15 女郎宿5
五日が経ち、女郎宿へ行く日がやって来た。
宿舎を出ると、数十人の咎人がいた。
列の先導は監視者だった。
ヒヌカはジンを見ても何も言わなかった。
相変わらずの無表情からは何も読み取れない。
「なぁ、ヒヌカ」
「話しかけないでください、と以前に言ったはずですが?」
自棄糞気味に声を掛けるも、素っ気ない返事が来る。
ジンは諦めて列に戻った。
隊列が移動を始める。
今回から監視者によって人数の確認が行われた。
行く前と行く後で人数が違ったら大騒ぎというわけだ。
今までと同じ方法では抜けられない。
なので、カルは列に加わらず、あとからついて行く方法を取った。
これなら自由に行動できるが、完璧に気配を消さねばならないので、たぶん、カル以外にはできない。
隊列が女郎宿に到着する。
緊張しながら、時を待つ。
扉が開け放たれると、絢爛な内装が目に入った。
入り口は巨大な土間。
奥を見ると朱で塗られた柱と蝋燭台が見て取れた。
まだ入り口だと言うのに、化粧の臭いを感じる。
廊下の両脇に多数の襖があり、その部屋一つ一つに女郎がいるのだろう。
「今日は誰からだい?」
女将が取り仕切る。
ジンは一歩前に出た。
「俺だ」
「誰を指名するんだい?」
「リマだ」
「リマァ? いきなりリマを狙うなんて、新顔の癖に大胆だねぇ?」
女将は嫌味を言いながらもジンを奥へ通した。
リマの指名で三ヶ月分の給金が消えていた。
カルは苦笑いしていたが、頼まれたのだから仕方ない。
別の女に案内され、二階へ向かう。
薄暗い廊下を歩き、個室へ通された。
六畳の部屋には布団が一組と行灯があった。
着物を重ね着した女が待っていた。
年齢は二十の中ほどだろうか。
大人の色香を備えた美人だった。
リマは布団の上で足を崩し、ジンを見上げる。
その顔には驚きが満ちていた。
「あ、あんたは…………」
「俺がどうかしたか?」
「いや、別に……。新顔にいきなり指名されたと聞いて、どんなブ男が来るかと身構えていたのさ。あんたみたいないい男が来るとは思っていなくてね」
ふと何かが引っかかる。
「……お前、どこかで会ったことあるか?」
「あっはっはっ、口説いてるつもりかい? いきなり手球にとろうだなんて太いねぇ?」
「そ、そんなんじゃねぇよ! やっぱり気のせいだった! ごめん!」
「いいよ、いいよ。…………それで、今日はどうするんだい? 希望がなければ、あたしに任せてくれるかい?」
リマは枕元の蝋燭に火をつけた。
これが燃え尽きたら終わりの合図だ。
男はねぐらに帰らねばならない。
「突っ立ったままじゃできないだろう? 布団に入りなよ」
リマが布団を叩く。
少しだけドキッとしたが、ジンは用件を切り出した。
「俺は伝言を持ってきただけだ。ツグという男だ」
「……ツグがどうかしたのかい?」
「五日前、脱走の計画がバレて殺された」
「…………」
リマは表情を変えなかった。
「……そうかい、ツグは死んだかい」
「俺はツグが死ぬ前に伝言を預かってきた」
「なんて言ってたんだい? 嘘ついてごめんなさい、ってか?」
「――――愛していた、とツグは言った」
しばしの沈黙が挟まった。
リマは顔を歪め、両目に涙を浮かべた。
袖で顔を覆う。
「ごめんよ……、客の前なのに……」
「気にするな。泣きたいだけなけばいい」
「……男前だねぇ、ツグとは大違いだよ……」
「ツグはどんな奴だったんだ?」
「軽い男さ……、驚くほどね」
リマがツグと会ったのは一年前だという。
最初はただの客だった。
顔がいい男くらいにしか思わなかった。
