33 経典6
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†マナロ†
戦場となるラバナ山にはアンドロイドの軍勢、十二人の武人、俺、そして、テダの召喚獣が待機していた。
俺は金属製の召喚獣を今まで生き物だと思っていた。
しかし、事前の説明で、実はそれが人間が操る巨大人形だということが判明した。
非常に強い力を持ち、戦闘では役に立つと聞かされた。
思いもよらぬ告白だったが、テダに限って嘘を言うはずもない。
俺は黄色の巨大人形を戦闘に使うことにした。
操縦手は高齢のテダに代わり、彼の孫が務めた。
テダに劣らぬ名手とのことだ。
ちなみに、その黄色い金属人形は名をイゾルバ・コロナ・ダルというそうだ。
俺たちはラバナ山の麓に布陣を敷いた。
やがて地平線に黒い靄が見え始める。
空が濁っていくような、雨雲を煮詰めたような色をしていた。
晴れているのに、空が褪せていくような錯覚を受ける。
彼我との距離を測り、アンドロイドの軍勢が真っ先に動いた。
どの個体も全速力で走っているのに、互いにぶつかることがない。
目を見張るほどの連携だった。
「俺たちも向かおう」
武人に指示を出し、俺たちは前に出た。
六人の武人がアンドロイドと共に前線へ。
残る六人とテダの孫、俺が後衛として戦況を観察していた。
アンドロイド部隊と魔物が衝突する。
圧倒的な数を誇るのは魔物だが、アンドロイドはこれを着々と捌いていた。
心を持たぬが故に焦りも奢りもない。
勝てる相手には着実な勝利を収める。
逆に勝てぬ相手にはどうあっても勝てなかった。
時折、混じる強靭な魔物を武人たちが狩っていった。
大きな問題もなく魔物の数を減らしていく。
やがて悪しき精霊の全貌が視界に入る。
ラバナ山の陰から現れたのは、安寧と対局にある感情だった。
中空に浮かぶそれは、人間には漆黒に映り、犬氏族のように鼻が利く種族には汚泥のように映った。
どのような捉え方にせよ、人の身に余る存在であるのは明らかだった。
「あれを倒さねばならないとは……」
絶望に打ちひしがれそうになる。
そんな俺にテダの孫が発破をかけた。
「逃げるのなら構いませんが、私が倒してしまっても構わないのですか?」
「……その人形がいかに強かろうと、悪しき精霊には精霊の力しか通用せぬ」
「なら、あなたはあなたの役目を果たしてください。使徒は私がなんとかします」
彼女はそう言い残して、イゾルバ・コロナ・ダルを前線に飛ばした。
その圧倒的な速さに俺は驚愕した。
イゾルバ・コロナ・ダルはこれまで輸送用の機械として使用されてきた。
戦闘で使用されるのは初めてだが、今までは出力の十分の一も使っていなかったのだと思い知らされた。
アンドロイドが切り開いた前線に黄色の巨体が切り込んでいく。
俺も慌ててそのあとを追った。
そこから先は電撃戦となった。
一定距離まで近づくと、群がるように両脇から使徒が吹き出してくる。
使徒は精神攻撃を得意としていた。
そのためアンドロイドに相手をさせた。
心を蝕む使徒は生身の者では勝てないためだ。
やがてアンドロイドが使徒を封じ、残る障壁は巨大な貝殻状の使徒のみとなる。
それは拒絶の使徒と呼ばれた。
霊術を無力化すると託宣によって告げられていた。
俺は情報を確かめる意味も込めて、全力で炎を打ち出した。
青い炎が貝殻に衝突する。
この炎は森羅万象を焼き尽くすことができる。
俺が認識できるものなら、時であろうと、命であろうと燃やすことが可能だ。
拒絶の使徒に対しても、存在ごと焼却するつもりで炎を放った。
ところが、炎は貝殻に接触すると、水をかけられたように消失してしまった。
「効果がないのは事前情報にあったじゃないですか!」
テダの孫に叱られた。
彼女はイゾルバ・コロナ・ダルを巧みに操り、貝殻の目前にまで距離を詰める。
そして、兵装の名に相応しい武器の数々を披露した。
炸薬を握り込んだ拳を炸裂させ、貝殻の一部を破壊する。
短剣で貝殻を切り開く。
腹部より射出された光線は、恐ろしいほどの熱量で貝の内側を崩壊させた。
拒絶の使徒が攻撃を受けていると知るや否や、すべての使徒が彼女のもとに殺到した。
しかし、彼女は機体の速度に物を言わせ、攻撃を回避する。
執拗に貝殻を攻撃し、ついに破砕に成功した。
中身が露出した拒絶の使徒は、太陽に焼かれた雪のように溶けていった。
この段階になって、悪しき精霊の活動が活発化した。
空の濁りが一層ひどくなり、何か別のモノが現れる予感がした。
「早く!! こいつが攻撃に移る前に!」
テダの孫は機体を操り、俺をつまみ上げる。
恐ろしい速度で飛翔し、俺は悪しき精霊の内部に放り出された。
そこは毒々しい感情の渦巻く空間だった。
悪しき精霊の本体と言ったものは見えず、ただ、怒りと憎しみが俺を包んだ。
何をすればよいかは理解していた。
ありったけの炎を解放した。
何もかもを焼失させるつもりで放った炎は、感情の塊を解きほぐした。
同時に空に青い雷が走った。
精霊界より炎の精霊が現れたのだ。
炎の精霊は悪しき精霊を包み込むように翼を畳み、そのまま天上へと上昇を始めた。
その行為を解釈するのなら、おそらく悪しき精霊を精霊界へと引きずり戻したのだろう。
俺の仕事は、悪しき精霊を倒すことではなく、弱らせることだったのだ。
些細な違いだが、事前に告知が欲しい、とそのときは思った。
俺は力を使い果たし、立ち上がることもできなくなった。
間もなく、イゾルバ・コロナ・ダルが着陸し、テダの孫が降りてきた。
弾けるような笑みを浮かべ、俺に飛びついてきた。
「勝った! 勝ったんだ!」
彼女の甲高い声は今でもよく覚えている。
これが俺と悪しき精霊との戦いの一部始終だ。
のちに語られるマナロ戦記とは、大きな差異があることは承知だ。
しかし、これこそが実際にこの大地で起こった、真実なのだ。
なぜ歴史が歪められるに至ったかは、戦後の事由に端を発する。
それを書き記すことは、心を抉るにも等しい行為だが、真実を残すことに意味があると俺は信じている。
故に、この事実を記そうと思う。
……この戦役のあと、俺は人間を殺すことになるのだ。