30 経典3
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†マナロ†
俺は父に呼ばれ、作戦司令室へ向かった。
司令室は軍事に関わる決めごとをする部屋だ。
部屋の中央に巨大な台を設置し、地図や駒を乗せる。
司令室には珍しく二人の兄もいた。
南北に遠征中だったが、父が呼び戻したようだ。
それが不満だったのか、長兄が父に言った。
「父上、なぜ突然呼び戻したのですか? 戦況は我軍の優勢だったのに」
「風向きが変わった。小競り合いなどしている場合ではなくなったのだ」
「小競り合いですって? 国の趨勢を決める戦争だというのに」
「それを小競り合いだというのだ」
父は誰よりも戦争が得意だった。
力自慢の剛の者でありながら、先を読む力にも長けていた。
兄たちは文句を言いつつも、父の言葉を重く受け止めていた。
「父上、端的に説明してください。何があったのですか?」
「そうだな、説明しよう。悪しき精霊がルーベ大陸へと進路を変えたのだ」
「悪しき精霊が……? ラーノ大陸はどうなったのですか?」
「滅んだと見るべきだろう」
「馬鹿な……」
「だが、連絡が途絶えた。使節も戻らぬ。ここ数ヶ月で劇的な変化があったと見るべきだろう」
「悪しき精霊とはそれほど恐ろしいものなのですか? 七大国の治める大地だったのですよ?」
長兄は信じられぬとばかりに首を振る。
父は憮然とした面持ちで言った。
「精霊が相手だ。敵うはずがない」
当時、精霊の何たるかを知る者はなかった。
魔術的行為によって力を貸し与える者。
この世界を見守る者。
故に大いなる存在。
その程度の認識だ。
熱波や高波。
嵐、雷。
これらが精霊の怒りとされていたが、地上へ現れ、直接、猛威を振るう精霊は例がなかった。
「霊導師はなんと申しているのですか?」
「悪しき気配を感じるそうだ。ラーノ大陸滅亡は事実であろう、と」
「……なんと! 北上との情報は正確なのですか? どの程度猶予が?」
「わからぬ。先遣隊が戻り次第、対策を練ることになろう。いずれにせよ、ルーベ大陸の七カ国すべてに対し休戦を申し入れねばならぬ」
「……協力しろとおっしゃるのですか? 昨日まで敵だった者たちと?」
「でなければ、今度は我らが滅ぶ番だ」
「くっ………、仕方ありませんね」
兄たちが承服の意思を見せる。
父の命により方針は決まった。
二人の兄を筆頭に軍隊を再編成。
悪しき精霊を迎え撃つ準備を進めていった。
そんな中、俺は逃げる算段を立てていた。
俺には戦の経験がなく、指揮官となっても、いたずらに兵を死なすだけだからだ。
ところが、国家防衛戦という性質上、そんな俺でも指揮官にされてしまうのだ。
俺が国に留まる限り、体面が悪いという理由で将軍をやらされてしまう。
テダの言葉を借りれば、非合理的なやり方だ。
だったら、いっそ逃げてしまえばいい。
その方が死人も減る。
俺は逃亡案を父に告げた。
父はホッとした顔をしていた。
俺の存在が邪魔だと思っていたのだろう。
しかし、敵前逃亡という不名誉を俺に押し付けるべきかで迷い、言い出せなかったのだ。
不名誉を引き受けた俺に、兄たちは涙ながらに感謝した。
俺としては最善手を取ったまでで、感謝されるいわれはなかった。
俺は兄たちほど名誉にこだわらない。
テダに師事したこともあるが、傷がつくような誉れもなかったためだ。
ただ、国民に背後から襲われてはかなわない。
もっともらしい筋書きが必要だった。
俺は考えて、逃亡の目的を留学生の保護とした。
客人を安全な場所へ移すこと。
それならば筋の通る話だと思った。
計画に不備のないことを確認し、俺はテダに告げた。
彼は目を丸くして驚いた。
「国を置いて脱出することに未練はないのですか? 僕のために逃げるのだというのなら……」
「未練はありますが、俺が残れば足手まといですから。そのような者はいる方が邪魔になります。なら、不名誉を甘んじて受け、利を取るべきかと」
「……合理的ですが、本当によいのですか?」
よいのだ、と何度も説得すると、テダは脱出に合意してくれた。
人間を含め、脱出船の調達を始める。
「出国前に済ませたいことがあれば、今のうちにおっしゃってください」
「でしたら、マナロ様にお願いがあります。僕に謝罪の場を」
「謝罪?」
「悪しき精霊を召喚したのは人間と聞き及んでいます。ならば、王族たる僕が謝罪しなければなりません」
「……なぜですか? テダ様の臣下ならともかく関係のない者ではありませんか」
「けれど、人間の所業です。僕はあらゆる人間の代表であるつもりです」
謝罪などすれば、後々賠償問題にもなりかねない。
だが、テダは譲らなかった。
結局、俺は父とテダを引き合わせる場を設けた。
父はテダの謝罪を受け入れつつも、追い払ってやるから安心しろ、と豪快に笑った。
テダの不安を取り除くためだろう。
父もまた、小さく賢い人間を気に入っていたのだ。
脱出船の手配が完了し、俺は一部の国民と従者を乗せた。
テダは乗ってきた船に人間とアンドロイドを収容した。
そうして、よく晴れた日の朝にバサガーサ王国をあとにした。
目指すは東方。
無人大陸として知られるショーグナだった。