59 再出発4
†ネリエ†
演説の反響は様々だった。
批判的な意見が大半を占めたが、一部から好意的な反応もあった。
人間の待遇を疑問視する層は少ないながらも存在したのだ。
できるなら、そうした人々と交流を持ちたかった。
しかし、時を同じくして帝都に避難民が到着したため、ネリエは忙殺されることになってしまった。
「一体、どういう状況になっているのですか?」
緊急で開かれた御前会議でも避難民は議題に上った。
重役の報告によれば、ラバナ山付近のノール領、ベルリカ領から大量の避難民が帝都へ流れ込んでいるとのことだ。
特にベルリカ領は領都ガレンを放棄したため、人間を含め十万人近い避難民が発生しているらしい。
「じゅ、十万人もですか……?」
十万は帝都に住む人間の約一割に相当する。
移動だけで街道を埋め尽くし、帝都周辺に混乱が広がっているという。
「避難民の取り扱いは?」
「下町大臣の判断で天上人と人間をわけて受け入れています」
天上人は下町の中心に、人間は人間街に誘導されているそうだ。
人間だけ外に放り出さなかったのは評価できるが、人間街に避難民を受け入れる余裕があるかは不明だ。
「十万人を収容できる見込みは?」
「正直、ないものと思われます。ベルリカ領主の一団は人数が多すぎるため、現在、受け入れ先を探している段階です。下町も混乱していますので、城壁の外で野営する流れになるかと」
「そうなると、気がかりなのは食料ですね」
帝都の備蓄量なら人口の一割増にも絶えうるだろう。
問題は適切な配給がなされるかだ。
難民が発生するような事態は、基本的に想定されない。
特に天上人は他人の奴隷を快く思わない。
人間の凍死や餓死を防ぐには相応の手立てが必要となる。
あまり期待はできないが、報告に来た重役に人間に配慮するようお願いしつ、ネリエは自分で見に行くことにした。
ネリエはティグレとジンを連れ、野営地を訪ねた。
皇女として向かうと騒ぎが大きくなるため、お忍びだった。
野営地は城壁の外側に作られていた。
よく見ると、天上人と人間が緩やかに別れ、地べたに座りこんでいる。
大量の端材が運び込まれ、あちこちで火が焚かれていた。
到着してすぐなので、さすがに屋根のある建物はない。
食料も避難時の持ち出しでしのいでいるらしく、特に人間の窮状が見て取れた。
「こりゃひどいな……。今晩を乗り切れるかも怪しいぞ」
「二十日以上歩き続けだしね、無理もないわよ」
たどり着けなかった者もいるだろう。
遺体を運ぶわけにもいかず、炉端で埋葬したはずだ。
そうした心労もまた雰囲気の暗さを醸す要因だろう。
「布団くらいはないとまずいんじゃないか?」
「物資を融通するにしても、何をどれだけ用意するかわからないんじゃ始まらないわ。領主を探しましょう」
幸い実家から援助された資金は全額手元で浮いていた。
布と食事だけなら数日分はネリエの裁量で手配できる。
野営地を歩き回り、それらしい集団を見つけた。
着物を利用した天幕を貼っているのは、間違いなく首脳陣だ。
中を覗くと、ベルリカ領主が地図を前に悩んでいた。
ネリエを見ると、飛び上がりながら土下座を決めた。
「これはネリエ皇女……! まさかこのようなところでお会いできるとは!」
「この度は避難誘導ご苦労様でした。長旅で疲れたところ悪いのですが、少しお話を伺っても?」
「もちろんです、中へどうぞ!」
堅苦しい雰囲気は不要なので、従者に席を外してもらう。
早速、支援をしたい旨と必要な物資について尋ねてみる。
領主も頭を悩ませる課題かと思ったが、意外な返答が返ってきた。
「申し出はありがたいのですが……、今はそれどころではないのです」
「何か緊急の用件でも?」
「はい。実は皇城にハービーを遣いに出したのですが、入れ違いになってしまったようですね」
「……そう言えば、側近の姿が見えませんね」
今のままでは避難民が夜を越せるかも怪しい。
そんな状況下でも優先しなければならないこととはなんなのか。
「実は避難中に帝都から送られた調査団を見つけたのです」
「……見つけた? 会ったではなく?」
「えぇ、見つけたと言うべきでしょう」
領主の言う調査団は、カナンが派遣した部隊だろう。
彼は街道で倒れる調査団を発見したという。
「現場は赤い雪が降っていました。ほとんど全員が死んでいましたが、かろうじて息のある者もおりました」
「……穏やかではありませんね。調査団に何があったのですか?」
「得体のしれない軍勢に襲撃を受けたと聞いています」
「軍勢、ですか……」
軍勢と言える規模なのは想定外だが、ソテイラが手配した勢力に違いない。
カナンの第一調査団は、敵に発見されてしまったのだ。
「いろいろと手を尽くしましたが、一人も救うことはできず……。しかし、彼らは死ぬ間際に伝言を残しました。自分たちの代わりに帝政へ見たものを伝えて欲しい、と」
領主は書類を取り出した。
調査団の記した手記だった。
それには彼らが見たことが細やかに記されていた。
ラバナ山の麓は敵の軍勢が展開していること。
数にして一万弱であること。
人型もいれば、人でないものもいること。
人でないものは砲身に多脚を取り付けたような外見で、砲撃を攻撃手段とするらしい。
