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60 再出発5

    †ネリエ†


 それから数日は避難民の援助に奔走した。

 人間街に流れたという人間たちは、カルに依頼して調べてもらった。

 為政者と呼べる為政者がいない人間街は、天上人からの指示がなければ、避難民の援助など実施しない。

 大半が空き地で野宿という状態で、最初の数日で死者が溢れていた。


 あまりに事態が深刻であるため、ネリエは焔龍(オハート)から提供されていた資金をカルに横流しした。

 使い方も含めて丸投げする形だが、ヒヌカもいるので適切に処理してくれるはずだ。


 領主が連れてきた人間にも目を向ける。

 数万人規模の野営地を見ると、人間国のと思しき一角があった。

 里長や密将など人間国の重鎮もそろっている。


「これはエリカ殿! お元気そうで!」

「里長も元気そうね」

「領主殿のお陰で難を逃れました」


 人間国は領都ガレンよりもラバナ山に近い。

 最初に被害が出た地域の一つだ。

 しばらくは粘ったそうだが、赤い雪が作物や動物に有害だとわかると、早々に脱出を決断したそうだ。


「行く宛なくさまよっていたところ、領主殿に水や食料を融通していただいたのです。勝手に借りを作ってしまったことを王に詫びねばなりません……」


 里長は生真面目にうつむいていた。

 国政を任されたのだから、好きにすればいいのにと思う。


「大丈夫よ、それならジンが働いて返せば帳消しだもの」

「……他の天上人に借りを作ってしまってもですか?」

「どこの?」

「龍人の姉妹です。どこの者かは知りませんが、食料を融通してくださいました。見たところ高貴な身分のようでしたが、何故、施しを受けたのかわからず……」

「それ、本当?」

「え?」


 突然、真顔になったネリエに里長は戸惑う。

 なにかまずいことを言ったか、という顔で繰り返す。


「……事実です。直接こちらにおいででしたので見間違いでもありません」

「緑色の髪に赤い着物の姉妹でしょう」

「まさか、お知り合いの方で?」


 そう、と言えばそうだ。

 しかし、すでにネリエの元を離れ、敵対派閥に組み込まれていた。

 一月前は常に行動を共にしていたが、今では手紙のやり取りすらない。


 つい先日まで、ネリエは蟄居にされていたので当然だが、ドラコーンがネリエに一定の裁量を与えたあとも、交流はなかった。

 心が離れていたのだと思った。

 元より二人は行く宛がないからネリエの派閥にやって来たのだ。

 大派閥が受け入れてくれるなら、そちらに所属したいだろう。


 だから、ネリエが人間を救いたいと言ったことを、二人が覚えているとは思わなかった。

 ましてや自分たちで実践するなど、二人にとって何の利にもならない。

 あえて実行してくれることが、彼女たちの心の現れなのだと思う。


「ど、どうされたのですか……? まさか敵対者に借りを作るようなことになったのですか?」


 ネリエがうつむいたので、里長が悪い方に考え始めた。

 かわいそうなほどに顔が青いので、慌てて訂正する。


「違うわ。友人よ。あとであたしからお礼を言っておくから」

「……そうであればよいのですが」


 里長は納得いかないという顔だ。

 泣きそうになった理由を聞かれるのも面倒なので、ネリエは話題を変えた。


「あっちで作ってるのは畑?」


 人間国の野営地には、地面を掘り返す一団があった。

 他の野営地では見られない光景だ。


「えぇ、そうです。ラバナ山の異変がすぐに収まるとは思えませんからな」


 切り替えの早さはさすがだ。

 逃げてきたばかりなのに、そこまで考えられるとは。


「元々、零は住居を転々として来ましたからな。荒れ地に畑を作る技術だけは受け継がれておるんです」

「けど、さすがに耕作地に向いてないんじゃない? もっといい土地を斡旋できないか掛け合ってみるけど……」

