52 来訪者3
†ジン†
訪ねてきた二人が笠を脱いだ。
二本の角が現れた。
「――――天上人!」
まずミトが泡を吹いた。
奇怪な叫び声を上げて、意識を失ってしまった。
お婆さんが外出中で本当によかった。
「誰だ……!?」
カルが身構える。
ジンの前に立ち、短刀を抜いた。
敵意で迎えられるとは思わなかったのか、二人は硬直していた。
武人でないのは明らかだが、カルは手を抜かず、殺気を滲ませる。
二人は若い女だった。
背の高い方は深緑の長い髪をおろしており、背の低い方は薄緑の髪をまとめていた。
人間に紛れるためか、二人とも麻色の地味な着物を身に着けている。
が、よく見れば生地が上等で、泥と埃でわざと汚しているのだとわかる。
そこで、ようやくジンは二人の顔に見覚えがあることに気づいた。
「お前たち、確か、エリカの……」
「え、エリカ? そのような人は知りませんわ」
「あぁ、そうか。ネリエの友達だろ?」
二人がほっとしたように息を吐く。
「……そ、そうですわ。わたくしたちはネリエ様の派閥に属しておりますの。あなたとも一度お会いしておりましてよ」
あのときはソテイラの話で頭がいっぱいで、ほとんど印象に残っていなかった。
よく見ると、確かにこんな髪の色だった気がしてくる。
「だけど、エリカの知り合いっていったら、相当偉い天上人のはずだよ? こんなところに来ていいような位じゃない」
カルが半信半疑で聞いてくる。
「……そちらの人間はよく知っているようですわね。わたくしたちは飛竜の分家サンアーの者ですわ」
飛竜の名はエリカから聞いていた。
御三家の一角を担う家であり、その分家筋なら最上位の位階を持つ。
人間と縁があるはずもなく、まして令嬢が単独で歩き、下町に来ること事態が異常と言えた。
「……エリカに何かあったのか?」
「えぇ。わたくしたちが来たのも、それが理由ですわ」
背の高い方がマーカ、小さい方がメリリ。
二度目の自己紹介を済ませると、マーカは手早く事情を説明してくれた。
エリカが悪しき精霊の復活を試みる疑いをかけられたこと。
離宮にて謹慎処分を受けたこと。
説明を受けても、なぜそうなったかがわからなかった。
儀式を止めなければ悪しき精霊が復活する。
国が滅ぶ。
エリカは止めるために行動していた。
本人から話を聞けばわかることだ。
しかも、犯人だって明らかなのだ。
ソテイラはラバナ山付近にいて、儀式を進めている。
そこまでわかっていて、なぜエリカが咎められるのか。
「ネリエ様の立ち位置が非常に難しく、お言葉を受け入れられなかったのが原因ですわ……」
マーカは政治的な事情を話した。
ドラコーン派はネリエによる皇位簒奪を防ぐために、ネリエを貶める時機を狙っていた。
悪しき精霊の騒動は、彼らにとって格好の獲物となったという。
政治が、派閥が、権力が。
話を聞くうちに腹が立ってきた。
「くだらねぇな」
思ったことを言葉にした。
マーカの顔が引きつった。
「そんなの天上人の都合じゃねぇか。エリカを捕まえてどうすんだよ? 馬鹿なのか?」
「……ば、馬鹿とは無礼な! 人間に政治の機微など理解できませんわ!」
「あぁ、できねぇな。できねぇけど、ナンタラの機微で悪しき精霊が復活したらどうすんだよ?」
「だから、わたくしたちはネリエ様をお救いするためにこうして参ったのです……!」
「来てどうすんだよ? お前ら、いつも人間は穢れだの、奴隷だの言ってるだろうが。そんな奴のところに何しに来たんだ?」
「そ、それは……」
マーカは黙り込む。
何かを言おうとして口を開いては、躊躇いと共に飲み込む。
そんなことを繰り返していた。
「あたしたちは、ネリエ様を助けたいの。そのために手段は選ばないと決めた」
メリリがあとを継いだ。
「それで?」
「だから、あんたにネリエ様を助けてもらいたいの」
やっと話が見えてきた。
二人はそれを言うために、わざわざ下町に来たのだ。
