11 女郎宿1
長めになりました
あっという間に季節が変わった。
収容所に来て初めての冬を迎えた。
ジンとカルは、まだ収容所にいた。
脱走できない理由があるからだった。
アガの残した手紙である。
収容所は結界で囲まれている。
最初は、二人ともその伝言の意味がわからなかった。
しかし、討伐の時間を利用して森の奥深くへ移動したところ、異質なものを見た。
巨大な樹木の幹に巻きつけられた黒い帯だ。
光を吸い込みそうな純粋な黒だった。
帯の幅は人間の腕の長さくらい。
時折、帯の表面が赤や緑に光る。
……ひょっとしたら生きているのかもしれない。
そして、帯の上下には朽ちかけた注連縄が巻かれていた。
注連縄はバランガでも使われていた。
穢魔を寄せ付けないようにするための結界だった。
いや、実際、注連縄に効果はなかった。
穢魔が何食わぬ顔で村までやって来ることもあったし、思い切って村長に聞いたら、精霊様のご機嫌次第と言われた。
その注連縄に比べ、こちらの結界は趣が異なる。
特に光っている点が怖い。
動くということは生きている証拠だ。
「たぶん、本物の結界だと思う」
排水口の先にある隠れ家で対策を練った。
隠れ家も川に丸太の橋をかけ、対岸の整備をした。
少しずつ作り変え、貯蔵庫を設ける予定だ。
話を戻すと、結界は無視できない。
通過したら何が起こるかわからない。
最悪、通っただけで死ぬ。
恐ろしくて試すこともできない。
「でも、危なかったね……。アガが教えてくれなかったら、通ってたかも」
「そうだな」
アガはどうやって結界を見つけたのか?
それがわかれば結界の正体も絞れるが、それは叶わない。
愚直に調査するしかなかった。
昼の間に結界に近づき、石や木の枝を投げてみる。
穢魔を誘導して結界をくぐらせたりした。
いずれも反応はなし。
通っても問題ないように思えた。
が、人間だけに反応するように作るのが普通だ、とカルに言われて、くぐるのは諦めた。
壊すという手もある。
しかし、故障を検知する仕組みがあったら、看守がやって来る。
それはあくまで最終手段だ。
万全を期して、慎重に、慎重に進める。
じれったい日々を過ごす。
「もっと簡単な方法はないのか?」
ある日、ジンはそう聞いた。
隠れ家で焚き火をしているときだ。
「外に出るだけなら、看守をぶっ飛ばして出ればいいだろ」
「ぶっ飛ばすって……、さすがに無理だよ」
カルは呆れたように言う。
「俺には炎があるんだぞ?」
「向こうにだって霊術があるよ」
「だったら、互角だ」
「互角だったら、よくて相打ちだよ」
一対一ならそうだ。
「けど、俺たちは二人いる」
カルは穢魔を翻弄できる速さを持つ。
その速さは看守にも通用するはずだ。
「僕が加勢しても結果は同じ。天上人と長時間戦えるほど、僕の術は便利じゃないから」
「そうなのか?」
カルの術は、身体能力を強化するものだ。
巫霊ノ舞と呼ばれる術らしい。
利点は一時的な身体強化。
ただ、調整を間違えると暴走するらしい。
「暴走したら気が狂って死ぬって言われてる」
「……それはダメだな」
戦いの最中に出力に気を配り続けねばならない。
熱くなりすぎたら終わりだ。
言われてみると、思い当たるふしがある。
カルは討伐の際、巫霊ノ舞を滅多に使わない。
使うのは本当にどうしようもないときだけだ。
「わかった。同士討ちじゃ意味ないもんな。強くなってぶっ飛ばそう」
「絶対、わかってないでしょ!? お願いだから目立つようなことはしないでね!?」
カルは真っ赤になって怒る。
「第一、ジンはまだ索敵もできてないくらいだし。戦いなんて無理だよ」
「う……」
それを言われると痛い。
索敵。気配遮断。集団戦の立ち回り。
修行を始めて約三十日だが、どれも手応えがないままだった。
「先にそっちを鍛えないと。下手したら討伐で死んじゃうよ?」
そう言われると反論できない。
カルに助けられる場面は未だに多い。
穢魔の気配が読めず、奇襲を受けることがあるのだ。
そういうときは大抵、カルに庇われる。
