34 経典7
†
頁をめくる。
†マナロ†
戦後、様々な問題が噴出した。
破壊された港町、汚染された土地。
これら物理的な損害は、まだよい方だった。
問題は十二人の武人とその氏族たちが、戦果で揉めたことだ。
彼らは、誰もが自分が一番活躍した、と吹聴した。
さすがにトドメをさした俺が最上位なのは十二人も認めたが、二番目をめぐって争いになった。
そして、ショーグナという大地の開拓に関して、自身が最も利を得るべきだと述べた。
俺からすれば二番目は黄色い巨人を操ったテダの孫だし、三番目は使徒を封じたアンドロイドの軍勢だ。
十二人の武人は精神攻撃に対して脆弱であり、魔物を掃討するにとどまっていた。
活躍はしただろうが、功績という面では科学に到底及ばないものだった。
それで戦果を主張する精神には呆れもするが、彼らが多数派であるため、抑止が困難なのも事実だ。
もっとも、彼らとて人間が功労者であることは理解していた。
だが、一部の獣人にとって人間は長らく奴隷だった。
功績を認めることに心理的な抵抗があるためか、彼らは人間を非難し始めた。
そもそも悪しき精霊を召喚したのは人間だ、と。
その責任を取ることはあれども、褒められることは何もない、と。
議論の流れは次第に人間を共通の敵として仕立て上げ、貶める方向へ向かっていった。
二番手を消滅させ自分たちの手柄を強調したい。
奴隷種族に頭を下げたくない。
様々な思惑はあれど、結局、自身に都合のよいように話を練っているだけだった。
俺は心底獣人という種族に呆れた。
同時に人間種をなんとか保護できないものかと考えるようになった。
テダから手紙を受け取ったのは、そんな折のことだった。
彼は戦役の直前に体調を崩しており、孫の戦いを見届けることもなかった。
ただ、病床から戦況を聞いていただけだという。
快癒の知らせかと思った俺は、楽しみに手紙を読み、そして、絶望した。
書かれていた内容は、とても承服できるものではなかった。
一体、彼がどのような思いでこれを書いたのか。
俺はそれを問いただすために、すぐさまテダとの面会予約を取り付けた。
面会は数日後に実現した。
病に冒されたテダは布団から上半身だけを起こしていた。
俺はその隣に座り、手紙を差し出した。
言葉を発するまでもなく意志は通じた。
「手紙の通りです。僕は、あなたにお願いがあるのですよ」
「……それがこれだというのですか? とてもお受けすることはできません」
「心苦しいお願いなのは承知しています。しかし、どうしても叶えていただきたいのです。この大地の未来のために」
「未来のために……。そのために、テダ様は人間を滅ぼすというのですか」
手紙に書かれていた言葉はこうだ。
『人間は力を手放さねばなりません。マナロ様、あなたが人間を滅ぼしてください』
テダは人間国の王族でありながら、人間を滅ぼすつもりなのだ。
「はい。人間は科学を持つべきではなかったのです。悪しき精霊を呼び出したのは人間の科学力です。科学は魔性の力。それがある限り、人間は幾度となく過ちを繰り返すでしょう。止めるには人間から科学を奪い去るしかないのです」
「危険な用途に使わなければよいだけの話ではありませんか? なぜ滅ぼす必要が?」
「用途の制限は不可能なのです。この世に、なぜ法があると思いますか? 悪事に走る者がいるからです。悪事を働かなければよいだけなのに、どうしてわざわざ法を定め、束縛するのですか?」
「悪事に走るのは、個人の情動によるものです。科学の用途とは関係がありません」
「科学の悪用も個人の情動なのですよ。通常の悪事とは異なり、当人に罪の意識がないことが何よりも恐ろしい。よかれと思って実施した実験が恐ろしい結果を引き起こすこともある。悪しき精霊の一件も、そうした科学者の行為によるものです。これは人間の性であり、改めることはできないのです」
テダは語る。
人間の研究への情熱、好奇心。
そうしたものが科学を発展させてきた、と。
しかし、これらは時として大変な結果を引き起こす。
科学が発展するにつれ、一つの過ちが引き起こす被害は大きくなる。
今の科学力だからこそ、この程度の被害で済んだ。
しかし、将来、科学は更に発展する。
そうした時代で過ちが起これば、被害は想像を絶するものとなるだろう。
「時間をください。考えさせていただきたいのです」
俺はそう答えるので、精一杯だった。
俺自身、心のどこかで科学は危険だと思っていた節がある。
十二人の武人に呆れながらも、人間を蔑む気持ちがあったのだ。
しかし、それをテダの口から聞くと、心が揺らいだ。
彼は責任感の強い男だ。
潔白さを保とうとするあまり、自身を傷つけることもいとわない。
彼のような聖人を輩出した人間と己の利益しか考えられない獣人。
どうしても前者を贔屓したい気持ちに駆られた。
俺の都合をどこまで反映すべきか。
世界の安全を取るべきなのか。
人間が科学とうまく付き合えると信ずるべきなのか。
俺は迷いに迷った。
テダに相談するわけにもいかず、一人で悶々としていた。
そして、俺は答えを出せぬまま、決定的な瞬間を迎えた。
「テダ様が亡くなった……?」
テダの病死が告げられたとき、俺は呆然とした。
虚空を見つめるばかりで、何一つ考えがまとまらなかった。
滂沱の涙を流し、その死を悼んだ。
半生を共にしてきた仲間の死はそれくらい俺を痛めつけた。
俺はテダの墓を自身の町に立てさせて欲しいと頼んだ。
学徒たちは事情を汲み取り、墓地の建設を許してくれた。
このとき俺は、ある覚悟を決めていた。
人間を敵にする覚悟だ。
テダの願いは遺言となった。
俺には応える義務があった。
俺の迷いが彼に安寧のない死をもたらしたのだとしたら、その罪はあまりにも重かった。
ならばせめて、彼が死後の世界で安心できるよう、俺は彼の願いを聞き遂げなければならなかった。
時を同じくして、十二人の武人から人間の追放という案が出た。
彼らは内部で憎しみを醸成し、十分な量になってから俺にぶつけてきたのだ。
精霊の導きとも思える時期の重なりだった。
俺はそれを否定しなかった。
遠く離れた土地にミンダナと呼ばれる人間の国がある。
そこに此度の災厄を引き起こした根源たる人間王がいる。
そいつらを根絶やしにしよう。
俺はそう十二人の武人に持ちかけた。
彼らの反応は嬉々としたもので、手のひらを返したように俺を王だと崇めた。
不仲な彼らがまとまるのであれば、王でも隊長でも構わなかった。
俺は人間国ミンダナへの侵攻を始めた。