23 お披露目
†ネリエ†
七日後。
ネリエ派と十二天将が招集された。
場所はカナンの屋敷。
大宴会場とも言えるような舞台付きの広間に通された。
派閥はマーカやメリリを含む上位の者だけが集まり、十二天将は十一人すべて揃った。
ネリエの話を聞かないくせに、カナンの命令には従う。
釈然としないが、それがカナンの力だ。
「今日はネリエ皇女から大切な話があるそうでね。皆を集めさせてもらったよ」
カナンが大雑把な説明をする。
あとは任せたとばかりにネリエを見た。
肯いてネリエは舞台に上る。
ここ数日、ネリエも準備を進めていた。
状況を作られた以上、逃げ道はない。
ならいっそ、与えられた舞台を前向きに使うことにした。
「お集まりいただきありがとうございます。今日は、私が何のために皇位を狙うか、お話ししたいと思います」
集まった面々が少しざわつく。
特にお茶会の派閥は実務から遠い女たちだ。
理由を聞かされるとは思っていなかったのだろう。
皆を見回し、沈黙を挟んだ。
その先の言葉を続けていいのか、と自問した。
反発があるだろう。
非難されるだろう。
仲間が減るだろう。
それでも口にすべきだろうか。
する、と決めた。
カナンに背中を押されたのもあるが、自分でも話したいと思ったからだ。
口にしない夢は叶わない。
他人に話せないような夢など、夢ではない。
もし自分の夢を否定する者がいるなら、そいつとは一緒に歩けない。
元より仲間でも何でもないのだ。
消えてくれた方がいい。
自分に発破をかける。
深呼吸をする。
そして、言った。
「最初に私の友人を紹介させてください。ヒヌカ、どうぞ」
合図とともに襖が開く。
ティグレが連れてきたのは着飾ったヒヌカだ。
ネリエの隣に並び立ち、緊張した面持ちで集まった面々を眺める。
人間との共生を訴えるなら、人間の素晴らしさを知ってもらうべきだと思った。
幸いヒヌカは料理にも音楽にも舞踊にも明るい。
紹介するにうってつけの人物だった。
「……ヒヌカです。はじめまして」
数人が黙礼を返す。
「ネリエ様に呼ばれ、ここへ来ました。とても緊張していますが……、皆さんと仲良くできればと思っています」
この時点で、ヒヌカが人間だとは気づいた者はなかった。
元々、女の天上人は人間に姿が近いし、香を焚きしめた着物を着れば、臭いの判別もできないからだ。
更に言えば、彼ら上流天上人はまともに人間を見たことがない。
初見で判別がつくはずもなかった。
……そう、彼らの人間に対する識別眼などその程度だ。
十分な時間が経ったところでネリエは告げる。
「ヒヌカは私の友人ですが、人間です」
「……!!」「人間!?」「人間だと!?」「いやぁあぁあ!!」「人間が同じ部屋にいるなんて!!」
反応は劇的だった。
女性陣は悲鳴を上げ、座布団から転げ落ちる。
十二天将もさすがに表情を強張らせていた。
一拍遅れて、ざわめきが広がる。
「人間が友人!」「やはり人間にされていた間に狂ったのね!」「穢れを運んできやがった!」
罵声が飛び交う中、ネリエは反論を試みる。
「皆さんが人間を穢れと認識していることは知っています。しかし、今、ヒヌカを人間だと見抜けた人が何人いましたか? あなた達はこう思ったんじゃありませんか? 高価な着物を着ているし、位の高い誰かだろう、と。人間と天上人の違いなど、その程度なのです」
「ふざけるな!」「一緒にするなど馬鹿げている!」「皇女が人間を擁護など!」「衛兵を呼べ!」「大事件だ!」
場が熱くなる。
見抜けなかった事実を棚に上げ、彼らはひたすらにネリエを批判する。
言葉の種類は豊富だが、趣旨は一つ。
――――穢れを友人と呼ぶのは許せない。
だからこそ、冷静に問いかける。
「なぜ人間が穢れなのですか? 誰か答えられる者はいますか?」
「穢れを穢れと呼ぶのは当然だ!」「理由などいらない!」「人間は奴隷だぞ! そう作られたのだ!」
反論らしい反論はない。
