37 旅1
†ジン†
ソテイラの呼び出しを受け、ジンは下町にある丘へ向かった。
丘は人間街の中ほどにあり、草木が生い茂っていた。
人の通り道になる場所だけ下草が踏まれ、獣道のようになっている。
丘の頂上は見晴らしがよかった。
遠くは天上街とその先の皇城。
足元は人間の行き交う様子まで見られた。
雪の降る季節だが、その日は晴れていた。
乾いた風が汗ばんだ顔に気持ちいい。
「足労だったな」
ソテイラは展望打で待っていた。
冬なのに夏と同じ着物だ。
「結構、歩いたぞ。話ってなんだよ?」
勇者ノ日の夜。
ソテイラは、今後のことを話したい、と言った。
漠然としていて、結局、何の話かはわからなかった。
「お前がどのように変化したのか確かめたいのだ」
「確かめる……?」
質問の意図がわからない。
首を傾げているとソテイラは言った。
「質問を変えよう。お前は村を出て最初の町で何を見た? そして、どう思った?」
なんでそんなことを聞くのか。
そう思いつつ、記憶を探る。
最初の町。
……あれはひどいところだった。
ジンはその町で九と出会った。
外の決まりを知らないジンに優しくしてくれて、その結果、天上人に殺された。
思えばあの時だ。
天上人を倒そうと誓ったのは。
だから、看守と知行政を倒した。
「しかし、お前はその後、考えを変えたな?」
「あぁ、領主とスグリに会ったから」
領主は人間と天上人が共に暮らせる場所を作ろうとしていた。
初めは無理だと思っていた。
でも、いつしかその方がよいと思うようになっていた。
なぜ考え方が変わったのか。
いくつも理由はあるが、一番大きかったのはスグリの存在だ。
スグリは教えてくれた。
人間と天上人が一緒に暮らせるのだ、と。
スグリが死んだ今、願いを叶えるのは自分の役目だ。
だから、ジンは領主やエリカの味方をしたいと思う。
「そうか」
話を聞いたソテイラは興味深そうに肯いていた。
何かに納得したという表情だった。
「で、今の話で何を確かめたんだ?」
「私のいたらなさ、とでも言おうか。どうやらアレは失策だったようだ」
「アレって?」
「お前の妹を殺したことだ。殺すことで決意が固まるのは計算外だった」
「……は?」
何を言われたのかわからなかった。
ソテイラが殺した。誰を。スグリを?
「私はお前を評価していた。天上人への怒りと憎しみ。それは他の人間にはないものだった。あの者は悪影響を与えかねないため排除したのだが、……手遅れになってしまった」
とても恐ろしい話をされていた。
恐ろしさのあまり内容が頭に入らなかった。
頭が理解を拒否していた。
「……お前、なにを……。冗談、なのか……?」
たっぷりの間をおいて、それだけ言った。
それしか言えなかった。
「冗談に聞こえたか?」
「でも、どうしてお前がスグリを……」
「殺したかもしれぬ。が、そうではないかもしれぬ」
ソテイラは笑った。
笑うところを見るのは初めてだった。
慈しみに満ちた微笑みには、その実、何の感情も宿っていなかった。
ほんの少しだけ気圧され、気圧された自分に腹が立ち、ジンは怒鳴った。
「真面目に答えろっ! もし本当にスグリを殺したんなら……、俺はお前でも容赦はしねぇぞ!」
「知りたいのなら教えよう。お前には私を知ってもらいたいのだ」
知る。
ソテイラの何を?
