18 勇者ノ日2
†ネリエ†
大聖堂には何十列もの椅子が並び、見上げるほどの天井には硝子が埋め込まれていた。
両脇の壁には燭台が並び、堂内を橙色に染めていた。
ネリエの姿は大聖堂の最前列、祭壇の前にあった。
隣には皇族の姿があり、炎ノ儀の開始を待っていた。
ドラコーンは、青い炎を用意すると告げて席を外していた。
それから半刻が経とうとしている。
これまで炎は皇城でマナロが供する決まりだった。
しかし、今回、ドラコーンは大霊殿を指定した。
ドラコーンが炎を用意できるとは思えない。
誤魔化すとすれば炎色反応だろう。
だが、ネリエは火薬の研究者だ。
確実に見破れる自信があった。
「ドラコーン様がいらっしゃる。皆、目を瞑られよ」
マンダの声で、司教たちは顔に布をかける。
ネリエも用意した薄布をかける。
無論、透ける布だ。
間もなくドラコーンが炎を持って現れた。
……その色は美しい青。
炎色反応には見えなかった。
動揺を隠せない。
どうやって本物を……。
一瞬だけ困惑するが、すぐに理由がわかった。
ジンの仕業だ。
ドラコーンの後ろからソテイラが現れたので間違いない。
ジンはソテイラに炎を渡す約束をしていた。
律儀に守ったわけだ。
余計なことを……、と思わざるを得ない。
炎が霊導師の持つ器に移される。
「ドラコーン様はこちらを」
ソテイラが古めかしい本を持ってきた。
一抱えもある大きさで、木の皮にくるまれている。
皇族が持つには地味な装丁だが、書を包むように鎖が巻かれていた。
「これはなんだ?」
ドラコーンもまた首をかしげる。
……事前の打ち合わせはないらしい。
「こちらは『マナロの経典』にございます。生前、マナロ様は炎ノ儀の間、経典を手元に置いておられたようです。ドラコーン様もそれに倣うのがよいかと」
「ふむ。それならば傍らに置こう」
マナロの経典。
聞いたことのない書物だ。
儀式の間、傍らに置くという話も初めて聞いた。
「何だこれは。開かぬではないか」
ドラコーンが経典を読もうとするが、鎖が解ける気配はなかった。
「封印術がかかっております。術者がいないので、開けることは叶いません」
「なら、何が書かれているのか、お前が教えろ」
「マナロ様が直筆で書かれた日記のようなものとうかがっております」
「ふん。なら興味はない」
ドラコーンは経典から興味を失ったようだ。
肩に担いでネリエの隣に戻ってきた。
横目で経典を見るも、薄暗い室内では詳細はわからない。
「では、これより炎ノ儀を執り行う」
霊導師と司教が炎を持って、大霊殿を出ていった。
大広場を回って戻ってきたら、炎は大聖堂の裏手にある建物へ奉納される。
待ち時間が長いため、皇族は控室で飲み食いしてよいことになっていた。
続々と皇族が退出する中、ネリエは首を傾げていた。
そう言えば、なぜ炎を裏手の建物に納めるのだろう。
大聖堂の祭壇でもよさそうなものなのに。
†ジン†
待てと言われて、相当な時間が経った。
柱に寄りかかって半分寝ていた。
「飽きた」
ソテイラは何をしているのか。
ジンは大聖堂に顔を出す。
薄暗い通路を抜けると、天井の高い空間に出た。
石造りだけあって、冷えた空気が滞留している。
点々と灯る蝋燭が何の役にも立っていない。
大聖堂には一人もいなかった。
――――なんだ、誰もいないじゃねぇか。
適当に歩く。
そのとき、
「あんた、ここで何してるの」
後ろから肩を叩かれた。
死ぬほど驚いた。
慌てて振り返ると、顔に布をかけた女がいた。
小柄でやたらと胸がでかい。
「いや、俺はそのなんというか、歩いていただけで……!」
「落ち着きなさい。あたしよ」
女が顔にかけていた布を持ち上げる。
化粧をしているが見知った顔が出てきた。
「え、エリカか! 脅かすなよ!」