けれど、ツグは話がうまかった。
いつもリマを笑わせるような話題を持ってきた。
そして、いつしか惹かれている自分がいたのだ、という……。
「ツグは本当のことも嘘もごっちゃにして言う癖があってね……。逃してやるなんて、言うんだよ。……あれも、たぶん、軽口だったんだろうけどさ。嬉しくてねえ」
それでリマは抜け道を教えた。
ツグを思っていたから。
本当に助けてくれればいいと思いつつも、ツグだけでも、と。
「軽口なんかじゃねぇ……! ツグは本気だった! 金を稼いで、リマを助けるつもりだと言っていた。あれは嘘をついてる奴の顔じゃなかった。俺は絶対にそう思う!」
「そんなこと、今更言われたって――――」
リマは袖で顔を隠し、絞り出すように言った。
「せめて、あの人の口から聞きたかった……。愛しているなら、もっと早くに言ってくれれば……」
嗚咽が漏れ出す。
着物では隠しきれない涙が、畳にぽたぽたと染みを作る。
ジンは部屋の隅で天井の節穴の数を数えた。
何も聞こえないし、何も見えない。
そんなふうに振る舞う。
蝋燭の灯りが障子に悲しげな影を映していた。
「取り乱して客の相手もできないなんて、申し訳ないね……。女郎失格だよ。……時間、あまりないけどするかい?」
リマが着物の帯をほどく。
ジンは首を振って、
「お前はツグの女だろ」
「……男前だねぇ」
リマは布団の上で足を崩す。
ジンは隣に腰を下ろし、
「その代わり抜け道を俺にも教えてくれ」
「…………やっぱり、そうくるかねぇ。抜けるって言っても一筋縄じゃいかないよ。あんた、ここがどこかも知らないだろう?」
「知らない。馬車に乗せられてきたから」
「なら、収容所の外に何があるかから話そうじゃないか」
「その話、僕にも聞かせて」
天井の板が開いてカルが顔を覗かせた。
「カル!?」
「裏口が手薄だったから忍び込んだんだ。みんな目の前のことに夢中だから簡単に来られたよ」
「あら、嫌だねぇ。逢瀬を盗み見ている子がいるなんて」
「ごめんなさい。けど、僕はジンを見張らないといけないから」
カルは音もなく床に降り立ち、ジンとリマの間に割って入った。
狭い。
「なんでわざわざそこに座るんだよ……」
「いいのいいの。僕の勝手でしょ?」
「仲がいいねぇ? それじゃ、最初は町から話そうかね」
リマは収容所の周囲について話してくれた。
まず、バンガ第三人間収容所は四方を山と森に囲まれるが、最寄りの町は思ったより近いらしい。
歩いて一刻(約三十分)の場所に町がある。
宿場町トゥレン。
アグノ山地の麓に作られた交通の要所だ。
トゥレンは収容所からみて南西の方角にある。
逆にそれ以外の方角には何もない。
東へ行けばアグノ山地。
草木も生えない険しい山にぶつかる。
北は山を越えると平地が広がる。
そこには古代の遺跡群があり、穢魔の巣窟となっている。
逃げるなら南西以外に活路はない。
「やけに詳しいな。行ったことがあるのか」
「行ったも何もあたしはそこから来たのさ。女郎宿の女は皆、トゥレンで普通に生活してた女たちだよ」
「そうなのか!? 俺たちは馬車で運ばれてきたんだぞ!」
「男はすぐ逃げようとするからだろう。土地勘のない場所に運ばないと意味がない。女はまぁ逃げないからね。それに、あたしらは咎人ってわけじゃあない」
「咎人じゃない……? 罪を犯してないのに捕まったのか?」
「売られたのさ。金に困った家族や夫に。もちろん、咎人だっているさ。けれど、ほとんどは借金や生活費のために売られた娘ばかりだよ」
