56 再出発1
†ネリエ†
ジンとドラコーンが対面し、三日が経った。
ネリエの生活は目に見えて変わった。
まず、嫌がらせの手紙が止んだ。
ティグレが無罪だったことになり釈放された。
中流天上人が面会を求めてきた。
焔龍が突然、軍資金を送ってきた。
別段、ドラコーンがネリエに便宜を図ったわけではない。
ドラコーンがジンの申し出を飲んだ。
ジンは人間。
人間を養護しているのはネリエ。
ネリエは間接的にドラコーンに認められた。
という論理のようだ。
他方、上流天上人の間で霊公会への関心が高まっていた。
ソテイラの悪事が事実かどうか。
大霊殿に問い合わせが殺到したという。
ネリエが訴えても誰も相手にしなかったくせに、皇帝が口添えするだけでこの変化だ。
皇位がどれほど強大な力を持つかがわかる。
どちらにしても、ネリエには追い風だ。
ドラコーンに貸しを作るのは癪だが、戦後を考慮できるほど余裕はない。
行動あるのみだ。
まずはカナンの屋敷を訪ねた。
「課題はどうした。達成するまで会いに来るなと言ったはずだが」
カナンは凄まじい威圧感を放っていた。
弟子が約束を破ったのだから怒りもする。
もちろん、ネリエは策を練っていた。
「達成いたしました」
「……なんだって?」
「課題は、蛇龍の仲間を増やすこと、でしたよね?」
含みをもたせた笑みを向ける。
「そうさ。で、あんたはいつお茶会を開き、蛇龍と関係を持ったんだい?」
「えぇ、先日、皇城にてドラコーン様より悪しき精霊復活阻止に関する許可をいただきました。実質、私の仲間となったと言ってもよいですよね?」
カナンは蛇龍の血族を派閥に迎えろとは言っていない。
仲間を増やせと言ったのだ。
ならば、男のドラコーンでも条件は満たせる。
言葉遊びに気づいたのか、カナンは苦い顔をした。
「食えない娘だねぇ……」
「けれど、カナン様が想定していた以上の成果を上げたつもりです」
「そりゃそうだろうねぇ。いきなり皇帝に取り入るんだから。けど、あんたの活躍じゃあ、ないね?」
その通りだ。
ドラコーンの心変わりはジンの手柄。
ネリエは本当に何もしていない。
「この際、経緯は関係ありません。結果にご注目ください」
「ふん、勝手に言ってな」
カナンは茶を飲み干すと早々に席を立つ。
……怒らせただろうか?
少しだけ不安になるが、要求は通さなければならない。
「カナン様、私は約束通り課題をこなしました。ソテイラ様の件、お考えいただけますよね?」
「このカナン、自慢じゃないが、約束を破ったことなど一度もないよ」
カナンは背中を向けたまま言う。
彼女が退室すると同時に、……そこから羊の十二天将が現れた。
テューパ・バダリー。
陰ながらネリエを支えたいと言ってくれた、優しい女性だ。
会うのはヒヌカを紹介するとき以来だ。
連絡すら一度もなかった。
「お久しぶりでございます、ネリエ様」
「こちらこそ……。テューパ様はどうしてこちらに?」
「カナン様よりラバナ山付近を調べるよう依頼を受けていたのです」
テューパ・バダリーの霊術は千里眼。
いかに離れた場所でも覗き見ることが可能な能力だ。
ネリエも一度、この能力に救われている。
しかし、カナンが依頼していたとは知らなかった。
「カナン様は早い段階からソテイラ様を警戒しておられました。それこそ、ネリエ様がご進言した直後から……」
「そ、そうなのですか……?」
門前払いされたと思っていた。
その実、裏では調査をしていたわけだ。
……重い課題を与えられた理由もやっとわかった。
ネリエが自身で動く必要がなかったからだ。
むしろ動くなという意味が込められていた可能性もある。
ネリエが動けば他派閥を刺激する。
実際、それで罰せられた。
振り返ってみると、思慮の末の決定とわかる。
言ってくれればよかったのにと思わざるを得ない。