「脅かすとか……、そういう問題じゃないでしょ? なんでこんなところにいるわけ?」
「ソテイラにつれてこられたからだ」
「やっぱり……」
説明せずとも事情がわかったようだ。
「お前は何してるんだ?」
「見てわかるでしょ。儀式に参加してるの」
皇族は炎ノ儀への出席義務がある。
ただ、仕事は霊公会に比べれば、格段にぬるい。
途中で抜けて、終わる頃に戻ればいいだけだ。
「そんなわけだから二刻ほど時間があるの。後ろの建物でも見ようと思って」
「後ろ? あれマナロの墓だぞ?」
「墓ぁ? なんであんたが知ってんのよ?」
「聞いたから」
説明するとネリエは露骨に肩を落として、
「なんだ、墓ね。じゃ、そこに炎を捧げるのは普通か」
「あそこに捧げるのか?」
「そうよ。戻ってきた炎はあそこに――――」
ネリエが固まる。
顎に手を当てて考え始める。
「おかしいわ……。墓に炎を捧げるはずがない」
「マナロの墓なんだろ? 魂を鎮める意味があるんじゃないのか?」
「炎ノ儀はマナロが始めた儀式よ。じゃあ、マナロは誰の墓に炎を捧げてたの?」
「それは……」
言われてみれば、わからない。
マナロは生前から墓に炎を捧げていた。
そして、マナロは同じ墓に入った。
血族。
その可能性が高い。
マナロにも父か母がいたはずだ。
「ないわね。マナロ戦記に書かれていないもの」
戦記ではマナロは争いから逃れ、この大地にやって来たことになっている。
自身と従者を連れてだ。
血族を連れてきたという記述はない。
仮に連れてきたのだとしても、建国史と矛盾するような墓を立てるはずがない。
……となると、マナロが入る墓に先に入っていた誰かは、血族ではないことになってしまう。
それは誰か。
「奥さんは?」
「マナロは正室を持たなかった。事実だし、側室は皆、それぞれの実家に葬られている」
いよいよ謎だ。
あの墓にいるのは誰か。
「……」
「……」
無言の間。
なにとなしに周囲を見回す。
幸い誰もいない。
このあと炎を納める予定なら、罠の類もないはずだ。
「……あんたの考えてること、当てましょうか?」
「お前も同じこと考えただろ?」
「……考えたけど」
ジンは何と無しに周囲を見回す。
大聖堂には誰もいない。
「ちょ、ちょっと本気なわけ? バレたら、死刑よ!?」
それはそうだ。
しかし、裏を返せば、
「バレなきゃいいってことだろ?」
通路を抜けて、外へ出る。
墓所の周りは篝火も少なく、薄暗い。
見える範囲に人影はなかった。
誰もいない。
「本当にやるのね?」
なぜかエリカもついてきていた。
ついてきたということは、やることは一つだ。
「当たり前だ」
再度、周囲を確認し、二人は同時に柵を乗り越えた。
ここで見つかったら言い訳はきかない。
だからこそ、一息で走る。
音のしない走り方はカルに習った。
エリカも思った以上に走るのが速い。
建物の壁に張り付く。
ここまでくれば逆に目立たない。
……手のひらにじっとりと汗をかいていた。
思っていた以上に緊張していたらしい。
気を取り直して、建物を調べる。
入り口は一つ。
窓はなかった。
「行くぞ……」
「早く開けなさいよ……」
石の扉を押す。
重い手応えと共に扉は開いた。
中はカビの臭いが充満していた。
炎で照らすと立方体だとわかる。
地面はむき出し。
真ん中に通路がある。
突き当りが階段で、その先に墓碑があった。
「皇帝の墓にしちゃ、小さいな」
「……それは、誰もが疑問に思っていたことよ」
マナロが自身の骨をここに埋めるよう言ったとき、周囲の者は驚いたという。
誰もが廟の建設を当たり前と思っていたのだ。
「何か理由があるんだろうな」
そして、その理由は眼前の墓に隠されている。
ゆっくりと階段を上った。
五段ほどで階段が終わる。
ならされた地面に墓碑が二つ並んでいた。
一つはマナロ。
石が新しく、刻まれた文字もはっきり読める。
