51 来訪者2
†ドラコーン†
その日、ドラコーンの姿は茶室にあった。
女はいない。
一人だ。
客が来るため酒も飲んでいなかった。
客。
そう、客が来るのだ。
通常、ドラコーンへの面会は非常時でも許されない。
取次役であるマンダがすべての話を聞くためだ。
しかし、今日の客はドラコーンが独断で面会を許した。
自分でも不思議だが、このところマンダに内緒で動くことが増えた。
きっかけはマンダのもたらす情報に嘘があると知ったことだ。
教えてくれたのは、ネリエの友人だという人間だ。
そいつは外の世界のことを話した。
どれもこれもドラコーンには新鮮だった。
皇帝に対する態度はなっておらず、無礼極まりない奴だが、今のところ殺そうという気にはならない。
不思議な魅力を持つ奴なのだ。
実のところ、客というのもその人間だった。
襖が開き、御庭番が女を連れてくる。
「お時間をいただきありがとうございます、ドラコーン様」
許可もなく頭を上げ、微笑みを向けてくる女。
他人の名前など覚えぬドラコーンだが、そいつの名前だけはよく覚えていた。
「余に面会を申し込むなど不遜にもほどがあるな、ヒヌカよ?」
「えぇ、思い切ってみました。でも、まさかお受けいただけるとは思ってなくて、光栄です」
以前に会ったときとは異なり、ヒヌカは豪勢な着物を身に着けていた。
髪も結い上げ、紅を引いていた。
人間の身分には過ぎた代物だが、不思議と違和感はなく、むしろ美しいと感じられる佇まいだった。
「どうやって余に渡りをつけた?」
「御庭番の方を覚えていましたので。あの方々は時折、下町に出ているでしょう?」
「バレぬよう歩けと言い渡しているのだがな」
「私の周りには凄腕の忍びがいるので、慣れてるのかもしれません」
ヒヌカは忍びについて語る。
影から影へと移動し、弓矢を見切り、独自の剣法を習得する者。
奇っ怪な能力者のようだ。
ヒヌカの話は何を聞いても面白い。
「話し方が様になっているな。少しは練習してきたということか」
「おわかりになりますか?」
「当然だ。格段に腕を上げたな」
「そう言われると嬉しいですね。ありがとうございます」
ヒヌカは微笑んだ。
本当にそれが不思議でならない。
「貴様は以前に余を怒らせた。なぜ恐れぬ? 余の怒りが解けていなければ、貴様は殺されたはずだ」
「そうなのですか? そこまで大事とは知りませんでした」
ヒヌカはとぼけたように言う。
「し、知らぬのか!? 貴様、どこまで無知なのだ!?」
「……というのは、冗談です。ちゃんと作法は勉強しています。本当は、ドラコーン様を信用していたからです」
「信用……? 余を信ずるから現れたと?」
「はい。違う話もできるだろうと思ったんです」
「解せぬな。結局、目的は何だ?」
「ドラコーン様に人間を知っていただくことです」
ヒヌカは淀みなく応えた。
掴みどころはないが、一応、目的はあるようだった。
「また人間の話か……。例の炎を持った男の話はいらぬぞ」
「それは残念です。この間、空飛ぶ巨人に乗って皇城を訪ねたと言っていましたが、その話はしなくてもよいですね?」
「な、なんだそれは!? 余はそのような報告は受けておらぬぞ!?」
空飛ぶ巨人で人間が皇城を来訪。
どう考えても大事件だ。
だが、マンダは何も言わなかった。
……また隠したのか、と歯噛みする。
「違う話にしますか?」
「構わぬ。何でもよいから話せ」
「はい」
ヒヌカは空飛ぶ巨人と人間王の話をした。
かつて滅んだ人間の国があり、……人間王は未知の技術を見聞し、最終的に空飛ぶ巨人を従えたという。
胸躍る話だった。
主人公が人間で、しかも、青い炎を持つ男でなければなおよいのだが。
「その男、奴隷のくせにつくづく生意気だな」
「奴隷ではありませんよ。人間だけで暮らす国があります。それは本当のことです」
人間国の話も初めて聞いた。
ベルリカ領主直轄地にあるという。
その国では農業も商業もすべて人間が行う。