「なんで俺のところに来たんだよ。自分で助ければいいだろ」
「それができたら苦労なんかしないの。だから、頼もうと思って、」
「都合のいいときだけ頼るな」
言い捨てると、メリリは傷ついたような顔をした。
断られたことが意外だ、とでも言いたげだった。
皇族の暮らしなど知らないが、ひょっとしたらこの女は生まれてこの方、お願いごとを断られたことがないのかもしれない。
そんな環境で育ったから、頼めばどうとでもなると思っているのかもしれない。
いかにも上流天上人らしい考え方だ。
が、ここは下町。
人間の町だ。
そんな常識は通用しない。
「……ジン」
カルが間に入ろうとするが、ジンはそれを遮った。
「お前たちに教えてやる。俺の親を殺したのは天上人だ。だから、俺は天上人を殺したいと思ってた」
「「……」」
二人の顔が青ざめる。
恐怖に顔をひきつらせるも、足だけで踏ん張っている。
「天上人は人間を奴隷する。遊びで殺す。俺は天上人が嫌いだった」
「……そ、その話は、その、ネリエ様から少し聞いたの」
メリリが応じる。
「じゃあ、わかれよ。俺がどう思ってるか」
しかし、今度は答えられない。
「俺が助けたいと思った奴らのほとんどが殺された。今だってそうだ。ラバナ山の周りで人間が死んでる。赤い雪が降って、村がなくなった。なのに、お前たちは人間を助けなかった。なんで、お前は助けてもらえると思ってるんだ?」
「……そ、それは、一括りにしてはいけないの。悪い天上人もいたかもしれないけど、本当は、」
「いい奴もいる。知ってるよ。けど、お前には関係ないだろ。お前は人間のために何かしてきたのか? してないだろ。してないのに、なんで助けてもらえるんだよ?」
今の今まで天上人が人間に手を差し伸べたことはなかった。
助けなどなく、ジンは自分で道を開くしかなかった。
ならば天上人もそうあるべきだ。
奴隷としてこき使っていた人間に助けを求める権利など絶対にない。
「俺はそんな奴を助けたいとは思えない。お前たちでなんとかしろ」
「けれど、あたしたちは当主の命令で……」
「知るかよ。家もある、食べ物もある、服もある、そんでもって霊術もある。まだ足りないのか?」
「……そ、それだけじゃどうにもならないの、だから、」
「じゃあ、努力しろよ。俺たちはもっと何もなかったんだぞ」
それでも努力してきた。
死力を尽くし、犠牲を払い、危機を乗り越えてきた。
それに比べれば、衣食住があって霊術もある二人は恵まれている。
どうとでもなるはずだ。
「話は終わりか? さっさと帰って助けてこいよ」
再度、突き放す。
マーカの方は怒りに震えている様子が見て取れた。
深呼吸を繰り返し、彼女は言った。
「正直に申し上げると、前提の違いに驚いているというのが本音ですわ。わたくしがここまで頼んでいるのに、なぜ? ……そんな気持ちと怒りが胸にあります。皇族の挟持がこれ以上、人間に頭を下げることを拒んでいるのです」
「じゃあ、さっさと帰ったらどうだ?」
投げやりに言うと、マーカは首を振った。
「いいえ、帰るわけには参りません。挟持よりも大切なものがありますから」
マーカは目をつぶり、胸に手を当てた。
額には汗が浮かび、唇を噛みしめていた。
言葉を探すにしては長すぎる間を置いて、マーカは地面に膝をついた。
「ね、姉さま……」
メリリの顔から血の気が引いていく。
膝をつく行為には重い意味があるのだろう。
「わたくしの努力を問われましたわね。その返答として、いかにわたくしが努力してもネリエ様をお救いできないことをご説明いたしますわ」
「なんだそれ」
「わたくしたちは幾度も思考を巡らせ、人間に頼る以外に術がないという結論に至っているんですの。故に、ここであなたを説き伏せることこそが、わたくしにできる最大の努力」
マーカは懐から巾着を取り出した。
手のひらに転がり出てくるのは子供の拳大の玉だ。
深い緑色を讃え、丁寧に磨き込まれた表面は心なしか燐光を放っているように見えた。