「ついてこい」
ソテイラは丘を降り始めた。
無防備な背中を向けてくる。
攻撃されるとは、思っていないのか。
だったら、その間抜けさを思い知らせてやろうか。
様々な思いが湧いてくる。
それらをぐっと堪える。
ただ、戦うだけの自分は終わりだ。
真実とやらが何かは知らない。
それを見てから決めても遅くはない。
「来るのか、来ないのか?」
「行く」
「ならば、領主と妻に話してこい。長い旅になる」
†
ソテイラの考えがわからなかった。
旅とは何か。
どこへ行き何を見るのか。
ソテイラがスグリを殺したとして理由はなにか。
聞きたいことは山とあったが、ソテイラは答えなかった。
すべては到着してから話すと言われた。
罠かもしれない。
領主にそう言われた。
しかし、引き下がるつもりはなかった。
スグリのことだけではない。
ソテイラは何かを知っているのだ。
聞かないわけにはいかない。
翌日、ジンは待ち合わせの場所へ向かった。
場所は川辺。
ソテイラは船を手配していた。
宣言通りの旅路となるらしかった。
川を下り帝都を出た。
進路は南だ。
「どこへ行くんだ?」
「行き先は言えぬ」
ソテイラは頑なに語らない。
スグリのこと。
領主のこと。
何もわからない。
手元にある情報はあまりに少ない。
エリカなら、あれこれ推理するだろう。
だが、自分はやはり考えるのが苦手だ。
癖がついてないと言ってもいい。
足りない情報をこねくり回すくらいなら、忘れた方がすっきりする。
だから、船旅の間は、何も考えずにすごした。
数日が経った。
海の匂いがした。
カルとエリカと旅をしたときにも同じ匂いを嗅いだ。
海の広さを語るエリカと楽しそうに笑うカル。
懐かしい気持ちだ。
せめてカルは連れてきてもよかったかもしれない。
思うが、ソテイラは一人で来ることを条件としていた。
「この船はここまでだ」
「ついたのか?」
「次はあれに乗る」
ソテイラは、巨大な船を示した。
今までに乗っていた船の十倍以上はある。
浮かんでいる場所は海だ。
「海に出るのか?」
「無論、帆とはそのためにある」
帆とは船についている布だ。
巨大な柱にくくりつけられている。
「この布で風を受け、移動するのだ。帆船と呼ぶ」
「へぇ……」
帆船を見るのは初めてだった。
これで海を渡るというのだ。
海の先には何もないと思っていた。
仮にあるとしても、凄まじく離れた場所だろう。
そんなところに行って、何があるというのか。
少なくとも領主やスグリとは無関係だ。
ソテイラの故郷でもあるのだろうか。
帆船はなめらかに走り出した。
船員は二名。
二人とも全く同じ顔をしていた。
双子かと思われたが、
「我々はHMN300。アンドロイドです」
そいつらは人間ではなかった。
勝手に動く心なき人形だった。
なんとなく見覚えがある。
領主直轄地にいた不気味な町人。
……そいつらと雰囲気が似ているのだ。
ソテイラがスグリを殺したのだとしたら、……直轄地にもアンドロイドがいた……?
筋が通りそうな気がするが、何のためにアンドロイドを直轄地に送り込んだのか。
どうしてスグリを殺したのか。
いや。
本当にソテイラが命じたのか。
ソテイラはジンを救った。
彼がいなければ自分はとっくに死んでいた。
だからこそ、わからない。
なぜ自分は救ってスグリを殺すのか……。
船旅は長期に渡った。
最初こそ、見るべきものがたくさんあった。
陽光を受けて輝く海原。
餌を求めて飛び交う海鳥。
船はスーラ列島を南へなぞった。
点々と浮かぶ島々をくぐり抜けるように進む。
徐々に気温が上がり、雨が増えてきた。
一際大きな島は、遠目に見ても植物の力がすごかった。
植物が積み重なるように生えるため、それ自体が山のように盛り上がっていた。
海にも根を張り出した木々があり、島と海の境目が見えない。
あれが蟲氏族の住まう南の島らしかった。
時折、空を飛ぶ巨大な羽虫が見えた。
バサ皇国建国以前から孤立していた蟲の住処。
今では誰も近づくことができず、独自の世界となっている。
南の島を統べるのは蟲の女王たちだ。
蟲はそれ自体が種の集合体であり、いくつもの氏族がある。
そして、それぞれの氏族に女王が君臨するという。
この辺りは見ているだけで発見があった。
逆にここが頂点だったと言ってもいい。
南の島から更に南へ。
その先はただ海があるばかりだった。
前後左右に海がある。
他には何もない。
驚くほどに何もいない。
海にはたくさんの魚が住むと教えられたが、魚になど一度たりとも出会わなかった。
さすがに飽きた。
船の上で体を動かせないのもつらい。
アンドロイドが格闘技もできるというので、それで暇をつぶした。
人間の姿をしているが、恐ろしく力が強い。
動きも素早く倒すのは容易ではなかった。
「お強いですね。あなたの出力は、平均的な人間の五倍から十倍を遷移しています」
「巫霊ノ舞を使ってるからな」
そんな日々を過ごす。
何十日かが経った頃、遠くに陸地が見えた。
「あれが目的地か!?」
「いかにも。あれはピサヤ大陸だ」
名前はどうでもよかった。
海に飽きていたのだ。
とにかく陸地に上がりたい。
「こちらをどうぞ。歓迎の印です」
アンドロイドが飲み物を持ってきた。
果実の絞り汁のようだ。
南の島で取れるという酸味のあるものだ。
喉が渇いていたのでありがたくいただく。
「この先にあるものは自らの目で確かめるといい」
ソテイラが言う。
「あれ? お前……、ゆがんでるぞ」
目の調子が悪い。
ソテイラがふやけて見えた。
体が重い。
力が入らない。
ジンは崩れ落ちるように倒れた。