13 女郎宿3
翌日。
ヒヌカの動向を観察した。
朝。
ヒヌカは食堂で待ち構えている。
朝食をとる咎人の間を歩きながら、会話を監視する。
それまで朝食は脱走計画を話す場だった。
ジンとカルは控えていたが他の奴は、はばかりなく話していた。
ヒヌカが来てから、それもできなくなった。
そして、昼。
咎人が出払ったのをいいことにヒヌカは宿舎を調べ回る。
寝室の荷物はもちろん。
軒下や床下など物を隠せそうな場所を調べる。
脱走用に確保していた保存食。外套。銀。
次々と怪しげなものが発見された。
ジンとカルは隠れ家を持っていたので、荷物は発見されていない。
この点に関しては運がよかったとしか言えない。
夜も同様だ。
ヒヌカは夕食の場を監視する。
騒がしかった食堂が、一夜にして静まり返ってしまった。
粥をすする音しか聞こえない。
咎人はヒヌカに従っていた。
もちろん、表面上の話だ。
元々、素行の悪い連中だ。
すぐにろくでもない結束が生まれた。
「血に飢えた男たちのど真ん中に、あんな美人を送り込むなんて看守は馬鹿だな!」
「俺達でマワしちまおうぜ!」
ヒヌカが縦穴をうろついていると、咎人たちが飛びかかった。
さすがに止めた。
二人で飛び出し、男たちを蹴散らした。
尾行していてよかった。
わかったのは、ヒヌカの行動に迷いがないこと。
本気で監視者をしていること、だ。
脱走の証拠が見つかれば、咎人は殺される。
それでも、ヒヌカは探そうとする。
間接的に殺すつもりなのだ。
事実を突きつけられても信じられない。
次の日。
夕食時を狙って、ジンはヒヌカに接近した。
ヒヌカは配膳には加わらず、部屋の隅で全体を眺めていた。
相変わらず夕食は静かだ。
立ち上がるのにも勇気がいる。
が、ジンはそれを実行した。
椅子から立つだけで全員がこちらを見る。
匙を動かす音が止まる。
気にせず、通路を歩き、ヒヌカに近づく。
「勝手に動かないでください」
ヒヌカから忠告が飛ぶ。
それも無視して、ジンはヒヌカの前に立つ。
声をかける。
「ヒヌカ」
「……嘘」
ヒヌカは石になっていた。
驚きのあまり動けないらしい。
ジンの顔がわかるということは、やはり本人だ。
「…………ジン、……なんでこんなところに…………」
ヒヌカの目に涙が浮かぶ。
「ヒヌカ、よく生きてたな」
「……なんで、今更。…………よく生きてたなんて、」
それより先は言わせなかった。
土下座した。
「よく生きててくれた……! ありがとう……! 三年もほったらかしにしててごめん! 俺が弱かったばっかりに、誰も守れなくてごめん! …………けど、本当に生きててくれてよかった……!」
食堂の静寂が深まる。
全員が動きを止めていた。
そして、ジンとヒヌカを見ていた。
「ジン、頭を上げて」
涙声で名前を呼ばれる。
立ち上がって、ヒヌカの顔を見る。
その顔にはいくつもの感情が混ざっていたように思う。
そして、ヒヌカが感情を見せたのは、これが最後だった。
ジンは思い切り突き飛ばされた。
ヒヌカは冷たく言い放った。
「この無礼は看守に報告いたします。監視者を口説こうとした者がいると」
「は?」
何を言われたのかわからなかった。
ジンはよろめいて、尻餅をつく。
「今の騒ぎに乗じて何をしようとしたのかはわかりません。しかし、以後、脱走に直接関係しないことでも、不審な行動が見られれば報告します。そのつもりでいなさい」
ヒヌカはジンを見ていなかった。
監視者の役柄に徹していた。
そして、宣言を終えると、再び定位置に戻った。
ジンは動けなかった。
石になっていた。
何が起こったのか?
