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42 経典10



    †ネリエ†


 戦争の発端を突き止めるため、マナロは人間と天上人の起源を調べていた。


 考察には古い文書も引用されていた。

 ネリエには読めない言語だが、マナロはそれらをバサの言葉に翻訳し、解釈を記していた。



 最初に引用されるのはラーノ大陸の古文書だった。

 マナロの知りうる限り最古の文書には、すでに戦争の記述があった。

 獣人同士の戦争だ。


 年号から推察される年代は約一万年前。

 当時は国という概念がなく、獣人は氏族ごとに暮らしていた。

 そして、狩場や川を巡って争った。


 現存する二十四の言語はこのときに原型が作られた。

 当時は百を超える言語があり、氏族の統廃合によって徐々に数を減らしたようだ。


 精霊に関する記述もこの頃に見られた。

 精霊は日々の生活を見守る大いなる存在であり、祈りの対象だった。


 精霊との交信は巫女が行う。

 短剣(シーグ)を用いた舞により精霊の御言葉を賜るのだ。

 こうした儀式には危険が伴い、時に悪霊に取り憑かれる者もいた。



 七千年前。

 魔術が生まれた。


 儀式と触媒を用いて精霊の力を借り受ける技だ。

 現代における霊術と同様の力だが、扱いは非常に難しく、限られた者だけが研究を許された。

 今では禁呪とも呼ばれ、具体的な文献は残っていない。

 すべて焚書となったからだ。


 魔術には知るべきではない術が混じる。

 資料にはそう書かれていた。



 五千年前。

 獣人国家ブキッドノン帝国にて秘術が開発された。


 生命錬成の術式だ。

 生命の謎を解き明かすことは、太古より魔術の課題だった。

 獣人は答えを精霊に求めた。


 精霊こそが命を司る存在と捉えたのだ。

 そもそも獣人が生殖を行えるのは、精霊の加護によるもので、子供を生むという行為は長い祈りの果てに成される一つの術式と考えられていた。

 この加護の仕組みさえ解明してしまえば、それを擬似的に実施して、新たな生命を誕生させることができるはずだった。


 長らくの研究を経て、試みは成功した。

 その生命はあらゆる獣人の特徴を兼ね備えていた。

 二本の足で歩き、手が器用で、心持ち頭が大きい。


 皮膚は男女を問わず、獣人の女のようで、毛皮を持つ個体はなかった。

 また、どの獣にも属さない無個性な命だった。


 魔術師たちは、この亜人を(ジュウジン)の間に立つ者――――、人間と名付けた。

 これこそが(ジュウジン)亜人(ニンゲン)精霊(セイレイ)の物語の原典であり、永きに渡る戦争の間接的な原因だった。



 ……ネリエは同じ文章を二度読んだ。

 何度見ても内容は変わらなかった。


 魔術によって人間が作られた。

 なんだそれは……。

 にわかには信じられない。

 だが、マナロの記述に迷いはなかった。


 彼もまた信じがたい思いで歴史を精査したはずだ。

 そして、事実だと判断せざるを得なかった。

 だから、こうして記しているのだ。


 ……事実を公表しなかったのは、マナロが人間を思っていたためだろう。

 人間が作られた命なら奴隷となるのは、ある意味、当然の帰結だ。

 平等だと主張してみても、片方が生みの親である以上、どうしても優劣が発生してしまう。

 天上人と人間が共に暮す世界に、この事実はいらない。



 戦争に至るまでの過程も記されていた。


 四千年前。

 ブキッドノン帝国はピサヤ大陸の開拓のために、大量の人間を送り込んだ。

 当時、人間は安価な奴隷として使われていた。


 獣人に比べて、体が弱く、寿命も短い。

 しかし、圧倒的に繁殖力の強い人間は、瞬く間に増えていった。

 人間の個体数調整と開拓。

 二つの利点を見据えての新大陸遠征だった。


 ピサヤ大陸は砂漠と熱帯の両極端な気候を持つ、気難しい土地だ。