「気遣いは無用です。エリカ殿にも使命がありましょう」


 言われればそうだ。

 避難民は命に関わる問題だから優先したが、ネリエが本来やるべきことは悪しき精霊(サイタン・マサマ)の復活阻止だ。


「ちょっと、ちょっと、すごいもんが来たっすよ」


 そのとき、別行動をしていたティグレが戻ってきた。

 何を見つけたのか、慌ただしく手招きをしている。


「なによ、珍しい春画でも落ちてた?」

「は? なわけないでしょ? そんなに春画が好きなんすか?」


 腹が立ったので脛を蹴り飛ばした。



 ティグレに連れて行かれたのは城壁の正門だ。

 近くにいた人間が一様に平伏し、事態の異様さを際立たせている。


 縦に長い軍列が正門を通過していた。

 人数にして数千。

 一度に全貌を把握することもできない隊列だ。


「なにこれ」

「なにって、あれっすよ。犬のオッサンが作った討伐軍」


 ネリエの演説があったその日から、帝都には反ネリエ派が誕生した。

 これまで反ネリエと言えばドラコーン派を指していたが、ドラコーンとネリエの歩み寄りにより、派閥争いから生まれた反ネリエ派は消滅した。

 代わりに純粋にネリエのあり方を否定する派閥が生まれ、十二天将アンソグ・ディーヨスを中心に結託していた。


 ネリエが演説で、反発するなら悪しき精霊(サイタン・マサマ)を倒してみろ、と煽ったため、討伐軍を結成したと聞いていた。

 演説から二十日と経っていないが、驚異的な速度で派兵までこぎつけたのだ。

 その手際のよさの裏側には皇族がいるとも言われている。

 今、悪しき精霊(サイタン・マサマ)と戦う意志がある者は皇国に二人。

 ネリエとアンソグだ。

 前者に任せるくらいなら、後者に懸けた方がいい。

 そんな考えのもと、多くの上流天上人がアンソグに加担したそうだ。


 皇国正規軍だけは皇帝の命がないため動かなかったが、規模的には間違いなく皇国の全勢力を集めた軍と言えた。


「うわ、なんか来たんすけど……」


 ティグレがつぶやく。

 隊列を抜けてくる害のない獣(ハ・ボール)がいた。

 引かれている車には犬氏族の家紋が掲げられる。

 車はネリエの前で止まり、中から巨体が降りてきた。


「まさかこんなところで会えるとはな。ネリエ皇女」


 案の定、アンソグ・ディーヨスだった。

 犬氏族長であり、今回の討伐軍の将を務める。

 これまで顔を合わせる機会はあったが、言葉を交わすのは初めてだった。


「こちらこそ、出立前にお会いすることができて光栄です。どうかアンソグ様の行く末に武運がありますように」


 一歩引いて挨拶をすると、アンソグは不愉快そうに顔をしかめる。


「余裕でいられるのも今のうちだ。ソテイラは俺が倒す。皇女の出番はない」

「そうであるならば皇国には平穏が訪れますね」

「俺が負けるとでも言うつもりか?」

「まさか。滅相もございません」


 別に勝ってくれても構わないのだが、アンソグは挑発と捉えたようだ。

 勝手に機嫌を悪くしている。


「ならば、賭けをしようではないか」

「賭けですか?」

「俺が見事、悪しき精霊(サイタン・マサマ)の復活を阻止すれば、ネリエ皇女には皇族を退いてもらう。俺が敗北すれば、皇女の言うことを何でも一つ聞こう」


 実に子供じみた発想だが、氏族長が言うと迫力が違う。

 恫喝にも年季が入っていた。

 しかし、ネリエはこれを苦笑で受け流す。


「……そのような賭けで誰が得をするのですか?」

「損得など知らぬ。矜持の問題だ。まさか逃げるつもりではあるまいな? そのような恥を皇族が許すのか?」

「決闘を断らないのは武官の方だけと思いますが?」

「ふん、人間などと戯れているから軟弱になるのだ。これで皇族とは恥ずかしい限りだ」


 アンソグが尻尾で指示を出すと、従者は車から油樽を持ち出してきた。

 栓を抜き野営地に積まれていた支援物資にぶちまける。

