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16 女郎宿6

 リマの話は小骨のように胸に残った。


 トゥレンで暮らす人間たち。

 リマの諦めたような言い方。

 気に入らないことばかりだった。


 どうにもできない自分が悔しい。

 もう何年も感じてない悔しさだった。


「――――さ、できたよ。目を開けてごらん」


 リマに言われ、ジンは目を開ける。

 鏡には化粧をした気持ち悪い男が映っていた。

 自分だった。


「なんじゃこりゃぁあぁぁあ!?」

「あんたは顔立ちが男らしすぎるね。化粧をしても、それが限界。それに比べてこっちの子はすごいね! 今すぐ人気の女郎になれるよ!」

「な、なりたくないですっ」


 振り向くと、愛らしい女の子が立っていた。

 女物の着物を着て、きちんと化粧を施している。

 ――――誰だこいつは。めちゃくちゃかわいい。

 いやでも、可能性は一つだ。


「……カル?」

「ほ、ほら……! ジンだって変な目で見てます! やっぱり似合ってないんです!」

「そんなことないさ、あまりの可愛らしさに見惚れただけだよ。だろう?」


 聞かれて、思わず肯いた。

 確かにかわいい。

 今まで髪もぼさぼさで顔も泥だらけだった。

 綺麗にしただけでカルは見違えた。


 ヒヌカとは違ったタイプの愛らしさだ。

 男たちが夢中になる気もする。


「……そ、そんなに見ないでよぉ」

「ありゃま、中身まで女になったのかい? 仕草が様になってるねぇ」

「そ、そんなことないですっ」


 リマにからかわれながらカルは髪を整える。

 ジンは頭巾をかぶってごまかすことにした。


「せいぜい死なないように気をつけなよ」


 リマに見送られ、二人は部屋を出る。

 途中で一度女郎とすれ違ったが、疑われはしなかった。

 むしろカルを見て「こんなかわいい奴いたっけ?」という顔をしていた。


 掛け軸の前には見張りの女が立っていた。

 女郎ではない。

 女郎宿(ターロー)の監視者だろう。


「天上人様に呼ばれたので行かなければなりません」

「私のところにその連絡は来ていないけれど……」

「夜の乙女が気恥ずかしげに顔を覗かせる夜、もう一度あなたにお会いしたい。そのように申し受けているのです」


 カルはすらすらと嘘をつく。

 夜の乙女とは月のこと。

 恥ずかしげに顔を覗かせるは半月。

 つまり、半月の夜に来いという意味らしい。


 無論、でっち上げだ。

 天上人が人間相手にそんな言い回しをするはずがない。

 が、監視者には判断がつかない。

 無用に足止めして天上人の不況を買う方が恐ろしいに違いなかった。


「……通っていいわ」


 ジンの被り物も指摘されない。

 カルが顔を見せたためだろう。

 これだけ可愛らしい顔なら、もう一人も同じくらいと思っているに違いない。


 無事、掛け軸にたどり着く。

 二人は廊下の先で見送るリマに手を振って、隠し通路に入り込む。


 いよいよ収容所の外だった。


 心残りは、ある。

 その先に進めば、ヒヌカとはお別れだからだ。

 悩む時間はない。


 迎えに戻ればいいだけの話だ。

 そう信じて、先に進んだ。


    †


 通路は階段で始まってた。

 人一人が通れる程度の幅で延々と地下へ降りていく。

 明かりはなく手探りで進むしかなかった。

 着物が重いため、一歩一歩慎重に歩く。


 間もなく通路は平坦になった。

 やはり明かりはなかった。


「ちょっと待ってろ」


 ジンは左手に巻いた包帯を解くと、手のひらに炎を出した。

 青い炎が洞窟を照らす。

 しばらく歩くと、通路が上りに転じる。

 坂を登りきると、窮屈な洞窟へつながっていた。


 ……入り口から湿った風が吹き込んでくる。

 その先は外へ通じていた。


 収容所に来てから一年ほど。

 ずっと同じ景色ばかり見てきた。

 ここから先は結界の外側。

 見たことのない景色だ。


 洞窟を抜ける。

 目を開ける。


 そこには整地された道が広がっていた。

 玉砂利が敷かれ、両脇には等間隔で灯籠が並ぶ。


「きれいだね……」

「そうだな。……少しだけ俺の村の結婚式に似てる」


 星空を見上げるのとは違う。

 人工的な明かりの美しさだ。


 念の為、道の両側を調べると、案の定、結界が張られていた。

 切れ目が見えるまで進むことにする。


 半刻(十五分)ほど歩くと、巨大な屋敷が現れた。

 道は屋敷の裏口につながっている。

 結界もここで終わっていた。

 屋敷の中に結界はない。


「どうする?」

「行くしかないだろ」

「言うと思った。……僕が先に行くよ」


 カルの先導で侵入する。

 何重にも着物を着ているはずだが動きは俊敏だ。

 ジンはもたつきながらついていく。


 廊下は蝋燭の淡い光で満ちていた。

 そこかしこの部屋で嬌声が聞こえている。

 天上人が何かに夢中になっているのは好都合だった。

 彼らの耳と鼻は動物と同じだ。

 気配を消していても近づけば存在を悟られる。


 聞こえるだけでもこの階には三人以上の客がいる。

 三人の天上人に襲われれば、確実に死ぬだろう。


 息を潜めながら探索する。

