26 調査1
†ネリエ†
皇城には書物を保管する蔵がある。
書物大臣によって管理され、広さは城内の一棟を使う。
マナロに関する資料があるとすれば、そこに違いなかった。
ネリエは書蔵へ足を運んだ。
書蔵は誇り臭く、薄暗かった。
しかし、明かりは禁止だ。
火を使って書に燃え移ったら大惨事だからだ。
書蔵を歩き、これと思った一冊を手に取る。
窓際へ行き、歴史に触れているか確かめる。
しばらくはそんなことを続けた。
「……これも違う。全然、整理されてないわね」
書物の大半を占めるのは私書だった。
個人が好き勝手に書いたもので、内容は様々。
前の頁で歴史に触れたと思ったら、次の頁では家族を語りだす。
書物大臣の話では一時期私書が流行った頃があるそうだ。
ここにある書物の多くは皇族の自伝だという。
蔵書数は数千から一万。
題目すらない書もあるため、逐一中身を確かめねばならない。
途方もない労力だ。
さすがに諦めようと思いティグレを探す。
ティグレは奥の棚で、ニヤニヤしながら本を読んでいた。
「……あんた、何読んでるわけ?」
「昔の春画っすけど?」
本を取り上げ、脛を蹴る。
「いった~~~!」
「真面目にやりなさいよ、まったく。大体、なんで皇城の書蔵になんで春画があるのよ」
「決まってるじゃないっすか! みんな大好きだからっすよ!」
「そんなわけないでしょ。馬鹿馬鹿しい……」
どうせ資料化が目的だ。
春画を元の場所へ戻し、ふと気づく。
その一体だけ異様に書物が古かった。
「……なにこれ」
何冊か手にとってみる。
丁寧に扱わなければ、崩れてしまいそうだった。
相当な年月を経なければこうはならない。
他の棚も調べてみるが、春画が一番古いようだった。
その中でも、なおのこと古そうな本を選び、
「あんた、これが何年前の本かわかる?」
「どれどれ……。あぁ、ポーノーが活躍した時代はちょうど四百年前っすよ」
「四百年前ね……。この書蔵を探しても無駄なようね」
「え? なんでそんなことがわかるんすか?」
「本の古さは外見で判断できるからよ。一番損傷の激しい本が、この書蔵にある最古のものってわけ」
「ははぁ、それで四百年より前の本はないってことっすね」
「そういうこと。まさかあんたの春画知識が役に立つとは思わなかったわ……」
「いやぁ、そろそろこの役に立つ執事に褒美があってもいいんじゃないすかね?」
「ここで見つからないとなると、困ったわね」
「無視っすか……」
バサ皇国の歴史が約千年。
マナロが皇国成立以前から生きていることを思えば、直近四百年ではまるで足りない。
もっと古い書蔵がないか書物大臣に聞いてみる。
しかし、ここより古い書物を持つ蔵はないらしかった。
「古い書物は意図的に置かれていないのだ、と聞いています」
「……そうか、焚書ね」
バサ皇国の成立は約千年前だが、そこから五百年は戦国の時代だった。
大陸ショーグナには、バサ以外に国があり、覇権をめぐって争っていた。
勝利したマナロは歴史の削除を命令した。
歴史とは国家の証明だ。
歴史の抹消は国家をなかったことにするのと同じだ。
これによりマナロは反乱を抑止したのだ。
「それじゃ過去のことは誰にもわからないってことっすか?」
「焚書を逃れた書物があれば話は違うけれど……」
皇帝の号令で行われたのだ。
存在しているとは思えない。
……人間国の歴史?
ふいにジンの顔が脳裏をよぎる。
あの国の歴史は何年だったか。
大体、五百年前に人間国が滅ぼされたと聞いていたが……。
それ以前の記録もあるのだろうか。
「あー、ちょっといいすか?」
「なによ、今、考え事をしてるんだけど」
「こっちもそれどころじゃないっす。囲まれたっす」
「……え?」
囲まれた?
何に?
