4 凱旋3
†ネリエ†
「うわ、何してるのそんなところで?」
誰かが離宮の入口に立っていた。
強力な明かりを持っているのか、逆光で顔が見えない。
真っ白な非自然的な光。
これは呪具のものだ。
「……誰?」
「うわ、本当にエリカさんなんだ」
声を掛けると、意外な返事があった。
エリカ……。
その名前で自分を呼ぶ者は少ない。
それも全員、ベルリカ領にいるはずだ。
「久しぶり。……エリカさんって、天上人だったんだね」
優しげで穏やかな口調。
脳裏に自然と丸メガネが浮かぶ。
顔は見えないが声でわかる。
わかるが、あり得ないのだ。
それはどう転んでも皇城にいるはずのない人物だった。
「あんたは何者? ……どうして、その姿を」
「やだな、本物だよ。ほら、ミキもいるんだ」
「エリカ、久しぶりだね」
彼の後ろから車椅子に乗った女が現れる。
両足がなく、目の部分には布が巻かれていた。
他にも数名が挨拶をしてくる。
皆、懐かしい顔ぶれだった。
ソテイラの奴隷。
ネリエが人間だったときの同僚たちだ。
「……セイジ、ミキ。本物なの?」
「だから、本物だってば」
セイジは苦笑する。
「ソテイラ様がベルリカを出たあと、僕らは帝都に移されたんだ」
セイジは今日までの経緯を語った。
今はソテイラの役宅に住むという。
役宅はベルリカの屋敷に比べると手狭だが、機能的には申し分ないそうだ。
特に市場が近いため部材が手に入りやすいのだとか。
研究施設も自分たちで作ったそうだ。
おかげで建築に詳しくなったと男たちが笑う。
生き生きと語るセイジを見ていると、ネリエも自然と笑顔になった。
セイジの話が脱線して、研究内容に飛んだところでネリエは言った。
「変わらないわね、あんたは」
「え? そうかな?」
「今、何の話してたと思う? 火薬よ。本当に好きなのね」
「あ、あれ?」
「セイジは何の話をしてても最後は火薬にいっちゃうんだよね」
ミキが呆れたように言う。
「で、でも、僕、最近は医学の勉強も始めたんだよ?」
「そう! 見て、エリカ! 私の胸、両方共ちゃんとしてるでしょ? これセイジが治してくれたんだよ」
ミキは着物をはだけてみせる。
縫合部があるものの、きちんと二つの山があった。
外見は自然だ。
人工的に作られたものとは思えない。
「でもさ、胸から治すこともないのにね。目と足の方が大切だと思わない?」
「好きなんでしょ。胸が」
「え、エリカさん!? べ、別に僕はそういうつもりじゃ……!」
セイジが慌てだし、ミキが笑う。
このやり取りも懐かしい。
ネリエは自分が人間だった頃を思い出す。
人間として、エリカとして彼らと三年を過ごした。
人生で一番楽しい三年だった。
そして、思い出になったのだと思っていた。
自分は天上人だから。
皇族だから。
だから、彼らとの縁は切れた。
勝手にそう信じていた。
でも、違ったのかもしれない。
セイジは、……来てくれた。
味方がいなくて、心細くて、泣きそうだった”エリカ”のところに。
あのときと同じだ。
ヨリコを殺され、一人で逃げて。
仲間はおらず、ただ命を狙われて。
それでも、生きるために人間に姿を変えて。
死のうとすら思っていたあの頃。
声をかけてくれたのはセイジだった。
「エリカさん……、泣いてるの?」
いちいち声に出さなくていいのに。
無神経なところも変わってないな、と思う。
ネリエはいっそ開き直って、
「そうよ! 泣いてるの! 泣いたら悪い!?」
「えぇ! べ、別に悪くはないけど……?」
「あーあー、セイジ。女の子を泣かせるんだ?」
「えぇ!? ぼ、僕、何か悪いことしたかなぁ!」
セイジが困ったように歩き回る。
ミキが鼻紙を渡してくれる。
他の皆は苦笑いしている。
「やや、何やら騒がしいっすね?」
そして、忘れた頃にティグレが戻ってきた。
新しい春画本を手にしている。
城を出て町へ行った証拠だ。
……それで理解した。
「あんたの差金ってわけね」
「何がっすか?」
「覚えておきなさい」
