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今回は長いです
†マーカ†
背中を丸めながら入室する執事に、マーカは針を投げつけるように問うた。
「頼んでいたものは集まったんですの?」
「……いいえ、それが難航しておりまして」
「今まで何をしていたんですの!? 今日中にと言ったはずです!」
机を叩くと執事は更に頭を低くして、
「し、しかし、……悪しき精霊について書かれた文献などは、多くがマナロ様が焚書なさったのです! それを探すというのは、皇家の反感も買うことでして……!」
「いいから、早く探しなさい! クビにいたしますわよ!」
入室したばかりの執事を早々に追い出す。
そこはサンアー家の茶室だ。
大規模なお茶会にも対応しているが、今日まで姉妹以外でお茶を飲んだことはない。
孤独の姫だとか、行き遅れだとか、マーカをなじる言葉は底が知れない。
使われない茶室も他者からすれば嘲笑の的だが、マーカは特段気にしたことはなかった。
今気がかりなのは、主の動向だ。
「ネリエ様はぁ、ソテイラ様の屋敷に行ったりぃ、虎の氏族に声をかけたりしてるらしいの。あとぉ、カナン様の屋敷にも行ったみたい」
メリリの調査でネリエの動向は把握していた。
伝のある人物を片っ端から当たっている。
荒事を起こそうと画策しているのは事実のようだ。
理由は知れている。
人間が離宮へやって来たとき、二人も同席していたからだ。
しかし、初めて見た人間への恐怖やら嫌悪感やらで、話の大部分は記憶から抜けていた。
悪しき精霊だとか。
霊公会だとか。
召喚だとか。
非常に不穏で非現実的な会話だったのは覚えている。
そして、聞いたこともないような国の話や人間の歴史など、マナロ戦記を否定するようなことも言っていた。
バサ皇国においてマナロ戦記は建国史だ。
それは真理の一つであって、真偽を問う対象であってはならない。
ネリエは呼吸をするようにその禁忌を犯し、人間の話を受け入れていた。
「……何が正しいのか、わたくしにはわかりませんわ」
ネリエが派閥の全員を集め人間を披露したとき、マーカは息が止まりそうなほどの衝撃を受けた。
人間とは穢れ。
見ても触れてもならぬものと教わったからだ。
二度目に人間を見たときは、礼儀正しさを意外に思った。
しかし、嫌悪感がまさったのは事実だ。
人間を養護するネリエの気持ちは、まるでわからない。
何か重大な前提が共有できていないように思う。
それでもネリエはマーカの上に立つべき者だ。
ネリエには感謝している。
どこにも行けなかった自分たちを仲間として迎え入れてくれた。
お茶会に呼んでくれた。
あの日、マーカはきつい言葉を投げつけたが、内心では涙していた。
やっと自分にも居場所ができたのだ、と。
人間を救いたいという考えに共感はできないが、恩義が消えるわけではない。
今更、他所へ行こうとは思わない。
だからこそ、人間の言葉を信じるべきかどうか、二人は迷っていた。
「でもぉ、大霊殿から司祭様がいなくなったのはぁ、本当らしいの。何か大きな儀式をするって噂もあるの」
「……一応、人間の話と符合はいたしますわね。けれど、企みがあると決めるのは早計ですわね」
人間がネリエを騙している。
あるいは誤解している。
二人は様々な可能性を探っていた。
主を陰から支えるのが従者の努め。
執事を使って調査を進め、確証が得られた時点でネリエに報告する。
その心づもりでいた。
来客があったのは、そんな折のことだった。
「――――珍しいですわね。お父様が急にいらっしゃるなんて」
茶室に来たのは二人の父だった。
普段は飛竜の直轄地ジジリアにいる。
ジジリアは帝都の北東、ペラノ山脈を越えた先で、馬車でも片道三十日の距離だ。
故に父が帝都に来るのは数年に一度という頻度だった。
父は来訪の際に必ず手紙で連絡をする。
