」
「百人くらい借りるわ。鬼霊討伐軍に情報を届けてもらいたいし」
鬼霊討伐軍。
大仰な名前だ。
かっこいいと思うが、よい印象はない。
「……犬の奴らか? ほっとけよ」
奴らは出陣の前に、野営地に火を放った。
しかも、人間向けの食料を狙って。
結果的に飢えた人がいると聞き、殴りたい奴の筆頭だった。
「彼らも身内。いざとなれば、あんたに助けに行ってもらうから」
「本気かよ……」
気は進まない。
そんな指示が来ないことを祈る。
「あと第二次調査団が帰り次第、作戦案を御前会議に奏上するから。そのときまでに軍の統率を取っておきなさい。でないと、説得力が出ないから」
「統率を取る? ……あいつらのか?」
今の討伐軍は、昨日の怨恨をたっぷり残し、氏族ごとに分断している状態だ。
仲良くするなど逆立ちしても不可能だ。
「無理でもやってもらうから。よろしく」
無茶な指示を残し、エリカは練兵場を後にする。
皇族になっても、全くぶれない。
いつものエリカだ。