もう一つは……。
「なにこれ……。何語?」
読めない文字が使われていた。
「お前でも読めないのか?」
「いや、待って。……ちょっとだけ読めるわ」
「すごいな、どこで習ったんだ?」
「アニメよ」
「は?」
「忘れたの? ソテイラの屋敷でよく見てたじゃない」
忘れてはいない。
ローボーを倒して間もなくの頃だ。
ソテイラの屋敷でエリカはアニメを見ていた。
映像を映す呪具を使っていたのだ。
「それに出てくる文字が、ちょうどこんな感じ。解読も試みたんだけど……、時間がなかったのよね」
「そんなことしてたのか」
「あった。これ。この文字だけ意味がわかるわ」
ネリエが指差すのは、名前の最後の方の文字だ。
「偉い人。為政者。治める者。強い者。力のある者。そんな意味ね」
「なんだそりゃ。まーでも、そうだよな。偉い奴じゃないと、こんなところに墓があるわけないよな」
「他だと……、この文字。最初の。初めての。一番の。って意味だと思う」
ネリエは少し前の文字を呼んだ。
間に一文字入っているが、単語だとするとつなげてもよさそうだ。
「最初の偉い奴? ……それ、マナロじゃないのか?」
「他にもいたってことかしら」
少しだけ頑張ってみたが、それ以上文字は読めなかった。
墓石の周りを調べ、部屋の中を見回す。
新しい発見はない。
そろそろ引き上げるか。
そう思い始めた頃、……入り口の扉が急に開いた。
現れたのは霊導師と司教たちだった。
墓石しかない立方体の部屋だ。
隠れる場所などないし、その時間もなかった。
どうやっても見つかる……!
だったら、いっそ……。
「――――っ」
身構えた瞬間、エリカに口をふさがれた。
後ろから抱きつかれた格好のまま壁際に下がる。
この非常時に何を……!!
そう思うが、……エリカは指で霊導師を示す。
彼らは全員目隠しをしていた。
顔にかかった布のせいで何も見えていないのだ。
なら、証拠を消すのは簡単だ。
ジンは炎で熱と臭いを焼く。
これで二人の存在は誰からも感知されない。
はずだ……。
霊導師は手探りで階段を見つけると、その手前に炎を置いた。
そして、祈りを捧げ、司教と共に退室した。
石の扉が閉められる。
長い長い間を開けて、
「「はぁ~~~~~~~~~~」」
二人同時に息を吐く。
「死ぬかと思ったわ……」
「……あ、危なかったな」
「あんたのせいでね、ヒヤヒヤしたわ。出ましょう。ここに手がかりはないわ」
「わかった」
石室を後にする。
周囲に司教たちの姿はなかった。
すでに大聖堂へ戻ったようだ。
来たとき同様に小走りで走り、柵を飛び越える。
深呼吸をする。
……生還したという実感が湧いてくる。
「それにしても、……あれは何だったのかしらね」
皇帝の墓にしては小さすぎる墓標。
マナロが生前から炎を捧げていた相手。
何より、読めない文字。
……あの文字は、どこかで見たことがある気もした。
それもつい最近。
ミトの家。
そう、ミトの家でマナロから渡された手紙の文字と雰囲気が似ていたような……。
「ねぇ、話聞いてる?」
「ん?」
「文字はこっちで調べとくから。あんたは、ヒヌカによろしく言っといて、って言ったの。もちろん、カルにもね」
「あぁ、わかった。元気でやれよ」
「なにそれ。誰にものを言ってるわけ?」
応援してやると、思い切り顔をしかめられた。
久しぶりの感覚だった。
†
その後。
炎ノ儀は何事もなく終わった。
ジンはソテイラに拾われ、車で外を目指した。
「人間に一つ話したいことがある」
ソテイラは真顔で言った。
「まだあるのかよ。約束は守ったぞ」
「そうではない。今後について話したいのだ」
今後。
今後ってなんだ。
思うが、ソテイラはそれ以上語らない。
何事もなく祭りは終わり、……いくつかの疑問が残った。
不思議な夜だった。