「書蔵の周りに、……多いっすね。十人以上。いや、……これは中にも……!」
いきなりだった。
ティグレはネリエを抱えて床を転がる。
ほとんど同時に矢が書棚に突き刺さる。
書物が散らばり、煙いほどの埃が舞った。
「な、なに今の?」
「逃げるっす! 走って!」
腕を掴まれ、半ば無理矢理立たされる。
質問の答えをもらう間もなく、転げるように走った。
階段を登り二階へと向かう。
風切り音がいくつも聞こえる。
矢が床や書棚を次々に壊していく。
どこから攻撃されているのか、薄暗い室内では見当もつかない。
見えない敵に襲われる恐怖で、頭は完璧に真っ白になる。
「大丈夫、自分には見えてるっす!」
そんな不安を汲み取ったかのようにティグレは力強く言う。
書棚の陰へ滑り込む。
きつく抱きしめられた。
「……息を潜めて。大丈夫、位置さえ掴まれなければ死なないっす。一撃で仕留められなかった以上、相手も警戒します。霊術がありますからね」
ティグレに頭を撫でられる。
彼は逐一、状況を口にする。
ネリエを落ち着かせるためだ。
普段は気の利いた言葉など言わないくせに。
優しくできるなら常日頃から心がけろ。
そうは思うが、子供扱いされるのは不本意だ。
深呼吸をする。
主人の矜持を取り戻す。
「……ありがとう、もう大丈夫よ」
「状況、説明できますか?」
「えぇ。要するに、命の危険にさらされた者は皇城でも霊術を使うから、相手も注意せざるを得ないってことでしょ」
「さすがっすね、その通りっす」
皇城での霊術は禁止。
使用は例外なく極刑だ。
死ぬのは嫌だから誰も使わない。
逆を言えば、黙っていたら殺される局面において、極刑は抑止力にならない。
どの道死ぬのなら可能性がある方を選ぶ。
だから、暗殺は奇襲なのだ。
霊術戦を避けるために。
特にネリエはマナロの実子だ。
この国で最も強い霊術を保有している。
霊術で戦えば、皇族でなければ太刀打ちできない。
「けれど、できるなら使用は避けたいわね」
ネリエは霊術を使ったことがない。
使い方は学院で習う決まりだが、通っていないため未履修のまま成人した。
故に何の能力なのか本人も知らない。
だが、敵も事情はわかっていない。
万が一にもネリエ皇女が霊術の扱いに長けていたら。
そう思わせることに意味がある。
ある程度の時間は稼げるだろう。
問題はその時間で何をするか。
「飛竜か焔龍が状況に気づいてくれれば、助けが来るかもしれません」
ネリエの人間騒動は尾を引いている。
しかし、焔龍にとってネリエは切り札だ。
死なれては困るのも事実で、救援は来るだろう。
「それまで硬直状態を維持できれば勝ちなわけね」
「えぇ、だからこそ、敵も手を打つんすけどね……」
ティグレに庇われるのと風切り音が聞こえたのは同時だった。
何かが暗闇から飛来する。
破裂音が次々に聞こえる。
焦げ臭さが鼻をついた。
目を開けると、わずかな間で状況は一変していた。
「ひ、火攻め……」
「書蔵ごと燃やすつもりみたいっすねぇ」
飛来物の正体は油を混ぜた布だ。
落下した先から次々と書に火をつけている。
火の勢いは想像を絶する速さだった。
「……ゲホ、ゴホ。ちょ、ちょっと、逃げないとまずいんじゃない!?」
「えぇ……。けど、これ、確実に待ち伏せっすよ?」
火をかければ、逃げざるを得ない。
書蔵の入り口は一階に一つだ。
誘導されているに違いなかった。
飛び出せば四方から弓で狙い撃ち。
逃げるために霊術を使えば、その咎で極刑。
いずれにせよ死以外の道がない。
よくできた作戦だった。
「俺が先に飛び出します。あなたはあとから来てください」
ティグレは腹をくくったように言う。
主を守るために自分が囮になるつもりなのだろう。
その表情には死の覚悟があった。
「あんた、案外、いい奴だったのね」
「はい?」
「あたしのために体を張るなんて。意外だったわ」
「あのね、冗談言ってる状況じゃ、」
「あんたこそ、慌てるような状況じゃないでしょ? 正面で待ち伏せされてるなら、正面から逃げなければいいだけじゃない」
「それができたら苦労はしないっすよ」
「だと思うなら、あたしの大好きなものを言ってご覧なさい」
「……えっと。…………え? まさか?」
そのまさかだ。
ネリエの研究分野にして生き甲斐。
その領域で他の追随を許さないモノ……。
「耳をふさいでしゃがみなさい!」
ネリエは懐からソレを取り出す。
黒塗りの塊。
一見して球技に使う玉に見えるが、中身は全くの別物。
純然たる火薬だ。
安全弁を解除し、書蔵の奥へ向かって放り投げる。
ティグレを抱えるように床に伏せる。
一呼吸置いて――――。
爆音が轟いた。
「完璧ね」
書蔵の壁は跡形もなく吹き飛んでいた。
脱出口の完成だ。
入り口と反対側だけに、待ち伏せもない。
「逃げるわよ」
「……いやはや、たくましい姫様っすねぇ」
ティグレは呆れたようについてくる。
案の定、待ち伏せはなく、ネリエは駆けつけた衛兵に保護された。
暗殺者の気配も消え、ひとまず危機は脱したのだった。