「売られたってことは、……トゥレンでは人間は天上人の奴隷じゃないんですか?」
カルが質問する。
「むしろ奴隷より下さ」
「奴隷より下……?」
「トゥレンは交通の町だからね、人間の世話をする人間が必要になるのさ。そいつらも便宜上、首輪をつけているけれど、身分は奴隷に及ばない。何しろ天上人に直接関われないんだからね。もらってきた残飯を荷運び人に与えて、わずかな金を稼ぐのが仕事さ。トゥレンでは奴隷が一番いい暮らしができる。奴隷になれない奴らは、そうして貧しく暮らすしかないのさ」
奴隷の身分が一番上。
奴隷が一番いい暮らしができる。
……想像もできない。
「奴隷は何だかんだ言って住む場所と飯がある。奴隷になれない人間は、全部自分で何とかしなくちゃいけない」
「…………け、けど、自分で生活できるなら、そっちの方が自由があるだろ?」
「自由? ありゃしないさ、そんなもの。毎日、食うので精一杯。住む場所もない。町を出れば穢魔の餌。どこにも逃げ場がない檻だよ」
ずっとずっと、ジンは思っていた。
奴隷なんて最悪だと。
それ以上、下なんてないんだと。
ところが、リマはその下から来たのだという。
唐突にシャムを思い出す。
ひどい境遇だと感じていた。
しかし、トゥレンでは、あれですら裕福な暮らしだとみなされる。
本当にこの国はどうなっているのか。
「さて、肝心の抜け穴だけど、二階にあるよ。廊下の奥の掛け軸の裏側に通路があるのさ」
「どこに通じてるんだ?」
「トゥレンの天上人の宿さ」
「……なんでそんなところにつながるんだ?」
「この女郎宿が元々天上人のために作られたからさ。天上人は人間の女を抱くことができるんだよ」
「はぁ!?」
天上人が。
人間の。
女を抱く??
「違う生き物だろ?」
「違うさ。でも、できるようになってるんだよ」
噂では、子供もできるそうだ。
もちろん、人間と天上人が子供を作るのは禁忌だ。
孕んだ時点で母親ごと殺される。
……衝撃的な事実だが、一旦、その話はおいておく。
曰く、トゥレンでは娯楽の一環として女が供されるそうだ。
しかし、高貴なる天上人をまさか女郎にするわけにもいかず、結果として生まれたのが人間の女郎だという。
「天上人のお呼びがかかったら、誰かが通路を通って町に行く。そして、お相手をして戻ってくる。女郎宿が作られた本当の目的はそれさ」
つまり、この収容所は男女で全く性格が違うのだ。
男は全員が咎人だが、女は大半が借金の形で売られた娘だ。
男が刑罰のために穢魔と戦う一方、女は女郎として働く。
場所が近いだけで違う施設なのだ。
「町に行けるのに逃げないのか?」
ジンが聞くと、リマは肩をすくめた。
「逃げてどうする? あたしらは何の修練も積んでいないただの女だよ? 天上人の宿からこっそり抜け出すなんて芸当できるはずもない。逃げたとしてもトゥレンに残してきた家族はどうなる? 脱走の罪を被って、家族まで収容所行きさ。逃げられないんだよ、あたしたちは」
「…………だったら、俺が、」
「勘違いするんじゃないよ? あたしはあんたらに助けてもらいたくて言ってるわけじゃない。あんたらは逃げな。あたしのことなんか忘れてさ。ここにはね、落ちるところまで落ちた人間がいるんだよ……。覚えていたっていいことは何もない」
「……」
ジンが黙っていると、リマはさっと立ち上がる。
「さ、今日のうちに逃げるかい? だったら用意をしてやらないこともないよ」
逃げ道と仲間を手に入れた。
そんな機会が二度も来るのか?
ない、と言い切れた。
だから、ジンはリマの提案に乗ることにした。