2 凱旋1
帝都ルンソッド。
皇城。
本丸御殿。
皇帝の居住地にして、バサ皇国の最重要拠点だ。
正面には石畳の敷かれた庭園があり、三方を城壁に囲まれる。
後方には天守が控える。
戦時に使われるものだが、皇国統一後は一度も使用歴がない。
天守は小高い丘の上に建てられ、四方は崖。
地上から攻め入るのは困難を極める。
かと言って、空から攻めれば飛空要塞に咎められる。
要塞は皇城の北側地上数百トルメの位置に浮いており、空戦の拠点となる。
原理や出自は不明であり、マナロが精霊より賜ったとも、精霊界の技術とも言われる。
普段は、精霊の編んだ鎖で地面に留められており、空から帝都を見下ろしている。
空戦陸戦の双方に優れ、戦国の時代に一度も傷をつけられなかった城。
皇国最古にして最大の城。
それが皇城の姿だ。
†ネリエ†
本丸御殿内。
大広間。
ネリエの姿はそこにあった。
広さは畳五百枚以上。
装飾も貴重とされる金銀を惜しげもなく使う。
広間には、皇帝が坐す高殿を最上段とし、上段、中段、下段、四ノ間、五ノ間と五つの段差があった。
通例、皇族が拝謁する場合は、上段を利用し、それ以外はいかに位が高くとも中段となる。
ネリエが通されたのは上段。
一応、皇族扱いされたことにほっとする。
広間の左右には皇城に詰める役人が並ぶ。
五ノ間から上段まで総勢で百を超える。
上段には高貴なる三つの家の嫡子や血族が揃い、中には懐かしい顔もあった。
が、今は全員が敵だ。
皇帝の参集に応じるということは、従属関係を認めたも同然だからだ。
ネリエは正座を崩さぬままに左右を見る。
ここに顔を出した者は味方にはなり得ない。
なるべく多くの顔を覚える必要があった。
「さて、皆々様」
重い空気の中、宰相マンダ・ドドンが立ち上がる。
鰐の天上人だ。
歳は人間で言う五十くらい。
太りすぎて象のような腹をしている。
「此度はネリエ様のご帰還を祝うために参上したこと、ご苦労であった。これより皇帝陛下がお出ましになる。面を下げよ」
広間の全員が平伏する。
無論、ネリエを除いて。
「おい、頭を下げないか。許可なく拝顔するつもりか!」
皇族から叱責が飛ぶ。
ネリエは笑みを崩さず、
「弟ドラコーンに会いに参ったのです。なぜ平伏する必要が?」
第二皇女と第二皇子の対面なのだから、拝顔は無礼に当たらない。
そういう理屈だが、次々とヤジが飛んだ。
「なんという物言いを!」「皇帝陛下へ礼を払わぬとは!」「こやつは偽物だ!」「即刻、打首にしてしまえ!」
広間はあっという間に騒々しくなる。
そうした騒ぎに紛れ、誰かが立ち上がる音がした。
荒々しい足音が響き、暴力の陰が見え隠れする。
振り向きたい衝動に駆られるが、恐怖を見せれば舐められる。
ネリエはぐっとこらえた。
「よい。そのままで構わぬ」
そのとき、御簾の向こう側から声がした。
声変わりして間もない、少年の声だった。
「よろしいのですか、ドラコーン様?」
「二度言わせるな」
「……かしこまりました。陛下の慈悲に感謝するのだな」
マンダが吐き捨てるように言う。
周囲が落ち着いた頃に更に一言、
「御簾を上げてはいただけないのですか? 私は弟の顔を見たいのですけれど」
周囲が再び騒がしくなる。
「よい。上げろ」
これも皇帝の一言で静まった。
もったいぶるように御簾が上がる。
彼は、ネリエより一段高い場所にいた。
ドラコーン・ワーラ・アングハリ。
第二皇子にして、ネリエの弟。
着物から覗く手は青い鱗に覆われるが、首から上は人間の肌だ。
頭に生えた二本の角が龍族であることを示していた。
歳はエリカのひとつ下だから十四。
間近で見ると、実年齢より幼く見える。
会うのは四年ぶりだろうか。
ネリエが離宮で暮らしていた頃は接点がなかった。
年始や祭事で顔を合わせる程度だ。
そんな弟が久しぶりに会った姉に何を言うか。
緊張して言葉を待っていると、ドラコーンはこう言った。
「お前、かわいいな。妾にしてやっていいぞ。顔もいい。胸もでかいな。見せてみろ」
彼は笑う。
実に楽しげに。
ネリエは頭を抱えそうになった。
四年ぶりに会った姉に対して最初に言うことが、これか?
無遠慮な視線も気色悪い。
四年前はまだ愛らしさがあったが、なぜこうなってしまったのか。
「今宵、閨に来い。かわいがってやろう」
「断るわ。あんた、気持ち悪いもの」
空気が固まる。
皇族たちが顔を青ざめさせ、一方、ドラコーンはきょとんとした顔をしていた。
褒め言葉以外を耳にしたことがないのだろう。
他人の悪意に触れた経験がないから、発言の意図がわからないのだ。
「わはははは、さすがは従者の一人も連れず、武人を連れてくるような方ですな。教育がまるでなっていない」
宰相マンダが口を挟んだ。
同調して上段にいた皇族も笑い出す。
「確かに前皇帝マナロ様は武を持って、皇国を治められた。しかし、時代はすでに武を必要としておりませぬ。臣下は賢き者に恐怖するのでございます。そう、ドラコーン様のように」
「そうですか。けれど、さすがにドラコーンよりは、私の方が頭がよいと思いますけれど?」
再度、空気が凍る。
宰相の顔から血の気が引く。
鰐でも顔が青くなるらしい。
場がしんと冷え切り、殺意が漂い始めた。
二度目は笑い話では済まさない。
そんな意図が見えた。
――――今日はこのくらいでいいだろう。
皇位への意欲を伝えられれば目的は達成だ。
やり過ぎれば、この場で殺される。
「お目にかかることができ、光栄にございます。お健やかにお育ちになられたことを心から嬉しく思います、ドラコーン様」
ネリエは恭しく頭を下げた。
「うむ、大義ではあったな」
ドラコーンが満足そうに肯いた。
皇帝が満足した以上、臣下がネリエを責めることはできない。
皇族は悔しげにネリエを睨む。
別れの挨拶と面会への感謝を述べる。
ドラコーンが余計なことを言う前に、ネリエは大広間を辞するのだった。