看守が穢魔より強いとしたら、戦うのは無謀だ。
もう少し修行しよう、とジンは思う。
†
調査と修行以外にもやることはある。
脱走後の計画だ。
外へ出たら、外で生きねばならない。
天上人の国は、知らなかった、が通用しない。
知らないのか? ならば死ね? がまかり通る国だ。
それは、首輪の一件で身に沁みてわかった。
常識を持つことが大切なのだ。
その点、カルは旅人だ。
様々な町で見聞を深めてきた。
気をつけるべき点を少しずつ習うことになった。
まずはバサ皇国の成り立ちについてだ。
「人間はみんな、これだけは習うんだ」
そもそも天上人とは何か。
一説によれば、天上の世界から降りてきた精霊の眷属だという。
彼らは動物の力と知性の双方を併せ持つ。
そのため、力は強く、賢く、霊術が使える。
霊術は彼らの始皇帝が授かったのが始まりと言われる。
それはマナロ戦記と呼ばれる伝記に記される。
内容はこうだ。
まず、世界を創造した最高神バトマラ・マイカパルは、世界を三つの階層に分けた。
第一階層、天界。
第二階層、精霊界。
そして、第三階層、地上界だ。
天界には、耕地の守護神マイルパ、水の神ノノ、豊穣の神イカパティなどの神々が住み、地上界に住む生き物は直接、その姿を見ることはできない。
間に精霊界が挟まるためだ。
そのため、生き物たちは古来より、精霊を通じて、神の姿を確認してきたのだという。
当時、精霊と生き物たちの関係は濃密だった。
生き物は精霊を奉り、精霊は生き物に加護を与えた。
ところが、数百年前に精霊界から地上界へ、悪しき精霊が降り立った。
悪しき精霊は悪逆の限りを尽くし、地上界は滅びの危機に貧した。
そこへ現れたのがマナロだ。
マナロは、炎の精霊から精霊の血を賜り、精霊の力を身に着けた。
そして、その力でもって、悪しき精霊を精霊界へ追い返した。
こうして地上界は悪しき精霊の恐怖から解放された。
マナロはこの功績を讃えられ、神々から、神の最後の使いの称号と賢く従順でよく働く使い魔が下賜された。
マナロは使い魔を独占せず、多くの者に行き渡るように分け与えた。
そうしてできあがった国がバサ皇国だという。
内容はなんとなくわかった。
マナロは精霊の血を飲んで霊術を手にした。
すべての天上人が霊術を使えるのはなぜか、と思ったが、マナロが自身の血を他者に分けたからだという。
霊術は精霊の血を飲んだ他人の血を飲んでも得られる。
こうして全天上人に行き渡ったそうだ。
それで、ナントカという悪いのを倒した。
だから、天上人は偉い。
それはいいが、その話に人間は出てこない。
なぜ支配されることになったのか。
「出てきてるよ」
「どこに?」
「賢く従順でよく働く使い魔」
「うん?」
「だから、賢く従順でよく働く使い魔が人間なんだよ」
「…………え?」
「神々が贈り物として、天上人に人間を与えた。それがバサ皇国の正史なんだ」
「はぁ!?」
人間は天上人の奴隷として神が作った。
だから、当然、奴隷として働かねばならない。
シャムが言っていた話に似ている。
……あれが事実だったとでも言うのか。
いや。
「人間が作られてたまるか!」
「そう思えるのは幸せかもね」
カルは意味ありげにつぶやく。
「……どういう意味だよ」
「普通の人は信じちゃうんだよ、その話」
「なんで?」
「視点が違うから。ここは天上人の国なんだ」
よくわからない。
だから、何だというのか。
首を傾げると、カルは物語を例に上げた。
「バサ皇国の物語は天上人が中心にいる」
「天上人の国だからだろ?」
「そう。でも、ジンの村のお伽噺は人間が中心だったでしょ?」
それはそうだ。
人間が作った村なのだから。
「でも、バサ皇国に人間の話はないんだ」
たとえば、人間の誰かが森を開拓して、田畑を作ったとする。
その人物は村の英雄だろう。
物語が作られ、子孫に伝えられるかもしれない。
開拓の過程で動物の住処を奪ったとしても、それは物語に記載されない。
これが人間の視点だ。
これを天上人の視点で語るとどうなるか?
