1 十二天将
第三部に入りました。2日に1度以上のペースで出していきます。
完結編です。
ベルリカ分家の謀反から七日。
ネリエ第二皇女生存の報はバサ皇国の各地を巡った。
ネリエは三年前に崩御した前皇帝マナロの実子。
世間的には暗殺されたと信じられていたが、なんと人間に身をやつすことで生きながらえていたのだ。
皇国にとっては慶事。
しかし、現皇帝ドラコーンにとっては弔事と言えた。
ドラコーンは三年前、兄弟姉妹を皆殺しにして、帝位についた。
ネリエが生きていたとなれば、即位の有効性が問われることになる。
ドラコーン派は即位は有効だった、とゴリ押しするか、ネリエを再度葬るかの二択。
逆にネリエ派は即位が不当だったと主張し、継承権を争うだろう。
政争が泥沼化するのは、誰の目にも明らかだが、大方の見方ではドラコーン派が優勢とされていた。
即位して三年。
他の皇子皇女の派閥を着実に弱らせ、取り込んできたからだ。
地盤が盤石とまではいかないものの、ネリエ派に比べれば、一日の長がある。
バサ皇国は二派閥に別れ内紛の時代に飛び込む。
今はそんな時代だった。
†ネリエ†
ベルリカ領某所。
ネリエはベルリカ領主の厚意により、領都ガレンに滞在していた。
帝位奪還を企てるとは言え、丸腰で帝都に戻る訳にはいかない。
彼女に必要なのは仲間だ。
ネリエはマナロより│真紅ノ盃を託されていた。
盃は太古の昔、マナロが精霊より血を賜った際に使われたもので、バサ皇国の至宝とされる。
当時、十二人の武人が盃の下に忠誠を誓った。
その子孫は現在、十二天将としてバサ皇国の要職につく。
彼らは皇族に次ぐ位階を持つ。
名実ともに国の中枢だ。
この十二名を仲間にできれば、帝位奪還への道もぐっと近くなる。
そう思われていた。
†
畳二十枚ほどの茶室に、十一人が車座に座る。
ネリエが十二天将に招集をかけると、十一名が参集に応じた。
ネリエは御簾の隙間から様子を伺う。
まず、向かって右側。
高級な着物を身につける者、宝刀と思しき刀を持つ者。
さすがに装いの格が違う。
多くが何らかの持ち物で格式の高さを示していた。
次に左側。
他方でぼろ布のような着物の者、挙動不審で目が虚ろな者。
一言で言うと、浮浪者だ。
対照性のある構図にネリエは首をかしげる。
こいつらは何だ。
まさか、これが十二天将だとでも言うのか。
ネリエは皇城にいた頃を思い出す。
十二天将からは挨拶を受けたことがあった。
当時の記憶は薄れているが、浮浪者はいなかったと思う。
三年で交代があったか、記憶が美化されただけか。
それでも浮浪者はおかしい。
十二天将は位階第二位、将位を賜るのだから。
ネリエは今、御簾で隔たれた高殿にいる。
御簾を上げれば、対面だ。
盃を受け継いだ者として、相応しい振る舞いを見せねばならない。
しかし、想定していた相手と違うなら、”相応しい振る舞い”も違ってくる。
「……」
思考を振り払う。
深呼吸をする。
大切なのは自分を維持すること。
相手に合わせる必要はない。
誰が主かわからせてやるのだ。
ネリエは気持ちを固め、執事に合図を出す。
御簾が上がり、十二天将と対面する。
「皆、遠いところをよく参りました。前皇帝マナロへの変わらぬ忠誠心に感謝します」
まずはやって来たことを労う。
これに対し、十二天将は平伏で応える。
顔は上げず、第二皇女ネリエの生存を涙ながらに喜ぶ。
そこまでが決まった筋書き。
問題はそこからどうやって彼らの協力を取り付けるか。
…………と、ネリエは思っていた。
だって、そうだろう。
第二皇女が生きていて、盃を持っているのだ。
皇族で、継承権保持者だ。
平伏しない馬鹿などいない。
「ふぅん、本当に生きていたのね」
想定外の一撃。
まず、十二天将は誰一人、平伏していなかった。
十一人がまじまじとネリエの顔を眺める。
そして、あろうことか敬語すら使わずに、不躾な感想をぶつけてくる。
「……」
「どうしたの? 何か言ったら?」
話しているのは蛇の女だ。
着物を着崩し、肩から上を露出している。
心臓の位置に十字の入れ墨。
もちろん谷間も見えている。
確か名前はヘンプ・ウルポー。
西方の湿地帯を治める領主だ。
「ヘンプ・ウルポー。私が誰かおわかりになりますか?」
「もちろん、元第二皇女ネリエだろう?」