ヒヌカはなんと言ったのか?
何もわからない。
とにかく、尻が冷たい。
夕食後、縦穴の水辺で焚き火をした。
季節は夏だ。
とても暑い。
目から汗が出る。
「ぼ、僕はさっきのすごかったと思うよ……? あんな風に熱っぽく言われてどきどきしない女の子はいないんじゃないかなぁ」
カルが必死に慰めてくれた。
頭を撫でてくれる。
「彼女だって監視者って立場があるんだし、あの場はあぁするしかなかったんだよ」
「……わかってる」
いや、わかっていない。
ヒヌカの顔が頭から離れない。
あの寂しげな顔はなんだったのか。
なぜ突き飛ばしたのか。
何一つ納得できない。
「ジン、女郎宿へ行くのやめよっか?」
カルは唐突に言った。
「なんでだよ。抜け穴を探すんだろ」
「でも、ジンはここを出ていいの?」
「……」
脱走すれば、収容所から出られる。
自由な生活に戻れる。
そして、……そして、何をするのか。
ヒヌカを探すために脱走を考えた。
だが、ヒヌカは今、ここにいる。
確かに脱走の意味はなくなっていた。
カルだけ逃がすというのも考えた。
しかし、カルの目的はジンにある。
結局、ジンが逃げなければ目的は達せられない。
考えがまとまらない。
どうすればいいのか。
「僕は様子見を提案するよ。ヒヌカさんのこと、置いていけないでしょ?」
「けど……」
「心残りはなくした方がいいよ。絶対そうだよ!」
やけに熱心に勧めてくる。
気を遣われているのはわかる。
けれど、約束を破るのは気が引けた。
「約束はいいのか?」
「約束?」
「すぐに逃げようって話だっただろ?」
聞くと、カルは微笑んだ。
「散々、ワガママに付き合ってもらったんだもん。少しくらいは聞いてあげないと」
あえて明るく言ってくれた。
ありがたい話だった。
「よし。決めた。延期する」
せっかくなのでカルに甘えさせてもらうことにした。
逃げるのはあとでいい。
まずはヒヌカのことを調べる。
理由があるはずなのだ。
でなければ、ヒヌカがあんな風になるはずがないのだ。
†ヒヌカ†
ヒヌカは咎人の夕食を見届けると、横穴を抜け女郎宿のある縦穴へ向かった。
水路沿いを歩き、排水用の横穴をくぐる。
取り付けられた鉄扉を預けられた鍵で開け、外へ。
排水口の先には川があった。
下草が柔らかく、過ごしやすい場所だった。
ちょうど敷物に使える布も落ちていた。
咎人が来られるわけがないので風で飛んできたのだろう。
そこは収容所の構造を知るために歩き回って見つけた場所だ。
ヒヌカは布に腰を下ろし、息を吐いた。
「……危なかったなぁ」
声をかけられたとき、ヒヌカは頭が真っ白になった。
ジンがいるなんて少しも思わなかった。
あの日、ヒヌカはジンを助けたあと、死を覚悟した。
ところが、天上人はヒヌカを斬らなかった。
ヒヌカの行動を無理心中と考えたらしい。
確かに川の流れは強く、助かる見込みは少なかった。
だったらせめてジンと同じ場所で死のうと思い、川に飛び込んだ。
結果的にそれがヒヌカの命を救った。
ヒヌカは運よく川辺に打ち上げられた。
以来、様々なことがあった。
今は訳あって収容所にいるが、少し前までは町で奴隷をしていた。
生きるのに精一杯な日々だった。
外の世界は過酷で、生活に余裕はなかった。
ジンを探そうと思ったこともある。
しかし、半ば諦めてもいた。
あんな別れ方では、再会など不可能だ。
悲しくとも仕方がないのだ。
そんな風に自分に言い聞かせていた。
それなのに、会えてしまった。
奇跡としか言いようがなかった。
久しぶりに見たジンは、随分とたくましくなっていた。
小さい頃はヒヌカの方が背が高かった。
転んで泣いてるジンの手当をしたり、汚れた服を縫ってあげたり。