「これは捧げ石と呼ばれる石にございます。玉に自身の体の一部を埋め込み、主従の関係を絶対とするために作られたものですわ。この石を捧げた従者は、命、心、体のすべてを主に委ねることとなりますの」
その歴史は古く、霊術が生まれる以前から存在するものだという。
捧げ石を持った主は従者に対する生殺与奪の権利を持つ。
命を握られた従者は主に逆らうことができなくなる。
「……これをあなたに差し上げます」
「姉さまっ」
「これがあれば、あなたは皇族の一角を自由に操ることが可能となりますわ。ネリエ様に不利益が出ない範囲であるならば、いかなる命にも従いましょう」
「そんなのダメなの。捧げ石ならメリリのを上げるの。だから、姉さまのは……、ちゃんとネリエ様に捧げるの……!」
「このマーカ、一度決めたことを曲げるつもりはございませんの。これはお願いではなく、取引ですわ。この条件で、話を受けていただけまして?」
マーカの顔がほんの一瞬だけエリカに見えた。
なぜそう見えたのかはジンにもわからない。
ただ、瞳に覚悟があった。
かつてエリカが絶望の淵にあり、ジンに助けを求めてきたときですら、そんな色の目はしていなかった。
エリカがその目をしていたのは一度だけだ。
ベルリカ領直轄地に呪いが溢れ、誰もが生きることを諦め、ジンと領主が血で血を洗う闘争の中にあったとき、ネリエとして現れたあの瞬間、エリカの目には覚悟があった。
同じ色だ。
本気で死ぬつもりの奴だけが見せる色だ。
「甘やかされて育ったくせに、お前、生意気だな」
「育ちは関係ありませんでしてよ。わたくしには、わたくしなりの意地がある。それだけですわ」
戦場の恐ろしさも知らないくせに。
飢えとはなにかも知らないくせに。
奴隷の暮らしさえ想像できないくせに。
「知れと命じれば、今すぐにでも人間となり、市井に紛れてみせますわ」
なおもマーカは強気を崩さない。
恐ろしいことに、彼女は本気で言っていた。
怖いもの知らずとはこういう奴のことを言うのだろう。
自分も人のことは言えない。
しかし、ここまで勝機のない戦いに正面から突っ込むことはしなかったと思う。
「くだらね。そんなのいるか」
よく知らない皇族が従者になって、何をさせるのか?
しかも、元々はエリカの従者だ。
生殺与奪の権利を取ってやったぜ、と報告しても怒られるのがオチだ。
二人を無視してミトの家を出ようとする。
その背中にマーカが言葉をぶつけた。
「お待ちくださいませ。返答をお聞かせなさいな」
「姉さまの捧げ石で足りないなら、メリリのもあげるの」
二人が石を掲げて迫ってくる。
祈るような、すがるような目を向けてくる。
本当にどうしてか、その姿がエリカに重なる。
「エリカは離宮にいるんだよな?」
一言、そう聞いた。
意図は伝わったと思う。
「…………は、はい! 離宮に幽閉されておられます……!」
「俺はロボットに乗って皇城に来るなって言われてる。怒られたらお前たちのせいにするからな?」
「構いませんわ。いかようにもわたくしたちが怒られます……!」
「それが条件だ」
それだけ言って早々に家を出た。
泣かれるとわかっていたからだ。
お礼を言われるのも気まずい。
エリカを助けに行くのに、礼を言われる筋合いはない。
どうせ頼まれずとも行くつもりだったからだ。
「……どうしてあんなに意地悪したの?」
あとからやって来たカルが言う。
「腹が立ったからだ。俺は女でも天上人には容赦しねぇ」
「大人げないなぁ。……でも、エリカはいい友達を見つけたみたいだね」
「そうだな」
最初は皇族らしい甘えが見えていた。
人間の街にやってきた自分たちすごい、という気配があって、そこに腹が立った。
その程度で偉そうにするな、と。
でも、話すと悪い奴らではなかった。
エリカを任せてもよいと思えた。
そして、そのエリカは囚われの身になっているという。
どうしてそうなったのか疑問しかない。
とにかく、助け出すところからだ。