 そして、何の躊躇いもなく火をかけた。

 それは人間のために運び込まれた数日分の食料だった。

 量的にマーカとメリリが手配してくれたものだろう。


 それらに次々と火を付けていく。

 何をしているのか理解にも時間がかかった。

 ネリエは呆気にとられ、燃え盛る物資の山を呆然と見守るしかなかった。


「これで人間の間引きもできよう」


 アンソグが自慢げに言い放ち、やっと我に返った。


「アンソグ・ディーヨス、あなたは罪なき者の命を奪うのですか?」

「人間は天上人に奉仕して初めて生きる価値が生まれる。ここにいる人間は価値がない。処分が妥当だ」


 元々、アンソグは人間嫌いだ。

 犬氏族のシヌガーリン家がジンに潰されてから、なおのこと人間を疎むようになったと聞く。

 それでも、アンソグの行動は目に余る。


 人間たちは自身の食料が燃えるさまを見て、涙を流していた。

 だが、上流天上人がいる前で立ち上がるわけにもいかない。

 ……あまりにもいたたまれない。


「ティグレ、火を消しなさい。人間も手を貸しなさい。食料を守るために動くのです」


 火消しを命じると、アンソグは刀を抜いた。


「天上人の前で立つんじゃねぇ。立てば切る。不敬罪だ」

「十二天将の分際で皇族の命令を上書きできると思っているのですか? 身の程をわきまえなさい」

「賭けにも乗れない度量なき皇族に従う義理はない」

「ならば乗りましょう。その賭けとやらに」


 勝っても負けても得のない賭けだ。

 受けたくなどないが、食料の方が大切だった。

 放置すればマーカとメリリの気持ちを踏みにじることにもなる。


「今の話、忘れるなよ」


 アンソグは刀を納めると車に乗り込んだ。

 そのまま火を消すこともなく立ち去った。


 長らく続く隊列を眺め、ティグレが悪態をついた。


「殺せって命令してもよかったんすけど?」

「馬鹿、国の要人よ」

「だからって、やっていいことと悪いことがあるでしょ」


 ティグレの怒りはわかる。

 ネリエの気持ちを代弁してくれてもいる。


「けれど、今ここで彼を失えば、悪しき精霊(サイタン・マサマ)の復活を阻止できないかもしれない」


 反ネリエには人間嫌いの天上人が集結している。

 残念なことに、その数は皇国の天上人の半数以上になるだろう。

 彼の軍勢が皇国で最大規模なのだ。

 それをまとめ上げる度量を持つ者は、他にない。


「じゃ、先を越されていいんすか? 思うところはないんすか?」

「彼らが何とかしてくれるんなら、それはそれで構わないと思っている」


 今でこそ悪しき精霊(サイタン・マサマ)の対処はネリエに一任されているが、別にネリエ以外が取り組んではならない決まりはない。


「あたしは手柄にはこだわらない。目的が達成されるなら誰がやってもいいと思う」

「あんな奴でも?」

「……あんな奴でもよ。国の存続の方が大切だもの。それに彼らの派兵は理にかなってる」


 ネリエが構想している人間と天上人の混成軍は編成に時間がかかる。

 反ネリエで団結を深めた彼らとは違い、こちらは参加者も集まらない状況だ。

 集まっても、人間と天上人が同じ軍として戦うには、すり合わせが必要になる。

 正直、どれくらい時間がかかるかも未知だ。


「手間のかかる策をあたしが練る一方で、強力な軍を迅速に派遣する試みは大切よ。勝敗を問わず有益よ」

「だからと言って……。もういいっす、俺は絶対に納得しないっす。あいつ、許さないっす」


 共感が得られずティグレは膨れてしまった。

 珍しく春画本も読んでいないので、ずっと怒っていればいいのでは、とネリエは思う。


 やがて軍列の最後尾が正門をくぐった。

 最終列には大きな旗を掲げる車がいた。

 紫紺の生地には、鬼霊討伐軍、と書かれていた。



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