世話を焼いてあげるんだ、という気持ちがあった。
いつだっただろう。
ジンの方が前を歩くようになったのは。
村に穢魔が入ってきたときは、ジンが庇ってくれた。
怪我をしたときに背負ってくれた。
いつの間にか身長も追い越された。
力でもかなわなくなった。
どんどん背中も大きくなって……。
いつしかジンがヒヌカの手を引いて歩くようになった。
思い出が溢れてくる。
知らず、涙も溢れる。
ジンと話をしたい。
ちゃんと、正面から向かい合いたい。
そんな思いで胸が一杯になる。
……けれど、今のヒヌカに、それはできない。
監視者だからだ。
監視者は看守に仕える奴隷だ。
看守のために働くことで、食事と寝床、そして、給金を与えられる。
その仕事は咎人の不審な動きを看守に報告すること。
端的に言えば咎人の敵だ。
無論、なりたくてなったわけではない。
とある事情で、ヒヌカは監視者となった。
期間は二年。
二年間、脱走者を出さなければヒヌカの願いが聞き遂げられるのだ。
だから、脱走を考える奴らの証拠を上げる必要がある。
もちろん、それがジンであってもだ。
ジンの性格なら、間違いなく脱走を考えているだろう。
しかし、ヒヌカは看守に告げなければならない。
目的を達成するには、それしかないからだ。
ジンが死ぬかもしれない。
それと目的のどちらが重いのか。
問いかけに対して、ヒヌカは答えを持たない。
どうすればいいのかがわからない。
「あれ?」
ふと顔を上げると、川辺の花が目に入った。
純白の花弁はシグラスの花だった。
バランガでは結婚式にこの花を使う。
二人が切り株にシグラスを乗せれば、愛の誓いになる。
ちょうど川岸には切り株もあった。
近くには川に架けられた丸太があるので、橋を作りたかったようだ。
かつて、この辺にも村があったのかもしれない。
ヒヌカはシグラスを一輪だけ積んで切り株に乗せた。
――――わたしの気持ちはあの夜から変わっていない。
それに気づくと、答えも自然と導かれた。
どちらかを選ぶのは無理だ。
だから、まずはジンに相談したい。
それが自分にできる精一杯だ。
ヒヌカは川辺を離れ、宿舎に戻った。
監視者は縦穴の外に住居を用意されていた。
看守の家と思しき建物の一室だ。
ヒヌカはそこで寝泊まりすることになっていた。
「監視者よ、戻ったか!」
与えられた部屋に戻ると看守が待ち構えていた。
隣には同年代の女の子が三人いた。
「到着が遅れていたが、新しい監視者を紹介しよう!」
「……どういうことですか?」
「大した事ではない! 監視者と咎人が口裏をあわせると困るからだ! 今日より二人組で行動してもらう! そして、相方がおかしな行動を取れば報告をしてもらう! よいな!」
連れてこられた三人は知らない顔ばかりだった。
「あの、トイエはどこへ行ったのでしょうか?」
「トイエ? お前の知り合いの娘だな! あれは女郎宿の監視者だ! 知り合い同士が同じ場では不都合だろう!」
看守からすればそうだ。
……ヒヌカにとっては、真逆だが。
「わかりました。明日からよろしくお願いします」
そう言うしかなかった。
ヒヌカは見ず知らずの女の子と組になった。
二人は常に共に行動し、咎人と共に互いの行動を監視する。
不審な点があれば、看守へ報告。
報告が事実なら特別報奨がもらえる仕組みだ。
到着が遅れたと言っていたから、ここ数日が特別だったのだろう。
明日からは一人で動けない。
当然、ジンと話すこともできない。
今日が最後の機会だったのだ。
そのことを知って、ヒヌカは背筋が寒くなるのを感じた。
取り返しのつかないことをしたのではないか。
今になってそう思うが、すでに遅かった。