天上人のような階級は存在せず、すべての民が平等。
故に奴隷という仕組みもなく、だから、笑顔の多い国だという。
「くだらんな。だから、何だというのだ?」
「素敵だと思いませんか?」
「思わぬ。民の暮らしなど、どうでもよい」
「ですが、民のことを考えなければ、多くの者が死に、国が弱まっていきますよ」
「それは余の仕事ではない。宰相が考えることだ」
皇帝とは存在することに意義があるのだ。
高貴な血を次代に残し、君臨するためにある。
「それではジンに認めてもらえませんよ?」
「ジン? 例の炎を持つ男か?」
「はい。ジンは青い炎を持っています。ドラコーン様が民のことを考えないのであれば、ジンは炎を提供しないかもしれません」
「くだらん」
そんなものは奪えばいい話だ。
何を憂う必要があるのか。
第一、人間に対して皇帝が思慮をするなどありえない話だ。
苛立ちが募る。
が、前回と同じ轍を踏まぬようドラコーンはぐっとこらえた。
「余を脅す気か、人間?」
「そうかもしれません」
ヒヌカは即答した。
「そうでもしないと、人間は奴隷のままですから。ネリエさんも、ジンも、わたしも、人間と天上人の両方が幸せになる国に住みたいんです。バサはそうなれますか?」
ヒヌカはドラコーンの目を正面から覗き込んでくる。
おかしな話だった。
いつの間にかドラコーンが試される側になっていた。
人間に試される皇帝。
あり得ない図式だ。
しかし、苛立ちが再燃することはなかった。
ヒヌカの言葉が胸に刺さったからだ。
思い出す。
ネリエも同じことを言っていたのだ。
天上人と人間が共に暮らせる国を作りたい、と。
ただ安穏と暮らしたいだけであるなら皇位を譲れ、と。
皇帝としての務めをネリエは果たそうとしていた。
欲しいものが根本から違う。
「余に問いかけるとは首が飛んでも文句は言えぬな」
「でも、首をかけるだけの価値はあったと思います」
「食えぬ奴め……」
ヒヌカは恐れというものを知らない。
その態度が癇に障るときも多いが、言葉に含蓄があるのは事実だ。
自分が必要とすることをヒヌカは話す。
妙な駆け引きもなく話せるのも心地よい。
雑談ばかりだが、あっという間に時間は過ぎていった。
トントンと襖が叩かれた。
時間が来たことを知らせる合図だ。
「時間か。刺激的なひと時であったぞ。余を楽しませた褒美を取らせよう。望むものを言え」
ドラコーンは皇帝の威厳を見せてやろうと思った。
ヒヌカが思いつく望みなどたかが知れる。
それを十倍くらいにして下賜してやる。
そうすれば、生意気さも少しは治るだろう。
「いりません。望みはもう叶えてもらってますから」
「なに……?」
「わたしはドラコーン様と仲良くなるために来ました。もう叶いましたよね?」
が、ヒヌカは想定外のことを言った。
望みがないどころか、仲良くなど……。
「貴様はとことん変わった奴だな」
だからこそ面白い。
そう思うのも事実だ。
ヒヌカは言動の予測がつかない。
「貴様の友人であるネリエが窮地に陥っているのだぞ。救ってやろうとは思わんのか?」
「それでは意味がありません。あなたがお姉さんを助けたいと思ったのなら助けてあげてください」
「どこまでも生意気な……」
「ネリエさんの言っていることと司教の言っていることのどちらを信じるか……。皇帝として、国の行く末を決める決断だと思います」
「ふん、マンダに任せている。心配はない」
「宰相はいつでも正しいとは限りませんよ」
「余はマンダに信を置いておる」
「……なら、よいのですが」
ヒヌカは案ずるように言う。
人間に心配される言われなどない。
早々にヒヌカを退出させ、ドラコーンは息をつく。
「マンダか……」
本当は疑念を持っていた。
最近は特に、そう思うことが多い。
ネリエ暗殺の許可を求められたときも、性急さが目についた。
あの美しく、賢い娘をなぜ殺そうとしたのか。
妻にするならあの娘としか思えない。
マンダの言っていることが正しいのか、ドラコーンにはわからなくなっていた。