29 経典2
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†マナロ†
テダの人柄について記そう。
テダは生真面目な少年だった。
人間国の第三王子で年齢は十六。
若いながらも大局観と高い志を持っていた。
あれは俺が初めてテダと話したときだ。
留学生の世話と言われ、俺も困惑していた。
初めて見る人間にどう接するべきか考えあぐねていた。
食事、風呂、余興、夜伽。
賓客に提供すべき項目はあまりに多い。
しかし、人間が何を好み、どのような女に興味を持つのか、俺にはわからなかった。
仕方なく俺は不準備をわびた。
テダは笑って許してくれた。
「構いません。僕はこの国へ異文化を学びに来たのです。食事や風呂の準備は自分でやります」
「まさか……、自分で? あれほど従者がいたのに?」
テダは千に届くかという従者を連れて来航した。
身の回りの世話をする者がいないのはおかしい。
「あれの半分は学者や学生です。残りは助手のアンドロイド。従者を連れてくる余裕はありませんでした」
従者の枠を減らし、学徒を乗せたという。
一人でも多くの学生に学ばせるためだ。
「従者がいなければ不便では? 権威にも関わりますし」
「僕の不便で国が豊かになるのなら、構いません。それに、僕は従者の数で権威を語るのは非本質的だと思っています」
テダは変わった価値観を持っていた。
高い向上心がありながら、体面にはこだわらない。
常に実利を取る姿勢は明快で、俺はテダを好ましく思った。
「その真面目さは人間固有のものですか?」
「そうとも言えるかもしれません。人間は学ぶことが好きなのです。そして、学ぶことで力を得てきた種でもあります」
話をするたびに知性の片鱗が見え隠れする。
俺にはそれが新鮮に映った。
父や二人の兄は、いずれも傑物だが、野蛮だったためだ。
俺はテダの知識に興味を持ち始めていた。
それから、毎日、彼と話した。
彼からは多くを学んだ。
恥ずかしいことに、俺は人間種をほとんど知らなかった。
人間は獣人とは明確に異なる。
手先が器用で言葉が巧みだ。
ひ弱で毛皮もない。
また、男女で外見の違いが少ない。
そんな表面的な知識しかなかった。
科学という力にも疎い。
バサガーサには理解している者などいないだろう。
「互いを知ることから始めましょう」
テダの提案により、俺たちは互いのことを語り合った。
俺の出自はすでに記した通りなので、テダの生まれについて記そう。
テダは人間の国ミンダナで生まれた。
ミンダナはラーノ大陸の東、ピサヤ大陸にある。
ピサヤ大陸は最近発見された大陸で、船で三十日の距離だ。
人間種の国であり、科学によって栄えている。
バサガーサでミンダナが認知されたのは、当時から見て五百年前だ。
しかし、ルーベ大陸は千年以上も戦乱の時代が続いており、長らく重要視されてこなかった。
脚光を浴びるようになったのは、ここ数十年のことだ。
理由は戦争にある。
ラーノ大陸では五百年前から人間と他の七国が争っていた。
人間の目的は奴隷解放だ。
対してラーノ大陸の獣人は既得権益のために戦った。
手先の器用な人間奴隷は、獣人にとってなくてはならない資源なのだ。
戦争は人間側有利で進んだ。
しかし、獣人は圧倒的な数を誇る。
また、ピサヤ大陸とラーノ大陸が地理的に遠いこともあり、人間は容易に大陸を攻略できずにいた。
業を煮やした人間は三百年ほど前に悪しき精霊を召喚し、兵器利用したという。
戦況は混迷を極め、以来、三百年ルーベ大陸には不正確な情報が時折もたらされるのみとなった。
余談だが、人間国がバサガーサ王国へ留学生を送る背景には、戦争の後ろ盾という目的がある。
目下、人間国が恐れるのは、ルーベ大陸の国家に横槍を入れられることだ。
ただでさえラーノ大陸攻略に苦戦しているのに、敵が増えてはかなわない。
故にルーベ大陸の国家に友好敵な態度を示し、参戦を抑止しているのだ。
話を聞いて、俺は飽き飽きしていた。
戦争の話は何が面白いのかわからない。
正直に告げると、テダは苦笑していた。
「僕もです。戦況は王族として知る義務はありますが、僕自身戦争が好きではありません。二人の兄に任せています」