「元……、とは?」
「変なことを聞くね? 皇女は皇帝の娘を指すんだよ。あんたは、ドラコーン様の娘かい?」
「……」
「今のあんたはただの皇族。ただの皇族なら、あたしらより少し偉いくらいだろう?」
ヘンプはゆるりと煙を吐き出す。
「主張は理解しました。しかし、少しでも偉いのであれば、礼を尽くすべきではありませんか?」
「理屈の上では、そうだろうねぇ? けれど、あんたにはどれだけの力があるんだい?」
「……力とは?」
「金、権力、支持者。いろいろな言い方がある。あんたには何がある」
「……」
「どれもないだろう?」
「だから、礼を尽くす必要がないと?」
「あたしは利のないことはしない主義なんでね」
つまり、盃があっても利がなければ味方をしない、と。
盃に忠誠を誓うという話は何だったのか。
「私が利を示せば協力をしていただけますか?」
「どんな利があろうと、手は貸せないだろうけどね」
「それはなぜですか?」
「――――あんたが、元人間だからさ」
ヘンプは吐き捨てるように言った。
ネリエは三年前、霊術で人間に変えられた。
ドラコーンの暗殺を逃れるためだったが、彼らとしては、人間になった者など敬う対象ではない、というわけだ。
「堕人変化はすでに解かれ、私は天上人へと戻っています」
「穢が消えたわけじゃないだろう。あたしは近づきたくもないね」
「他の者はどう思いますか?」
黙っていた十人にも問いを投げる。
最初に答えたのは、浮浪者だった。
「まぁ、いくらいい体してても、元人間じゃ、抱けねぇだろ?」
古びた着物。
片手に酒。
年齢はかなり高く人間で言えば四十代半ばだろう。
外見は浮浪者で、発言も卑賤。
だが、十二天将だ。
ラジン・クムハ。
虎氏族長であり、マナロに次ぐ実力者という伝説の男だ。
期待していたが、どうやら内面は伴わないらしい。
「自分が何を言ったか、理解できていますか?」
「おうとも。これしきの酒で酔うわけがねぇからな、ひっく」
思い切り酔っているのでは……?
呆れ。諦め。
様々な感情が浮上し、最後に違和感が降りてきた。
皇族に対する無礼は極刑だ。
そんな当たり前の決まりを、彼らが知らないわけがない。
彼らの無礼には理由がある。
ネリエには何を言っても許される。
そう思っているから、強気に出る。
――――なるほど、そういうことか。
「率直に聞きます。あなた方はドラコーンに私をどのように扱えと命じられましたか?」
場の空気が変わった。
ヘンプが眉を上げ、
「よい質問だねぇ……。賢さに”敬意”を払って教えてあげるよ。あたしらは、元人間の穢だと思え、と言われたのさ」
「理解しました。しかし、私はドラコーンを皇帝と認めた覚えはありません。彼は皇位を不当に簒奪しただけなのですから」
「で、元皇女様は皇位を獲りに行くんだろう?」
「わかっているのなら、話が早いですね。私はあなた方と共に皇位を取り戻しに行きたいのです」
「あたしは遠慮するよ。そこの虎は?」
「やだね! なぜ俺たちが、ひっく、元人間に使われなきゃならねんだ! 他の奴らもそう思うだろ?」
ラジンが問うと、何人かが肯く。
だが、何人かは否定した。
「嫌だとは申しておらぬ」
トゥービ・タンゴール。
ベルリカ領を救った獅子氏族序列第二位。
生真面目な青年。
目下、唯一、盃の命に従ってくれる人物。
……のはずだった。
「なんだ、獅子は皇女の味方か?」
「我らは貴殿のような愚物ではないため、考えてから行動する。それだけだ」
「あ? なんつった、てめぇ、ひっく」
「元第二皇女よ、協力の可否は話を聞かねば決められぬ。どのように皇位を獲るおつもりか?」
「武力で成し遂げるつもりはありません。ドラコーンには平和的に皇位を退いてもらいます」
「金も権力も仲間もなしに?」
「…………、これから増やすのです」
言葉に詰まった時間は瞬き数回分。
しかし、トゥービは十分とばかりに目を閉じた。
即答できなかったことが悔やまれる。
けれど、どう答えても心は傾かなかった気もする。
このまま続けても埒が明かない。
ネリエは最後に一つだけ確認する。
「あなた方に問います。盃に対する忠誠はないのですか?」
「「「「「「ない」」」」」」
清々しい回答だった。
国宝にして至宝、精霊から賜った伝説の品、真紅ノ盃。