「ネリエ様に期待なさってのことです。言わずとも伝わるとお考えだったのでしょう」
「…………だとしたら、私は期待に添えなかった不出来な弟子ということですね」
「まさか。無言の意を汲むことだけが弟子ではありませんよ。課題をこなせているだけでも十分な成果です。カナン様には、かつて弟子がいたそうですが、……皆、課題をこなせず破門となったそうです」
「それは初めて聞きました……。そのような過去があったのですね」
「えぇ、ですから、破門されていない時点で帝政内のネリエ様の評価はかなり高いのですよ」
「評価が高い……?」
さすがに何かの間違いではないだろうか。
だったら、なぜこれほど疎まれなければならないのか。
……どうでもいい。
今はもっと大切なことがある。
「話がそれましたね。千里眼で見たものとは何だったのですか?」
「……はい。どうか驚かずにお聞きください」
テューパ・バダリーは言った。
「結論から申し上げます。ソテイラ様は禁呪に手を出しておられました。連れて行った司祭を次々と生贄に捧げ、禍々しい儀式を進めておいでです」
説明は端的。
それでいて状況を理解するのに十分だった。
「儀式の進捗度は?」
「専門家の判断を仰いでおりますが、判然としていません。しかし、高い確率で儀式は完成済みとのこと。すでにラバナ山付近には赤い雪が降り、山頂を厚い雲が覆っているとの報告があります」
「では、なおのこと急がねばなりません」
「はい、カナン様はすでに水面下で手を回しておいでです。霊公会は間もなくソテイラ様に破門を命じるでしょう。また、すでにカナン様の私兵が第一調査団として現地へ向かっています。妨害可能であれば工作を講じますが、困難が予想される場合は、青い炎を用いた作戦が必要となります」
「そこまで考えておいでとは……、少し驚きました」
カナンの対応は迅速だった。
ソテイラは霊公会の序列第二位。
四人いる司教でも最上位の立場だ。
容易に倒せぬ相手だと思っていたが、カナンはすでに攻略済みだという。
テューパ・バダリーによれば、何でも霊導師と古い付き合いだとかで、話が通せるそうなのだ。
ソテイラから地位を奪うまで、わずか数日。
ネリエでは絶対にできなかった。
「今後の方策は決まっているのですか?」
「第一調査団の報告次第ですが、カナン様はルンソッド東部の領主に連絡を取り、避難民の受け入れ体制を整えさせているところです」
「それは、最悪の事態が起こったときのためですね……?」
「はい。カナン様は状況を重く見ておられます」
「避難計画以外には?」
「何も。第二調査団の計画もありません。おそらくですが、ネリエ様に主導権を譲るおつもりかと」
「私にですか……?」
「元よりネリエ様は自身で指揮を執るおつもりだったのでしょう? 人間と共にドラコーン様をご説得されたと聞き及んでいますが……」
正直、そこまでは決めてなかった。
危険性を周知することに躍起になっていただけだ。
「私はカナン様よりネリエ様が適任と考えていますよ。青い炎を持つのは人間です。ネリエ様でなければ天上人と人間の混成軍を御せないでしょう」
ジンの力を借りるのなら、天上人と人間が一つの軍となる必要がある。
お飾りでも上に立つ者が必要だと言うなら、ネリエが適任なのは確かだ。
というより、他の者に任せてジンが暴走するのが一番怖い。
「わかりました……。でしたら、第二調査団や討伐軍の編成は私がこの手でやりたいと存じます」
「そうするのがよいかと。カナン様も御前会議でネリエ様を推されております」
「……それも根回し済みなのですね?」
「カナン様は先を見据えて動かれる方ですから」
テューパはにこりと微笑む。
無様に走り回っていた自分とは雲泥の差だ。
何もかもカナンが指揮を執ればいいとは思うが、人間との橋渡しはネリエにしかできない。
ここからが踏ん張りどころだ。