 探したいものは出口への経路と周囲を見渡せる場所だ。

 屋敷がトゥレンのどこに位置しているか、人間たちに紛れるにはどこへ移動すればよいか。

 今はまだ逃げないが、来たるべき時のために必要な情報だった。


「…………あそこがいいんじゃないか?」


 廊下の先に夜空が見えていた。

 離れにつながる通路だ。

 離れは小高い丘に建てられており、町を見下ろせるようだった。


「よさそうだね。行こう」


 カルは大胆に踏み込んでいく。

 ジンは慌ててあとをついていく。


 離れは静けさに満ちていた。

 障子越しに蝋燭のような明かりが見える。

 誰かがいる証拠だ。

 地面に降りて、外周を見て回る。


「……伏せて。人がいる」


 いきなり頭を押さえられる。

 耳を済ませると、縁側で誰かが話していた。


「……にはなれそうか?」

「…………ええ、問題…………えています」


 顔だけをそっと覗かせる。

 縁側にいるのは看守だった……。

 ずっと収容所にいるものだと思っていたが、夜は町にいるらしい。


 隣にはヒヌカが腰掛けていた。

 親子ほどの体格差だ。


「……の方は問題ないんでしょうか」

「もちろん、……に応じてだ」


 ――――何の話だ?

 声が遠い。

 風向きのせいかほとんど聞こえない。

 ジンはさらに身を乗り出す。


「わ、ちょっと、それ以上は…………」


 ジンの重さに耐えきれず、カルが地面に手をついた。

 その瞬間にヒヌカがこちらを向いた。


 あまりの間の悪さに己の不幸を呪った。

 ヒヌカと思い切り目があった。

 数秒も見つめ合ってしまった。


 看守は気づいていない。

 おそらくヒヌカがこちらを向いたのは偶然だった。


「……どうした?」


 看守が言う。

 ヒヌカは無言で立ち上がる。

 ……そして、足元の刀に手を伸ばした。


「ま、まずい…………!! 逃げるぞ!」

「逃げるったって……、こんなところじゃ……!」


 渡り廊下は遮蔽物のない一本道だ。

 戻れば見つかる。

 となれば、建物の陰に隠れるしかない。

 ところが、離れの裏手は崖だった。

 隠れる場所も逃げ道もない。

 眼下には闇をたたえた深い森。


「何をしに来たの?」


 冷たい声を浴びせられる。

 振り返れば、刀を持ったヒヌカが立っていた。


「ヒヌカ、俺は、」

「言い訳は聞きたくない。邪魔をしないで」


 ヒヌカは迷わず刀を抜いた。

 刀身が月明かりに輝く。

 いくつもの思い出が脳裏に浮かんだ。

 一緒に耕した畑、成人の儀式(マタンダ・セレモ)、そして、結婚式の夜。

 見ていることしかできなかった。


「ここで死んでよ」


 刀が振りかぶられる。

 寸分の狂いもなくジンの胸を目指してくる。

 背中でカルを突き飛ばし、逃げてくれと祈る。


 そこまでだった。

 避けることはできなかった。


 正面から太刀を浴び、カルをかわすように数歩よろめく。

 踏み出した先に地面がなかった。

 浮遊感に飲まれ、視界が夜空で埋め尽くされる。


「ジン!!!」


 カルがあとを追って飛び降りる。

 枝が折れる音が響く。

 全身を鈍い衝撃が貫いた。


    †


「……ジン、大丈夫!?」


 カルに抱き起こされる。

 崖下の森は想像以上に深かった。

 高さは相当なものだが、木々が勢いを殺してくれたのだろう。


「それより傷は!? 止血しないと!」


 カルが服を脱がせてくる。

 重い着物を剥ぎ取られると、


「…………、あれ? 血が出てない」


 言われて体を触ってみる。

 斬られた胸は無傷だった。

 傷一つついていない。


「そう言えば、斬られたにしてはあんまり痛くなかったな……」

「……どうなってるんだろう」


 そのとき、頭上から何かが振ってきた。

 金属で石を叩くような音。

 月明かりに光るのは刀だった。

 たぶん、ヒヌカが使ったものに違いない。

 やはり血は一滴もついていなかった。


「刃のない方で斬ったってこと?」

「そうみたいだな」


 助けられた、と考えるべきだろう。

 あのままだったら看守に見られた。

 だから、殺すふりをして崖に落とした。

 辻褄は合う。


 だとしたら、なぜ脱走は妨害するのか?

 収容所にいたら遅かれ早かれ死ぬ運命だ。

 生きるには外へ出るしかない。

 閉じ込めておくのは、死ね、と言っているも同然だ。


 助けたいのか。

 殺す気なのか。


 ヒヌカは何をしたいのか。


 事前の取り決めでは、逃げ道があるなら逃げる約束だった。

 今、ジンは結界の外側で自由になった。

 手元に銀もある。

 あとは町に出るだけでいい。

 脱走に成功したと言っていい状態だ。


 しかし、気が変わった。

 機会があれば逃げようと思っていた自分は馬鹿だ。

 ヒヌカは特別な事情を抱えている。

 どうしても、それが気になる。


「カル、頼みがある」

「何?」

「今日、脱走するのをやめたい」


「わかった。戻ろうか」


 カルは二つ返事で了承してくれた。

 いい仲間を持った、とジンは思う。


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