また、空には時折、異形の者が飛び交っている。
人に近い形が多く、全部で四体が観測された。
それらは近づいた者に分け隔てなく攻撃を加える。
どうやら調査団を襲ったのも、空にいる異形のようだ。
非常に強力な攻撃を受け、調査団は散り散りに逃げるしかなかった。
手記はそれで終わりだ。
その後は逃走劇となったのだろうが、彼らは追いつかれてしまった。
「…………概ね概要は把握しました。これを記した者とここまで運んでくださった領主に感謝します」
特にソテイラの防御手段が知れたのは大きかった。
総じてネリエの予想通り、ソテイラはロボットで武装していた。
しかも砲撃に特化した戦闘用まで手配している。
厄介な開いてとなるだろうが、作戦に変更はない。
防御陣営を突破し、儀式の中枢を破壊するのみだ。
「これは個人的な感想ですが、異形と言うのは、以前に俺と人間王が戦った相手ではないか、という気がするのです」
領主は記憶を掘り返すように言った。
ジンと領主は、以前にも異形と戦っていた。
調査団の手記によれば、異形には腕が四本あったという。
確かに特徴は一致する。
「私もそう思います。実はマナロ様が悪しき精霊と戦った際の記録が見つかったのです。そこにも異形に関する記述がありました」
それらは悪しき精霊の使徒と呼ばれる。
本体以上に苦戦した相手とも記されていた。
戦うとなれば経験者は貴重だ。
領主には是非とも主役を張ってもらいたい。
まだ誘ってもいないが、ネリエの頭では、領主の協力は決定事項だ。
となると、残る問題は時間だ。
悪しき精霊が蘇るまで、どれほどの時間が残されているのか。
刻限が決まらなければ、作戦を立てるのも難しい。
ラバナ山頂にかかる厚い雲が儀式の進行度をどう反映するのか。
あるいは間に合わないのか。
今は千里眼でも雲の内側は見えないという。
今この瞬間に悪しき精霊が顕現する可能性も零ではない。
せめて目安くらいは欲しかった。
悩んでいると、領主が困惑しながら言った。
「これは、その、夢だったのかもしれませんが……。聞いたのです」
「聞いた? 何を?」
「空の囁きを」
空の囁き。
数ヶ月前までベルリカ領を中心に見られた現象だ。
空を覆う緑色の輝きが人には聞き取れない言葉を囁くことから名付けられた。
実際はスグリが呼び出した精霊だった。
つまり、出てくるはずのないものだった。
なぜなら、スグリは死んだのだから。
「……何かの間違いでは?」
「ハービーも耳にしました。声は自らを風の精霊と名乗りました」
そして、風の精霊は言った。
「…………復活は春だと。儀式を止めることは、もはやできぬ、と。そして、春になれば赤い雪が溶け戦うことができるだろう、と」
呼び出されるはずのない精霊が現れ、予言を残した。
それも今まさに知りたい内容について。
非現実的な話に胡散臭さを覚えるが、領主に限って嘘を言うはずがない。
だが、事実とも言い難い。
スグリでなければ呼べない風の精霊が現れるはずがなかったから。
この事実をどう捉えればよいのか。
「スグリが呼んだんだ」
ジンは言った。
それが当然であるかのような自信を持って。
「…………理屈はわかるわ。けど、あり得ない。スグリが生きてるわけがないわ。……あんただって葬式に立ち会ったでしょ?」
「でも、そうとしか考えられない。…………それに、俺はスグリが生きてるなんて言ってない」
「生きてるわけじゃない……? じゃあ、一体、どうやって風の精霊を呼んだのよ?」
「そんなのは決まってるだろ。生きているうちに呼んだんだ」
ジンは言う。
スグリにしか風の精霊を呼ぶことはできないのだから、呼んだのはやはりスグリだ、と。
ただ、呼び出した時期が違っていた。
風の精霊は今、呼び出されたのではない。
領主が見る何ヶ月も前から、現れることが決まっていたのだ。
あのとき、スグリは自分が死ぬ未来を予見していた。
残された時間は短かった。
だというのに、スグリはその時間を残された人たちのために使った。
彼女は死してなお領主の幸せを願っていた。
兄の行く末を案じていた。
だから、今、風の精霊が現れた。
これは決して偶然などではない。
スグリがジンと領主に降りかかるであろう災難を予見し、精霊に言葉を託した。
そうして生まれた必然なのだ。
「…………申し訳ございません、……皇女様の前だと言うのに……」
領主は袖で顔を覆い、嗚咽を押し殺していた。
その肩をジンが叩いた。
「俺が許す。お前は泣いてもいい。……だって、いい嫁がいたんだからな。そうだろ?」
「…………あぁ、彼女はどんな天上人よりも素晴らしかった……! いっときでも結ばれて俺は幸せだった……! こんなに思われていた者など、どこにもいない……!」
二人は慰め合うように肩を叩きあう。
ネリエは皇女だから、その輪には混じれない。
けれど、感謝の気持ちが劣るとは思わない。
スグリは人間と天上人が共に暮らせることを証明してくれた。
スグリがいなければ、エリカはネリエに戻ることもなかった。
その意味でもネリエにとっては恩人だった。
――――ありがとう。
心の中で感謝を述べる。
願わくば、それがスグリの魂に届けばいいと思う。