「えぇ、……俺、悪いことしたっすか?」
「さぁね」
鼻紙で鼻をかみ、涙を拭う。
主は、従者にだけは涙を見せてはならない。
ネリエは小さい頃にそう習った。
……だから、今回は貸し一つだ。
いつか倍にして泣かしてやろう、と思う。
†
「食べ物、持ってきたから食べよ?」
ティグレから状況を聞いたのだろう。
彼らは食料を持ってきていた。
肉、野菜、酒。
質素だが、どれもうまかった。
廃墟で人間と夕食会。
皇族が見たら泡を吹いて倒れるだろう。
だが、気にしたら負けだ。
これこそがネリエの目指す天上人のあり方なのだ。
「でもさ、なんか感動だね。皇族ってすごい存在でしょ? それを見られたなんて」
「ねー、私たち、歴史的瞬間に立ち会ってるんじゃない?」
「そうね……。まあ、バレたら死ぬんだけど」
人間が皇族を視界に入れたら死罪。
バサ皇国ではそう決まっている。
故に人間は龍の天上人を見たことがない。
最初に見た人間はジンだろう。
アレは死罪など怖がる玉ではないので問題ないが、セイジたちはどうか。
「エリカが守ってくれるんでしょ?」
ミキが屈託のない笑みを浮かべて言った。
「……もちろん、そのつもりよ。あたしの力の及ぶ範囲ではね」
「じゃ、安心だね」
「安心されても困るけどね……」
「それよりさ、ここがエリカの家なの?」
セイジが廃墟を見回す。
至極まっとうな疑問だ。
「元家だった、というべきかしらね。今はこの状態。家はなしよ」
「改築すればなんとかなるかなぁ。どう思う?」
セイジは背後にいた人間たちに聞く。
やって来た人間はセイジとミキ以外にも何人かいる。
皆、顔は知っているが、奴隷時代に親しいわけではなかった。
何のために来たのだろう、と思っていたが、
「屋根の修繕では済まないだろう。柱が腐っている可能性がある」
「屋敷自体も大きすぎて、全体の修復は時間がかかるぞ」
「外観だけ整えるなら簡単だ」
彼らは建築を専門とする奴隷だった。
なるほど、だから、ティグレは声をかけたのか……。
人間に屋敷の修繕を依頼する。
天上人に味方がいない皇女が取れる唯一の道だ。
そこまで考えていたのなら、評価を改めないといけない。
「対人地雷とレーザートラップもつけよう」
「相手は天上人だぞ? 使っていいのか?」
「失礼かどうかなんて、この際気にしたらダメだろう」
「そうじゃなくて、跡形も残らず消し飛ぶような罠は逆に不都合じゃないか?」
会話が物騒な方向に流れる。
頼もしく感じるが……、若干、不安だ。
「なぁ、エリカ。死体を同定する必要ってあるか?」
「そういうことを真顔で聞かないでくれる……?」
「だろ? 必須なんだよ」
「そういう意味じゃないわよ! ……そもそも、本当に改築に協力してくれるの?」
皇城の屋敷は普通の家とは違う。
真面目に修繕をしたら、職人を何十人も雇って何年という単位だ。
費用だっていくらかかるかわからない。
人間にできる範囲を超えている。
「もちろんだよ」
セイジが肯く。
「僕とミキはエリカさんに救われたから。これくらいの恩返しはしないと」
「でも、費用が……」
「お金の心配はいらないよ。どうせ研究成果の転用だし、彼らも実際に使いたくて仕方ないんだから」
「求められる品質だって違うのよ?」
「僕らを誰だと思ってるの? 天上人の職人より、よほどいいものができるよ」
セイジは自信たっぷりに言う。
後ろの男たちも力強く肯いた。
彼らの気持ちはわかった。
けれど、セイジを救ったのは、……正確にはジンだ。
ネリエは何もしていないし、返される恩もない。
断るのが筋なのだろう。
しかし、他に頼れる相手もおらず、寝所の確保は緊急性のある問題だった。
ジンにはあとで自分から返そう。
そう決める。
「……それなら、お願いしてみようかしら」
「うん、任せてよ!」
「よし、森には非線形時空発生装置を置こう!」
「わお、そいつはどんな天上人でも真っ二つだな!」
……本当に任せていいんだろうか。
不安がちょっと大きくなる。