それでも、彼らは自分が正しいと信じていた。
なぜなら、そういう決まりだから。
昔からそう言われているから。
そこに全うな理由はない。
すべてが感覚と思い込みによる産物だ。
無論、最初から全員に理解が得られるとは思っていない。
頭に血が上りやすい者は頑なに理解を拒むだろう。
そういう者を排除し、冷静な者だけに語りかける。
そのつもりでいたが、場の流れは想像以上だった。
正義は共感を呼ぶ。
その正義の種類が何であれ、人は正義に惹きつけられる。
冷静でいて欲しかった者たちも熱に浮かされ、ネリエを睨んでいた。
「私は冷静な話し合いを望みます。そこのあなたと、そちらのあなたはふさわしくありません。退場を願います」
「馬鹿言うな、お前が出て行け!」
「この場は私が皇帝になった暁に実施する施策を語る場なのですが? 私が出ていくことに何の意味が?」
「お前など皇帝になれるものか!」「穢れを連れて出て行け!」「そうだ!」
傍聴席は奇妙な一体感を持っていた。
十二天将と派閥の面々が次々に罵声を飛ばす。
婦女子の中には男のような言葉を使う者もいた。
思うようにならない場に焦りを覚える。
ふと着物を掴まれる。
ヒヌカだった。
小声で、頑張って、と囁いてくる。
その一言に殴られたような衝撃を受けた。
彼女はこの場で唯一の人間だ。
天上人の巣窟に、たった一人でやって来たのだ。
怖いに決まっていた。
だと言うのに、ヒヌカはネリエを気遣ってくれる。
その勇気を。
気高さを。
ここにいる連中に伝えずしてどうする。
「私が皇位を獲った暁には、人間の地位を向上させ、天上人と並び立てる存在にしようと考えています」
ネリエは懸命に語った。
言葉は拙く、途中で詰まることもあった。
何より、話すたびに突きつけられる野次と暴言が胸に刺さった。
それでも、話すことをやめない。
言葉を出し尽くすと、すぐに反応があった。
「馬鹿げたことを。はい、そうですか、と言うとでも思ったのかい?」
十二天将の蛇、ヘンプ・ウルポーだった。
「今この場で、その人間を殺しな。そうしたら、聞かなかったことにしてやってもいい」
彼女はそう言って煙草をふかした。
何一つわかってない発言だった。
もはや対話にもならない。
「友と言ったのが聞こえませんでしたか?」
「それを聞かなかったことにしてあげると提案してるんじゃないか」
「なら、あなたは隣りにいる虎の天上人を殺しなさい。そうすれば、今の発言、聞かなかったことにして差し上げます」
「……あぁ?」
「いつからあなたは選ぶ側になったのですか?」
ネリエは選ぶ。
天上人に許されるよりもヒヌカを守る方を。
そのために自分はここにいる。
そんな気さえしてくる。
「これは、私が仲間を選ぶ場です。あなたは私にはふさわしくありません」
「あんだぁ、お前……!」
「敵とみなされたくなければ立ち去りなさい。その程度の慈悲は持ち合わせていますので」
「……ちっ、だったらそうさせてもらうよ!」
ヘンプ・ウルポーはそう吐き捨てると、さっさと部屋を出ていった。
黙っていた十二天将も何人かがあとに続いた。
見たことのある展開だ。
今回は、お茶会で集めた派閥もいる。
……少しだけ期待するも、彼女たちの方が反応が早かった。
集団で逃げるように部屋を出ていく。
恐ろしい勢いで人が減っていく。
誰かは残る……、と期待していた部分もあった。
しかし、期待は容易に裏切られた。
幾ばくかの時間が過ぎた。
部屋にはヒヌカとネリエだけが残った。
いいや、マーカとメリリがいた。
二人は頑なにその場を動かなかった。
しかし、その評定は厳しく、とてもネリエを支持しているようには見えなかった。
むしろネリエに離縁を突きつけるために、誰よりも大声で罵るために残っているかのように思えた……。
静寂が耳に痛い。
心臓の音だけが、嫌にうるさい。
……胃が痛む。吐き気がする。
足元がふらつくのは、地震のせいか。
それとも、揺れているのは、自分?
