35 経典8
2019/08/19 誤字修正
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†マナロ†
ミンダナはショーグナから船で六十日の距離にあった。
季節が裏返ったかのように温かい土地で、大きさはショーグナとさほど変わらない。
大陸の東側は豊かな自然に囲まれるが、西に行くに連れて土地がやせ、砂ばかりとなった。
砂地にはテダの自動人形のような兵器が山のように配備され、模擬戦に勤しんでいた。
また、見たこともないような兵器を使い、砂地に大穴を開ける光景も見た。
人間は力に取り憑かれていた。
ミンダナはラーノ大陸での人間の地位向上を目的として、戦争を始めたはずだ。
ところが、この有様はどうか。
彼らはいつしか戦争の目的を忘れ、破壊のために生きているのではないか。
そんなふうに思えた。
俺は人間王に面会を申し入れ、事情を包み隠さず話した。
人間王の返答次第では国を滅ぼすことはせず、兵器だけ壊そうと考えていた。
だが、人間王は戦いの道を選んだ。
彼は力を誇示したがっていた。
ラーノ大陸が滅んでしまい、軍事力を向ける相手がいなくなっていたのだ。
相手を見つけ、人間王は舞い上がっていた。
滅ぼすしかあるまい。
俺はそう決意した。
ミンダナとの戦争は長期に渡った。
悪しき精霊を討伐する際にも、科学が最も活躍していた。
敵にしてみて、その強さを嫌というほど味わった。
だが、俺たちには精霊から賜った霊術があった。
この世の理を書き換える理不尽な力を前に、人間は徐々に消耗していった。
戦いが集結するまで、四百年の時を要した。
俺が人間王を討ち取ったとき、当時の仲間は一人も残っていなかった。
十二人の武人も軍も、皆怪我や寿命で死んでいった。
俺自身寿命を迎えていておかしくない年齢だが、精霊の血によるものか、心身ともに老いを感じなかった。
いつまでも戦うことができた。
時折、ショーグナより援軍を呼び寄せた。
しかし、三百年が経った頃から援軍が来なくなった。
最後の百年、俺は一人でミンダナと戦っていた。
人間は一人残らず殺した。
あるいは逃げた者もいるだろうが、ラーノ大陸もルーベ大陸も悪しき精霊に汚染された。
科学の再生産ができる環境ではないだろう。
王都を焼き尽くし、あとには徒労感が残った。
約束を守るため。
世界に安全をもたらすため。
自分にそう言い聞かせ、俺はショーグナへ帰還した。
†
四百年ぶりに戻った大地は様変わりしていた。
まず、人間が虐殺されていた。
獣人は我慢というものができない。
俺がいない間に勝手な決まりを作ったようだ。
人間は見つけ次第処刑。
そのような法がまかり通っていた。
ショーグナに残った人間の数は少なく、ほとんどが山奥に隠れていた。
彼らからも科学を奪わねばならない。
しかし、人間種を根絶やしにするのは、忍びないとも思っていた。
慈悲のためだけではない。
四百年の戦いで、俺は殺すことに疲れたのだ。
人間は生かす。
ただし、科学の再生産ができないよう、厳重に管理する。
それでよいと思った。
獣人は元々、人間を奴隷としていた。
その状態に戻すのであれば、文句も出ないはずだ。
俺は自身が築いた町へ戻った。
そこには、名も知らぬ獣人が君臨していた。
マナロの名を出すと、多少は驚いていたが、ふんぞり返って今は自身の土地だと述べた。
その獣人を殺し、俺は玉座についた。
周囲の者には国を興すと宣言した。
国名は決めてある。
生まれ故郷バサガーサにちなんでバサとする。
バサはショーグナ全土を支配しなければならない。
でなければ、人間を奴隷とするという決まりを守らせることができないためだ。
バサの建国に周囲の者たちが色めきだった。
向こうから戦争を仕掛けてきた。
好都合だった。
俺は好き勝手に領土を主張する獣人をすべて蹴散らし、領土を奪っていった。
四百年も科学と戦っていたのだ。
霊術が使えるだけの獣人など相手にならなかった。
バサは幾多の国を従え、皇国へと成長した。
俺は人間を奴隷とする制度を作り、民に従わせた。
周辺国家のすべてを従わせるのに、大した時間はかからなかった。
多くは俺が与えた血を元に霊術を手にした者ばかりだ。
恩義を忘れた獣人に俺は厳しく接した。
同時に適当な吟遊詩人を呼び、建国史を作らせることにした。
マナロ戦記。
これをバサ皇国の聖典とし、これより古い歴史書を焼いた。
人間が科学を思い出してはならないからだ。
獣人もまた過去を知るべきではなかった。
存在しないことにすれば、過ちは繰り返されない。
吟遊詩人は獣人を天上人と呼称することを決めた。
天上人は当時、獣人の間で流行していた呼称だ。
人間を貶めるために自分たちを持ち上げる方法を探したのだろう。
俺は天上人という呼称を許した。
同時にすべての民に偽りの歴史を流布した。
戦国の世を渡りながら、俺は人間の残党刈りも進めた。
科学は究極の力だ。
必ず難を逃れた者がいて、力を蓄えるだろうと読んでいた。
こうした人間を探し出しては、町ごと破壊した。
やがて山中にテダの子孫がいるという話を聞きつけた。
討伐は俺が自ら買って出た。
山中に建てられた城に火をかけ、玉座の間へ向かう。
そこには若い夫婦がいた。
テダの面影はない。
だが、直感的に子孫だと思わせる雰囲気を持っていた。
「先祖より話は聞いております。人間が迷惑をかけたようですね」
意外にも最後の王は自身の置かれた立場を理解していた。
「私は科学という力を禁じてきました。証明できると思ったのです。人間は科学がなくても生きていけると。……しかし、不可能でした。人間は科学なしで生きられるほど強くなかったのです」
報われない努力だったという。
どれほど書を焼いても教育を奪っても、人は好奇心に負けて禁じられた箱を開ける。
楽をしたいがために便利な道具に頼ってしまう。
「人間は滅ぶしかないのでしょう」
「どうあっても意志は変わらぬか」
「変わりません」
「そうか」
ならば、今こそ約束を果たそう。
俺は人間王とその妻を殺した。
テダの血筋を断ち切ることで、やっと俺の戦いは終わった。