家族であっても礼儀を欠かさぬのが父の美徳。
というのは建前で、彼は娘たちによる歓待を心待ちにしているフシがあった。
マーカとメリリは父が来る度に盛大な宴を開く。
踊り子と楽師を手配し、父への愛を歌うのだ。
そんなだから、いつまでも嫁に行けないのだ、と周囲に陰口を叩かれることもある。
しかし、マーカもメリリも父のことは大好きだったし、父もまた娘を溺愛していた。
だから、何の不都合もなかった。
今日という日を迎えるまでは。
「メリリを呼びなさい。今日は大切な話があって来たのだ」
「……御手洗いに行っているだけですわ。すぐに戻ります」
父の表情から、ただ事ではない気配を感じた。
「お父様、おかえりになってたのぉ!?」
戻ってきたメリリが父の胸に飛び込む。
いつもなら笑顔で頭を撫でてくれる父だが、今日はメリリを突き放すように座らせた。
「……どうしたの、お父様?」
「大切な話があるんだ」
メリリもまた父の様子に異変を覚える。
無言のままマーカの隣に座った。
父は重苦しい口調のまま言った。
「マーカ、メリリ。お前たちは最近、元第二皇女様の派閥に入ったそうだな」
「はい、お父様。しかし、元ではありませんわ。今も第二皇女ですもの」
元という文字をつけるのはドラコーン派だけだ。
ネリエは、ドラコーンの即位は不当であり、今現在も皇位は空席と主張しているからだ。
マーカが解説すると、父は不愉快そうに顔を歪め、
「……初めての友人を大切に思う気持ちはよくわかる。しかし、現実を見てもらわないと困る」
「どういう意味ですの?」
「元第二皇女様は乱心の疑いがあると聞く」
「何を馬鹿な……」
「事実だ」
父は淡々と語る。
「ネリエ様は元より皇位を狙って、お姿を現しになったと聞く。着々と派閥を形成していたが、人間との爛れた関係が明らかになり、派閥は解散となった。この事実に耐えられなかったネリエ様は武力にて皇位簒奪を試み、方々の伝に声をかけ、武力蜂起を画策している疑いがある。更には悪しき精霊にも興味を持たれているとか。悪いことは言わない。早々に縁を切れ」
父の言うことは大半が事実だった。
事実だが、物事の片側からしか見ていない。
「お言葉ですが、お父様。ドラコーン様は兄弟姉妹を殺害して皇位についたお方です。ネリエ様が生きていらっしゃる以上、その即位を不当と考えるのは妥当ではありませんか?」
「滅多なことを言うものではない。不敬だぞ」
叱りつけるように父は言う。
その時点で、おかしな話だった。
「……皇帝を養護するんですの?」
飛竜は焔龍も含め反蛇龍だ。
皇帝におもねる父の態度が理解できない。
「そうだ。私としても非常に苦しい選択ではあった」
「……一体、何のことでして?」
「混乱するのも無理はないだろう。順を追って話そう」
身を乗り出すマーカの肩に父が手を置いた。
「先日、宰相マンダ様から私のところに手紙があった。手紙には皇帝陛下が近々ネリエ様を永蟄居に遇する旨が記されていた」
「なぜそのような罰を!? 一体、ネリエ様が何をしたと言うんですの!?」
「先も言ったが、悪しき精霊が蘇るなどという妄言に取り憑かれておられると聞く。私も半信半疑ではあったが、……お前たちもまた悪しき精霊について調べているというではないか。私は心底、恐怖を感じた。まさか自身の娘がそのような禁忌に触れようとするとは……」
「ただ調べることのどこが禁忌なんですの!?」
問い返すと、父はひどく驚いた顔をしていた。
顔から血の気がなくなり、やがて一人で納得したように肯いた。
「そうか、……お前たちは自分の意志をなくしているのだな……」
「……一体、何をおっしゃっているんですの?」
「ネリエ様を心酔するように仕向けられたのだろう。孤独であったお前たちの心は、ネリエ様に誑かされたのだ。だから、盲目的にネリエ様の指示に従おうとする……」
父の言葉に逐一、腹が立った。
心酔するように仕向けられた? 孤独だったから?