これに十二天将を従える力はない。
現実の厳しさがよくわかった。
しかも、十二天将は――――。
「さすがに獅子は腰抜けだなぁ、おい。群れないと何もできねぇときた!」
「群れねば何もできない者に劣る氏族はなんだったか……、あぁ、虎か」
「おい、やんのか?」
獅子と虎が言い合いを始める。
「吠えるな俗物共が」
そこに犬が横槍を入れた。
「黙ってろ犬、ひっく。お前のところも群れだろうが」
「獅子などと同列に扱うな。臭いが移る」
「聞き捨てならぬな。獅子は高潔なる氏族。犬ころが舐めてよい相手ではないぞ」
「なら競おう。どちらがより多くの虎を狩れるか」
「多い方が優れた種というわけか」
「……おい、てめぇら。いい加減、ぶっ殺すぞ、ひっく……」
場の空気が険悪になる。
虎、犬、獅子が三者共に刀を抜きそうな殺気を放つ。
その様子を眺め、ヘンプがつまらなそうに、
「あんたたち、殺し合いなら外でやってくれない? 馬鹿が伝染りそう」
「あ? 蛇女、お前も犯されてぇのか? ひっく」
「やってご覧よ。できないんだから」
にらみ合いに蛇が加わる。
そして、部屋の反対側から、愛らしい顔の兎が、
「不思議ね。蛇のおばさんはこれ以上、馬鹿にはならないのにどうしてそんなことを気にするのかしら?」
「……おい、そこの兎。丸呑みにされたいんなら、ちゃんとお願いしなよ。跡形もなく食ってやるからさぁ」
次々に悪意が伝搬する。
残りの者は呆れた様子で黙り込み、飛び交う罵倒を聞き流している。
そう。
十二天将は互いに仲が悪い。
死ぬほど悪い。
放っておいたら、すぐに八人くらいに減るだろう。
ネリエは額に手を当てた。
ため息が出そうになる。
そうこうするうちに黙っていた鷲が席を立った。
「降りさせてもらう」
「俺もそうしよう」
「いる意味がないからの」
それを皮切りに次々と十二天将が茶室を出ていく。
犬、虎、蛇、兎は、詰り合いながら退場した。
別れの挨拶は当然なかった。
最終的に羊、獅子、牛の三人が残った。
「あなた方は出ていかないのですか?」
諦め気味に聞くと、こんな返事があった。
「我らは幾分、盃に思い入れがあるのでな」
だから、可能な範囲で助けてやりたい、とのことだ。
「でしたら、」
「しかし、現状を思えば、皇位簒奪は非現実的な夢であろう。表立っての協力はできない」
「陰ながら応援させてくださいませ」
三人を代表して獅子と羊が言った。
要するに、仲間になるつもりはない。
でも、見捨てるのは忍びない。
そんなところか。
良心を持つ者が三人もいたと喜ぶべきだろう。
ネリエはこの申し出をありがたく受けた。
やがて三人が出て行くと、部屋は一気に寒々しくなった。
「はぁ……」
疲れた。
今後のことを考える気力が湧かない。
「いやぁ、散々でしたねぇ」
誰もいなくなってからティグレが出てくる。
人の気も知らずに春画本(エロ本)を読んでいる。
「これからどうするんすか?」
「どうもこうも帝都に戻るわ、予定通り」
「一人で? 笑い者っすよ?」
「仕方ないじゃない。あいつらが使えないんだから」
当初の予定では十二天将と凱旋するはずだった。
彼らを従えることで箔をつける。
そんな狙いがあった。
……一人で戻ったとき、周囲がなんと思うか。
それは考えたくもない。
「友達いねーんだなって知らしめるだけっすよ。だったら、隠れてた方がよくないっすか?」
「戻る期日があるの」
「なんで?」
「勇者ノ日よ」
勇者ノ日はバサ皇国で最重要の祭事だ。
七日続く祭りの最終日に皇族が全員出席する儀式がある。
地盤が弱いからこそ、隙だけは見せたくない。
「出ないという選択肢はないの。今年は延期されたから開催は冬。あと六十日しかないんだから、もう戻って準備をしないと」
「それはそうっすけど……」
ティグレは初めて春画本から目を離し、ネリエを正面から見た。
「俺も降りていいっすか?」
「殺すわよ?」
ネリエは逃げようとするティグレの着物を掴む。
懐から取り出した銃を突きつける。
明日は帝都に出立しなければならない。
こうなれば一人でも多く道連れを作るまでだ。
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名前:ネリエ・ワーラ・アングハリ
仲間:一人
派閥:零人
所持金:なし