「なんと、テダ様にも兄が二人いるのですか? 戦争好きの?」
「そうです。……まさか、マナロ様もですか?」
「ここだけの話ですよ」
それは密かな愚痴だった。
父にも兄にも語ることはできない。
いや、誰にも語れず、理解もされない不満だ。
戦争の腕前で評価される世界。
それに苦しむ同志を見つけた。
「そうは言えども、俺は好きにさせてもらっているので、そこまで不満というわけではありません。テダ様は望んで留学されたのですか?」
「実は血筋の問題で留学してきたのが本当のところです」
「血筋……、跡継ぎ争いですか?」
「えぇ。僕は傍系の生まれなのです」
人間国ミンダナは砂漠の一族と森の一族が合体して生まれた国だという。
王都が砂漠にあるため、力関係では砂漠の民が上だ。
第一王子と第二王子は純血の砂漠の民。
しかし、テダは森の民である側室から生まれた。
留学という形でバサガーサへ来たのも、継承権に絡まぬよう飛ばされたためだという。
「ですが、僕は留学を悪い話とは思っていません。多くの学徒に学びの場を与えることができました。また、僕自身大変な勉強になると思っています。戦争以外でも国のためにできることは数多くありますから」
テダは目を輝かせて語る。
そんな姿を見せられるにつけ、俺は尊敬の念を募らせていく。
そして、耽美的に過ごしてきた自分がいかに情けないか。
自責の念に駆られるのだった……。
その日より、俺はテダに師事し、勉学を習った。
テダはよい教師だった。
基礎もできていない俺に根気強く教えてくれた。
「つまり、ミンダナが戦争を始めたのが千年、五百……、ん?」
「ミンダナがラーノ大陸の全国家に宣戦布告をしたのは、今から約五百五十年前です」
「難しい。……五十年という単位は、覚える必要があるのですか?」
「あはは、人間からすれば五十年は一生と言える年月ですが、龍人からすれば短いかもしれませんね」
俺は苦手だった戦争の話にも取り組んだ。
他の大陸の動向を半端に覚えていると、ふとした時に関係性がわからなくなり、気持ち悪い思いをするためだ。
「ミンダナが戦争を始めたのが五百五十年前。三百年前に悪しき精霊が登場。戦況が混乱……。そして、約五十年前、バサガーサとミンダナの国交が始まる……」
「その通りです! よく覚えられましたね」
「……大変ですよ。算術も理科もできないというのに、歴史までできないとは」
本当は科学というものを習いたかった。
当時、俺は科学を魔術に似た仕組みと考えていた。
魔術とは儀式や触媒によって精霊の力を借り受けることだ。
(この書を記す時代では霊術とも呼ばれる。両者は形が異なるだけで本質は同じだ)
しかし、科学とは魔術と根本から異なるものだという。
魔術の仕組みを解き明かすのが科学だ、とテダは言う。
そして、そのためには算術と理科が必要らしい。
大変な難題だった。
高度な算術は財務官戦果の大きい者が次期国王となるためだ。
財務官にしか必要とされない技能だ。
科学が人間にしか許されない理由を思い知った気がした。
「算術ができれば、アンドロイドとやらを作れるようになるのですか?」
「えぇ、いずれは可能です。機械は言葉を扱えません。故に算術を元に思考し、判断しているのです」
「……算術を元に? 数字だけで考えるのですか?」
「可能ですよ? 言葉も物も現象も、それぞれに複雑な数字を割り当て、足し、引き、掛け、時に微分や積分を交えれば、多くのことが記述できるはずです」
何を言われたのかは、わからない。
人間の科学はそれだけ複雑だった。
アンドロイドのような自動人形。
テダが海を越えるために使った金属の召喚獣。
そして、日常の生活で使う火を生み出す装置、水を浄化する装置、映像を記録する装置、様々な科学が存在した。
テダはいずれの装置も完璧に使いこなし、一部をバサガーサのために開放した。
その慈悲深さにゴルデ王もテダに一目置くようになった。
一度、テダを夕餉に呼び、倒れるまで酔わせたようだ。
そんな事件がありつつも、テダの留学は順調に進んだ。
やがて二年の月日が流れた。
その年、バサガーサを取り巻く状況が一変した。
悪しき精霊が北上し、ルーベ大陸へ侵入してきたのだ。