それを知るには、人間を天上人に、動物を人間に置き換えればいい。
人間が動物の事情を考えないように、天上人は人間の事情を考慮しない。
畑を耕す人間と寝床を整える鼠を区別しない。
だから、人間を殺して稲を奪うのと、蜂の巣を潰して蜂蜜を取る感覚は同じだ。
そして、その視点で教育された人間も同じ考え方をする。
人間は潰されて同然の存在、作られたものなのだ、と。
「さすがに、嘘だろ……? 人間だぞ? 言葉が話せるんだぞ? 鼠とはわけが違うんだぞ?」
「そう、そこが唯一の違いかな。人間は天上人と意志の疎通ができる。だから、天上人も場合によっては扱いを変える」
頭脳労働を任された人間は重宝される。
商売道具から家畜まで。
天上人の人間に対する見方は広い。
いずれにしても、対等に話せる相手だと思わないこと。
要点はそこに尽きる。
わかったようなわからないような。
……いや、わかりたくないのが本音だ。
ジンは考えるのをやめた。
†
春頃、ついに結界の正体が判明した。
調査の成果ではなく、偶然発見に至った。
その日、収容所で大規模な脱走事件が起こった。
一度に十人もの咎人が逃げ出したのだ。
兆候は、あった。
一ヶ月ほど前から別の小隊がそわそわし始めていたからだ。
その小隊は女郎宿にも行かなくなった。
突然、質素な生活を始めたのだ。
周囲の奴らも気づいていはいた。
だからと言って何をするでもなく、放置していた。
わざわざ看守に言う義理もないためだ。
そして、大脱走事件につながった。
深夜、十人が別々の方向へ走った。
穢魔のいる森へ単身で走るのは自殺行為だ。
だが、彼らは穢魔の危険より看守から逃げることを優先した。
しかも、看守の見回りの周期まで計算していたらしい。
まんまと逃げおおせたかのように思えた。
ところがである。
全員が捕まってしまったのだ。
それも一晩で。
「俺から逃げられるわけがない! そのことをよく理解しておけ!」
翌日の朝礼。
看守は十人を晒し上げにした。
捕まった十人は信じられない、という顔をしていた。
見ている方も同じ気持ちだ。
十人が別々の方向へ走った。
なぜ一人で捕まえられるのか。
「十人が別々に逃げたのなら捕まえられるはずがない! お前たちはそう思っているな!? だが、俺にはできるのだ! 俺は森の中を人間の五倍の速さで走ることができる!」
化物か、とジンは思った。
下手をしなくとも、その辺の穢魔より速い。
「しかし、それだけでは別々の方向へ逃げた人間を捕まえることは不可能では!?」
カルが聞いた。
結構、大胆な発言だった。
が、気をよくしていた看守はこう答えた。
「よい質問だ! 教えてやろう! 俺には人間がどの方向へ何人逃げたか知る術があるのだ!」
結界を知らぬ者は震え上がっただろう。
だが、カルには仕組みがわかった。
看守は術ではなく、術と言った。
術とは手段だ。
看守固有の能力であるとは限らない。
つまり、結界とは通った人間の数と位置を知らせるものではないのか。
カルはそう推理した。
脱走事件を説明できる仮説だ。
「で、どうしようか?」
夜。
快適になった隠れ家で話し合う。
正体を掴むという課題はこなした。
次はどうやって結界を越えるかだ。
「どうしような? 通ったら看守がやって来るんだろ?」
「別の方向に十人が逃げても一晩で捕まる。結界は通ったら死ぬと思った方がいいね」
結界を通れないことに変わりはなかった。
通ったら看守が飛んでくる。
「結界を通らないで外に出られるのか?」
「うーん……、切れ目があるとか?」
「わざわざ切れ目なんか作るか?」
聞くと、カルは黙った。
意地悪な質問だったかもしれない。
結界は咎人の脱走を防ぐためのものだ。
切れ目など入れるはずがない。
「……いや、あるかもしれないよ」
「本当か!?」
「たとえば、女郎は化粧をしてるらしいんだ」
「化粧? したくなったのか?」
「違うよ! どうやって化粧品を運び入れるのかって話!」
ジンは会ったことがないので知らないが、女郎とは綺羅びやかな着物に厚化粧が基本らしい。
顔が白くなるまで白粉を塗り、唇には紅を乗せる。
白粉も紅も消耗品だ。
定期的に補充しなければならない。
「補充ってことは、外からものが運ばれてきてるんだよ? 僕らの食べ物だってそう。どうやって入ってきてるの?」
「言われてみると、そうだな……」
結界が完璧なら品物はどこからやって来るのか?
わかりやすい入り口は収容所の門だろう。
しかし、新人の供給以外で門が開くのを見たことはない。
「普通に運べばいいだろ。結界を通っても死ぬわけじゃないんだろ?」
「そうだね。だったら、品物の納入と同時に結界を抜ければバレないんじゃない?」
「……それは」
一理ある。
検知されても捕まらない人間がいるのだ。
紛れることはできそうだ。
「じゃ、どこから化粧品が来てるか調べればいいのか?」
「そう。食べ物と合わせたら少なくない量だよ。どこかに入り口があるはずだ」
大量の荷物を運ぶとなれば荷車だろう。
轍だって残るはずだ。
探せば見つかる。
「よし! 早速、探してやろう!」
「うん、もう一息のところまで来たね」
こうして荷物の搬入経路を探すことになった。