「だ、大丈夫!?」
倒れそうになるのを、ヒヌカが支えてくれた。
――――なんて優しい子なんだろう。
最後にお礼を言いたかった。
意識が途切れる。
体中から力が抜ける。
†
額に冷たいものが乗せられた。
目を開ける。
……ここはどこだ。
起き上がると、額からおしぼりが落ちた。
「具合、大丈夫?」
おしぼりを拾ったのはヒヌカだった。
そのまま額に手を伸ばしてくる。
ひんやりとした手のひらが気持ちいい。
「……ここは?」
「カナンさんのお屋敷。ネリエさんが倒れたから布団を用意してくれたの」
「あの人が……?」
ネリエを追い詰め、破滅させた張本人だ。
そんな優しさがあるとは思えない。
「カナンさん、いい人だね。お話も面白いし、優しいし」
「はぁ?」
どうしたらあの老女の評価がそうなるのか……。
何か悪いものでも食べさせられたのだろうか。
「突然、倒れたから驚いちゃった。気分はどう?」
「大分よくなったわ。それより、……ごめん。嫌な思いさせて」
「いいよ。ネリエさんが悪いわけじゃないから」
「でも、怖かったでしょ?」
「あはは、ちょっとだけだよ?」
それは嘘だ。
天上人の罵声に晒されたのだ。
死ぬほど怖かったに違いない。
それにヒヌカは今日のために詩歌と舞踊を練習していた。
ネリエがそう頼んだからだ。
もしかしたら披露するかもしれない、と。
……全部無駄になった。
なのに、文句一つ言わずに許してくれる。
――――どうして、この子が受け入れられないのだろう……。
スグリの時もそうだ。
彼女は誰よりもベルリカ領主を理解していた。
領の未来を考えていた。
のうのうと暮らす無能役人の千倍は価値のある命だった。
価値のある……、という言い方は違う。
つい政治的な方面で評価してしまうが、命の重さは万人で等価だ。
スグリが人間だから、という理由で死ぬこと自体がおかしかった。
なくしたい。
こんな悲劇は。
自分が間違ったとは思わない。
足りないのは周囲の理解か。
仲間か。
どちらも消えた。
立場も危うくなるだろう。
今からでもできることは何か。
考えることをやめてはいけない。
皇城に入り、内側からバサ皇国を変える。
それがネリエの使命であり、ジンとの約束だから。
……今が始まりなのだ。
自分の目的を他者に告げた。
ここから始まるのだ。
気持ちを前向きにする。
「ティグレ、帰るわよ。次の策を練るわ」
「はぁ……、休んだ方がいいんじゃないすか?」
「そんな時間はないわ」
布団をはねのけ、起き上がる。
途端に尻もちをついた。
驚くことに一人で歩くこともできなかった。
「……歩けないから背負いなさい」
「いやもう本当にワガママっすねぇ」
ティグレは呆れながらもネリエを背負う。
「無理はしないでね。それと、また困ったら呼んで」
「……ありがとう」
ヒヌカはカナンの屋敷で見送ってくれた。
彼女を天上街の外へ出すのは、カナンが責任を持って引き受けてくれるそうだ。
それくらいはしてもらわねば困る。
カナンのせいでこうなったのだから。
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名前:ネリエ・ワーラ・アングハリ
仲間:十人(ティグレ、ヒヌカ、セイジ、ミキ、ノリコ、その他ソテイラの奴隷たち)
派閥:零人
所持金:銀貨三百十枚(決闘の賞金)