まるで右も左もわからない赤子のような扱いだ。
「マンダ様は悪しき精霊の復活を主導するのはネリエ様ではないか、と疑っておられる」
「何を馬鹿なッ」
「それでも彼女に従うのであれば、サンアー家にも相応の沙汰があるそうだ」
一瞬にして反論の術を奪われた。
黙るしかなかった。
「サンアー家に……? どうして?」
「家の者が悪事に手を染めれば、止められなかった当主に咎があるのは当然だろう」
自分たちが罰を受ける程度ならばいい。
しかし、家が絡むとなると、マーカの手に負える領域にはない。
「これはサンアー当主としての決断だ」
父は苦慮の末に決めましたとばかりに言う。
発言は大半が的外れで、そのことに憤りを覚えはする。
しかし、与えられた結論は明快だった。
「……つまり、宰相様がネリエ様を逆賊として考えておられ、それに加担するサンアー家にも沙汰を下す可能性があるとおっしゃられている、と」
「よくわかっているではないか。さすがは私の娘だ」
「以上のような理由であれば、わたくしが口を挟める問題ではございませんわ。それは認めます。が、ネリエ様の後ろ盾にはカナン様がいらっしゃるはず。マンダ様の独断でそのような行動は取れないのでは?」
「此度の件、カナン様もお認めなのだと聞く」
「……本当ですの?」
カナンはネリエを鍛えると御前会議で発言したはずだ。
そして、ネリエばかりかマーカとメリリにも厳しい課題を与えた。
その恨みは今も腹の底でくすぶっている。
だというのに、ネリエを裏切るというのか。
「カナン様もネリエ様の乱心を危惧していらっしゃるのだ。ネリエ様が悪しき精霊のことをお忘れにならない限り、ドラコーン様に進言することはないとはっきりおっしゃられた」
「それでは、どうあってもネリエ様は救われないではありませんか!」
「そんなことはない。ただ、虚言癖を改めればよいだけだ」
虚言などとどうして決めつけられるのか。
悪しき精霊の復活は、事実なら国の一大事だ。
もっと真面目に考えるべきではないのか。
「マーカ。悪しき精霊というのは神話の存在だ」
父は諭すように言う。
「誰がそのようなものを信じる? 誰も見たことがないというのに」
「だったら、復活を考えようが、調べようが罪に問う必要はありませんわ」
「皇族が存在を信じ、調べている時点で罪だろう。皇族から乱心者が出たなど、末代まで続く汚点だ。焔龍当主は皇帝陛下へ謝罪するため帝都へ召集令を受けている。下手をすれば、高貴なる三つの家から降格されるかもしれぬ」
父の声に苛立ちが混じる。
マーカにも、次第に事態の大きさが飲み込めてくる。
御三家の一角が消えるほどの罪。
そう決めたというより、仕立て上げたのはドラコーン派だから、多少誇張は入っているだろう。
しかし、ネリエが隙を見せたのも事実だ。
皇位簒奪を企てる者と認識され、暗殺者まで差し向けられていたことを思えば、確かに今回の行動は軽率だった。
ネリエにも責められるべき咎がある。
「……」
反論を探すも弾は尽きていた。
マーカではネリエを庇いきれない。
「あたしは納得できない」
押し黙っていると、メリリが感想を述べた。
「……なぜだい?」
「ネリエ様は人間との関係を認めたの。それだって、大きな罪のはずなのに皇帝は何も言わなかったの。どうして今だけ言うの?」
「人間との関係を認めた際はカナンが擁護されたからだ。故に皇帝陛下も追及されなかった」
「あたし、罪は法で決まるのだと思っていた」
メリリは痛烈な皮肉をぶつけた。
普段のゆったりとした話し口は鳴りを潜め、短く鋭い言葉だった。
「もちろん、バサは法治国家だ。罪の定義は法にある。しかし、御三家ともなれば、問題がすべて法的に解決されるわけではない。わかるかい? それが政治なんだ」
「そんなもの理解したくもない」
「メリリ……、機嫌を損ねないでおくれ」
父はメリリに特に甘い。
なだめるような声で説得を試みる。
そのうち気が変わると踏んでのことだろう。
が、メリリは頑なに拒む。
気分屋にしては珍しく、意志を貫いていた。
「……わかった。だったら、仕方がない。マーカ、メリリ、二人には謹慎を命じる。よいと言うまで家から出ないように。それから、ネリエ様と連絡を取ることも禁止だ」