 今まで入植の計画はあったが、頓挫に終わることが多かった。


 人間は黙々と任務をこなした。

 砂漠に水を引き緑を増やす。

 熱帯林を切り開き村を作る。


 五百年ほど事業が続くも成果は思ったように出なかった。

 開拓は失敗とみなされた。

 現地に常駐する獣人が引き上げ、人間だけが取り残された。

 間もなくブキッドノン帝国は戦争に破れ、解体された。

 こうして皆がピサヤ大陸のことを忘れた。



 それから二千五百年の時が過ぎた。

 今から約千五百年前のことだ。


 ラーノ大陸は突如として突きつけられた宣戦布告に驚愕することとなる。

 巨大な戦艦に乗って来航したのは人間だった。


 ピサヤ大陸には人間国家ミンダナが樹立していた。

 人間は二千五百年の間に強大な力を身に着けていた。

 それらをもって今なお人間を奴隷とするラーノ大陸を征服しに来たのだ。



 その先の話はマナロが記述した歴史の通りだ。

 人間戦争は五百年以上も続き、その過程で悪しき精霊(サイタン・マサマ)が召喚された。

 獣人国家は消滅。

 今はショーグナのバサ皇国しか残っていない。



 以上がマナロが記した歴史の概要だ。

 彼自身の考察はなく、ただ、淡々と調べた結果が書かれていた。


 どういう思いで資料を作ったのかは、推し量るすべがない。

 葛藤、驚愕、憐憫。

 様々な感情があったはずだ。


 そして、多くのことを考えた末にマナロは諦めたに違いなかった。

 史実は、それが過去の出来事である以上、修正ができない。

 認めるしかないのだ。

 天上人と人間の関係は今のように主と奴隷が正しいのだ、と。


 あるいは、もう少し人間の待遇を改善してもよいかもしれない。

 だが、それまでだ。

 主従の関係を覆すのは難しい。


 故にマナロは歴史を隠蔽した。

 史実は不変でも歴史は改竄が可能だ。


 だから、マナロ戦記はあの形なのだ。

 あれは時系列こそ狂っているが、大部分が真実だった。

 しかし、同時に容易に見破れる嘘も混じっていた。


 マナロが悪しき精霊(サイタン・マサマ)を打破した褒美として、神々が人間を授けた。

 この一説は人間王の存在により、完璧に否定される。

 大切なのは、一部分が否定されたことで、マナロ戦記の信頼性がガタ落ちする点だ。


 この戦記には嘘が混じっている。

 そう思わせるだけで十分なのだ。


 真実の部分はどこか、と探す者に対しては、青い炎の一説が用意されている。

 マナロが血を賜る話は史実だからだ。

 その部分を見つけ、多くの探求者は満足する。

 誰もそれ以上、深入りしない。


 これこそがマナロの諦め。

 彼は歴史と戦うことを放棄したのだ。


 それでいて、史実を完全に葬ることはしなかった。

 ここに記された話をネリエは知ってしまった。


 マナロは自身と同じ苦悩を子孫にも与えるつもりだ。

 人間とどう向き合うべきか。

 自身で出せなかった答えを出せと言っているのだ。



 ……考える時間が欲しかった。

 別に史実がどうであれ、ネリエが人間を見る目を変えるつもりはない。

 今まで通り共に暮らす世界を目指す。


 ただ、史実をどう扱うか。

 その答えは出せそうにない。


    †


 マナロの経典に鎖を巻く。

 封印が解かれているため見た目だけの作業だ。

 調べられたらバレるだろう。


 元の位置に経典を戻し、ネリエはそっと両手を合わせた。

 父マナロの安寧を祈る。


「……お父様のお気持ちを完全に理解できたかはわかりません。けれど、同じ道を進みたいと私は考えています」


 立ち上がり、表で待っているティグレと合流する。

 そろそろ離宮にいる替え玉に気づかれた頃だろう。

 暗殺者に見つかる前に、カナンの屋敷に向かおうと思う。



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