3 凱旋2
†ネリエ†
本丸御殿を出ると、ティグレが長い息を吐いた。
「いや~、ひやひやしたっすよ~。皇帝に暴言って、死ぬ気っすか?」
ベルリカから帝都ルンソッドまで早馬で十日。
到着したその足でネリエはドラコーンに面会した。
表向きは皇女生還の旨を告げるため。
しかし、実態は両者の意思確認だった。
ネリエは即位を認めぬ意志を示した。
派閥間の争いは必至となるだろう。
「取り入ったように見せかけて寝首をかく作戦はどうなったんすか?」
「その作戦はやめたわ。十二天将を見て思い知ったの」
人は強い者に味方する。
派閥など最たるもので、弱い派閥に入りたがる者はいない。
「自分をいかに強く見せるか。それが仲間を増やす鍵よ」
「そんなこと言って暗殺者が来たらどうするんすか?」
「今はまだ殺されないわ。盃の場所がわからないもの」
「無茶苦茶な……。で、これからどこに行くんすか? 生家っすか?」
「いえ、離宮に行くわ」
皇城には天守、本丸、二の丸からなる内郭の他に、広大な森に囲まれた屋敷群がある。
こちらを外郭と呼ぶ。
ネリエがかつて暮らした離宮は外郭に位置する。
行方不明扱いの皇族は死が確定するまで居城も私物も取り上げられない。
故にあの離宮は今もネリエのものであるはずなのだ。
「城の中に留まる……? 死ぬ気っすか?」
「敵を腹中から食い破るためよ。あそこを拠点にのし上がってやるわ」
本丸御殿より徒歩一刻(約三十分)。
離宮に着いた頃には日が落ちていた。
明かりがないため、ティグレが松明を掲げる。
離宮は変わり果てた姿を晒していた。
元は庭園だった部分が森との境界を失っている。
建物自体も損害がひどい。
正面から見て右側は一部、屋根がなくなっていた。
雨ざらしなので、室内も相当な有様に違いなかった。
「ここを拠点にのし上がるんすか?」
「の、のしあがるわ……」
気を強く持って庭を渡る。
皇女のためにとベルリカ領主が仕立てた着物は一瞬で泥まみれだ。
玄関にたどり着く。
戸を開け……、ない。
開けるべき戸がなかった。
中を覗く。
ガサガサと騒々しい音がした。
「こりゃ動物が住んでるっすねぇ」
「……追い出せばいいでしょ」
気を強く持って中へ入る。
枯れ葉が敷き詰められた床。
鼻をつくようなカビ臭さ。
見上げれば満天の星空。
屋根がないと、こうも開放感があるものなのか……。
「暮らせるんすかね、ここ。や、動物なら別っすけど」
「……暮らすわ。暮らすしかないわ」
「生家に行けばいいのに」
「無理よ。連絡が来てないでしょう?」
ネリエの生家は御三家の一角、焔龍だ。
蛇龍、飛竜と並び、高貴なる三つの家に含まれる。
蛇龍の直系、ドラコーンが皇位を取ったため、御三家の拮抗は崩れた。
焔龍はネリエの生存を誰よりも喜び皇位奪還に死力を尽くす……。
当初はそう思われたが、ネリエが帝都へ入っても生家から連絡はない。
何か事情があるのだろうが、知るすべはなかった。
「そっすか。じゃ、俺は行くところがあるんで」
ティグレが松明を持って去ろうとする。
「ちょ、ちょっと! どこに行く気!?」
「や、用事があるんで」
「用事って何よ!? こんなところに置き去りにして、襲われたらどうするのよ!?」
「あれ、殺されないんじゃなかったんすか?」
「い、言ったけど……、襲われるのは話が違うじゃない!」
たった一人の仲間だ。
逃がす訳にはいかない。
あれやこれやと文句をつけるが、
「俺が第二皇女の執事になったのは、マナロの命令だったからですし?」
それを言われると苦しい。
ティグレはマナロの元側近だ。
ネリエの臣下ではない。
結局、朝には戻るという言葉を信じて、送り出すしかなかった。
ティグレが去ると、周囲の音が気になり始めた。
渡された布を地面に敷いて、膝を抱えて座り込む。
一人だ。
恐ろしいほどに一人だ。
気が滅入りそうになる。
屋敷の探索でもしよう。
玄関口に山と積まれた箱を見つけた。
ベルリカから運ばせたネリエの私物だ。
一応、配送は成功したらしい。
「よかった、……これで一晩はなんとかなりそうね」
まず、喫緊の課題は食料だ。
皇族とは言え、食べなければ死ぬ。
箱を開ける。
中身はすべて銃火器だった。
――――戦いに行くんだから、必要なのは武器よね。
そうだった。
あのときの自分はそう信じていたのだ。
衣食住の心配などカケラほどもしなかった。
それはそうだろう。
だって、皇女なのだから。
「……戦いに必要なのは兵糧でしょ」
文句を言っても火薬は食えない。
鉛の玉が木の実に変化することもない。
ため息。
呼応するようにフクロウが鳴く。
ため息が量産される。
盃をなんとも思わない十二天将。
連絡をよこさない生家。
当然あるべき支援が得られなかった。
二重の誤算だ。
いや、ティグレが消えたから三重になる。
――――あたしって、そこまで人望がないの?
涙もこぼれそうになる。
声をかけられたのはそのときだった。