「それは当主としての命令と考えてよろしいのですか?」
「そうだ」
であれば、二人に拒否権はない。
悔しくとも受け入れるしか道はなかった。
「それから、二人の籍をドラコーン派へ加えていただけることとなった。蛇龍には話がついているそうだ。こちらは私から話をしておくので、心配はいらない」
「なぜそのようなことを……! わたくしは何も聞いていませんわ!」
しかし、転籍だけは許せなかった。
ネリエ派であることは、マーカがネリエとつながる唯一の絆だ。
それを取り上げ、よりにもよって蛇龍に売り渡すなど。
いくら当主の命でも承服できることではない。
「わたくしに裏切り者の烙印を押すおつもりですか!?」
「今はそう思うだろう。だが、将来、私に感謝するときがきっとくる」
父は幼子を諭すように言う。
いつまで子供扱いすれば気が済むのか。
自分は、自分の意志でネリエを選んだ。
尽くすと決めた。
それなのに、ネリエを切って捨てるような真似をなぜさせるのか。
「お父様はわたくしたちのことを何もわかっておりませんのね」
暴言が溢れる。
それでも、殴らなかっただけ上出来だったと思う。
「あたしは生涯お父様を許さないと思う」
そして、メリリはその上を行った。
端的に、冷静に、父を軽蔑した。
父は呆然としていた。
娘から向けられた視線に耐えきれなかったのか、やがて着物の裾で顔を隠した。
「……あれだけ愛を注いだというのに。なんて言い草なのか」
役者のように首を振り、涙を流した。
「その節は感謝しておりますわ。わたくしもお父様の愛を感じておりましたもの。つい先日までは」
「そうか……。もう昔のように愛らしい二人ではないのだな。今日はこれで失礼する。冷静に話し合える状態ではないようだから」
父は顔を隠したまま部屋を出て行った。
静謐な茶室には、マーカとメリリと執事が残された。
日頃の鬱憤を晴らすかのように、執事はしたり顔で「この部屋からお出になりませんように」と言い残して消えた。
「……どうしてこんなことになったの?」
メリリの頬を涙が伝っていた。
「お父様は変わってしまったの?」
「いいえ、風向きが変わっただけですわ」
父は昔から感傷的で、どこか自分によっている節がある人だった。
だから、あの涙が嘘だったとは思わない。
本気で二人を案じ、父は行動したのだ。
ただ、その性格をドラコーン派に利用されただけで。
サンアーは飛竜分家の中でも、下から数えた方が早い地位だ。
宰相と縁が持ったとあれば、本家からも注目されるだろう。
まして娘が蛇龍に取り入れるなら、なおさらだ。
蛇に組み込まれた裏切り者と謗られるかもしれないが、飛竜には蛇龍の下につきたいと考える者が一定数いる。
それだけ蛇龍が強い力を持つからであり、今後、焔龍が中央政治から外されるとなれば、飛竜は徒党を組む相手すら失うのだ。
今のうちから蛇龍につくのは、判断としては悪くない。
家のことを考えれば最善とすら言える。
「姉さま、すごい。ネリエ様みたい」
「間近で散々に見てきましたもの。この程度のことは考えられますわ」
マーカは自身の着物でメリリの涙を拭う。
「こんなことならネリエ様に身を捧げておけばよかったと心底、思いますわ」
「……姉さま、本気?」
「えぇ。わたくしはやるとなれば、とことんやるタチですの」
身を捧げる、とは皇国の古い文化だ。
忠誠を誓うという意味を持っている。
これは形式上のものではなく、契約の術式を用いた強制力を伴うものだ。
従者は主に自身の霊力を封じ込めた捧げ石を渡す。
この石を通じて、主は従者の生死を管理できるというもので、ここ三百年の間に廃れていた。
今ではよほどのことがなければ、身を捧げることもない。
命を懸けるような重い主従関係が消えたこともあるが、捧げ石を作る儀式が禁呪の一種であるためだ。
霊術を使わない術式は外聞が悪いのだ。
「ま、過ぎたことを後悔しても仕方ありませんわね。起こったことは起こったことですし」
「どうするの……?」
「考えがありますわ」
マーカはメリリに耳打ちをしてみせる。
メリリの顔がどんどん引きつってくる。
それは、生まれてこの方、一度たりとも考えたことがなく、また、実行したことのないことだった。